伊野天照皇大神宮〜神功皇后紀 9

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3月、薄暗い森に囲まれた敷地に数人の男と女がいた。
その中央には、神がかり、豹変した女が一人。
中臣烏賊はその女、神功皇后の中にいる神に問いかける。

「先日、大王に教えられたのはどこの神でございますか。その御名をお教え下さい。」

この6日間、同じ状況が続いたが、答えはなかった。
そして7日目の夜になって、初めて皇后の口から言葉が漏れる。

「その神は神風の伊勢の国の百伝(ももづた)ふ
渡逢(わたらい)の県(あがた)の拆鈴五十鈴(さくすずいすず)の宮におられます。
名は、撞賢木(つきさかき)厳之御魂(いつのみたま)天疎(あまさかる)向津媛命(むかつひめのみこと)と申される」

中臣烏賊は困惑しつつも続ける。

「この神のほかに、まだ神はおられますか」

「幡萩穂(はたすすきほ)に出る吾は、尾田の吾田節(あかたふし)の淡郡(あわのこおり)にいる神である」

「ほかにまだ神はおられますか」

「天事代(あめにことしろ)虚事代(そらにことしろ)玉籤(たまくし)入彦(いりびこ)厳之(いつの)事代神(ことしろのかみ)」

「ほかにまだ神はおられますか」

「いるかいないかわからない」

「いま答えずに、またあとで言われることはありませんか」

「・・・日向国(ひむかのくに)の橘小門(たちばなのおど)の水底にいて海藻のように若々しく生命に満ちている神、
名は上筒男(うわつつのお)・中筒男(なかつつのお)・底筒男(そこつつのお)の神がいる」

意外な神の名の登場に、一同は動揺する。
さらに中臣烏賊は続けた

「ほかにまだ神はおられますか」

「いるかいないかわからない」

そしてついに新たに神の名を聞くことは無かった。
力を使い果たし、うな垂れる神功皇后を支えようとする武内宿禰。
あたりは緊張が解けてざわめく声が聞こえている。
そこに見計らって、一人の女が動いた。
手には鈍く光る銅の短剣。
女、田油津姫に迷いは無かった。
その鋭い、黒い瞳には、精気を失った皇后の姿が映っていた。

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仲哀天皇の突然の崩御に幹部たちは騒然となります。
味方に動揺が走ることも、敵に知られることも、そして天皇の他の妃とその子らに知られることも、
神功皇后にとっては非常にマズい事態でした。
そこで天皇の死は隠され、ここから神功皇后が驚くべき活躍をし始めます。
神功皇后はまず、自らに乗り移り、天皇を祟った神の名を知るべきだと考えました。
そのための祭祀を行う場所を探します。
そして選ばれたのが「小山田邑」(おやまだむら)と言われる場所でした。

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【五所八幡宮】
「五所八幡宮」(ごしょはちまんぐう)で神功皇后は竜輿を休められたそうです。
小山田邑に向かう途中、休まれたのではないかと思われます。

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多くの奇樹が伝わる神社ですが一番有名なのは

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これです。

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「ムーミンの木」、なるほど、まんまですね。

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拝殿は素朴な感じです。

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狛犬がめっちゃ笑ってました。

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【小山田斎宮】
古賀市の山中に「小山田斎宮」(おやまださいぐう)があります。
神功皇后はここで再び神懸かりを行い、仲哀天皇を祟った神の名を知ろうとします。
鳥居横の「小山田斎宮」の石碑は、香椎宮の宮司さんの書によるものだそうです。

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「小山田邑の斎宮」と伝わる場所がもう一箇所、久山にもありますが、そこは随分ひらけているので秘密裏に祭祀を行うには相応しくなさそうです。

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境内は質素で、ひっそりとしています。

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氏子さんに丁寧に守られている感じですが、ここも一度遷宮された場所のようです。

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皇后は武内宿禰、中臣烏賊津連(なかとみのいかつのむらじ)、大三輪大友主君(おおみわのおおともぬしのきみ)、
物部肝咋連(もののべのいくひのむらじ)、大伴武以連(おおとものたけもつのむらじ)といった重鎮に囲まれて、祭祀を行います。

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皇后が神懸かりをした場所は、ここから少し離れた場所でした。

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小川があったであろう場所を渡った先にあります。

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武内宿禰が琴を弾き、中臣烏賊津連が審神者となって神懸かった皇后に問いかけます。
それが冒頭のストーリー。

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そこで驚くべき神々の名が告げられました。

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【伊野天照皇大神宮】
久山の田園広がる中に、あまり人に知られていない、とてつもない聖地が眠っていました。

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それが「伊野天照皇大神宮」(いのてんしょうこうたいじんぐう)です。

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参道入り口に立派な夫婦杉があります。

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神懸かりの祭祀は七日七夜続けられました。
6日までは何も神は答えてくれませんでしたが、7日目の夜に、ようやくその名が語られます。

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最初に語られた神の名が「向津媛命」(むかつひめのみこと)でした。
これは最高神「天照大神」のことだと言われています。
富家伝承では「大和姫」のことを向津媛と呼んだそうです。

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続いて語られた神の名は「尾田の吾田節の淡郡にいる神」とよく分からない答え方をします。
「吾は」と言っているので、今、皇后に降りた神はこの神でしょう。
おそらく伊勢神宮の別宮、「伊雑宮」(いざわのみや)にいる天照の妹神、もしくは天照の別神ではないかと考えられているようです。

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更に告げられたのは出雲大社の主宰神「大国主」の息子とされている「事代主」です。
実際には事代主とは、古代出雲王朝の八代目副王の個人名です。

そして最後に告げられたのは
「日向国の橘小門の水底にいる神、上筒男・中筒男・底筒男」
これは住吉神社における神の名です。

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記紀によると、住吉の神は、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が黄泉の国から現世へ戻り、禊をした時に最初に生まれた神です。
この時、住吉の三神は志賀島の安曇族が信奉する「綿津見」の三神とセットで生まれてきます。
天照大神や事代主は皇祖代々、祀ってきましたが、この住吉神は忘れ去られていたのかもしれません。
神功皇后はこの後、事あるごとに住吉神を祀り、各地に住吉神社を興すきっかけを作ったのでした。

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さて、「伊野天照皇大神宮」の拝殿です。

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神功皇后は何よりもまず、仲哀天皇を祟った、日本最高神の「天照大神」をここに祀りました。

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ここは伊勢神宮と同じく、「五十鈴川」という名の川が参道前に流れています。
そこで禊を行えるようになっています。

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そして過去に数回、天照大神の御神体が、この伊野天照皇大神宮を求めて戻って来たという伝説があります。

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話の流れから、ここには天照大神「向津姫」の荒御魂があるように感じます。

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直接的で厳かな、そんな神気を感じます。

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拝殿の裏手に、本殿へと通じる階段があります。

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ここに立つと、ビリビリとした神気を感じます。
邪な気持ちを持っては、この前に立っていられない、そんな感じです。
ただひたすらに頭を下げさせていだたきました。

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本殿の横には三叉の槍があります。

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そして、この本殿の裏にもまた、凄い場所がありました。

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まさしく聖地。
開けた場所に「心の御柱」だけが立っています。
ただ事ではない、神の気としか言いようのない何かに、圧倒されます。
「古神殿跡地」と刻印されていますが、伊野天照皇大神宮では伊勢神宮と同じく、20年ごとに遷宮を行っているとのことなので、
その遷宮跡地となるのでしょうか。
それにしては随分長い事、ここには神殿が建っていないように思われます。

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実はこの心の御柱が折れているのを見ました。
老朽化によるもののようですが、誰かが触れてポキっといったのかもしれません。

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が、先日無事立っている御柱を確認しました。
文字が少し埋まっていますが、問題なさそうです。

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後ろの杉の木が真っ直ぐ天に向かって伸びているのが印象的です。

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古神殿跡地の裏に、更に登る道があります。
「遠見岳」「神路山」と言われる山へ登る道です。

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神功皇后が度々登った山だそうです。
30分ほどで登れるそうなので、僕も登ってみました。

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が、侮るなかれ、結構な傾斜面で、かなりハードな登山でした。

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と、展望台が見えてきました。

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最高の景色です。

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皇后が異国を展望した場所と伝わりますが、

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なんと神の島「沖ノ島」が見えてました。

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神功皇后は今後の展開について、一旦香椎宮を出て、「伊野天照皇大神宮」の手前に陣を敷きます。

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【黒男神社】
皇后はその陣の守りの要を武内宿禰に託しました。
武内宿禰が陣を敷いたのが大昔は「かため山」と呼ばれ、その後「カタ山」、今は「黒男山」と呼ばれるこんもりとした山の麓です。

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「黒男神社」(くろどんじんじゃ)と呼ばれます。

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木の拝殿の裏に、石の祠がありました。

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神功皇后含む6代の天皇に仕え、300年を生きたとされる謎の男、武内宿禰ですが、事あるごとに神功皇后を支え、この後重要な役割を果たしていきます。
実際には300年を生きたということはなく、記紀は数代の武内氏を一人の男としてまとめたためにこのような表記となっています。

なぜこのようなことになっているのか?
記紀を編纂した藤原不比等には、王族や自分たちの血統を正当なものとしたいことや、魏の属国となっていたことを隠したい思惑がありました。
そのため複数存在した「磯城王朝」(しきおうちょう)、「物部王朝」「葛城王朝」などをひとつの「大和王朝」としてまとめ、万世一系の皇族の歴史を
捏造します。
不都合な歴史を消し去り、つじつまを合わせようとした結果、記紀にはこんなありえない、ヘンテコな創作がいくつも見られるようになりました。

神功皇后と行動をともにする、ここで言う武内宿禰は、「襲津彦」(そつひこ)のことであり、若々しく有望な男子だったようです。

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後に「葛城」「蘇我」「平群」「巨勢」といった古代日本豪族の祖となったと伝わります。

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【斎宮】
伊野天照皇大神宮と黒男神社の間に直線に並ぶようにあるのが「斎宮」(いつきのみや)です。
小山田邑の斎宮の候補地でありますが、開けた秘匿性に欠けるこの場所は、神懸かりの祭祀が行われた場所ではなく、
その後陣を敷いた場所でしょう。

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「聖母屋敷」として皇后がお住みになり、出産後もしばし滞在した場所です。

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ここで皇后を守った他4人の重鎮について、簡単にご紹介します。

中臣烏賊津連の祖先は「天児屋根命」(あめのこやね)で、記紀では邇邇芸の天孫降臨に従った一柱として記されています。
烏賊は「伊賀氏」「雷大臣」(いかづちだいじん)と同一人物ではないかと言われています。
「中臣氏」の先祖となります。

大三輪大友主君は奈良県の三輪山を支配する豪族です。
三輪山は現在、「大物主」の聖地とされ、かつては禁足地とされてきたその山を訪れる人は少なくありません。
「大物主」とは出雲大社の「大国主」「大己貴」と同一神と云われています。

物部肝咋連の祖先は「饒速日命」(にぎはやひのみこと)とされます。
記紀で饒速日は、神武東征の時、義兄の「長髄彦」を誅して神武天皇に帰順したと伝わります。
石上神宮を始めとする神道を信奉し、大和朝廷で軍事を司りますが、物部氏は聖徳太子の時代に蘇我氏に滅ぼされたと日本書紀にはあります。

大伴武以連の祖先は「天忍日命」(あめのおしひのみこと)とされます。
「伴」の字は天皇に直属するという意味で宮廷を警護する軍事職を司ります。

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神功皇后と、後に生まれる「応神天皇」は、武内宿禰を始めとする早々たる面子を従えていくのです。

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そして謎の人物、「田油津姫」(たぶらつひめ)。
後に土蜘蛛田油津姫として神功皇后に滅ぼされます。
田油津姫は神功皇后を暗殺しようとし、失敗したと、田川の「若八幡神社」に伝わっています。
田油津姫の先祖「神夏磯姫」(かむなつそひめ)は景行天皇の熊襲征伐の時に帰順し、従っていました。
なので当初は神功皇后陣営にいたと思われます。
とすると小山田斎宮での祭祀の時か、この斎宮にいる時、皇后暗殺を謀ったのかもしれません。

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この「斎宮」には2度ほど訪れましたが、なぜか僕は、2度とも少し具合が悪くなりました。
何かあるのかもしれません・・・

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「斎宮」から少し離れた他の中に「六所宮跡」があります。

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伊野天照皇大神宮を内宮とし、豊受大神を祀った外宮にあたる「六所宮」があったそうですが、
火事や水害により「斎宮」に合祀されたようです。

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六所宮跡の向かいに「審神者神社」があります。

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御祭神は、神懸かり神事の時に審神者となった「中臣烏賊津連」です。

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その姿は今もひっそりと、「斎宮」を守っているかのようでした。

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