
『辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比』
『其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也』

熊本県阿蘇郡南阿蘇村に鎮座の「一関八坂神社」(いちぜきやさかじんじゃ)へとやって来ました。

春の陽光を受けて、境内が輝きます。

小ぶりながらも、要石が組まれた石橋は、当地の石工の技量の高さを窺わせます。

石垣の上にある境内社は「明神社」で、罔象女神(みつはのめのかみ)が祀られます。

由緒では、安康天皇の御代(453~456年)に杵築大社(出雲大社)を勧請したとされ、 また宣化天皇の御代(536~539年) に須佐之男命が北山の地に顕現したとも伝えられます。

祭神は「素戔嗚尊」「櫛稲田媛命」「大国主命」となっており、元々は「北山神社」と称していました。
朱鳥2年(687年)の大洪水で流され、 その後現在地に遷座し、天歴5年(951年)に勅命により 「祇園社」と称するようになり、 明治初期に「八坂神社」と改称された経緯があります。

手水の水は湧水で、近くに白川水源もあり、南阿蘇の豊富な水の氣を感じる社です。

拝殿右側に『古代火の国の「炎のピラミッド」古社郡配置図』というものが紹介されていました。
なんかすごいなとも思いますが、古い神社と新しい神社がごちゃ混ぜなので、まあ、たまたまそういう配置なのではないかとも思います。



アシュラさんが「こっちに来てごらん」というので、河原に降りて行きました。

一関八坂神社の横を流れるこの川は、いわゆる「白川」と呼ばれる川で、白川水源の水が流れ出ているもののようです。

「下の砂を見て」と言われて、見てみると、白川なのに、黒い砂。
「じゃこれを川底に沈めてみて」と手渡されたのは磁石。
僕が磁石を川底の砂に沈めると、

オッタマゲ~!
いとも簡単に砂鉄が採取できました。

なんと、白川は、出雲でいうところの「黒い川」だったのです。

アシュラさんは、全国で最も鉄の産出量が多いのは、福岡と熊本だといいますが、これは納得です。
この川は今だに、豊富な砂鉄を含んでいるのです。

古代では鉄は神そのもので、鉄は国を制しました。
この黒い川があったから、ここに出雲の神が祀られるようになったのか。
しかしながら、アシュラさんが阿蘇に多氏王朝があったと力説するのも、理解できます。
こりゃ名だたる一族が、阿蘇を欲するわけだ。



次に向かったのは、一関八坂神社から西に少し離れた場所の「道の駅 あそ望の郷くぎの」でした。

その敷地内のパークゴルフ場が、なんと「柏木谷遺跡」(かやのきだにいせき)と呼ばれる古墳群となっていました。

柏木谷遺跡は、縄文時代から古墳時代まで、時代ごとの古墳が残っており、現在は古墳と周溝墓が21基が復元されています。

つまり、高森の「幅・津留集落遺跡」から南阿蘇の柏木谷遺跡までの広範囲に、長期にわたる一つの巨大な環濠集落があった、可能性があるというのです。



南阿蘇村の西側、山を少し登ったところに「鳥の小塚公園」があります。

こんもりとした小山の上に鳥居が建っていますが、ここは古墳だとか、狼煙台だったとか、色々な説があるようです。

鳥の小塚公園から山側を振り返ると、落ちそうで落ちない、でも落ちちゃった「免の石」を見ることができます。

と言っても、免の石は落ちちゃったので、見れないわけですが。

しかし、そこから見る南阿蘇の平野は、圧巻です。

「これを見ると、南阿蘇に大国があったとしか、思えないんだよね」
そうおっしゃるアシュラさんに、全く同意です。
天然の城壁に、肥沃な大地と豊かな水、そして鉄とリモナイト、温泉もある。
全てが備わる大地に、強固で巨大な国が生まれないはずもなく。

この視線の先に、白川水源を擁する白水村があり、そこが僕のルーツだよとおっしゃるアシュラさん。
「半弖比」=ハクヒと白山神社。祭神の久久理媛=白毘売。
僕の父方の姓は五条氏に繋がるのですが、母方の祖母姓は白と水に由来するのです。
そういえば、母方の祖父姓はカマダだった。
「意富比垝」(おふひかま)のカマとは鉄を意味し、蒲池(かまち)氏は井家のカマで、蒲池媛とは、意富比(多氏)のカマであると。

「私と五条さんは、ルーツは同じだよ」
僕としては甚だ恐縮な限りではあるのですが、そんな大層な家の出である実感はなく、目の前に広がる壮大な光景に、綺麗だなと、ただただ息を漏らすばかりなのでした。

またまた直球どストレートを投げ込まれた気持ちです。すごい隠し玉です😅
アシュラさんとの阿蘇巡りは所謂「表阿蘇」と称される北側中心なのかと思っていたところへ、高森、そして南阿蘇村へのルート。それも内緒話(笑)にしたいネタまでもうご存知ということは完敗というより乾杯であります。
私もブログに先祖の辿った道を書くときに、「阿蘇」と書かずあえて「南阿蘇」→「高千穂」と書いた理由がそこにあり、南郷谷地区こそ聖地とずっと思っておりました。
両親もその事はよく知っており、子供の頃から阿蘇方面に出かけると現阿蘇市に宿泊歴は一度もなく、合併前の白水村を中心に現南阿蘇村から高森町ばかり。ここも特別な場所です。
親からカメラを借りて撮った根子岳の写真は50年以上前の小学生時代、国鉄高森線の蒸気機関車列車に乗っての事でした。白川水源はこの10年で随分俗化してしまいまいたが、南阿蘇鉄道・阿蘇白川駅を今も護っている方とはずっと線友&この地区訪問時は毎回お会いしています。
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追伸:「道の駅あそ望の郷くぎの」からたった直線距離600mのところが近年の定宿です😝 そこのオーナー、ちょっと感じる方なのか、鹿児島にご家族を置いてお一人で民泊をオープンされてこの地に傾倒されていて、2019年以来阿蘇周辺ではいつもここに泊まっております。
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導かれて、そこになったのでしょうね😌
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改めて訪ねてみると、ほんとに特別な場所ですよね。
僕はアシュラさんに連れて行かれるまま、ドナドナ状態でした。
また今度は、一人でじっくり散策したいです。
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合併前の白川村を中心に現南阿蘇村⇒白水村(はくすいそん)です。白水村の中に白川という大字があります。
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ありがとうございます。
なるほど、勉強になります😊
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私のコメントでしたね。失礼いたしました。削除させていただきます。
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削除編集出来ないようですね。申し訳ございません。
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削除するのも勿体無いので、白川→白水に、こちらで訂正させていただきました。
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お手数をおかけいたしました🙇♂️ありがとうございました。
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