
朝山郷。
郡家の東南五里五十六歩の所にある。神魂命の御子、真玉著(着)玉之邑日女(またまつくたまのむらひめ)が鎮座していらっしゃった。そのとき、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)である大穴持命が娶りなさって、朝毎この地へお通いになった。故に、朝山という。
- 『出雲国風土記』「神門郡」


島根県出雲市稗原町に鎮座の「市森神社」(いちもりじんじゃ)を訪ねました。

なんか書いてある石碑。
社号碑かな。

まっすぐに伸びた参道の

途中に、境内社があるようです。
行ってみましょう。

おー、なんだか厳かな感じ。
好きです。

社日が建った磐座のようなものを中心に、「秋葉神社」「武内神社」「日吉社」が鎮座しています。

社日建てちゃっているから、磐座ではないのかな。謎。

そして奥には、コンクリ仕立てのオオヤマツミさんがいらっしゃいました。

一森神社が鎮座するこの辺りは、「モリアオガエルの里」と呼ばれているそうです。
モリアオガエルは日本の固有種で、本州と佐渡島に分布しています。

大きな特徴としては、多くのカエルが水中に産卵するのに対し、モリアオガエルは水面上の木の枝や草の上、地上などに粘液で作られた泡に卵塊を産みつけるというもの。
各県でレッドリストに挙げられている、貴重なカエルさんです。

杉が林立する心地よい参道をしばらく歩くと、神門が見えてきました。

階段を登ると、

立派な拝殿がありました。

祭神は「阿陀加夜怒志多岐吉比売命」(あだかやぬしたききひめのみこと)で、
旧配祀神として「天照大御神」、「高皇産霊神」
新配祀神として「肥長比売命」(ひながひめのみこと)、「天御中主神」、「香之背男神」(かのせおのかみ)
が祀られます。

『出雲国風土記』によると、稗原地区には「加夜社」(かやしゃ)と、「保乃加神社」(ほのかじんじゃ)の2社があったと記されます。
保乃加神社は式内社の「富能加神社」のことで、この祭神が「肥長比売」であり、「ほのか媛」とも呼ばれたようです。
「昔、石畑清谷へ星神が天降られたので、人々はこの星神を合祀して星宮神社とよぶようになった」と由緒には書かれており、この社は山寄鐘築境あたりにあったようだとのことです。
星宮神社の星神が香之背男神のことで、いわゆる叛逆神「天香香背男」(あめのかがせお)と同神であると考えて良いと思われます。

肥長比売、聞きなれない媛神ですが、ほのか媛に「富」の字があるのが気になります。
東王家から西王家に、輿入れした媛君でしょうか。

「市森神社伝承では、八上姫とは眞玉著玉之邑日女命とのこと」
という、謎メッセージをまたもやいただいて、当社を参拝していたわけですが、市森神社の由緒では、祭神の阿陀加夜怒志多岐吉比売は、大国主と、その妻であり朝山神社の祭神「玉邑比売」であると記してあり、この玉邑比売が「眞玉著玉之邑日女命」(またまつくたまのむらひめのみこと)のこととなります。

確かに、阿陀加夜怒志多岐吉比売は下照媛(木股媛)のことであるという説が存在し、その母親が眞玉著玉之邑日女だとするなら、それは八上媛のこととなります。
眞玉著玉之邑日女は美称の玉が二つ付くほどのオオナモチがメロメロになった美姫で、八上媛も八十神から求婚受けまくりの美姫だったそうですから、イメージは合います。

ただねえ、阿陀加夜怒志多岐吉比売は、富師匠がおっしゃるには、宗像の美女三姉妹の次女「多岐津媛」のことだとしていますし、市森神社由緒では、「八上姫とは眞玉著玉之邑日女命とのこと」とまでは言及していなんですよね。まいったな、こりゃ。

市森神社本殿の横奥にも、モリアオガエルの棲む池があり、ミズハノメノカミが祀られていましたが、

そういえば、出雲市多伎町にある阿陀加夜怒志多岐吉比売=多伎津媛を祀る古宮「多伎神社」(たきじんじゃ)にも、モリアオガエルの池がありました。

どちらも池の表情は違えど、しっとりとした神秘さを備えています。



出雲風土記にある加夜社は、加夜床という地にあったとされ、その後、市場の守り神とされて市守社、市森神社になったと伝えられます。
今はのどかな場所ですが、往古は人で賑わっていたのでしょう。

まだ未訪問で、そのうち出芽のSUETSUGUさんに拉致されて連れていかれそうな米子市にある「阿陀萱神社」では、「多伎喜比賣命(大己貴命と八上姫命の御子)を榎原郷橋本村の里榎の俣に指挟みて長く置き給ひし時に吾は木俣の神なりと申給ひて宝石山に鎮座し給へり」と社伝にあるそうで、ますます混乱を誘います。

まあひょっとすると、美保神社と揖夜神社のように、多岐津媛と八上媛の間にも、何か秘密の取り決めがなされたのかもしれません。


こんばんは。おかしいですねえ。。。わたしのブツブツが九州までもしや聞こえましたでしょうか。
一昨日から、無性に米子の宗形神社に行きたくて仕方ないのです。あそこは光の柱ができやすい神社ですね。毎回、階段登って参道から空を見上げると、あのそびえ立つ3本の宗像三女神を彷彿とさせる大杉に木漏れ日がさしますね。それが心地よすぎて無性に行きたくなる時があります。。なのにここのところ行けなくて勤務中の参拝日和の太陽を恨めしく思っていました。
そして来週こそ宗形神社参拝後に対面のフレンチでランチした後に、阿陀萱神社。と決めてました。まさにおっしゃる通り拉致ポイントで間違いないお社です。あの拝殿までの参道がカクッと90度急に折れ曲がってるところ、成美地区という地名。。アダカエ、アダカヤが、どうにも気になる身、キニナルミ(笑)
カヤがつくところには高頻度でナルミ。カヤナルミ?アダカヤヌシタキキヒメと木俣神にどう絡む?鳥取神、鳥取姫って八上姫のこと?と想いを巡らせたのが昨日。そして今、五条先生のブログを拝見させて頂いてからの。。。これですからね。正直驚きました。そういえば拉致しそうな勢いで相当ブツブツコメント書いていましたね(笑)
宗形神社、阿陀萱神社、蚊屋島神社はどうもセットのような気がします。この順番に行くのだ、といつしか思うようになりました。根拠をちゃんと説明できないのがもどかしくも哀しいのですが。。。
無限ループ割愛(・_・;)
揖夜神社はイフヤサカ、言屋坂。どうにも事代主感を感じてしまうのは、黄泉比良坂、黄泉=夜見というのも関係あるかもですね。五条さん命名ミゾクイハウスの中の三穂津姫にされたヌナカワヒメと御子、武宗像(と書いてみた)も気になりますねえ。ヌナカワヒメのお母さんって宗像系ではないのかなあ。。。
ところで拉致ポイントは2つ。ずっと気になってるお社と、何とも心地よいお社。この2つに絞られそうです。
前者は阿陀萱神社、高野女神社、三輪神社、天神垣神社、日吉神社、石野宮神社、場所的に離れてるのが悩ましいところです。
後者は安来の出雲路幸神社(元は佐為神社、地元の古参様たちからは、ここはサイさんと呼ばれてます。)古代はここから大山、太陽を遥拝する、祭祀の場だったと感じます。塞の神、として何か境界線、結界をも感じる場所です。とっても桜がきれいな飯梨川土手の下にある、あまりメジャーになってほしくないお気に入りのお社です。実は。。佐為神社、そして天神社が元々だったという説があり、それを私は推します。そしてお楽しみは、ここを訪れたならば、地元安来の知る人ぞ知る名フレンチ、Hibikiで舌鼓。
これに島根半島系の気になる神社を入れると。。。小分けにしないと、もはや無理ですね。。
「そうだ、鳥取に行こう。」の新着ブログを是非とも見たいですので、拉致、いやお連れいたします。夏?
m(_ _)m
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そうですねぇ、暑い時期にはなりますが、夏に少し時間ができそうです。
もしくは残暑の頃?
実は今も、島根にいるっちゃ、いるんですがね😁
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モリアオガエル。以前メールで個人的にお伝えした、箱根でも標高が高い地区にある神社、モリアオガエルが世代を継いでいます。それを捕食する主(蛇)ともお会いしたこともあるので、まだ生態系は保たれているはずです。
日本人観光客にしてもインバウンド達にしても、神社のそばまでせまって来ているので、ぎりぎりですね。
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神社という聖域は人間だけのものではない、という理解が、我々には必要ですね。
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🐥境内社のオオヤマツミ(コンクリ)が建ってる様子がなんだか墓に見えて仕方がない。社日の建ってる磐座みたいなのの下には誰かの遺体でも埋まっているかのようだ…ここは墓地なのか🐣
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その昔、この村に大谷松美さんというとても美しい娘が住んでおった。
大谷松美は幸せな結婚をして、10人の子供と、36人の孫と、84人のひ孫に見守られながら、この世を旅立ち、その骸はこの神社の境内に埋葬されのぢゃった。
大谷松美→おおやまつみ→オオヤマツミ
めでたし、めでたし。
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