阿智速雄神社

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大阪府大阪市鶴見区の雑然とした街中に、

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「阿遅速雄神社」(あちはやをじんじゃ)が鎮座しています。

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延喜式神名帳に記されている式内社とされています。

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正門の脇には、慶応4年(1868年)にお陰参りの結縁として制作された「お陰燈籠」があり、

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仁徳天皇が病を得た際、阿遅金且高日子根神が夢枕に立ち、「皇居の東にある池の菖蒲を祭れば快癒する」というお告げを受け、その通りにしたところ病が癒えたと伝えられる「菖蒲神池」があります。

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当社は江戸時代までは「八剣神社」と称されていましたが、式内社の比定にあたっていた並河誠所により、当社が延喜式における阿遅速雄神社とされました。
これにより置かれた「阿遅速雄社社号標石」は、高さ96cm、一辺24cm四方の花崗岩製の標石で、並河誠所の弟子・久保重宜が元文元年(1736年)から2年(1737年)にかけて建てたものと伝えられます。

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祭神は「阿遅鉏高日子根神」(あぢすきたかひこねのかみ)で、「八劔大神」(やつるぎだいじん)を配祀しています。

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社伝によれば、祭神の阿遅鉏高日子根神は摂津国に降臨し土地を拓き、民に農耕の業を授けたとあり、この地の守護神として祀られたと伝えられます。

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創建は不詳で、古代は阿遅経宮(あぢふのみや)又は浦明神と称され、のち八劒大明神と称えられていました。
天智天皇7年(668年)、新羅の僧・道行が三種の神器のひとつ「草薙剣」を盗み出す「草薙剣盗難事件」が起きます。
道行が船で新羅に逃げ帰ろうとしたその時、突然の嵐に巻き込まれ、これを神罰と恐れた道行は剣を途中の河口に投げ捨てました。
その後、草薙剣は里人により拾われ、この神社に一時納められたと、由来にあります。

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その後、草薙剣は無事に熱田神宮に返還され、当社は「八剣神社」と称し、現在も例祭日には熱田神宮より宮司か神職が参拝、熱田神宮の例祭日には、当社の宮司などが参列する慣習が続いているとのことです。

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いや、でもちょっと待ってください。
阿智速雄って、タケミナカタの子孫の「会知早雄」(おうじはやお)なんじゃないの~!!

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そしてあわよくば、阿智、会知は「越智」なんじゃないの~っ!!
って、神職さんに伺ったら、

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「阿智速雄はアジスキタカヒコ(ネ)の息子で、父神を祀ったと伝わっております。その方とは別人ではないでしょうか」
とのことでした。しゅん😔。

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本殿脇に立つ「相殿社」は、天照皇大神、大国主大神、大歳大神、事代主大神、大地主大神、春日大神、住吉大神、八幡大神、金刀比羅大神が祀られてており、出雲色が強く出ています。
が、

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境内には、樹齢1000年と伝わる大クスノキもあり、

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楠木稲荷社なんてのもあるんですよね。

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楠木氏の本姓は橘氏で、正確な出自は不明。諸説ある。
『系図纂要』などでは伊予橘氏(越智氏の分家)の橘遠保の末裔とされる。

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やっぱり怪しい・・・

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僕が、阿智速雄は会知早雄なんじゃないかと疑うもう一つの理由は、阿智速雄神社から南南西に560mのところ、

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大阪市城東区諏訪に鎮座の「諏訪神社」があるから、というのもあります。

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諏訪神社も雑多な街中にあるものの、境内はとても落ち着いて良い雰囲気でした。

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祭神は「建御名方刀美命」「八坂刀売之命」。
“トミ”付きのタケミナカタさんが祀られています。

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創建の年代は不明であるが、境内にある石灯籠に承和3年(836年)4月寄進とあり、平安時代前期にはあったとされます。

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天正18年(1590年)に豊臣秀吉によって行われた小田原攻めの時、秀吉が大坂城の天守閣から外を眺めた際に森の様に木が生い茂っていた当社が目に留まり参拝した所、戦に勝利したという逸話が残されています。

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その際、秀吉は神社の霊験を得たとして、雄と雌の一対の総毛の獅子を奉納したとされます。

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延喜元年(901年)には、菅原道真が大宰府に左遷される途中で当社に立ち寄り、参拝したと伝わり、

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その時、公が腰掛けた石というものが祀られています。

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以降この地は「左遷道」(させんどう)と呼ばれるようになりましたが、左遷は字が良くないと「左専道」に改められたといいます。
昭和48年(1973年)の住居表示の実施に伴い、この周辺の地名は諏訪1から4丁目に改められ、この道真ゆかりの「左専道」の地名は消滅しています。

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夏と秋の神事では、だんじりの曳行が行われており、秋祭りには獅子舞も行われているそうです。
 
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ミナカタさんも、道真さんも、時代の変遷に翻弄された方々。
祭りの日には、楽しいひと時をお過ごしいただきたいと、願います。

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4件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    五条桐彦様 お忙しい中、ご丁寧なお返事を頂戴し、恐縮しております。
    私は阿遅速雄神社と言う名前に中学生の頃から興味を持ったのです。阿遅という部分は歴史で阿知使主という名が出てきたので阿遅=阿知「あち」でまあいいかと思っていたのですが、速雄という今風の名前に引っかかっていたのです。ブログを始めるようになって実家に帰ったとき神社の御祭神が阿遅金且高日子根神、確か高鴨神社の御祭神も似たような名前だったことを思い出し確かめに行きました。すると漢字は違うものの、読みは一緒、その上「阿遅」や「速雄」と付く神様がいらっしゃることに気がつき、阿遅速雄神社の名前に違和感を持たなくなった・・・、ただこれだけのことなんです。表面的なことだけで勝手に納得してしまう私のいい加減でかつ便利な性格です。 (^_^; ですから、ご見識なんて言われたら、それこそ穴があったら入りたい気持ちになってしまいます。五条様のような高いご見識と探究心が私に少しでもあれば良いのですが、所詮無理なこと。適当に楽しんでいるだけです。これからも、「アホなこと言ってるわ」と呆れたりせず、よろしくお願いいたします。
    それと、先のコメント、五条様の字を間違えるという失礼なことをしてしまいました。本当にごめんなさいです。

                                       asamoyosi

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      asamoyosi様
      なかなかコメントなどできずも、『クワウグワ記』の記事だけはいつも拝見させていただいております。
      フォロワー数も増え、コメント欄も賑やかになられて、asamoyosi様、奥様の日常のやりとり、ご考察などに多くの方が共感されているのが伝わります。
      私もいつもほっこりとさせていただいております。
      こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます😊

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  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    五條桐彦様 おはようございます。なんと、放出までいらっしゃっていたのですね。私の実家は阿遅速雄神社のすぐ近くなのです。びっくりです。実は御祭神の阿遅鉏高日子根神は高鴨神社の御祭神である阿遅志貴高日子根命と少し違うものの、「鉏」と「志貴」で読み方も「すき」と「しき」で酷似しているので同じ神様じゃあないかなと思っていたのです。そして高鴨神社には阿治須岐「速雄」命という神様もいらっしゃることですので、何となく本家・分家という関係?かなと思っていました。それに高鴨神社は大和川の上流、放出は旧大和川の下流に当たることから、交流もしやすく親戚関係にあっても不思議ではないか・・・なーんちゃって。このあたりが私のいい加減なところ。お恥ずかしい限りです。 (^_^; 諏訪神社、懐かしいところです。昔、難波に出るにはここから難波行きのバスが出ていたのでよく利用していたのです。放出は梅田へは便利なものの、難波に行くには不便だったので・・・。左専道という地名もなくなっていたのですね。それも私が和歌山に来てすぐの頃。やれやれ、本当に今浦島の感をを強くしています。asamoyosi

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      asamoyosi様、こんにちは。
      なんと、そうでしたか!大阪の下町の雰囲気で、ノスタルジーを感じる場所でした。
      さすがはasamoyosi様のご見識、神社に詳しい玄小子さんのブログで、加茂家の末裔と称する方の談に、高鴨神社との関連を示唆するものがありました。

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