熱田神宮

投稿日:

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「大和の桜は私の帰りを待っていてくれるだろうか」

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若き悲劇の英雄「日本武尊」(やまとたけるのみこと)は東方の蛮族討伐のため、わずかな従者とともに愛しい大和の地を離れます。
手には神剣「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)を携えて。

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天孫ニニギノミコトがもたらしたとされる「三種の神器」(さんしゅのじんぎ/みくさのかんだから)は現在、
「八咫鏡」は伊勢神宮内宮に「八尺瓊勾玉」は皇居にあり、「天叢雲剣(草薙の剣)」は熱田神宮にあります。

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「熱田神宮」(あつたじんぐう)は名古屋の中心地にあり、賑やかな街の中に静寂な空間を作り出していました。

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境内は広く、様々な歴史を感じさせる社や石物、樹木が多数あります。
正門近くにある「別宮 八剣宮」も由緒ある宮だそうですが、参拝当日はあいにく改築中のようで写真は撮れませんでした。
ただ、古い八剣宮を移築した「氷上姉子神社」を参拝したので、後にそちらを紹介します。

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石板が25枚並んだ「二十五丁橋」。
西行法師もここに腰掛け休んだそうで「これほど涼しい宮を誰が熱田と名付けた」と言ったとか。

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ちなみにこの付近に茶店があるので、腹ごしらえなら「宮きしめん」、

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一息つくなら「きよめ餅」がおすすめです。

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境内には「七本楠」という大楠が七本ありますが、こちらは弘法大師お手植えの樹齢1000年の大楠です。

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また熱田神宮は神剣を祀るということで必勝祈願に訪れた戦国武将も多いです。

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ここにある土塀は「信長塀」(のぶながべい)と呼ばれ、必勝祈願に訪れた織田信長が見事大勝し、そのお礼に建てた物。

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不思議な霊気を感じるような気がしたりしなかったり。

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本宮前まで来ると、一層神気が高まるのを感じます。

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主祭神は「天照大神」。
「三種の神器」にはアマテラスの御霊が込められています。

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「天叢雲剣」はもとは「八咫鏡」とともに伊勢に祀られていたといいます。
それがなぜ名古屋の熱田神宮に祀られるようになったか、古事記は次のように語ります。

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ヤマトタケルの幼名は「小碓」(おうす)といい、兄に「大碓」(おおすす)がいました。
ある時、父「景行天皇」は大碓に美濃にいる姉妹姫を召し連れてくるよう伝えます。
が、その美しさに大碓は二人とも自分の元に置き、父には偽の姫を差し出しました。
景行天皇もこのことに気づき、気まずくなった大碓は食事にも同席しなくなります。
景行天皇は小碓を呼び、大碓を諭すよう命じました。
しかし小碓はこれを勘違いし、大碓を殺害、厠で手足をもぎ取り、簀巻きにして投げ捨ててしまいます。

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「小碓」を恐ろしいものと思った景行天皇はわずかな従者のみで小碓に九州の熊襲(くまそ)平定を命じました。
「熊襲建」(くまそたける)の兄弟は大王に従わない一族でした。

小碓は九州へ向かう前に伊勢の「倭姫」(やまとひめ)の下に立ち寄り、姫の衣装をいただきます。
その衣装で女装をした小碓は熊襲建の新居祝いに忍び込むことに成功します。

色白で美しい小碓の姿を見た熊襲建の兄は小碓をそばに座らせ、言い寄って抱きかかえようとしました。
その時小碓は隠し持った短刀で兄を刺し殺します。
これを見て逃げ出した弟の熊襲建を小碓は追いかけ、背から刃を切りつけました。
死の間際、弟は「西に自分たちより強いものはいないと思ていたが、倭(やまと)にはいたんだな」と小碓に「倭建」(やまとたける)を名乗るよう言いました。

見事使命を果たしたヤマトタケルは大和へ戻ると思いきや、出雲に向かいだします。
そこには「出雲建」(いずもたける)という強いと評判の若者がいました。
イズモタケルと出会ったヤマトタケルは親交を深めます。
ある日、ヤマトタケルはイズモタケルと剣の太刀合わせをしようと申し込み、イズモタケルの剣を偽物とすり替えサヤが抜けないようにし、これも切り殺しました。

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意気揚々大和に戻ったヤマトタケルに、景行天皇は困惑します。
するとすぐに天皇はヤマトタケルに東国を平定してくるよう命じました。

優秀だが数少ない従者のみで再び旅立つことになったヤマトタケル。
「弟橘比売」(おとたちばなひめ)のみが、数人ある妻子の中でついてくることになりました。

ヤマトタケルは東征に際し、伊勢の倭姫を再び訪ねました。
「父天皇は私に死ねと思っておられるのか」と嘆く甥を見て、愛おしく思う姫。
しかし斎宮という大和と天皇に関わる身の倭姫は迂闊なことを言うことはできません。
代わりにヤマトタケルにそっと剣を差し出しました。
それこそが神剣「天叢雲剣」。
そして「危急の時はこれを開けなさい」と小さな袋を一緒に渡します。

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東征に出かけるヤマトタケル一行は尾張(名古屋)の国造家に招待されます。
そこで尾張の「建稲種命」(たけいなたのみこと)は妹を妻にしてほしいとヤマトタケルに願い出ます。
ヤマトタケルは「宮簀媛」(みやすひめ)と婚約をし、媛の兄とその兵を率いて東国を目指しました。

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相模の国に差し掛かったヤマトタケルの一行は、地元の民に野中にある荒ぶる神を討伐してほしいと頼まれました。
しかしこれは大和の支配を快く思わない民の欺むきであり、ヤマトタケルたちは野中で火攻めに遭うことになります。
ここでヤマトタケルは神剣「天叢雲剣」を抜き、あたりの草を薙ぎ払いました。
そして倭姫から託された小袋を開き、中にあった火打ち石で迎え火を焚き、難を逃れることに成功します。
この時、神剣「天叢雲剣」は「草薙の剣」(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになりました。

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相模で欺いた民に報復を果たしたヤマトタケルらは、相模から上総に船で渡ることにしました。
この時、神が波を起こしヤマトタケルの船は進退窮まってしまいます。
なんとか神の怒りを鎮めないと船が沈没しかねません。
そこで妻の「弟橘比売」は自ら海に生贄として身を投げて、愛しいヤマトタケルを救おうとしました。

「さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君はも( 相模野の燃える火の中で、私を気遣って声をかけて下さったあなたよ…)」

やがて無事海が治まり、岸についたヤマトタケルは落胆するその海岸で、比売の櫛を見つけます。

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なんとか東国にたどり着き、平定することができたヤマトタケルですが、大切な多くのものを失いました。
先の「弟橘比売」もそうですが、「宮簀媛」の兄「建稲種命」もまた、命を失う結果となります。
悲しみに暮れつつも尾張を目指し、宮簀媛とヤマトタケルは再会します。

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悲しみの中でも二人は愛し合い、約束の婚姻を果たしました。
しばらくの間、ささかな幸せをつかむ二人。
しかしヤマトタケルは美しき大和の地に望郷の思いを抱き始めます。
そしてその前にはやらなくてはならない使命がもうひとつ、ヤマトタケルにはありました。

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それは伊吹山の荒ぶる神を征伐することでした。
愛しい人を守りたかったヤマトタケルは「草薙の剣」を宮簀媛に託し、
自分は素手で神に挑むべく伊吹山へ向かいます。

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ヤマトタケルは伊吹山で白い猪(または大蛇)に出会います。
神の使いだろうとそのまま先を進みますが、これが実は神の化身でした。
伊吹山の神は氷雪を降らし、ヤマトタケルを襲います。
ヤマトタケルは痛手を負い、やがて病を患ってしまい、無念ながらも下山するほかありませんでした。

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毒を受けたヤマトタケルは尾張へは帰らず、そのまま大和を目指そうとします。
傷を癒しつつも進んではみますが、大和の地を踏むこと叶わず、ついに三重の「能褒野」(のぼの)で息絶えてしまいます。

「やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし」

やがて妃たちが駆けつけ、嘆き悲しみました。
そんな時、ヤマトタケルのの墓陵から一羽の白鳥が空へ舞い上がり、大和の地へと飛び去っていったのでした。

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愛しい人を待ち続ける宮簀姫の元に届いた知らせは、とても悲しいものでした。
姫はヤマトタケルが託した草薙の剣を大切に抱き、ここ尾張に祀りました。
これが後の熱田神宮へと繋がっていくのです。

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さて熱田神宮ですが、ここには絶大なパワースポットが2つあります。

本宮裏手に杜がありますが、その奥に「清水社」があります。
「罔象女神」(みずはのめのかみ)を祀るその社の下の「お清水」がその一つです。

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名の通り清らかな水を湛える「お清水」。
そこにある苔むした石は「楊貴妃」の石塔の一部だと伝わります。

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これに水を3回掛けて祈念すると願いが叶うといいます。

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またこの水で肌を洗うと美しくなるそうです。

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ここではしばらく時を忘れるような、静かな至福を感じます。

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そしてもうひとつは更に奥に。

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杜を歩いた先にあります。

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そこは「一之御前神社」(いちのみさきじんじゃ)といいます。
天照大神の「荒魂」(あらみたま)を祀っています。
ここは数年前までは立ち入り禁止の禁足地でした。
写真は本宮横の「こころの小道」手前までしか撮影できないので、そこで撮ったものです。

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そこは都会の喧騒の真ん中にありながら、風のそよぐ音しか聞こえない不思議な場所です。
あふれる神気に満ちて、こころの中の乱れた部分が流し落とされるような気がしました。
またいつ禁足地となるかわかりませんので、熱田神宮に参拝した折にはぜひ、こちらを忘れずにご参拝いただきたいです。

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