二神神社:常世ニ降ル花 天之高原篇 02

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2024年12月23日、令和6年の辰年も間際の頃、僕は佐織さんと出会い、そこら辺にいた白い猫に導かれて、この地へとやってきました。

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- 皆さんが、神話伝説にされてしまった常世の人達や、封じられた神達に興味を抱き、共感していただくと、その魂が蘇ってきます。
”岩戸開き”はそうしないと、浮かばれず、蘇りもできません。
共感、共鳴こそが、蘇りかなと。
私の望みは、これにつきます -

そうおっしゃる佐織さんの意思に僕も賛同します。
ただ、当地はとてものどかな所ですので、訪れる際は呉々もご配慮願いたく、謹んで申し上げます。

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さて、高千穂・五ヶ瀬の神降臨の地「二上山」の外宮は、一般には「桑野内神社」(くわのうちじんじゃ)だとされていますが、本当は違うのだそうです。

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佐織さんの母系である家、お母様の鈴さん一族が古代から祭祀をしてきた場所は、五ヶ瀬桑野内の「宮原の追」になります。

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彼女の古い古いご先祖は、九州のヘソである宮崎県五ヶ瀬の雲の上、二上山に拠点を置いて以降、そこでイザナギ・イザナミの祭祀をし、現代まで血を絶やさず、ひっそりと守りぬいて来られました。

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かの一族には、僕が聞いている限りにおいて、二度の災厄があったということです。
一度目は150年前の明治神仏分離令の時でした。
国によって佐織さんの先祖は、鎮石を守る祭祀も、イザナギ・イザナミを拝む祭祀も中止するよう命じられたのです。
そこで一族は、イザナギ、イザナミのご神体を見つからないように社を移して奥に隠し、ダミーの社を建てて、なんとか二神を守りぬきました。
その成果は、今までどんなメディアも霊能力者も、ここを見つけられなかったという結果に表れています。

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真の外宮は、この「二神神社」(ふたがみじんじゃ)になります。

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境内のいちばん手前に聳える、銀杏の大木。
佐織さんが大好きな銀杏の木が、参拝者を迎えてくれます。
優しく包み込むように、枝を広げる大きな木。

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昭和になり、神話伝説がブームになると、やがて高千穂で社が建てられ、佐織さんの一族の営みは神話にされ、歴史から消し去られました。
それはまるで、神話にされた出雲王国の時と同じように。

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佐織さんの家・橋本家では、名に「左」または「佐」を付けられることがあり、その者は祭祀者としての役目を負うことになります。
「左」とは補佐や左大臣の意味だろうと佐織さんはおっしゃいますが、僕の考えでは、この国の初代で最も崇高な媛巫女であった「佐比売」から付けられたものではないかと思っています。
つまり、佐比売にゆかりある一族が、橋本家の背後にあるように思えてなりません。
それは富家伝承でさえ触れられない、絶対的な母系の一族です。

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『橋本』というのは、これはおそらく佐織さんにとって最大の暴露であると思われるのですが、本来は姓ではなく、聖域の名称なのだそうです。
これについて、佐織さんは「橘」が関係あるのではないか、とおっしゃいます。
二上山と阿蘇山のラインの先にある立花山です。

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「橘」とは記紀に記される「非時香菓」(ときじくのかくのこのみ)のことで、常世に通じる果実を表します。
橋本の橋が橘から転じたものであれば、「橋本」とは「橘の元」であり、常世に通じる聖地を表す名称である可能性が見えてきます。

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佐織さんは17歳の時に母・鈴さんの家を出て、猫を連れて宮崎県、東京、群馬福島、福岡、熊本と移動しつつ、彼女に課せられた祭祀を果たしていったそうです。
それは各地の橋本・要石を鎮める、いわば「閉じ師」とも呼べる任務でした。
要石とは、各地にこれみよがしに紹介される実物の石を言うのではなく、霊的な常世に通じる道の蓋のようなものだろうと僕は考えますが、それは定期的に、祀り鎮める必要があるのかもしれません。
また彼女には年子で双子の弟がいたそうですが、橋本に双子の男子が生まれれば、片方はきっちりと命を落とさないといけないという先祖代々の言い伝えがあり、彼女の弟の1人は事故で片足を失い、杖をついて三本足の状態で、20歳の時に東京の少し手前の場所で要石として命を終えたのだということです。
それは不幸な事故だったのでしょうが、「弟は理解していた」と佐織さんはおっしゃいます。

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それほどのことをしても、150年前の禁じ手の影響は大きく、次から次に起きる地震を抑えることはできませんでした。

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僕は、命をかけて国を守ってこられた偉大な一族に対し甚だ無礼を承知致しておりますが、地震も噴火も、大地の命脈による結果であると理解します。
一時期それを抑え得たとしても、いずれ大きなエネルギーとなって噴出するものでしょう。
人為的な操作で災害を引き起こしたり、また愚かしい預言などで煽ることは言語道断ですが、いずれ我々が受け入れなければならない試練だと思います。
神に対し、人は決して傲慢であってはならない。祭祀とは、そのためのものであると考えます。

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形あるものは必ず風化します。
祈りと祭祀も例外ではなく、いつか終わりを迎える時が来るものです。
富家伝承も橋本の祭祀も終わりを迎える時、奇しくも多くの人にその存在が知られ、そして神話にさせられた御魂がようやく解放される。
今はちょうどそんな時なのでしょう。
僕がこの日訪れた、真の二上山外宮ではすでに、イザナギ・イザナミ、そしてヒルコのご神霊は持ち出され、もぬけの殻なのだそうです。

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暦は令和の巳年になり、鈴さんは、ようやく解放されたのでしょうか。
巫女とは、天と地を、神と人を繋ぐ者。橋本の最後の祭祀者・佐織さんのこれからの使命は、解放された神々や御魂を、天へと昇華させてあげることなのでしょう。

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清らかな魂は風に乗って、ニライカナイのポクナモシリの白き常世へ。
いつか僕もそこへ行ける日を夢見て、青空の下、五ヶ瀬の桑野内の宮原の追の、橋本の橘の元の傍で、彼女の鈴の音を聞いていたのでした。

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【 佐織さんのブログ『ヒルコ』

アメノウズメの鈴ちゃんは『天の岩戸』で3人のヒルコ達を授かった
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ヒルコのカムロギの里に導かれた五条桐彦さん

8件のコメント 追加

  1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    こちらでは初めて書かせていただきます。よろしくお願いいたします。
    物部の本家分家、そして本家内に取り込まれた傍系については私自身が子孫でありながら解析しきれず
    女系で祭祀を仰せつかってきた者の継承者という点と、今まで一切ネット上には書かなかった「陰陽道」との関係をとうとう書いてもよいのか? という想いで朝から頭の中がグルグルです💦 キーワードは【北極星・北斗七星・亀】
    女系ながら偶に生まれる男子は陰陽師として神社の別殿を借り、明治以降もひっそり鑑定やカウンセラー的業務は昭和20年代祖父まで行っておりました。ほぼ口伝ばかりの記憶を簡単なメモに記しただけの事柄も、多方面からの証拠が出てきそうな令和7年を迎えて… そしてこのブログ本文を読みながら… 涙が溢れてきたのは何なのでしょうか。安っぽいスピリチュアリストの様な感想になってしまいそうで申し訳なく、ただ、今身震いも感じております。

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      Kanekoさん、コメントありがとうございます。
      narisawaさんのご指摘にあるように、姫さんの家である橋本家は、物部本家イツセ家の母系である可能性が濃厚です。
      つまり、お話を聞く限り、姫さんとKanekoさんの境遇は似ており、共通点が多いということになれば、より歴史の真相に迫れるのではないかと感じます。
      よくぞ現代にまで、残してきていただいたと、感動します。
      物部氏の末裔を謳う真鍋大覚氏の著書には、詳しい星の運行が記されているそうで、物部氏が陰陽道に関わっているのは想定していました。しかし、さらにそこに霊的祭祀能力の高い母系を取り込んで為されたとしたら、より深く納得できますね。

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  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    便宜上、分家筋の圧迫と一度書きましたが、果たして、一族を送り出した家々は、地元ではお互いの関係はどうであったかを想像してみました。

    本家からすると子供同士、孫同士の喧嘩になりますので、腹にイチモツあったとしても早期に和解する可能性が高いと思います。

    そして、歴史を残すと途中で決めた家、役目を負う家系は、母系が歴史に隠れるように、必ず対となる、もしくは隠れ蓑になる家が必要になります。

    諏訪においては諏方族と物部氏、出雲においては千家。そうすると私は佐の字はそのもう一つの家に因んでいるような気もしてきます。

    九州において母系の重要な家として土着の阿田族が居ますが、それと同じくらいの位置付けが橋本家ではなかろうかと思います。

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      イツセとその息子たちが揃って東征していますので、結果的に本家はほぼ紀伊に移住した形になっているのではないでしょうか。
      五ヶ瀬に残ったのは、母系の一族と本家の傍流とか。

      いいね: 1人

      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110

        佐の字の件ですが、記紀は興味深い記述になって居ます。

        → 稲飯命について『日本書紀』には「鋤持神(さいもちのかみ)」と見えるが、関連して『古事記』の神話「山幸彦と海幸彦」でも「佐比持神(さいもちのかみ)」とあり、これらは(わに)の別称とされる[2]。『古事記』の神話では、山幸彦(火遠理命)は海神宮から葦原中国に送ってくれた一尋和邇(一尋鰐)に小刀をつけて帰したという

        ここでもワニが出てきます。確かにサビヒメの佐が出てきてもおかしくはありません。ただ、奈良に太陽の女神に対して太陽の神を持って行って東征が失敗したと言うことになりしっくりきません。

        私はこの四兄弟がそれぞれ別の氏族と婚姻した物部氏なのかもと仮説を立てました。

        つまり、残りの3人は氏族か、地名を指すと言う事です。

        彦五瀬は地名にすでにあり

        稲飯はワニ氏、つまり神門臣家

        事績の書かれて居ない三毛野は宇佐族

        佐野命は磐余彦で奈良において地名化(確か佐野命はここから奈良に向かったとされる伝承のある地域が宮崎であったと記憶して居ます)

        私は佐野命に繋がるとして佐なのかなーとか思います。

        逆に四兄弟の全ての実家であるとすると、分家の名前に変えてもすぐにバレちゃいますから、別の分家の攻撃は防げないような気がします。(女系の権威がものすごい場合はちがうかもしれません)

        どちらにせよまさしく古代の原初の卑弥呼が五ヶ瀬に居たと言うことにはなるとは思いますが

        いいね: 2人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          佐野の佐ですか。確かに出雲系の母系がいたとしたら、第一次東征で失敗した理由にならなくなりますね。

          いいね: 1人

  3. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    敬意を持ちまして読ませていただきました。

    私なりの考察を考えてみました。まとめとしてはこのお血筋は、物部氏の本家筋ではないかと妄想致します。和歌山と同じく佐野命、つまり分家の圧迫を受けて祭祀を隠したのではないでしょうか?もしかしたら同じく物部を隠す、高良玉垂神社と近い位置を感じます。確か和歌山の五瀬家は母系の橋本姓に変えましたよね。実際に系図上の血筋がなくとも呼応する事は考えられますが、もしかしたら九州に元々橋本家があったとすれば違和感は無くなると思いました。つまり、和歌山の方が後になって橋本姓に変えた。母系の橋本姓は、元々和歌山とは無関係であったという考え方です。物部四兄弟はそれぞれ地名を象徴しており、五ヶ瀬→五瀬と書かれた。多分本名を書く事は不敬に当たるので五瀬になった。

    そして、埼玉の両神山。祭神は伊弉諾、伊奘冉。神魂神社の祭祀が体系化した後に出雲系を装ったた祭祀に切り替わったと。両神=二上=二神。

    あと、犬神にも強い気がする。何となく。陰陽の源流って、私は安倍氏ではなく物部氏ではないかと私は思って居ます。

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      ああーっ、そうじゃん、橋本、橋本、そうでしたー・たー・たー(エコー)…!

      大和入りを果たした物部分家の者は、対抗心から、たびたび竈山の物部本家に対し攻撃をしかけた。
      本家は長いこと竃山神社の社家でありましたが、あるとき分家の攻撃に嫌気がさし、妻の実家の「橋本」姓に改称して、ただの氏子になったように見せかけたと。

      そうだった、忘れていた、書いていたのに、ガックシ…
      そして、妻の実家ですよ、凄いね、繋がっちゃうよね。たぶん五ヶ瀬の橋本家がその妻の実家ってやつでしょうね。これは思ってたよりも、相当古いですね。
      さらには、高千穂には三毛入野(物部分家)が来てるから、紀伊の竈山と同じ事が起きていることになりますね。
      いやーnarisawaさん、参りました。

      陰陽道は出雲というよりは、物部的ですよね、星神信仰ですから。

      いいね: 1人

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