
榛名湖へやって来ました。

「榛名湖」(はるなこ)は、群馬県西部にある湖で、榛名山のカルデラ内に生じた火口原湖です。
外周は約4.8km、面積は約1.2㎢、最深部は約15mほどになるといいます。
『万葉集』の時代から上野国を象徴する歌題「伊香保の沼」として知られ、多くの歌人、画家、芸術家たちにも愛されて来ました。

鈴さんは晩年、赤城山や大沼、榛名湖を訪れていたとのことでした。
赤城山は少々遠かったので、無毛峠の帰りに僕は、彼女の愛した榛名湖へ鈴さんをお連れしようと訪ねてまいりました。
天気が良くて、気持ち良い。

榛名湖はかつて「榛名神社」の御手洗沼として、殺生が禁じられていました。
鎌倉時代には雨乞いの聖地として知られ、江戸時代以降は関東地方を中心とする雨乞い信仰「榛名講」の目的地となりました。

湖畔に「御沼龗神社」(みぬまおかみじんじゃ)があったので、こちらを参拝してみました。

御沼龗神社の祭神は「高龗神」(たかおかみのかみ)で、龍神とされます。

境内案内板によれば、榛名湖にはいくつかの女人入水説話が伝えられており、その御魂が龍神になったとされています。
有名なものは、室町時代に成立したと考えられている「神道集」に書かれたもので、上野国へ配流された公卿・高野辺家成の娘「淵名姫」「赤城姫」「伊香保姫」にまつわるものです。
上野国の国司・高光中将と結婚した伊香保姫は、彼女に横恋慕した後任の国司に夫を殺され、伊香保姫も夫の後を追って榛名湖に入水しました。
榛名湖は古くは「伊香保沼」(いかほのぬま)と呼ばれており、その由来となるものかと思われます。

また、戦国時代に当地の姫が榛名湖に入水して水神になったという伝承がいくつかあり、御沼龗神社境内には箕輪城主長野業正の娘で木部駿河守範虎の妻「長野姫」(木部姫)と、その腰元・久屋の供養塔があります。
永禄年間に武田信玄が長野氏の領内に侵攻すると、これを事前に察知した木部氏は妻を城から逃し、榛名山の山中に隠れさせました。
しかし、山に登った妻が城の方角を見ると空が赤く染まっており、城が焼け落ちていました。
夫が戦死したと悟った妻は榛名湖に入水したと伝えられます。

入水した長野姫は龍神となり、後を追って入水した姫の従者・腰元は蟹に転生したといいます。
蟹は「腰元蟹」と呼ばれ、今も姫の棲む榛名湖の落ち葉や藻を除き、水を清めているとされています。

入水した姫は他に、蕨城城主・渋川義基の妻「北の方」とする説、や長者の娘「藤波姫」とする説などがありますが、入水して龍神となる話や、侍女が蟹になる話は、おおよそ共通しています。
悲しい説話の元となった実話が、この美しい榛名湖にはあったのかもしれません。

榛名山は佐織さんも子供の頃、家族でよく出かけたのだそうです。
湖面は榛名富士をよく映し、風の穏やかな夜には月を映す水鏡となったことでしょう。
カグヤが帰ったと云う月は、常世の入口。
なるほど、龍宮に近しい血を持つ現代の媛巫女らが好む美しい景色が、そこにあったのでした。

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