御池:常世ニ降ル花 天之高原篇 19

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あの巨石群は何だったのだろうか?
と、興奮も冷めやらぬまま、目的地の「御池」を目指します。

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すると程なくして、また異様な光景が。

な、何だここは・・・

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墓?墓なのか??

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これをみた瞬間、僕は出雲の王墓をイメージしましたが、これらの石はいわゆる「カッレンフェルト」(karrenfeld)と呼ばれるもののようです。

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雨の多い椎葉では、土壌が水の溶食を受け、溶け残った石灰岩がこのよう石灰岩柱として無数に土壌中から顔を出す場合があります。
古く日本ではこのような地形を「石塔原」や「墓石地形」と呼びました。

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その姿はまさしく墓そのもので、平家自刃伝承が生まれたのは、このカッレンフェルトがあったからではないかと思われました。

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ここにカッレンフェルトがあるということはつまり、白鳥山はカルストの山である、ということになります。

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この先の御池のそばには、ドリーネと呼ばれる地形があることは事前に調べてはいました。

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ドリーネとは激しい浸食によって鍾乳洞が出来る過程で地表が陥没する穴のことで、複数のドリーネが繋がったものがウバーレ、さらにそれが巨大化したものがポリエと呼ばれます。

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ドリーネは”すり鉢状の窪地”であり、直径数メートルから数百メートルに及ぶものもあるとのことです。
御池はここから下ったところにありますので、御池自体がドリーネなのかもしれません。
ただ、ドリーネには地下の鍾乳洞まで穴が開いている場合もあり、穴に落ちたら一気に鍾乳洞の底まで落ちてしまう危険性があり、細心の注意が必要です。
穴の中は真っ暗闇で、あとは骨となる運命、おそろしや。
カルストで穴を見つけたら、気をつけなければなりません。

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御池にドリーネがあるという情報を事前に得てはいましたが、ドリーネが何であるかは無知だった僕。白鳥山がカルストであるという認識はありませんでした。
ここまで歩いてきて、驚愕しています。
なぜなら、カルスト地形はもともと温暖な海底に存在するサンゴ礁が、化石化して隆起した地形だからです。
石灰岩とは、サンゴや貝殻、海水中の炭酸カルシウムが堆積して石化したものなのです。

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つまり白鳥山は、かつて海中であった場所が、3億年だか、4億年だか前に隆起してできた山であり、いわば鞍岡の”九州島発祥の地”と同じであることを示しています。
鞍岡から椎葉にかけての一帯が九州始まりの地であり、椎葉を流れる耳川の先には大御神社がある。
ここは正にガイア的な聖地、”天空の龍宮”であると言えるのです。
橋本家や興梠家、はたまた出雲サンカはそうしたことを、直感的に感じ取っていたのかもしれません。

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それでは、いよいよ御池へと向かいます。

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この辺りの道がやや不明瞭で、霧が出ていれば確かに迷いそうです。

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木の根に張り付く苔の厚みが増してきたら、

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その先が御池です。

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白鳥山の「御池」(みいけ)は、池とは言いつつも湿地帯、といった感じです。
前日に雨が降っていましたが、それでもこの程度の水があるだけです。

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それでも水の氣は潤沢で、それは一面を覆い生した苔を見るとわかります。

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よく「ジブリのよう」と表現される御池ですが、確かに屋久島の「もののけの森」を思わせなくもありません。
ただ、場の空気は全く違っています。

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この場所で、果たして平家が揃って自刃したのでしょうか。
それを村人が”雨乞いの聖地”とした所以が分かりません。
まさか血の雨が降ったから、という理由ではないでしょう。

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平家自刃の話はおそらく、椎葉騒動などをモチーフに作られた創作ではないかと思われます。
上椎葉・鶴富屋敷あたりでは、確かに凄惨な事件が起きていたようです。
それに椎葉の平家伝承とあの墓石のようなカッレンフェルトの光景が重ねられて、ここが自刃の地という伝承が生まれたのだと考えます。

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ところでカルスト地形では水は地下に浸透しやすく、地表に存在しにくいのではないでしょうか。

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調べてみると、北九州平尾台の広谷湿原など例がないわけではありませんが、やはり御池の存在はレアケースだと言えます。

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ここは特殊な条件によって生まれた湿地帯であり、奇跡の場所と言えます。
雨乞いの聖地というのも頷ける話で、命を育む場所として、古い時代から大切に崇められてきたものと思われます。

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白鳥山は、この御池が山全体に生命力をもたらしているのかもしれません。
こんな景色が見れて、それに神秘的なカッレンフェルトや巨石の磐座群があるなんて、諦めずに来て良かった。

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ただ、今回訪ねた御池は「一の池」と呼ばれる場所のみであり、「二の池」もあるそうなので、また白鳥山を訪ねてみたいと思います。
少しくらいは、やり残しておいた方が、先が楽しめるというものです。

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素晴らしい楽園でひと時を過ごしたあとは、せっかくなので山頂まで登ってみたいと思います。

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山の斜面に何か建っています。

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「平家残党 左中将平清経住居跡」とあります。

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まあ、多少ひらけていますが、果たして平家がこんなところに屋敷を構えたでしょうか。
水も御池にあれど、生活に足るとは思えません。
ここに住む人間がいるとすれば、それはサンカくらいのものではないでしょうか。

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源氏の白旗と見間違えた、という話も、さすがに嘘くさく、皆が自決した中で誰がそれを伝えたのか、ということにもなります。

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ロマンはロマンで良いのですが、真実を求めるのなら、その裏にある意図を拾い上げて行かなければなりません。

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しかし・・・

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あとちょっとのこの道が、意外とキツい。。

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ヒ~、やっと着いた。

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白鳥山登頂です。

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展望はほぼ望めず、殺風景ではありますが、枯れた木もあったりして雰囲気はあります。心地よい。

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こんな感じの花を、白旗と見間違えたんですかね。

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白鳥山山頂には、磐座があるわけでもなく、これといった祭祀を匂わせるものもありませんが、疲れを癒す優しさに満ちていました。

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程なくして山頂を下り、帰路へとつきます。
白鳥山は峰越登山口から山頂まで、ぶらぶらしながらストレートに歩いて片道1時間といったところでした。
御池のところでぐるりと周回したら、プラス1時間でしょうか。
福岡から峰越登山口までが、車で片道4時間ですから、まあ、来ようと思えば、日帰りで来れなくもない、かな。たぶん。

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そう言えば、Aさんがこの土地をよく知る方と話したとき、
「月を背にすれば迷わず里に降りることができる」
と確か言われていたような気がすると、メールに書いてくれていました。
“その時も「月」に引っ掛かりを覚えたような。。。”と。

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帰り道、あの巨石の上の丘がどうしても気になったので、登ってみました。
すると、こんな石も。

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「月を背に・・・」とはどういうことか。
“月”は日や時間によって、昇る高さも方角も違っているので、道しるべとしては不向きに思えます。
なぜそのような言い伝えが残されたのか。
それはこの丘一帯の遺跡が、月読み祭祀に関わるものだったからではないでしょうか。

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3~4億年前の白き岩々が地中から生える聖なる丘、そこは月神を祀るに相応しい場所だったのかもしれません。
そうすると、御池は月を映しとる水鏡だった可能性もあるのでしょうか。

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さらに古い石灰岩の地層で清められて注ぐ椎葉の水は、命の水、変若水(おちみず)とも考えられ、その頂たるこの場所は、高貴な命の再生を願う、王家の墓だったのかもしれません。

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これまでの考察では、古代に神門、諏訪、海部(多氏)他、多くの一族が阿蘇へ集結し、やがて高森、高千穂、五ヶ瀬へと移り住んでいった様子が窺えました。
彼らを誘ったのは、豊かな山々の鉱物だったのかもしれませんが、その深部には、非常にミステリアスな聖地があったのです。

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出雲サンカが嘯いたであろう「平家落人伝説」に囚われていては、椎葉の表面しか知ることができず、ほとんどの人がそれを土産に帰っていきます。
御池には「白鳥神社」がかつて存在したそうで、向山神社の奥宮だった可能性があります。
向山神社に隣接する家の屋号が「神輿」。
単に平家伝承だけで語るには足りない、尾前・向山地区と白鳥山・御池は、あまりに壮大な”何か”を秘めているのです。

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「白鳥山・御池はなぜか、富士樹海ばりに迷い込んだら抜け出せなくなる」という言い伝えですが、霧が出やすい他にも、確かに数箇所、油断すると進む方向を見失うような場所がありました。

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スマホのGPSを確認しつつ、そろそろこの「”月の丘”を背にして」下山します。

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道に迷わぬよう、慎重に。

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そうして峰越に近い展望所からは、

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日当の里が見えていたのでした。

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