大御神社・鵜戸神社:常世ニ降ル花 龍宮ノ末裔篇 番外

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宮崎県日向市伊勢ヶ浜にある日向のお伊勢さま「大御神社」(おおみじんじゃ)に立ち寄りました。

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今まで何度か参拝した神社ですが、そういえば『偲フ花』できちんと紹介したことはなかったと思います。
柱状節理の巨岩まで石垣を築き、そこに社殿が建っています。
この巨岩が御神体ということでしょうか。

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鳥居を潜ると見えてくる奇岩の海岸。

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そこに火砕流が固まって波に削られ亀の形になったという3つの岩が紹介されています。

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言われてみれば、まあ見えなくもない。

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ここが龍宮であるということを伝えたいのでしょう。

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大御神社の創建は不詳。
当社に伝わる「神明記」(しんめいき)その他の古文書によれば、往古、天照皇大御神の皇孫である瓊々杵尊が日向の国(ひむかのくに)の高千穂に天降りたのち、当地を通過した際に千畳敷の盤石(いわお)にて絶景の大海原を眺望し、皇祖・天照皇大御神を奉祀して平安を祈念したのが創始であるとしています。

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しかしこれは異なことで、まだこの頃は天照大神という神名は存在せず、まして物部族のニニギが出雲の神を奉祀するなどあり得ません。

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また当地には神武東征に関する伝承もあり、沖で大鯨が浮き沈みするのを見た神武が鉾で突くと、大鯨は美女に化身して「我は此の辺に住める者、今子を生む間、何卒一命を助けたまへ」と一心に願うので、これを憐れんで許すと美女は大鯨に戻り海の中に消えていったと云います。
そのことから神武は、沖の島を「美女ヶ島」(びじょがしま)と名付け、後に、「枇榔島」(びろうじま)に転じたとされています。

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この大鯨の美女とは龍宮の一族。
思うに当地は、出雲族の龍蛇信仰と秦族の蓬莱信仰を併せた龍宮信仰を擁する豊家の聖域だったものと推察されます。

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当社祭神は「天照皇大御神」(あまてらすすめおおかみ)であるとし、当地が元伊勢であるとの見解から「日向のお伊勢さま」と呼んで崇敬されています。
豊家は月神信仰なので太陽神は祀っていないのですが、豊玉女王の娘・豊姫(豊来入姫)が伊勢の外宮に「豊受大神」として祀られているので、元伊勢であるというのはある意味、筋の通った話となります。

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境内の奥へ進むと大きな岩が祀られています。

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この一帯は平成15年に木々を取り払って造成した時に発見されたさざれ石群で、それらの中でも「神坐」(かみくら)と名付けられたこの巨大な岩は、まさに君が代の「さざれ石の巌」となった姿そのもの。
例のニニギが大海原を眺望したと伝えられる大岩はこれであるとされています。

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神坐の横には「龍神の霊(たま)」と呼ばれる水窪があります。
この水窪は、すり鉢状の壁面に渦巻き状の線が刻まれ、その底に長径1mほどの卵状のさざれ石が据えられています。

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卵型のさざれ石は「龍の卵」で、溜まった水は胎盤と羊水を表しているのだそうで、遠目に見ると、とぐろを巻く龍が卵を抱いているように見えます。
これが後世に手を加えたものでないのだとしたら、確かに古代人の龍神信仰の痕跡を示すものだと思われます。
そしてこの玉は干珠・満珠の玉で、そこに溜まる水は「変若水」(おちみず)なのではないでしょうか。

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本殿の奥にある柱状岩の一番南側の壁面には、シュメール文字で「ジャスラ」(蛇神)と書かれているという話もあります。
他にも境内には数多くの古代文字「ペトログリフ」が書かれているそうです。
本当ならすごいと思いますが、これに関する真偽の程は、僕には判断がつきません。

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さて今回、大御神社に立ち寄ったもう一つの目的が、境内の東側にあります。

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そこは「龍宮」と称される「鵜戸神社」になります。

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鳥居の先に続く石畳。

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あ、ハートの石みっけ♪

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二の鳥居のそばにある案内板を見ると、

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五柱の神が祀られていることが分かります。
が、ここに本来祀られる神は「鸕鷀草葺不合」(ウガヤフキアエズ)になるでしょう。
そう、豊玉女王の皇子にして龍宮の末裔・豊彦です。

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コロナ太りした体にはしんどい細い道を進みます。

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すると突如として現れる巨大な巌窟。

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この海蝕洞が鵜戸神社の霊域、龍宮です。

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広角で撮ると鳥居が小さく見えますが、サイズは大人が軽く身をかがめて通れるくらいの大きさです。

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鳥居の奥には

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社殿が恥ずかしそうに岩陰に隠れて、こちらを覗き見しています。

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これはこの社殿が人見知りなわけでなく、ここまで参拝者に足を運ばせてあるものを見せる仕掛けとなっています。
「ここから入口を振り返って下さい」の案内よろしく振り返ると、

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そこに見事に浮かび上がる昇り龍。

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この昇り龍を拝むにはちょっとしたコツが必要で、入口側の岩と社殿側の岩がうまく重なる位置を探さなくてはなりません。

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昇り龍は目線の高さ・位置で微妙に表情や太さを変えるので、自分好みの龍を探してみるのも楽しいです。
僕的に一番バランスが美しいと思った龍を、先に掲げてみました。

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この昇り龍は最近有名になりつつあり、多くの方が紹介されています。

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が、なぜか僕は大御神社には参拝していたのに、この鵜戸神社を参拝したのは今回が初。

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今回「龍宮ノ末裔」篇を記すにあたってどうしても気になったので、来てみました。
実際に訪ねてみると、淡路島にあった「いわんど」を彷彿とさせます。

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岩窟の規模ははるかにこちらが大きいのですが、当地のことを知っていた人が淡路に定住し、あのいわんどを祀ったのかもしれません。

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鵜戸神社の昇り龍は微妙な条件下でその姿に見えるものなので、果たして古代人が同じようにそれを眺め祀ったものだろうかと僕は訝しんでいました。

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しかしこの岩窟のちょうど上に登ったところにストーンサークル・メンヒルがありました。

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海岸からこんなに登った場所なのに、龍宮の使いもいます。

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古代メンヒル、

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これがその遺跡なのだそうです。

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石が倒れていたりして、サークルというよりは無造作に置かれている感じがしますが、どことなく宇佐の佐田京石に似たものも感じます。
あるいはこれが佐田京石の原型なのかもしれません。

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ともあれメンヒルが頂きに設えてあり、古代から鵜戸神社の岩窟が神聖視されていたことは間違いなさそうです。
であるなら、古代人も昇り龍の姿をその目に捉えていたのかもしれません。

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大御神社から南に下った西都にほど近い高鍋町蚊口浦にも「鵜戸神社」がありました。

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潮の香りもする杜の参道は、紀伊国の「花の窟」に近いものを感じます。

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参道の横には古墳群。

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境内は決して広いとは言えませんが、心安らぐ雰囲気があります。

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狛犬や

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手水には、

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どこかしら南国的な雰囲気も。

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祭神は「鵜葦草葦不合命」「天照大御神」「天忍穂耳命」「火遠理命」「須佐之男命」「邇邇芸命」「大物主大神」。

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伝承としては景行天皇が熊襲征伐のため日向に来た時、戦勝祈願のために行幸したというものが有名で、他に神武天皇が東征の途中ここで休憩した折、ウガヤフキアエズが上陸した聖地であったので奉祀したという話も伝わっています。

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西都は瓊瓊杵尊にあたる物部イニエ王(崇神帝)が東征にあたり都を築いた場所です。

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イニエは宇佐の豊玉姫を後妻にすることで、彼女の絶大なカリスマ性を利用しようと考えました。
なのでイニエが当地に、豊家の神を祀った可能性はあるのかもしれません。

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しかし境内から見える海、

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数々の古墳に囲まれるこの小さな聖地は、物部のものというよりは、龍宮の風が吹いているように感じられました。

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境内を散策していると、電車が走り抜ける音がしたので見てみると、すぐ傍に線路が通っていました。

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そして境内の隅にこっそり祀られた末社群を発見し、そこにも龍宮の片鱗を感じ取ったのでした。

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2件のコメント 追加

  1. CoccoCan より:

    宮崎県日向市はサーフィンでも有名な土地ですよね。
    南の国のような海と空の青さに、岩壁、鳥居、狛犬、、、違う時代に来たのか、違う国に来たのか、時空を越えたような神秘的な空気がありますね。

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    1. CHIRICO より:

      おっしゃる通り、日向を含む日南海岸はサーフィンが盛んで、日の出の美しい場所です。
      ヤシの木の並木などがあり、南国風情にあふれています。
      どこか違う国のようにも思える場所が、なぜか日本神話の舞台にもなっていて、事情を知らない頃は不思議に思っていました。
      福岡からでも出かけるには4時間ほどかかる宮崎ですが、この辺りの神社巡りはとても楽しいですよ♪

      いいね: 1人

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