「 一書に曰く、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、火神を生み給う時に灼かれて神退去(かむさ)りましぬ。
故、紀伊國熊野の有馬村に葬(かく)しまつる。
土俗(くにびと)、此の神の魂(みたま)を祭るには、花の時には花を以って祭る。
又、鼓吹幡旗(つづみ・ふえ・はた)を用て、歌ひ舞ひて祭る」
-『日本書紀 神代上5段』-
三重県熊野市有馬町、熊野エリアの東端に位置する海岸沿いに、「花の窟神社」(はなのいわやじんじゃ)は鎮座します。
潮の香りが届く駐車場に車を停め、
少し歩くと一ノ鳥居と参道が見えてきます。
花の窟神社は、『日本書紀 神代上5段』にある「火の神カグツチを産み亡くなったイザナミを、紀伊國熊野の有馬村に埋葬した」その場所とされ、
故に「日本最古」の神社と謳っています。
それにしてもなんと心地よい参道でしょう。
時折リスの姿も見え隠れします。
参道の途中にある赤い鳥居、
その先には稲荷社と
龍神社がありました。
再び参道を進みます。
竜の手水舎と、
その隣に大きな丸い磐座があります。
この石は、先にある御神体の巨岩の上から落ちてきた岩だと云われ、狛犬が宿っているとのこと。
手水の水をかけて両手を岩につけて念じると願いが叶うと伝えられます。
社務所を通り過ぎると、石垣で囲われた聖域が現れます。
そこに広がる、世俗とは隔絶された世界。
まず圧倒されるのは、御神体とされる「花の窟」です。
そこに立ちそびえる巨大な岩巌は、高さ約70m。
巨巌の正面、下部は大きくえぐれています。
ぽっかり空いた窪みは高さ約6m・最大幅約2.5m・深さ約1m。
窪みの前には結界が作られ、真ん中に金色の幣帛が立てられています。
ここが花の窟神社の中心部、本殿と呼ぶべき場所。
社殿はなく、御神体である岩窟『花の窟』を直接拝する、古代の祭祀形態を今に伝える聖地なのです。
日本書紀によると、火神カグツチを産んだイザナミは「ホト」を灼かれて死んでしまいます。
その遺体を埋葬した陵墓がこの窟だと云うことですが、一方、古事記では「神避りまししイザナミ神は、出雲国と伯岐国との堺の比婆の山に葬りまつりき」とあり、イザナミの陵墓と伝わる場所が別にあります。
古代には、岩窟は黄泉國・あの世への入口と解されていました。
それはかの悲劇的な事件、偉大な大国主と事代主が、穂日らによって拉致され孤島の岩窟に幽閉・枯死させられた事実をもとにした、畏怖の念がそう解させたのでしょう。
実は古代出雲王家の末裔である「富家」の伝承では、熊野には出雲の血を引く一族が先住しており、サイノカミ信仰を広めていたと述べています。
熊野各地にその信仰の痕跡は残されていて、花の窟もサイノカミの女神を祀っていた祭祀跡だと云うことです。
つまり、本来ここに祀られるのは出雲王国初代クナト王の妻、「幸姫」ということになります。
巨巌の頂部にある、二つの顔のような窪みの横に、
縄で作った幟のようなものが垂れ下がっています。
「神代の昔より花を供えて祀るので花乃窟と言う。窟の頂上より掛け渡すお綱は神と人とをつなぎ神の恵みを授けてくださるお綱なり。」
花の窟神社では、2月2日と10月2日の年2回、「御縄掛け神事」という有名な祭事が執り行われます。
この祭りに先立って、特別な田で作られたもち米の藁縄7本をさらに束ねて、長さおよそ170mの大綱が作られます。
この大綱に、季節の花(2月はツバキ、10月はケイトウ)を結びつけた3つの「縄幡」と扇を吊した縄を作り付け、磐座の頂上から当社向かいの七里御浜の海岸へ、氏子らが総出で引き張ります。
大綱として束ねられる7本の細い藁縄は、伊弉冉尊の子である「級長戸辺命」(しなとべのみこと・風の神)、「少童命」(わたつみのみこと・海の神)、「句句迺馳」(くくのち・木の神)、「草野姫」(かやのひめ・草の神)、「軻遇突智尊」(火の神)、「埴安神」(はにやすのかみ・土の神)、「罔象女」(みつなのめ・水の神)の自然神を意味しています。
その大綱に下げられる3つの縄幡は、「三流の幡」(みながれのはた)と呼ばれ、岩側より、「天照大神」(太陽神)、「月読尊」(月神)、「素戔嗚尊」(暗黒神)を表しているのだと伝えられています。
大綱を国道を越え、七里御浜まで引き渡すと、そのあとは舞などが奉納されます。
この奉納舞は、地元小学校4年生の舞姫によって為され、花の窟ともう一つ、「産田神社」で舞われるということです。
この春と秋の御縄掛け神事で縄幡に掛けられる花は、往古は稲の花だったと云われています。
つまりこの神事は、今はここに葬られたイザナミの霊を鎮めるための神事と解釈されていますが、本来は豊作の祈願と感謝を伝える農耕神事であったと思われます。
この春秋の祭りは、古代出雲王国に特徴的な祭祀の形でした。
縄幡の特徴的な形状は、サイノカミの「生命創造」の尊いマークである「×」印がデザインされています。
これは古代から受け継がれているもので、富氏曰く、出雲の「四隅突出型墳丘」や出土した銅剣や銅鐸に刻まれた「×」印と同じ意味をなしているとのこと。
つまり男女の交わりを示しているのです。
花の窟に向かい合ってある一つの岩塊。
そこは「王子の岩屋」と呼ばれ、イザナミを死に至らしめたと云う、御子神「軻遇突知尊」(かぐつちのみこと)の陵墓と伝えられます。
見ればこの王子の岩屋も、いかにもサイノカミ信仰を彷彿とさせるもので、おそらくこの場所でも祭祀がなされていたものと思われます。
往古にこの場所は、風葬や納骨の場であったという話もあり、近年になっても経典や人骨も出土しているそうです。
風葬は、出雲王家で行われていた葬儀形式でもあります。
出雲族は母系社会であり、「戸畔」(とべ)と呼ばれる女首長が集落を統治していました。
花の窟とは、そうした有力な戸畔の風葬地だったのかもしれません。
この聖地に立っていると、大きな岩に波の音が反響して、あの世へ誘うような不思議な音色が辺り一帯に聴こえていました。
花の窟神社の道を挟んだ先は海岸になっています。
その海を見に歩いて行くと、あまりの美しさに我を忘れました。
この海岸が御綱掛け神事で綱を引き渡す「七里御浜」です。
グラデーションの海を、白い波が縁どります。
それにしても波が高い。
遠くの方では波しぶきが霧のようになっています。
下を見ると、海岸には当地の神社などで敷き詰められる、丸くなった白い石がたくさん転がっています。
花の窟が神社となったのは比較的最近の、明治になってのこと。
古事記や延喜式神名帳に「花の窟神社」の名がないところを見ると、奈良・平安時代には、当地は神社というよりむしろ陵墓としての認識されていたものと思われます。
花の窟の磐座は「陰石」であり、これに対応するように新宮市の神倉神社に「陽石」としての磐座があります。
花の窟は日本人の原始の祭祀形態を今に残す聖地。
自然を畏れ、敬い、崇拝した、かつての日本人の祈りの形です。
この女神の窟から、全ての命あるものが生まれ、死して帰っていく。
ここは、大地の母神坐す、魂の子宮なのです。
始めまして。tabisurueiyoushiさんのブログより来ました♪
花窟神社すばらしいですね~ これからも興味深くお話読ませていただきたいのでよろしくお願いします。
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astro26様、ようこそお越しくださいました。
花の窟は熊野の聖域の中でも、特に好きな場所です。
本来は風葬地ではないか、というのが僕の考えですが、そうした場所は沖縄のガマしかり、空気の清らかな所が多いです。
高千穂の天安河原などはスピ系の人たちが色々やらかしていますので、神聖さをこじらせていますが。
古代出雲王家の直系の末裔と称される富氏の伝承にハマって、少々マニアックな旅のブログとなっております。
お気の向くままに、ゆるりとご覧いただけると幸いです。
どうぞよろしくお願いします!
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CHIRICO様
本題ではないのですが七里御浜、懐かしく拝見しました。かつて大病を患い、もう長距離ドライブなんて出来ないのかなと落ち込んでいたとき、2年経った秋にホームドクターから「無理をしないようにゆっくりっくりを心がけストレスを溜めないようにして運転していけば大丈夫。但し奥さんと一緒にね。」と言われ、選んだのが五新線(国道168号線)経由の熊野方面への旅。特に体に不調があるというわけではなかったのですが、次はどこで休もうかといった休憩場所(道の駅や駐車場のある景勝地など)を捜しながらの旅でした。その中で一番印象に残ったのが七里御浜です。天気も良く打ち寄せる波に石ころのコロコロと響く音が心地よく長いこと海を見つめていました。生きていて良かったと本当に心から思った印象に残る浜辺でした。そういった旅でしたので花の窟なども見ることは見たのですが、それほど印象には残っていません。CHIRICO様のブログを拝見し、また機会があれば訪れてみたいなと思っています。何だかCHIRICO様のブログを拝見するたびに行ってみたいところが増えていくような・・・。あっ、そうそう、今は運転にも自信が付き、北海道から九州へと、どこへ行くにも伴侶付きではありますが自動車で・・・ということになっています。ただ歳を重ねるに従って免許証返納問題などが取り上げられており複雑な心境ではあるのですが・・・。
asamoyosi
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七里御浜の清々しさと言ったら、言葉にならないですね。
花の窟の御神体の前で耳をすませると、360°に反響した波の音が優しく響いて、それがとても印象的でした。
僕の推察ではここは卑弥呼のような戸畔のお墓だと思うので、あまり長居するべきではないかもしれませんが。
僕は運転があまり好きではなく、それでも僕の行きたいところへは自らの運転で行くしかないので頑張っています。
早く自動運転にならないか、待ち遠しいところですね(笑)
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『花の窟神社』。とてもシンプで美しく感じました。
いつか辿りつければ・・・そんな想いでうれしく久々にいっぱいになりました。
追伸
『幸姫』の『幸』。本来の漢字の成立意味は、いささか哀しいもののようです。祓詞を調べ読み唱える度に、ついつい考えます。黄泉にいます伊弉冉の姫神は、どんな気持ちで、これを聴かされているのだろう・・・。伊弉諾尊との間に入ったとされる白山の菊理姫神は、幸姫神と同様の出雲族とは異なる母系血族の象徴だったのかな・・・。何らかの関わりもあったのかな・・・。空想連想も脈絡もなく止まりませんでした。
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古い時代に想いを馳せてみると、そこには温かさも、悲しさも、ほんのりと入り混じっているように感じます。
熊野は日本人の祈りの原型が残る場所でした。
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Che meraviglia Chirico, come sempre… Grazie!
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È un posto dove il suono delle onde è impressionante!
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Fantastico!
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申し訳ありません。
一文字抜けておりました。
『とてもシンプルで美しい』とありのままの素朴で真摯な形を感じました次第です。
重ねて申し訳ありません。
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