花の窟神社の西方約1.5km、田園広がるのどかな場所に「産田神社」(うぶたじんじゃ)が鎮座します。
当地は、イザナミがカグツチを産んで亡くなった場所であると伝えられます。
入り口に「さんま寿司発祥の地」とあります。
産田神社では1月10日に行われる例祭の後の直会で秋刀魚の寿司が提供されますが、これが「さんま寿司」の原形であるとしています。
現在のさんま寿司は軽く塩漬けした秋刀魚を酢飯に乗せた、バッテラのような押し寿司ですが、おそらく元は米飯に秋刀魚を漬けて乳酸発酵させた「なれずし」であったと思われます。
当社に伝わる「おとう神事」は、太古の昔、イザナミが当地に漂着した稲籾の詰まった椰子の実を拾いあげて米作りをはじめたと云う伝承に基づくもので、豊かに採れたときには小魚の骨つき姿飯として食べたと伝えられます。
「おとう」とは、「尊い御飯」が訛ったものらしく、収穫に感謝し、神と共に食事に相伴するという「新嘗祭」の原形を偲ばせます。
鬱蒼と繁る杜の参道を歩きます。
境内社の稲荷社。
すぐに拝殿が見えてきます。
産田神社の祭神は、花の窟神社と同じ「伊奘冉尊」(いざなみのみこと)と「迦具土命」(かぐつちのみこと)。
明治の頃までは、地元では当社を氏神社、花の窟は神陵としてお祀りしていたといい、出雲の二墓制を彷彿とさせます。
拝殿の先、本殿までは白い丸石が敷き詰められ本殿前まで参拝できますが、ここでは靴を脱がなくてはなりません。
由緒では、当社殿付近の地下約50cmほどに白石を敷きつめた一画が残り、その辺りから太古の祭祀土器なども出土しているということです。
本殿の両脇には、「磐境」(いわさか)と呼ばれる大小の玉石を敷きつめた一画があります。
これは古代の祭祀施設の跡で、これほど原形を留めているのは極めて珍しいものです。
当社も本来、社殿はなく、この磐境があるだけの聖地でした。
この石の上に「神籬」(ひもろぎ)と呼ばれる祭壇を設け、神を降し奉ったということです。
「おとう神事」の由来からも、花の窟は有力な巫女・戸畔の風葬地・埋葬地であり、当地はこれの遥拝地であったのではないでしょうか。
このことは正に、出雲的な祭祀文化を持つ一族が紀伊半島の果てに移住していたことの根拠となるものです。
産田神社の山奥に「まないたさん」と言われる婦人病にご利益のある祠があります。
マナの泉のことと思われます。
オフロードコースですが素敵な所ですよ
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ありがとうございます。
調べてみたら、「まないたさん」はじめ、まだまだ面白そうな場所が熊野にはたくさんありますね。
来年あたりでもまた熊野旅をしたくなりました!
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