廃跡 岩戸神社(いわんど)

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この国で最初にできた小さな島。
その小さな島の海岸の小さな洞窟の小さな社に、小さな神様がいました。
その小さな神様は村人にとても大切にされ、幸せな日々を送っていました。
小さな神様には、他のいじわるな神様や海からやってくる嵐から、いつも守ってくれる龍がいました。
小さな神様と龍は仲睦まじく、いつも一緒に暮らしていたのでした。

時は流れ、小さな島はたくさんの人で賑やかになり、小さな神様のことを忘れてしまう人が増えました。
小さな社はそれを守る人が減り、だんだんと朽ちていきました。
小さな社を守る人は減っていきましたが、それでも小さな神様には龍がいたので、寂しいと思ったことはありませんでした。

ある時、朽ちる小さな社を憂いた村人は思いました。

「こちらの神様をもっと大きな社に遷したら、賑やかになって神様も寂しくなかろう」

そうとは知らぬ小さな神様は、たまたま龍に、おつかいを命じました。

「龍よ、すまぬが葛城までつかいに出てはくれぬか。そこは私のふるさとでな、忘れ物を取ってきてほしいのだ。
今なら朝昇る太陽の方向にまっすぐ行けば、葛城に届く」

龍は小さな神様をいっときお守りできないことにちょっと不安になりましたが、神様のお頼みを断ることはできません。

「かしこまりました。お忘れ物を取ってすぐ帰ります。しばしの間お待ちくださいませ」

春分の日、真東に昇る太陽に向かって、龍は一目散に駆け出しました。
しかし、その日の午後に小さな社に村人たちがやってきます。

「神様、失礼いたします」

そういうと村人たちはとても丁寧に、神様の宿った御神体を小さな社から運び出し、そこから離れた大きく賑やかな社へと遷し奉りました。
葛城で無事おつかいを終えた龍は、今度は西に沈む太陽に向かって、その日のうちに急いで小さな社をめがけて駆け出します。
日も沈みかけた薄暗い洞窟の小さな社に戻ってみれば、どことなく小さな社はさらに朽ちて見え、どこを探しても小さな神様の姿は見えません。

「神様、神様、どこですか、神様。おつかいを果たしてきました、神様」

洞窟中を探し回り、何度も龍は小さな神様に呼びかけました。
しかし小さな神様はもう、その小さな社にはいませんでした。
小さな神様から龍に、返事がかえってくることはなかったのです。

それからというもの、きっと神様はいつか帰ってくるはずと信じて、龍は今も神様のいなくなった小さな社で待っているのだということです。

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日本最初の島「おのころ島」伝承地の一つ「淡路島」に再び足を運びました。

※2021年4月に、廃跡 岩戸神社は「安乎岩戸信龍神社」として再興されたそうです。参道も綺麗になり、社殿もきれいになったとの情報を得ました。
龍と神様が再び穏やかな日々をお過ごしになられますよう、心より願っております。
当記事は表題の通り、廃跡だったときのお話しです。

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洲本市安乎町平安浦、淡路島の東岸を走る国道28号線の一角に、ひっそりと立つ小さな鳥居があります。

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近づいてみれば、奥に洞窟が見えます。

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ささやかな案内板には「廃跡 岩戸神社」とありました。
ここは岩戸神社跡「いわんど」と呼ばれています。

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なるほど、洞窟の中に、社らしきものが見えます。
ここの場所は、前回の淡路旅の後、KYOさんに教えていただき、ずっと気になっていた場所でした。

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言い伝えでは、この岩戸神社は龍が神様を守っていたそうですが、その龍が留守の間に地元の人達が神様を安乎八幡神社へ遷してしまったので、神様が戻ってくるのを龍は今も祠で待っているのだそうです。
冒頭のストーリーはこの言い伝えを元に、物語として書いてみました。

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この岩戸神社は行基が天照大神の御神体の神鏡を祀ったという伝承もありました。
でもここに足を運んで、僕は別のことに思い至ります。

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この岩窟、今は前を車道が走っていますが、古い時代にはすぐ前まで海が迫っていたはずです。
古代の史実を知っていた人がこの岩窟を見つけ、神を祀ったなら、それは大国主か事代主であったろうと思います。
この偉大な王と副王は、同時期に荒海の岩窟の中で亡くなられました。

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日が昇り始めて、洞窟の中にも光が差し込み始めました。

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今は道路や海岸施設などがありますが、何も無ければ洞窟の奥まで光が差し込んだはずです。
そして春分・秋分の日が昇る方角、東に真っ直ぐ線を伸ばすと、至る場所が奈良の「葛城」です。
葛城には事代主の息子、東出雲王家の「アメノヒカタクシヒカタ」が築いた都がありました。

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洞窟の中に足を忍ばせると、天井の一部に穴が空いており、差し込む光が朽ちた社殿をスポットライトのように照らしていました。

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この穴はどうやら、自然に開いたものではなく、後背の岩山の防災工事の際に掘削されたもののようです。

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当社は戦後、岩戸神社を守る人が減ったために安乎八幡神社に遷座し、摂社として今も管理されているそうです。
朽ちるがままに残された社殿は、それでも地元の造園業の方が手入れや掃除をなさって、なんとか形を保っています。

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その今にも倒れそうな柱のたもとには、寂しそうにとぐろを巻く龍の姿が目に浮かぶよう。

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安乎八幡神社の祭りの時に神輿はここへ立ち寄るそうで、神様と龍はひとときの再会を楽しむのだと云うことです。

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帰り際、差し込む太陽の眩しさにふと後ろを振り向くと、少し嬉しそうに天を向く龍の姿が見えたような気がしました。

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2件のコメント 追加

  1. photonspin より:

    初めてお邪魔させていただきました。神さまと竜のお話に涙が出てしまいました。お神輿で会えておられるそうでほっとしました。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      こんにちは、photonspinさん。
      ようこそお越しくださいました。
      道の片隅にある廃跡ですが、そこにいると心がほんわかしてきました。
      きっと訪ねてきた人を、竜が出迎えてくれるのでしょうね。

      いいね: 1人

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