
島根県大田市長久町土江の「邇弊姫神社」(にべひめじんじゃ)に立ち寄らせていただきました。
ここは3年半前、『人麿古事記と安万侶書紀』出版の御礼旅の時にモモさんに教えてもらい、気になっていた神社でした。

当社は清和天皇の御宇、貞観3年(861年)に鎮座したらしく、式内社「邇弊姫神社」に比定されています。

邇弊姫神社といえば佐比賣山(さひめやま/三瓶山)のお膝元、浮布池に浮かぶ小島に、同名の社が祀られています。

当・邇弊姫神社は、鎮座地名から「土江神社」とも呼ばれており、社伝では祭神は土神で、神代から此処に鎮座しているといいます。
よって現在の主祭神は「埴夜須毘賣神」(はにやすびめのかみ)。
ただし、異説もあるようで、『玄松子』氏のサイトによれば、明治7年の上申書には「大屋津比賣神」「抓津比賣神」とあり、また物部族・尾張族が石見東部へ移住したことから
火明命八世孫で建諸隅命の子「邇倍足尼」(贄宿禰)を祭神とする説もあるようです。

そんで、拝殿内を眺めていると、なんと裏ボスならぬ裏祭神の「ももじ大明神」が堂々と鎮座なされていました。
モモさん、昨日別れたばかりなのに、きっとこのモモがパッカーンと割れて、中からモモさんが登場するのだと思いますが、ここは華麗にスルーしておきましょう。

さて、非常に興味深い神社ですが、モモさん情報では昔はお社ももっと立派で、大きな池と樹齢千年超えの老松があったそうです。
配祀神には「大屋津比賣神」「抓津比賣神」「大物主神」「保食神」「土御祖神」「大年神」「大山祇神」と、なかなかのメンツ。
大屋津比賣・主祭神説は、大田市内に「大屋姫命神社」も鎮座しており、彼女の居住地であったことから、大いにありうると思われます。

しかしアレですよ、現主祭神の土神さん、埴夜須毘賣って、ほら、シズさんが言っていた”夜”が使ってありますよ。
ここも夜見に関連する聖地だったのかもしれません。

また、モモさんがある本で見たところでは、邇弊姫神社の元々の祭神は弁才天さまだったと書いてあったそうです。

それにしても小ぶりながらお城のような石垣に乗った本殿、その細かな造りには、往年の風格さえ漂っていたのでした。



この2日間、大田の市街地と物部神社を何度か行き来していた時に、目に映った神社がありました。

立ち寄ってみると、「新具蘇姫命神社」(にいぐそひめのみことじんじゃ)と書いてあります。
いや、新グソって・・・

とってもしっとりとした、良き趣の神社で、式内社であり、地名から「吉永神社」とも呼ばれています。

祭神は「新具蘇姫命」(にいぐそひめのみこと)で、由緒によれば、「五穀の守護神、農耕の神様、乳製品(蘇=チーズ)の神様、家畜の神様として近隣の人たちからも深く崇拝されてきた」とのこと。
なんだか芳ばしい香り漂う姫君です。

往古は、背後の新山に鎮座していたが文治年間に現在地に遷座。
新山は新具蘇山とも呼ばれていたそうです。

聞き慣れない祭神の新具蘇姫は、読みの通り、「新しい糞」と解する説が有力で、人糞を肥料として利用したことに由来するのだそうです。
記紀神話では、カグツチを出産して命を落としたイザナミの大便から、ハニヤスが化生したという挿話があります。
新具蘇姫はハニヤス姫のことだと考える向きもあるようです。

同じく記紀神話では、オオゲツヒメや保食神が尻から食べ物を生み出して、スサノオやツクヨミに食べさせるという、ユニークな場面もあります。
人麿の奇想天外な発想力に驚きますが、人糞を肥料とし、そこから作物が実る様を表しているのかもしれません。

『延喜式』所載の祝詞には、記紀と異なり、荒ぶる火の神の害から民を守るために、イザナミが火鎮めの神としてハニヤスを生んだという挿話もあります。
また、ハニヤス神は「土の神」として知られ、記紀のエピソードは、火の神(カグツチ)を生み出したイザナミは死して、金属・鉱石の神(金山神)、粘土の神(ハニヤス神)、水の神(ミズハノメ)、食物の神(ワクムスビ)を連続して生み落としており、これは火によって人類が製鉄技術や土器・陶器の焼成技術を獲得したこと、焼畑農業のような原始的な農耕文化の誕生を象徴していると考えられています。

それにしても邇弊姫、新具蘇姫と、土の女神が名を変えて大田に祀られているのは興味深いことです。
土の一族として思い浮かぶのは土師氏ですが、土師一族は旧東出雲王家・富家の子孫です。ここは西王家の領域。

であれば、当地にはもっと古い土の器に由来した一族がいたのかもしれません。
たとえば、そう、「甕」を名に冠した一族のような。


narisawa110
てなわけで、Googleで「瀬織津姫 邇弊姫」で同一視点がないか調べたらAIぎ素敵な答えを弾き出しました。
<邇幣姫(にへひめ)は、この質問の文脈から、瀬織津姫と同一視される「常世織姫」や、三輪系・出雲系の神話に登場する姫を指す可能性が高く、特に『偲フ花』のブログでは、邇幣姫神社と関連付けられた「常世織姫(せおりつひめ)」として、瀬織津姫と同一視される存在が語られています。つまり、これらは同一の神、または非常に近い関係にある神として語られることが多いです。
ホントかあ?ww今さっき思いついた訳なんですが。
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AIくん、そういうとこだぞ。
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narisawa110
wwwwwバンバン(≧∇≦)੭ꠥ⁾⁾
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narisawa110
贄宿禰は説によると邇邇芸と木花咲耶姫の子の火闌降命(ほのすそりの命)の8世孫ともされ、阿田隼人の祖になっていますね。
なるほど、スセリヒメ(村屋神社では瀬織津姫)はもしかしたらここから神代に飛ばされたのかもしれませんね。
古事記は大国主は山幸彦の家に婿入りした事にしたわけですか
https://rekichi.net/s/64446788
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スセリヒメのことはまだ、よく分からんですな🤔
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narisawa110
設定上、ホノスソリがホアカリの弟だかということで、邇邇芸の子であるとするのであれば、ホノスソリは崇神の子の可能性か出てきます。
腹違いになっておりますのでこちらが山幸彦でという事になっていますが、山幸彦と海幸彦が逆転しているということを考慮するとスセリヒメは海部家となりませんでしょうか?
アメノワカヒコの様な位置付けです。
神戸家と海部家の組み合わせか、贄宿禰の頃には金子様の家も先祖がスセリヒメの家系の候補に上がる気がするのですが。
気のせいでしょうかww
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😏
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narisawa110
なん・・だとww
<物部族・尾張族が石見東部へ移住したことから
何処から移転してきたのっww
前方後方墳の時期からすると・・。調べると確かに海部郷や、恵曇地名がある。
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あっちゃいますか😅
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“クソ”繋がりで言うと、長野県に星糞(ほしくそ)峠黒曜石原産地遺跡が…😅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E7%B3%9E%E5%B3%A0%E9%BB%92%E6%9B%9C%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E7%94%A3%E5%9C%B0%E9%81%BA%E8%B7%A1
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鉄糞、星糞、糞とは古来、宝を意味したのかも😁
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