2022年も気がつけば5月。
かねてから行きたかった島根『人麿古事記と安万侶書紀』出版御礼の旅に出掛けてきました。
今回、旅先で僕を迎えてくれたのはお二人の天女、そしてまた素敵なご縁と思い出と、僕はポケットに入りきれないほど一杯の幸福を頂いて参ったのです。
早朝からキリコ号を走らせ、最初に向かったのは戸田。
そう、「柿本人麿伝承」始まりの地です。
人麿の子孫「綾部家」宅の隣にある人麿遺髪塚に、まずはご挨拶。
人麿さん、ちっす。さたごぶです。
土形娘子(ひじかたのおとめ)と幸せな日々を過ごす彼の御霊を感じる好天日。
ご子孫の綾部さんは今日もお留守のようで、なかなかお会いすることができません。
それで柿本神社の方へと足を伸ばすと、
おや、社殿の扉が開き、中に人影が見えます。
「あの、失礼ですが、綾部様ですか?」
「はい」
感動と嬉しさで僕は、すぐに柿本人麿の本を書かせていただいたこと、綾部家のご紹介をさせていただいたことなどを申し上げました。すると、
「ええ、伺っております。昨年末に出版社の方から本をいただいておりますよ」
なんと師匠、綾部家に本を送ってくださっていたのか、ありがたい。
緊張でたどたどしく話す僕に、綾部さんは手を休め、神社の紹介をしてくださいました。
綾部さん、とても優しい方です。
戸田柿本神社のすばらしい彫刻は津和野藩御用彫刻師・大島松渓の作として知られます。
しかしそこにはパッと見ただけでは見過ごしてしまうものも多いのです。
この見事な瓢箪の彫刻は向拝の裏側にあり、屋根を真下から見上げないと気づきません。
また、鶴の口には餌が咥えられており、
向かいの松の中にヒナが隠れていました。
「もう少しお時間ございますか?」
そう言って僕を案内してくれたのは蔵の中、
そこには例の人麿像などが並んで保管されていました。
本殿に収められている御本尊の写真も置かれてあり、少々厳しい人麿像の姿がありました。
来年は大きな祭りがあるそうで、境内の木の一部が刈られ、綾部家と人麿ゆかりの大道山が見えていました。
「石見の海 打歌の山の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか」(139)
この打歌山(うつたやま)が大道山であるということです。
ちなみに大道山は電波塔が建っている方です。
御神木の筆柿の木の根元には、まるで出雲の藁蛇のようにしめ縄が巻かれていました。
さて、ここから大田市方面へ足を伸ばし、そこでお二人の天女と合流です。
お一人はブログでお知り合いとなったmomojiさん。もうお一方は彼女の知り合いの大野さんでした。
大野さんは出雲の巨石信仰を表した書籍にも執筆されるほどの神様通の方でした。
神様通?いやもっと僕と同じマニア?、いやフェチ?、いやいや変態?!、いやいやいや、ともかくこれは褒め言葉です。
合流したのは正午過ぎでしたので昼食を頂き、その後ずっとお会いしたかった「塩爺」さんの元へ。
momojiさんのご師匠「塩爺」さんとは、大国主・事代主ゆかりの静之窟の海岸で、昔ながらの塩作りをされている「かたらお」さんです。
この塩作りはいわゆる藻塩作りを可能な限り再現したもので、とても利益の出るものではないそうですが、塩づくりを通じて物作りや日本文化の大切さ、生きていくための指針のようなものを今の若者に伝えたい、そんな思いが塩爺師匠からひしひしと伝わってきました。
海水には3%の塩分が含まれますが、古代人は浜に打ち上がった乾いた藻に白い塩の結晶がついているのを見て、これを得る方法を考えました。
そこで甕に海水を満たし、それに海から採ってきた藻を浸けます。藻を取り出し天日で乾かすと再びそれを甕に戻す。これを繰り返すと甕には水分が飛び、濃縮された海水が残ることになります。
最後に藻ごと甕の海水を煮炊くと塩が得られます。これが「藻塩」。
かたらおさんの藻塩作りは前半の行程を二つの釜を用いて行います。
二つ目の甕にはうっすら塩の結晶が水面にできており、それをぺろり舐めさせていただきましたが、初恋のような、まろやかなしょっぱい味がしました。
こうして作られた塩は、その塩分自体は36%になるそうです。つまり残りの64%は大自然の海の恵みの成分、ミネラルなどが含まれるということ。
これに対し、スーパーなどで売っている精製塩の塩分は97%になるそうで、減塩などと謳ってもしょせん60~70%ほどでしょうから、そうした塩は取れば健康を損ない、塩爺が作るような天然塩は摂れば摂るほど健康になるということです。
因みにこの塩焚き釜のすぐそばには、シオツチノオジと名付けられた石神様がいらっしゃいます。この石は天から降ってこられたそうですが、そのとっても不思議なお話は、ぜひ塩爺に幸運にもお会いできた時に、直接お伺いくださいませ。
「まだお時間はありますか?」
momojiさんにそう尋ねられて連れていっていただいのは、浮布池。
柿本人麿が
「君がため 浮沼の池の 菱摘むと わが染めし 袖ぬれにけるかも」
と歌い、しっぽりやってたあの池です。
この池には長者の娘「邇幣姫」(にべひめ)が、若者に変身した大蛇に恋をし、彼を追って池に入水したという伝承がありました。
邇幣姫が池に身を沈めると、水面に姫の衣が白く輝き、それからというもの池面がまるで布が浮かんでいるように白く見えるようになったと云うことです。
この邇幣姫神社が遥拝所の鳥居の対岸の小島にあるとのことでしたが、前回は行き方が分からず断念した場所でした。
天女に連れられて来てみれば、なるほどここからたどり着くのか、といった場所にありました。
浮布池は出雲族サイノカミの母神「幸姫」(さいひめ)がご鎮座の「さひめ山」の西山麓にあり、4000年前のさひめ山噴火によって河川がせきとめられてできた「せきとめ湖」です。
邇幣姫神社の祭神はもちろん「邇幣姫神」ですが、配祀神として「多紀理毘賣神」(たぎりびめのかみ)、「狹依毘賣神」(さよりひめのかみ)、「多岐都比賣神」(たぎつひめのかみ)の宗像三女神が祀られています。
大野女史曰く、「邇幣姫さんはあとから来た神様で、本来は市杵島姫が祀られていたのではないか」とのこと。まさしく同感です。
が、ちょっと気になることも。
多紀理毘賣は田心姫(たごりひめ)と本場宗像では呼称されますが、これは言葉の微妙なニュアンスの違いで理解できます。
しかしなぜか市杵島姫は狹依毘賣と、あまり一般的ではない名前で記されているのです。
確かに狹依毘賣は市杵島姫と同一神として考えられてはいるのですが。
そこで狹依毘賣ですが、これは「さよひめ」とも呼べます。
さひめ山が「幸姫山」(さいひめやま)であったであろうと同じく、これは「さいひめ」が変化した名称ではないでしょうか。
佐賀方面にもさよ姫伝承が幾つか見受けられますが、そうであればちょっと面白い展開になりそうです。
邇幣姫神社には裏からやってきましたが、本来は池を渡って来るのでしょう。
池の方に下っていけば、
例の鳥居が見えていました。
この池ができたのは4000年前ということで、さひめ山の西に位置するこの場所からは、神奈備に昇る朝日を遥拝することもできました。
古代出雲族はさひめ山にと昇る朝日を、太陽の女神と崇め奉ったと云いますから、ここに幸姫を祀っていたとしても不思議はありません。
が、後に物部軍が九州から攻めてきて、当地に進軍基地を作りました。それが今の物部神社です。
彼らは蓬莱信仰がありますので、そこで池の中島に市杵島姫を祀った可能性はあります。
そしてさらに上書きされた邇幣姫。この姫の名前も気になる所です。
若き乙女と蛇の若者の恋にまつわる話は、三輪系の聖域によく聞く話です。
邇幣姫とは三輪系、もしくは登美家にゆかりのある姫君でしょうか。
たっぷり邇幣姫神社を堪能したところで、天女さんとはお別れです。
見渡したところ、脱ぎ捨てた羽衣も見つからないので、引き止めることはできません。
しかしお二人からはとても素敵な贈り物をいただきました。
それは品の数々もさることながら、大きな思い出として僕の心に残ったのです。
一夜過ぎて翌日向かったのは、江津市にお住まいの彫刻家「田中俊睎」(たなかとしき)さん宅でした。
前回、高角山の人麿像を探していて、偶然お会いした像の制作者です。
1年ぶりにお会いした田中さんは変わらずお元気で、今回もたくさんの面白いお話をしてくださいました。
出雲大社内にも田中さんのカエルの像が置かれています。
カエルの子を抱く親ガエルの顔は、左は嬉しさを表し、右は不安を抱いているそうです。
子は見ざる聞かざる言わざるの姿をとろうとしていますが、カエルなだけにちょっといいかげん。
人生の道行にはハサミを持った者もいたりして厳しい一面も。
ワカサギは知らんぷりで像の裏ではイモリがそっと見守っているのだとか。
前回は3体の依羅姫像を見せていただきましたが、近々新たな依羅姫が街中に建つのだそうです。
その実物を見せてきただきましたが、それはもう美しい、裸婦の依羅姫でした。
それもまた、天女の如き麗しさだったのです。
未だに編集長、色々な処と繋がってるんですね。
そのうち、伝承の色々が継承の問題が出てくるんじゃないかと思いますが、やっぱりこういう人同士のつながりこそ残していくべきものではないでしょうか?
綾部家の方々も、まさか先生本人が来るとは思ってなかったでしょうね
逆説的に、その後の王家本の展開を見た場合、太田家にはその後も取材とか出来てないのかな~とか考えてしまいますね。
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さすがは日本史の家の末裔、ご縁の方からやってくるって感じですよね。出雲の神は縁結びの神ってのも、意外と的を得ているのかもですね^^
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CHIRICOさま
先日はとっても楽しい時間をありがとうございました!ももちゃんから変態認定おめでとうメールが届きました(笑)ありがとうございます!
各地でのCHIRICOさんの伝説を、今でも思い出して一人で笑ってます~(^_^)
岐阜の洲原神社の龍神様も素敵ですね!これからも投稿を楽しみにしています(^_^)
次回、島根にお越しの際は是非とも我が家にもお立ち寄り下さいませ!
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おおの様、おはようございます。
これはこれはご丁寧に、ありがとうございます♪
伝説に関しましては、おおの様も負けてはおられますまい、変態というのは良い意味での変態であって、探求者に与えられる最高の称号であると、この変態紳士は申し加えておきます。
いただきました埋没林の例の黒いアレを、今は毎朝すーはーすーはーしておりまして、いにしえの芳しい香りを堪能することが何よりの喜びとさせていただいております。
感謝の気持ちから、今度ささやかながらmomoji嬢に五条謹製の一品をお二人に送らせていただきますので、どうぞご査収くださいませ。
ぜひ島根旅の際は、古墳ハウスには寄らせていただきます。どうぞよろしくお願いします♪
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CHIRICOさん、こんばんは
先日はお逢いできて
とても嬉しかったです(*^^*)
益田の綾部さんにも
絶妙なタイミングで
お逢いできたのですね☆
私たちの事まで
素敵に書いてくださって感謝です
(^人^)
天に帰るには少々
重量オーバーかもしれませんが(^^;
邇幣姫さんの考察も
とても興味深く拝見いたしました。
父方の氏神さんが、
大田市長久町の方の邇幣姫神社
(土江神社)なのもあり、
邇幣姫さんの事が
ずっと氣になっていたので
出雲族と縁の深い女神さまなら
良いなぁ~と思います
CHIRICOさんの
これからのご活躍を
島根の海っぺりから
お祈り申し上げますm(__)m
どうもありがとうございます
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momojiさん、こちらこそ大変お世話になりました。いただくばかりで、僕は何かを残してこれたのだろうかと不安になるほどに。
邇幣姫さんのことはもう一歩、なにか引き出せそうな予感はあるのですが、その瞬間に霧となって消えてしまいます。また何か思いつくことがあれば、お知らせしますね。
かたらお師匠にもお礼のお手紙を書こうと思っているのですが、こっちに戻って仕事が慌ただしく遅れています。邇幣姫神社でたたずむお二人の様子を見ていてちょっと思い付いたこともありましたので、合わせてお手紙します。
すこしだけお待ちください♪
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見事な彫刻ですね。こんなにキレイに保存されているとは!!
塩、、、さぞかし美味しいのでしょうね。「初恋=まろやかなしょっぱい味」に笑ってしまいましたw
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ひっそりとした神社なのですが、社家や氏子のみなさんのご尽力で大切に守られていました。
僕の初恋の味は、もう少ししょっぱかったような気がします😊
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Belas fotos, adoro bisbilhotar paisagem como essa todos os dias, me cinto bem e me eleva meu astral. Muito bonitas, sega esse perfil amigo.
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Ver a bela paisagem é um momento feliz.
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