大屋姫命神社:八雲ニ散ル花 21

投稿日:

b060199-2017-11-15-19-46.jpg

五十猛神社からさらに内陸に入ったところに「大屋姫命神社」があります。
この一帯は地名が「大屋」であることから、姫を敬愛した人々の思いが伝わります。

b060200-2017-11-15-19-46.jpg

辺りは民家もまばらな、過疎の山村です。
しかし大屋姫命神社はとても清浄に保たれていました。

b060201-2017-11-15-19-46.jpg

こんもりとした杜に白い鳥居が新鮮です。

b060202-2017-11-15-19-46.jpg

大屋姫、日本書紀は全くのデタラメを記していますが、彼女は大国主の孫、アジスキタカヒコの娘です。
大国主の娘「高照姫」が、火明・徐福に輿入れするのに、そのお世話係としてこの地にやってきました。
ここは大屋姫の屋形があった場所と聞いています。

b060205-2017-11-15-19-46.jpg

苔むした、急な階段を登ります。

b060206-2017-11-15-19-46.jpg

大屋姫が親元を離れて、高照姫のお世話係にやってきたのは、おそらく幼い頃でしょう。
今で言うなら、10歳くらいではないでしょうか。

b060214-2017-11-15-19-46.jpg

そうこうしているうちに高照姫は身ごもり、五十猛を出産します。
幼い五十猛を大屋姫は甲斐甲斐しくお世話したことでしょう。
やがて青年へと成長する五十猛には、大屋姫に対する恋心が芽生えました。

b060212-2017-11-15-19-46.jpg

10歳ほど年上のお姉さんにプロポーズをする五十猛。
「君じゃなきゃ、ダメなんだ。」
「え、そんな、私はあなたよりずっとお姉さんですよ。」
「君なしでは生きていけないんだ。」
「じゅん、わかったわ、私も好き。」
なんてロマンス。。

僕はこの五十猛と大屋姫のラブロマンスは、記紀のウガヤフキアエズと玉依姫の話のモデルになったと思っています。

b060215-2017-11-15-19-46.jpg

大屋姫命神社の境内は、こじんまりとして、本当に私宅の庭のようです。

b060217-2017-11-15-19-46.jpg

彼女はやがて丹波に移る五十猛に付いて行きます。
そこで二人は幸せに暮らすはずでした。

b060218-2017-11-15-19-46.jpg

しかし五十猛はもう一人、妻を迎え入れます。
それは遠く九州の佐賀地方の娘。
そう、決して忘れることのできなかった父、徐福と、宗像の市杵島姫との間に生まれた娘「穂屋姫」です。
異母兄妹の姫を丹波に呼び寄せ、結婚し、子を儲けました。
その秦の血を濃く受け継いだ御子こそ「天村雲」、のちの大和王朝初代大王です。
彼女との結婚は、おそらく政略的な意味合いが強かったでしょう。
父への複雑な想いも絡んでいたと思います。
大屋姫との恋はとても純粋なものでしたから、彼女への思いが陰ることはなかったと思います。
しかし、それでもやはり、大屋姫は傷ついたのです。

b060224-2017-11-15-19-46.jpg

やがて大屋姫は一人息子とともに紀伊国へ去って行きます。
その息子は「高倉下」(タカクラジ)、紀伊国国造の始祖として名を馳せる男でした。

b060227-2017-11-15-19-46.jpg

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中