
「歴史は分からないけど、お茶は沢山あるので来てください」
世の高天原と謳うにふさわしき郷、「桑野内」(くわのうち)。
“冷涼な気候、豊かな雨量、良質な土壌、そして霧が広がる自然環境。
この地は、高品質な茶葉の生産に理想的な条件を備えており、山々には自生する山茶の姿も見られる”のだそうです。

そんな、標高500mから800mの高地に広がる茶畑で、農薬も化学肥料も一切使用しない”有機茶葉”にこだわって栽培・生産を営んでいる、株式会社「宮﨑茶房」(みやざきさぼう)さんを訪ねてみました。

とは言っても、さすが桑野内。
宮﨑茶房さんは「ここを曲がるの?」って、ややわかりにくい道を入ったところにありました。
そしてお店っぽい建物があるにはありましたが、「宮﨑茶房」とは書いてありません。
葉々舎?たぶんここだよね。
「ちぁーっす。やってる?」
とは言いませんでしたが、恐る恐る店内に入り、スタッフさんに「社長さんはいらっしゃいますか?」と尋ねました。
「あの、サオリさんの紹介で・・・あ、橋本の・・・(しどろもどろ)」
「ああっ!」
とその奥から声をかけていただいた方が、代表取締役の”宮﨑アキラさん”でした。

アキラさんは以前、サオリさんとお会いして、色々とお話をされたそうで、その時
「ピンクの車は、みたことあるんだよねーっ😁」
って話になったらしく、不審なおっさ、大人が桑野内界隈をうろついていたことが、すっかりバレていたのでした。
それで一度ご挨拶に伺います、ってことになって3ヶ月以上過ぎておりました。
今回も、アポ無しの思いつき訪問で、ご挨拶がてらお茶を買って帰ろうかな~くらいのつもりでしたが、手厚く迎え入れていただき、美味しいお茶を出していただいてのおもてなしを受けたのでした。
「宮﨑茶房」さんは、宮崎県五ヶ瀬町の桑野内で、昭和初期からお茶作りをされている会社です。
お茶は古来から、体に良いものとして飲まれてきました。
“農薬も化学肥料も一切使用しない有機茶葉”
園内には、樹齢100年を越えるお茶の木もあり、古くから宮﨑家によって大切に育てられてきたことを窺わせます。

そんな「宮﨑茶房」さんには、お茶が大好きな人、お茶について学びたい人々が集うのですが、他にもちょっと変わった人たちが、まるで何かの力によって引き寄せられるように、かなりの割合でやってくるのだとか。
そして彼らが口々に発するのが、
「なんだかわからないけれど、ここは、すごい場所だ~」
と。
実は僕が椎葉村に興味を抱くきっかけとなった、あのA氏も、「宮﨑茶房」ファンの一人だったのです。



“葉々舎”の2階でひとしきり話をしたあと、
「せっかくなので、近くをいくつか回りますか?」
とおっしゃって、アキラさんのエスコートで桑野内の聖地を巡礼させていただくことに。
こんなフラッと来た怪しいおっさ、大人に、時間と労を割いていただき、本当にありがとうございます。

アキラさんが最初に案内してくれたのは、敷地内にある阿弥陀堂でした。
そこには阿弥陀様はじめ、たくさんの木彫りの仏像が安置されていました。
これらの木像は、台風による御堂の倒壊があって一度ここから離れたようですが、再びこの地に戻ってきて、大切に祀られているそうです。
この阿弥陀堂の裏手の小さな塚も、大切な場所になっていました。

阿弥陀様の右手は、元々のものか、別のものをつけられたものか、サイズ感がそこだけ違っています。

次に案内いただいたのが「性虎八幡宮」(しょうこはちまんぐう)という、ネットに情報もなければ、現地も小さな標識はあれど場所がわからない、そんな神社でした。

ここに祀られるのは「芝原又三郎性虎」(しばわらまたさぶろうしょうこ)なる人物とのこと。
芝原又三郎性虎は三田井氏の一族で、南北朝時代に懐良親王(かねよししんのう)を奉じて南朝方として挙兵、活躍しました。

彼は勤王家として阿蘇氏、菊池氏、恵良氏と結んで、武家方の小弐、大友氏と戦ったとされます。

芝原又三郎性虎は高千穂町押方の生まれとされ、当初はそこに居を構えていたといいます。
押方には、彼が紀州・熊野三社権現を勧請したという「芝原神社」も鎮座しています。
しかし彼はのちに、押方の護りを子に譲り、自分は五ヶ瀬の桑野内へと移り住みました。
桑野内を選んだ理由は、阿蘇氏との連携を考えてのことかもしれませんが、なぜここなのか、という疑問も湧き起こります。

そして彼は、この桑野内に芝原に祀られていた熊野三社権現を再び勧請し、それが今の「古戸野神社」(ふるどのじんじゃ)になったと伝えられます。
古戸野神社の祭神は「伊弉諾尊」(イザナギノミコト)、「伊弉冉尊」(イザナミノミコト)に加え、「迦具土神」(カクツチノミコト)が祀られており、この火の神は古来より祀られていたとも伝えられていました。

古戸野神社の背後にあるのは「樺木岳」(かばきだけ)で、ここに樺木岳城を築城したのも芝原又三郎性虎だとされます。
樺木岳は九州各地に点在する「冠岳」の起点となっており、熊本県阿蘇郡西原村の「冠ヶ岳」は、夏至の日の日の沈む方向に、大分県臼杵市の「冠岳」は、誤差の範囲で夏至の日の出の方向にあります。
また、鹿児島県いちき串木野の「冠岳」と樺木山を繋ぐと、その線上に鞍岡の「冠岳」が位置することになります。

彼はこの桑野内、さらには樺木岳に霊的な何かを感じとり、自らの拠点としたのではないでしょうか。
樺木岳の背後には霊峰・二上山が聳え、ここから北を望めば火の山・阿蘇山があります。
奇しくも古戸野神社に祀られる神は、イザナギ・イザナミの二神と火の神カグツチなのです。
これは熊野三社権現というよりは、二上山と阿蘇の神を祀ったものではないかと思われます。
芝原又三郎性虎の墓は高千穂町押方の芝原神社ちかくにあるそうですが、この性虎八幡宮の背後にも彼とその一族の墓があると伝えられます。
芝原家は桑野内でかなりの勢力を誇ったようですが、しかし神として祀られると言うのには、いささか過ぎたるようにも感じられます。
芝原又三郎性虎は特異な霊的資質を持っていて、死後、神となったとも思われるのですが、彼はのちに興梠姓も名乗っていたのでした。



アキラさんが次に案内してくれたのは、古戸野神社にほど近い「速水神宮」と呼ばれる場所でした。

速水神宮は小さな道沿いの、小さな祠ですが、傍で水が湧いています。

ここは古戸野神社で祭りがある際に、先立って参る場所なのだそうです。
僕は「速水」の名前から、ここが祓戸としての聖地であろうと考えました。
おそらく祀られている水神は、禊祓いの女神でしょう。

この特別な湧水によって穢れを祓い、祭りに臨むのだと推察されます。

宮﨑茶房さんでアキラさんと話をしていた時、僕はなぜか「水」の話を持ち出していました。
確か「もち吉」さんや「茅乃舎」さんも、水神と関わり深い場所で営まれていると、そんな話を。

するとアキラさんは、こんな話を僕にしてくれました。
ある時、ある方が宮﨑茶房にやってきて、
「この土地は水脈が途切れている」
と言うのだと。
水の氣が枯れかけていて、土地の力が衰えている、と言うのです。

それで、自分の生まれ育った土地、大切なお茶をこれから先も守っていくために何かできないか、と考えたアキラさんは、古戸野神社をはじめとした桑野内の聖地を整備し、二神神社横の竹藪など、重要だと思われる場所を清掃されてきたのでした。
桑野内にはかつて水神が祀られていたという場所もあり、それを探し出したりもされていました。



アキラさんは最後に、深い谷に僕を案内してくれました。

桑野内の土地、神様を”整える”ことに尽力されてきたアキラさんの元に、その方が再び現れて言うには、
「水脈が戻ってきている」
ということでした。

それでこの深い谷を一緒に降りていき、ある一角を指して
「ここに水が来ています。竹筒を刺してみてください」
と言われ、それでアキラさんが剥き出しになった土に竹を刺すと、

チョロチョロと水が、筒の先から流れ出したのでした。

水脈は確かに生き返り、それまで水の無かった谷に、

川が生まれようとしていました。

その場所に僕も立たせていただいたのですが、なんとも水の氣配がすごい。

森の命の喜びが、聴こえてくるかのようです。

アキラさんはここだけに止まらず、他にもかつて水脈が来ていたと思われる場所に水神を祀り、水脈を生き返らせる試みを行なっているということです。

かつて人は、井戸や水脈を”命の源”であるとして、神を祀り、大切に守っていました。
しかし上水道が整備され、井戸は失われ、水脈も埋もれるなどして、やがて”氣”も枯れてしまった場所が増えてきました。
”氣枯れ”とは”穢れ”であり、霊力に敏感な人は、もはや近づくことも容易ではない場合もあります。
そうした場所を”通す”ために、アキラさんのような方や、あるいは僕も、”お行きなさい”と背中を押されているのかもしれません。



宮﨑茶房さんの動画を見ると、改めてすごい場所に建っているなと思いました。

九州のど真ん中で、二上山系樺木岳の尾根に連なる高台の上。

この場所には古代から連綿と続く、二神と火の神を祭祀してきた唯一無二の一族がいました。
そして神を祀るには、特別で神聖な水が必要不可欠でした。
鞍岡や椎葉に流れる四億年の雫は、桑野内にも確かにあったのだと思われます。

桑野内の大地と神の恵みを守りつつ、宮﨑茶房の美味しいお茶は、そうして育まれているのだと実感しました。

神との距離感を大切に。
それは古き先祖たちがそうであったように、僕もそうありたいと願うのです。
