
『筑後、ミシマ多すぎ問題』

ウィキペディアで「三島神社」のページを確認すると、三島神社、三嶋神社、三嶌神社、あるいは三島社など、「三島」を社名とする神社は全国に400社余り存在するとされ、特に大山祇神社のある愛媛県に多く、全体の3割近い111社、三嶋大社のある静岡県にも1割近い36社が集中すると書いてありました。
その他、福島県に35社、福岡県に24社、高知県に19社、神奈川県に19社、大分県に16社、他、千葉、新潟、栃木などにも比較的まとまって存在するのだそうです。
福岡県は三島神社が全国で4番目に多い県で、24社あるのだと、ほうほう、なるほど。

その24ミシマ、筑後にほとんどあるやないか~い!

というわけで、桐彦調べによると、福岡にあるという24ミシマ中、22ミシマが久留米から柳川にかけての近隣一帯に集中して鎮座していました。
こんなん適当に参拝してたら、この写真はどのミシマ?ってなるので、ミシマップを作って番号順に回ってみました、YO。

最初にやって来た①ミシマは、柳川市三橋町にある「今古賀三島神社」です。

当社は柳川市三橋町今古賀に鎮座するミシマです。

由緒はよくわかりませんが、「三島大明神」のほか、「大山祇命」、「住吉大明神」、「春日大明神」を祀ります。

当社に伝わる「今古賀風流どんきゃんきゃん」祭りがありますが、

これは境内にある「龍神」に奉納する風流であるとのこと。
祭礼当日は座元から「道ばやし」で龍神に向かい、神前で舞った後、地主神十五社に奉納しながら村中をまわるのだそうです。



②ミシマは柳川市三橋町枝光に鎮座する「三嶋神社」です。

小さな神社ながら、石橋などがあって粋です。

隋神門から覗く人たち。

祭神は「事代主命」ですが、のちに蒲池より「大山積命」「高良大明神」「伊邪那美命」「山王大権現」を合祀しています。

蒲池には蒲池の三島神社がありますが、なぜここに持ってきた?ってなります。



③ミシマが、柳川市西蒲池に鎮座する「蒲池三島神社」です。

周囲に堀が巡らせられ、格式の高さを感じさせます。

崇徳天皇天治2年(1125年)に蒲池城主の何某かが、伊豆国の三島神社(三嶋大社)から勧請し、その後、蒲池城主蒲池出羽守が紀伊国の熊野神社と筑後国の高良神社の分霊を遷して合祀したと伝えられます。

主祭神は「大山祇命」で、「伊邪那美命」「大山咋命」「素盞鳴尊」「武内宿祢」を配祀しています。
②ミシマは事代主。
ミシマ神はオオヤマツミ説と事代主説がありますが、このねじれが気になります。

なんとも言えない雰囲気を感じる当社ですが、当境内は弥生時代の貝塚であったと知られています。

境内に置かれた石碑などの中には、古墳の石棺の石を利用したと考えられているものもあるのだとか。

参道入口の石橋は寛永18年(1641年)立花家の家老・十時三弥が神社西北部の字田中後にあった巨石を運ばせて献納したものといわれており、弥生時代の支石墓の上石を利用したものだと考えられています。

石橋には、作業途中の矢痕が残されていました。

蒲池三島神社は柳川城鎮護の御宮として蒲池氏から尊崇されてきました。

天正9年(1581年)に蒲池氏が滅亡し、社殿は破壊され、神宝、神剣、神輿、撞鐘等は肥前勢にうばい去られました。
のちに立花宗茂によって再興され、その後も柳川城主となった田中吉政、忠政および立花宗茂再封後の代々の柳川藩主も三島神社を尊崇したといいます。

境内から西に300mほど離れたところに、石の鳥居があります。

これは元和元年(1615年)に、柳河藩主・田中忠政が献納した肥前鳥居であるということです。



④ミシマは、柳川市立石の田園にポツンと鎮座する「三島宮」です。

筑後のミシマには、必ずと言って良いほど隋神門があります。

そこには隋神と狛犬が置かれているのですが、これが割と怖いんだよね。

さらに宇宙人的な狛犬さんたち。

当社に関しては、情報を見つけられませんでした。
祭神も不詳です。

社殿も立派で、それなりの由緒があると思われますが。



⑤ミシマは柳川市高島の「三島宮」です。

参道向かいの黒い建物の中には、

島松氏神として、石が祀られていました。

他にも石。

④と⑤は250mほどしか離れていません。

やはり隋神門があるのですが、

怖いて。

他のミシマもそうですが、かなり朽ちかけたものが置かれていることが多々あり、ミシマ巡りをする際は心して隋神門を潜らなければなりません。

由緒は不明。
筑後ミシマをめぐる旅は始まったばかりですが、もう少し飽きてきました。

🐥隋神門の影から”ぐぎゅるるるぅぅううぅ”という鳴き声が聞こえてきそうですな…
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聞こえてくるよね。
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