
陽が沈む直前、熊本県熊本市西区にある「高橋稲荷神社」(たかはしいいなりじんじゃ)にすべり込んできました。
すっげ、お城みたい。

竜宮城か!と思わず声が出てしまう高橋稲荷神社は、日本稲荷五社や、日本四大稲荷や九州三稲荷の一つに挙げられることもある神社です。

また、阿蘇神社、出水神社とともに熊本県三大神社の一つとも称しています。

そんなふうに、神社も格付けされるのが常ではありますが、神様ってそんなもんじゃ無いんじゃない?って思うところもあります。

おお、見晴らし最奥♪

祭神は「宇迦之御魂神」(うかのみたまのかみ)で、2月初午の初午大祭には、多くの人が参詣し賑わうそうです。

創建は、明応5年(1496年)、隈本城の初代城主・鹿子木親員が支城として稲荷山山頂に上代城を築いた際、城内鎮守のため京都の伏見稲荷神社から稲荷大明神を勧請したのに始まるといいます。
しかし天文10年(1541年)、上代城落城の際に稲荷神社も焼失しました。

江戸時代に入り、熊本藩主細川氏の菩提寺である海蔵寺の首座義本氏が、夢で稲荷神社再興の啓示を受け、寛文元年(1661年)、現在地である稲荷山中腹に社殿を再建して遷座させました。
以降、熊本藩主細川氏の崇敬を受け、今に至ります。

社名の高橋稲荷は、明治維新の際に名称が変えられたとのことですが、なぜ高橋なのか。
高橋といえば、大彦系の子孫の関わりが気になるところです。

本殿の横には、大きな磐座らしきものがあり、これは遷座地にたまたまあったものなのか、それとも古くから祭祀されており、そのため当地に稲荷社が遷座されたのか、これも気になります。

境内には、稲荷社によくある奥宮巡りがあるわけですが、

陽が翳ってきていますので、急ぎ足で参拝します。

「玉釼社」がありましたが、

裏手に古い石祠がいくつか。

この祀り方は、伏見稲荷大社の奥宮に似ています。

玉釼社から降りていくと、めちゃくちゃ薄暗いところに「源策社」がありました。
明るく撮っていますが、実際はかなり暗い。

「峯吉社」、

そして「元吉社」などがあります。

元吉社はもう怖いから、遠くから参拝。
サダ子出てきそう。

高橋というと、今はもう一つの、S嬢に関係深い、G県の高橋氏のことが思い浮かびます。
高橋稲荷と冠稲荷は関係があったりするのでしょうか、ね。
