基山・荒穂神社:八雲ニ散ル花 木ノ国篇 筑紫番外編02

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昔々、木の山の東に荒ぶる神々が住んでいました。
その神たちは、山道を通る村人を気まぐれに殺しましたので、そこは命を落とす「命尽くし」と呼び、荒ぶる神々のことは鬼と呼びました。
鬼は人の通りが少ない季節になると、今度は里に降りてきて若い娘をさらっていくのでした。

「これはあまりに惨(むご)い。里の人たちが、かわいそうだ」

命尽くしの里へやってきた五十猛(いそたける)は、そう言って剣を手に取り、木の山の東へと向かっていきました。
里には自分たちに敵う人間なぞいやしない、そう油断していた鬼たちは、毎日酒にご馳走と溺れていました。
そこへ五十猛は一気に斬りかかり、見事、あっという間に鬼たちを退治したのです。
これを聞いた村人たちは大いに喜び、五十猛を讃えました。

五十猛はある日、木の山のてっぺんにある「たまたま石」に腰をおろして四方を眺めていました。
すると小川で一人のきれいな娘が洗濯しているのが目にとまりました。

「なんと美しい娘だろう」

五十猛は一目で恋に落ち、すぐさま娘のもとへ行って結婚を申し込みました。
娘は喜んでこれに応え、木の山の西にそびえる山の頂で夫婦の契りを結びました。

そのために村人は、その山のことを「契り山」と言うようになったということです。

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佐賀県の東部・基山町(きやまちょう)は、多くの企業が本社や事務所、工場などを軒を連ね、周辺の鳥栖市や福岡県の小郡市、久留米市とともに、一大経済圏を形成する主要都市です。

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しかも佐賀県内でありながら、隣の鳥栖市と同様に福岡県のNHKや民放テレビ、ラジオ局を全て視聴する事が可能なお得な都市でもあります。

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しかし一歩町を離れると、そこはとても長閑な山里の風情を残す景色が広がっています。

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そんな市の名の由来となる霊峰・基山を背後に背負う聖地が「荒穂神社」(あらほじんじゃ)です。

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荒穂神社は基山を神体山とし、古くは山頂に社が在ったと云われています。

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基山とは「木の山」が語源となっており、そこには五十猛の植林伝承が伝えられていました。

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大化元年(645年)、国造金連の子孫「金村臣」が基山の山頂に創祀したと云う荒穂神社。

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祭神は「荒穂天神」とされ、荒穂天神は「邇邇藝能命」(ににぎのみこと)のことであると表向きにはなっていますが、

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真の祭神は基山に関する地元の伝承を見ても、「五十猛命」である可能性が濃厚です。

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ニニギといえば、天孫降臨神話で筑紫日向の高千穂に降り立ったと云う神。
彼は物部族の「イニエ王」(崇神帝)を表しています。
ニニギが高千穂から遷向し、基山で国見をしたという設定で祭神になっているようですが、筑紫は元来「物部王国」の本拠地、ここに彼が祀られていても不思議はありません。

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しかし筑紫神社の伝承や脊振の某磐座を見て、当地に紀伊族、ひいては海部族の存在があったことを、僕は認めないわけにはいかないようになってきました。

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そうして調べていると、海部家と筑紫に関わる一つの大きな事実が浮かび上がりました。
それはあの豊王国、そう邪馬台国にも繋がる壮大な話だったのです。

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境内の隅に「伝説の石」と案内される3つの石があります。

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右の石は「子宝石」と呼ばれ、石の上に腰をかけて祈願すると子を授かると伝わります。
中の石は荒穂の神と高良の神とが石を投げ合った石で、上部に指の跡形が残っているそうです。
この石は高良神が投げたもののようで、荒穂神が投げた石は高良大社の社殿下にあると伝えられます。
左の石は荒穂神の馬が基山頂上より飛び降りた時、馬の蹄の跡形がついたとされています。

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さて、真ん中の石ですが、なぜ荒穂神と高良神は石を投げ合ったのか。
また荒穂神=五十猛が退治した鬼とは誰だったのか。

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久留米高良山に祀られる玉垂神は謎の神として様々な説が唱えられていますが、僕は大善寺玉垂宮の水沼の巫女の由来から、「玉を垂れる神」=「月読神」もしくは「豊玉姫」と読み解きました。
しかしここで荒穂神と争った高良神とは、玉垂神よりも昔に祀られた神「高木神」のことであろうと推察します。

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高木神とは高皇産霊神のことであり、物部族の祖母神となります。
彼女は徐福の母親、栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)のことでした。
つまりこの伝承は、海部族と物部族の戦争を示唆しています。

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海部族と物部族の関係は、同祖でありながら、決して良好なものではありませんでした。
それは記紀の海幸彦と山幸彦の話によく現れています。

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初期の大和王朝は海(海部)王朝でした。
海家は初代・村雲大王以降三代続けて出雲系大和族の登美家から后をもらい受けたので、以降は出雲系王朝となり、大王家は磯城家と呼ばれるようになりました。
海王朝時代から磯城王朝時代にかけて、海部家は強い勢力を有していました。

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よく考えてみると、その時代において、海部家が西の玄関口・筑紫を放置していたとは考えられません。
物部族が筑紫で絶大な力を付ける前には、そこに海部族の支配域があったとするのは道理なのです。

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筑紫の名の由来を、富家の伝承では「築秦」であると説きます。
支那・秦国からの渡来人が王国を築いたと云うのがその由来ですが、物部もそうであるなら、海部もまた秦族であったのです。

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「徐福」と大国主・八千矛の娘「高照姫」の間に生まれたのが海家の「五十猛」でした。
「五十猛」と八千矛の孫娘「大屋姫」との間に生まれた皇子に「高倉下」(たかくらじ)がいます。
高倉下は紀国に移住し、紀国国造家の祖となりました。
紀国とは木の国、その流れから、高倉下が祀った五十猛は、植林の神と云われるようになっていきます。
そして筑紫海部家にもその話が伝わり、筑紫の五十猛伝説となっていったものと思われます。

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しかしやがて物部族が勢力を強め、海部家を圧倒し始めます。
彼らは海部家よりも、より武力に特化した一族となったのです。
当社の投石伝承と祭神が邇邇芸に書き換えられていることが、そのことを物語っているのでした。

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さて、境内を見て回ると、横の神池に小島が設けられているのが見えます。

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池の中の小島に神を祀るのは、秦族の蓬莱信仰によるものです。
物部族はそこに、祖母神である市杵島姫を祀りました。

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当社の小島には水神と書かれた石碑があります。
出雲族には龍蛇神を祀る信仰がありますが、より出雲族と親睦を深めていた海部家がここに水神を祀ったのだとしたら、妙に納得するのでした。

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霊山・基山まで足を伸ばしました。

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当地では大伴旅人が亡き妻を思い「花散る里」と歌いましたが、旅人はここに海部家の盛衰の歴史を感じていたのかもしれません。

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基山といえば幼少期、父に連れられて草スキーを楽しんだ思い出の場所です。

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ここに植林発祥の碑が立っているとはこれまで知りませんでした。

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僕が筑紫の海部の痕跡が気になり出したのは、志賀島の阿曇族の由来について、富氏に訪ねたことがきっかけでした。
僕は阿曇族は物部の分家ですよね、と尋ねると、富氏は「阿曇は海部だよ」とおっしゃられたのです。
九州といえば一大物部王国圏であり、綿津見神を祀るなら物部だろうと僕は思い込んでいたのです。

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確かに改めて考えてみれば、海部も綿津見神を祀る神社を島根に建てています。
九州に海部が来ていたのなら、阿曇が海部の分家であってもおかしくありません。

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また物部と豊家は連合して大和へ東征していますので、彼らの末裔が対馬に豊玉姫を祀っているものと僕は考えていたのです。
宇佐家の先祖は物部に由来するのでことさらです。
ところがここに来て、豊家の成立に海部族が大きく関わっていることに、僕は気付いてしまったのです。

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ところで、この山、こんなにきつかったでしょうか??

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子供の頃はもっとぐいぐい登って、草スキーを楽しんでいたと記憶しています。

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這々の体でようやく登り切ると、

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眼下に佐賀平野が広がっていました。

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天智天皇が白村江の戦いでやらかした後、大慌てで国防の砦を築いた要塞の一つ、「基肄城」跡地です。

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城を築いた天智天皇は、荒穂神を守護神としたと伝えられます。

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基山頂上南西方面に小さな丘があります。
ちょっと気になるので、そちらへ向かってみます。

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荒穂神社はもともと、この基山山頂に建てられていたと云います。
天禄年間(970-973年)に兵火に罹り社殿を焼失。
保元年間(1156-1159年)に社殿が再興されました。

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永正2年(1505年)9月に領主となった筑紫広門(つくしひろかど)が社殿を再興。
しかし天文年中(1532-1555年)、または永禄年中(1558-1570年)に、筑紫惟門(つくしこれかど)・照門(てるかど)と大友宗麟(おおともそうりん)との戦禍によって社殿
は炎上。
山頂の社は、天正14年(1586年)の筑紫氏落城まで戦火によって、ことごとく焼失したと伝えられています。

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その時、神宝・古文書は全て剥奪・焼失されてしまいましたが、幸いにして御神体だけは、神職数名が奉して守護したと口伝されているそうです。

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さて、丘の前まで来ましたが、この細い隙間を登れ、ということですか、ね?

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不心得者は挟まれて身動きできなくなるというハサミ岩の如き隙間を登ると、

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何かあります。

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なんと、磐座です。

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これは「霊霊石」(たまたまいし)または「玉玉石」と呼ばれる花崗岩の塊です。

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この岩の前にある平坦地がかっての社地であると伝わっています。

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糸島地方には多数の「白木神社」群が存在し、それらの多くは五十猛を祀っています。

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また大分の地名である杵築(きつき)は杵の国、つまり紀国を意味するのだという話もあり、ここで宇佐・豊王国が絡んできます。
由布院の宇奈岐日女に、その謎を解く鍵が隠されていました。

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五十猛がこの「たまたま石」に腰をおろして四方を眺め見染めた、小川で洗濯していた娘は、園部谷サコの「さこの姫」であると云います。
園部はこの南の方角にあたります。

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僕はここから眺めてみても小川の美少女を見つけることは出来ませんでしたが、そんな僕をクスッと笑いかすめていくそよ風が、無性に可愛らしく思えたのでした。

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