阿智神社:白姫 18

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愛知県の最東端を走る長距離林道「豊富線」。
まるで富と豊を結ぶかのようなネーミングにほっこりします。

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さて、前記事「多祁御奈刀彌神社」にて、阿波国が諏訪大社の発祥であるという説ですが、それは出雲族・富家のタケミナカタの行程を指すのではなく、后神ヤカサトメヒメを指すのではないかという考察を、僕は立ち上げました。
そのルートを模索すると、愛知(をち)県から天竜川を遡り、諏訪入りする道が見えてきます。
天竜とは天津系おろち(をち)族のことではないでしょうか。
そして天竜川中流に「阿智村」があるのです。

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ということで僕は阿智村を目指すのですが、何故かその手前に「筑紫神社」が鎮座していました。

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本家福岡の筑紫神社では主祭神は「筑紫大明神」で、後に「宝満大神」(玉依姫命)と「田村大神」(坂上田村麿)を配祀したと伝えています。
この筑紫神についてですが、『筑後神社縁起』では白日別であるとし、またそれを「鸕鷀草葺不合尊」であると記しています。
他に『筑前國続風土記』では「五十猛命」、『筑前國続風土記拾遺』では「麁猛命」、『筑前國風土記考証』では筑後國造の祖「大彦命」であると、未だ謎深い祭神となっています。

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ではこの長野の筑紫神社の祭神はどうなっているのかというと、地元の詳しい方にお話を伺ったところ、よく分からないということでした。
ただ、「粥の神様だと聞いたことがある」と付け加えて教えていただきました。

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粥の神様、福岡にも粥を使った神事はありますが、それはあくまで占いとして粥を使うもの。粥自体が御神体ではないと思います。

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そこで僕が連想したのは「竈の神」、宝満山の竈門神社です。
竈門神社の祭神は玉依姫、『筑後神社縁起』がいう鸕鷀草葺不合の后であり、越智家の「常世織姫」であり、「白」をシンボルとする一族の姫君となります。

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常世織姫はヤサカトメヒメよりも随分後の時代の姫ですので、ここに筑紫神社を祀った人は、最初に諏訪入りした一族ではないでしょうが、そうした道筋ができていたこを示すのかもしれません。

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拝殿の中に小さく置かれた稲荷社。白い木彫りのお狐さんがいらっしゃいます。

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境内を散策していると、「蚕玉大神」と彫られた石碑がありました。

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これは「こだま」といい、養蚕が盛んだった地域で見かけるものです。

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延々とレンタカーを転がして、長野県下伊那郡阿智村に辿り着きました。

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当地に鎮座の「阿智神社」(あちじんじゃ)は、前宮と奥宮の二社があります。
前宮は昼神温泉街のそばに鎮座していました。

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阿智神社の祭神は、前宮・奥宮共に「天八意思兼命」(あめのやごころおもいかねのみこと)と「天表春命」(あめのうわはるのみこと)です。
『先代旧事本紀』には「天八意思兼命が天降り、信乃阿智祝部の祖となる」とあり、天表春命は思兼神の御子神で、同じく信乃阿智祝部の祖神として祀られています。

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天表春と似た名の神に「天下春命」(あめのしたはるのみこと)がいますが、彼は弟神と見られ、知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)の先祖とされています。
ただ、小町谷家の系図では知々夫彦命が天表春命の7世孫とされており、天表春と天下春は同一神の可能性があるようです。

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社伝によれば孝元天皇5年春正月、天八意思兼命がその御児神を従えて信濃国に天降ったと伝えられています。祭祀は思兼命の子孫である阿智祝部が興し、その後裔である原氏によって担われてきました。

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当社鎮座地の古い地名「昼神」の名は『日本書紀』が記すところによれば、ヤマトタケルが信濃の山中で白鹿となって現れた神の毒気に遮られた時、たまたま噛んでいた蒜(ひる)を吹きかけ進むことができたが道に迷ってしまい、そこに現れた白い犬に助けられ美濃に出たとあり、これに因んでこの地を蒜嚙と伝え、のちに昼神になったとされています。

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しかし一説に、天照の岩戸隠れの際、この地に天降った思兼命が高天原随一の知恵の神として采配し、太陽の神を再び世にお出しした、その大功により即ち暗より昼に帰した功神を祭るところ故、昼神であると伝えています。

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昼神の由来としては、僕は後者の方がしっくりくるものですが、前者の白鹿・白犬の存在が気になります。ここに「白」をシンボルとする古い神がいたことになります。
また、岩戸神話を読み解くと、スサノオの無道によりアマテラスが常世に隠れたという背景に意味深いものを感じます。
これは物部族による出雲系・磯城大和王朝侵略によって王朝が一度終わったことを表していると見ることができます。
そこへアメノウズメ(豊来入姫)を舞わせ、再び新たな王朝が再生します。そのアメノウズメを岩戸の前で舞わせたのがオモイカネ神なのです。

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大和王国存亡の危機において、その血を守ったのが阿智村に祀られるオモイカネ神。つまり阿智とは「越智」であり、大君家を陰で支えてきたのが真祖越智族であるという考察はあながち的外れではないのでは、と僕は思い至るのです。
ちなみに『斎部氏家牒』によると、天手力男命は阿智の祝の遠祖であるとも云われています。戸隠系も秩父系も、越智が裏に絡んでいる可能性が出てきました。

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戸隠神社中社に祀られる天八意思兼命、および宝光社に祀られる天表春命は、村上天皇の治世である天暦年間に徳武氏が当社より分祀したと伝えられています。

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下流で天竜川に繋がる阿知川を前宮から2kmほど遡ると、阿智神社・奥宮が鎮座しています。
そこは本谷川と黒川が合流する三角に突き出した半島状の丘になります。

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この奥宮の地は祖先の神霊を齋き(いつき)祭る奥津城(おくつき=墓)であるとし、阿智地方開拓の祖神「天表春命」の永久の「川合陵」(かわあいのみささぎ)であると由緒は伝えています。

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それにしても阿智神社の鳥居にかかるしめ縄、前宮もそうでしたが、何故こんなに低い位置にかけるのでしょうか。
僕はマトリックスばりのバンブーダンスを披露し、華麗に鳥居をくぐります。(バンブーじゃなくてリンボーでした)

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当社祭神のオモイカネですが、東漢氏の祖神説があるのだと、以前narisawaさんからコメントで教えていただきました。
倭漢(東漢)(やまとのあや)氏の祖は応神大王の時代に百済(安羅国)から渡来した阿智使主(あちのおみ)の後裔で、檜隈(ひのくま)に住み着いた技術者集団でした。
阿智使主を祀るのが於美阿志(おみあし)神社で、東漢氏が氏寺として建てた檜隈寺の跡地に鎮座しているそうです。

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僕は、阿智は越智だと確信しているのですが、阿智家には朝鮮系の血も入ってきているのかもしれません。

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古代シャーマニズムの中に「阿知女作法」(あちめわざ)というものがあります。宮中及び神社等で歌われる神楽歌の一つとされています。

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宇佐公康氏は著書「宇佐家伝承 古伝が語る古代史」の中で次のように記しています。

-宇佐家が自家の家伝としておこなっていたシャーマニズムの中で、「たましづめのまつり」(鎮魂祭)は、宇佐八幡官の分霊社である石清水八幡宮に、今もなお伝承されている「あちめわざ」(阿知女作法)と呼ばれる神楽歌である。「たましづめのまつり」は、『大宝令』に「仲冬寅日鎮魂祭」と見えている。これは天皇の御魂をしずめて、御世の長久を祈る祭りである。-

鎮魂祭の起源はニギハヤヒが天降るときに、天津神が十種神宝を授けて「もし痛むときがあったら、この十種の瑞宝をとって、一二三四五六七八九十と唱えて振れ、ゆらゆらと振れ、かくすれば死人(まかりしひと)もよみがえるであろう」と詔勅を下されたと伝えています。

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しかしながら、鎮魂祭の元が阿知女作法にあるのなら、その起源は饒速日(物部系徐福)にあるのではなく、真祖越智族にあるのではないでしょうか。
「あちめ」とは一般には安曇磯良を指すといわれ、また「うずめ」の転訛であるとする説もあります。アメノウズメは豊玉姫の娘・豊来入姫のことです。
「あちめ」≒「あずみ」or「うずめ」ということですが、僕は「あちめ」=「越智女」であろうと考えます。

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「アチメの語義はアグヌの女、つまり、アグはアチ・アギのことで嬰児の意味である。すなわち、嬰児をはらむ水辺の女を意味するのがアチメで、はらみ女の言葉である。神霊交感をして神秘な生命力を宿したものといえる」と宇佐公康氏も記しています。
阿知女とは、変若水(をちみず)の儀を経て常世から神秘の命を宿した越智の巫女のことであろうと思われるのです。

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阿智神社・奥宮の一際高くなっている場所に、国学院大学教授大場磐雄博士によって祭祀の遺蹟であると立証された磐座があります。

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それは菱形に近い自然石ですが、四隅が東西南北と一致しており、冬至の時期、東の延長線上に太陽が昇ってくるのだそうです。

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しかし僕には、それはオロチの頭のように見えました。オロチ、おち。

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今の阿知女作法にはいくつかのパターンがあるようですが、ここで宇佐家に伝わるというものを掲載します。

「あちめ おお おお おお 天地(あめつち)に きゆらかすは さゆらかす 神わがも 神こそはきねきこう きゆらいかすならば」
「あちめ おお おお おお 石の上 振の社の 大刀もがも 願ふ其の児に その奉る」
「あちめ おお おお おお さつをらが 持有木(もたき)の真弓 奥山に 御狩(みかり)すらしも 弓の珥(はず)見ゆ」
「あちめ おお おお おお 登り坐す 豊日霎(とよひるめ)が 御魂(みたま)欲す 本は金矛(かなほこ)末は木矛(きほこ)」
「あちめ おお おお おお 三輪山に 在り立てるちかさを 今栄えでは いつか栄えむ」
「あちめ おお おお おお 吾妹子(わがいもこ)が 穴師の山の 山のやまも 人も見るがに 深山縵(みやまかづら)せよ」
「あちめ おお おお おお 魂筥(たまばこ)に 木綿(ゆふ)とりしでて たまちとらせよ 御魂上り 魂上りましし神は 今ぞ来ませる」
「あちめ おお おお おお 御魂上り 去坐(いま)し神は今ぞ来ませる 魂筥持ちて 去りたる御魂魂返(たまがへ)しすなや」

「一(ひと)二(ふた)三(み)四(よ)五(いつ)六(むゆ)七(なな)八(や)九(ここの)十(たりや)百(もも)千(ち)万(よろづ) かんながら、すめみおや たまちはやませ」

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阿知女作法は死者も黄泉返る儀であるとのことですが、月にあるという変若水を受ける巫女との関連性を強く感じます。
また、
・スサノオの蛮行により岩戸に隠れた太陽神の復活を司ったのがオモイカネであり、岩戸の前で舞ったのが豊来入姫であったこと
・竹葉瀬ノ君と共に敦賀(福井)に至り定住した越智族が霊峰白山に祀ったのが、常世と現世の境界の神・菊理姫(常世織姫)
・白山信仰に関連があると思われる白川伯王家が江戸時代まで、天皇の代替わりに鎮魂祭をおこなっていたこと
これらの事柄はすべて繋がってくると思うのです。

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信濃の阿智神社は、恵那山を守るように鎮座していますが、恵那山は古くは胞衣山と呼ばれ、「天照大神がここで降誕され、その胞衣(えな)がこの山に埋められた」という伝承に由来するとされています。
祭神の天八意思兼を、天才語り部の柿本人麿は古事記に、「常世思金神」と記しました。
饒速日・徐福が遠く蓬莱に求めた不老長寿の妙薬とは、この阿知女作法に秘められた命の源泉、太古よりこの国に伝わる月の変若水だったのではないでしょうか。
僕が太宰府宝満山のそばにある大根地山、その扇滝で得たストーリーは、この長野まで伸びた越智の道筋から美保の松原に繋がる由比正雪の出生の秘密だったのです。

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9件のコメント 追加

  1. Yopioid より:

    とても興味深い記事をありがとうございます。同じ場所に行きましたが、こんなに多くのことを思い浮かべられるとはすごいです。さりながらリンボーダンスぐらいは私も思いつきました。昼神温泉街から阿智神社奥宮に歩いて行く途中、三冠王落合がオフに訓練した落合ロードがありました。てっきり両川が落ち合うところかと思ったら三冠王でした。信子夫人も来たんだろう。星野監督批判をしたのもこの昼神温泉においてで、昼神事件としてちょっと知られています。ごめんなさいここは古代史のページでした。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      さすがYopioidさん、リンボーりましたか。そうバンブーではなくてリンボーでしたね😅バンブーは竹に足挟まれて赤く腫れた思い出がありました。
      昼神事件、そのようなものがありましたか。僕はスポーツがからっきしだめなので、知りませんでした。
      夜は星を眺めようと楽しみにしていましたが、雨模様でとても残念でした。また行きたいところです。

      いいね: 1人

      1. Yopioid より:

        天気は残念でしたね。逆に私はバンブーダンスをよく知らず、バンブーといわれてリンボーのことだと混同していました。女子のリンボーダンスは正面視するのが一番です。失敬、ここは古代史のページでした。ごめんなさい。

        いいね: 1人

        1. CHIRICO より:

          正面視はそのまま蹴りが顔面に直撃するまでがセットでしょうね😅

          いいね: 1人

  2. BYRD より:

    わあ!
    阿智神社行かれたのですね!
    私も行こうと計画してました、
    一緒に行けたら良かったなあ!

    いいね: 2人

    1. CHIRICO より:

      御朱印に日付があるように、阿智神社に行ったのは少し前のことなのです。のんびりとして良いところでした。
      もし行かれるなら、まだ記事にはしていませんが、少し先にある風三郎神社もおすすめです♪

      いいね

  3. Nekonekoneko より:

    菱形の磐座は何かを上に置く為あるいは刻む為にそんなに平らなんでしょうか。阿知女作法…ゾンビ製造の秘法がこんな場所から🐥知らなかった…低い位置に張ってあるしめ縄は”立入禁止”の意思表示としか考えられない〜🐣

    いいね: 2人

    1. CHIRICO より:

      低いしめ縄は、額を地面に擦り付けて通るか、バンブーダンスをするため、菱形の磐座はその試練を超えた者に与えられるご馳走を乗せるための台です、しらんけど。

      いいね: 1人

      1. Nekonekoneko より:

        ど…どんなごちそう🍖なんだか野蛮なフィ〜リング🐥

        いいね: 1人

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