
TVメディアで紹介されたこともあり、長崎県対馬の「オソロシドコロ」も、ずいぶんメジャーになりました。
詳細は前記事をご覧いただくとして、かつて僕が訪ねたオソロシドコロが、思った以上に様変わりしていましたので、懸念を含め記しておきます。


【多久頭魂神社】

長崎県対馬市厳原町豆酘(つつ)にある「多久頭魂神社」(たくずだまじんじゃ)です。

境内に入ると、左手に肥前松浦の鋳物師が製作した和鐘があります。
寛弘5年(1008年)に最初に造られ、康永3年(1344年)に再鋳したもので、工人は肥前上松浦山下庄の大工覚円と小工季央であるとされます。

和鐘の向かいに参道があり、

そこに一際立派な境内社があります。

「高御魂神社」(たかみむすびじんじゃ)です。

対馬はその名の通り、上対馬と下対馬で聖地が対になっているといわれ、当社は上対馬の神御魂神社(かみむすびじんじゃ)の対に当たる社となります。

横には少し小さな師殿神社(いくさどのじんじゃ)があり、豆酘郡主であった宗兵部少輔盛世を祀ります。

奥には地蔵堂と

観音堂。
和鐘とともに、神仏習合の名残を伝えます。

本殿に向かう道の途中にあるのは、

「神住居神社」(かみずまいじんじゃ)。

神功皇后にまつわる神社で、彼女自身が祭神となっています。

奥にちょこんとあるのは淀姫神社。祭神は淀姫でしょうが、本来は豊玉姫かな。

ここから一度、本参道に戻ります。

写真は爽やかに撮っていますが、いつ来ても、ここにはねっとりとした空気が漂っています。

僕が今回ここに来た時、三脚を取り付けた、大きな望遠レンズを持った数人のおじ団が去っていくところでした。
おそらく野鳥を撮影に来ていたのでしょう。

対馬は野鳥愛好家垂涎の島ですが、霊山・竜良山(たてらさん)は斧入れ禁忌の山ですので、絶好の撮影スポットのようです。

その麓である当社はアクセスもよく、野鳥愛好家にも親しまれているのでしょう。
ただ、彼らは腰が重いので、鉢合わせるとなかなかどいてくれないのが難点です。
タイミングがずれてよかった。
ただ去り際に「では八丁郭にいきましょう」と言っていたので、ほんとオソロシドコロもメジャーになったな、と実感しました。

天津神を祀る國本神社、

雰囲気のある神倉、

豊玉姫を祀る下宮神社を経て、

多久頭魂神社の社殿が見えてきます。

多久頭魂神社の祭神は「天照大神」「天忍穂耳命」「日子穂穂出見尊」「彦火能邇邇芸尊」「鵜茅草葺不合尊」となっています。
しかし実際は正確な由緒・創建等は不明で、祭神も異説が多数あります。

その中でも、古くは「魂」字を付さずに「多久頭神社」と称されており、本来の祭神は対馬特有の神である多久頭神であるとする説が有力です。
また当社は、対馬特有の信仰である神仏混淆の天道信仰の影響も濃く、本来は神殿を持たず、禁足の聖山である天道山(竜良山)の遥拝所であったといわれています。

所蔵品に国指定重要文化財の「金鼓」(鰐口)や「高麗版一切経 3巻」などがありますが、2012年10月に、海神神社の「銅造如来立像」や観音寺の「観世音菩薩坐像」と一緒に当社の「大蔵経」が盗まれました。
2013年1月に韓国に持ち込んで売り捌こうとしていた韓国人グループが拘束され、仏像2体は回収されましたが、大蔵経は「神社周辺の野山に捨てた」と供述しているとのことです。

隣人の犯罪として、胸をざわつかせるものがありますが、僕が当社で最も懸念するのは、多久頭魂神社がオソロシドコロである由縁となる禁足地「不入坪」(いらぬつぼ)のことです。

明らかに樹勢が弱ってきており、これまで誰も気づかなかった石積みが、容易に見てとれるようになってきました。

横からもスカスカです。
誰かが入って伐採しているわけでもないでしょうから、森の力が自然と弱まってきている、ということなのでしょう。

今回はこんな石にも気がつきました。
ヘンテコな形です。

他にも不入坪内に立石が並ぶようにあり、外にも石が立っているので、結界のような役割をしているのかもしれません。

裏参道方面には、スサノオを祀る五王神社があり、この後でさらに驚くものを目にしましたが、それはまた別の記事で記すことにします。



【八丁郭】

オソロシドコロの中核となる「八丁郭」(はっちょうかく)の近況です。

久しぶりに訪ねてみると、例の壊れた鳥居は取り払われ、玉砂利が敷かれていました。
鳥居がないので、インノコ・インノコはできません。

時間帯や天候の影響もありますが、以前のおどろおどろしさはかなり和らいでいます。
話題になり、多くの人が訪れるようになったからでしょうか。

それはそれで良いと思うのですが、少し寂しい気もします。

この石碑は、たぶん以前はありませんでした。

日が差せば清々しくもあり、訪ねやすくなった八丁郭ですが、それでも一人で訪れる時はご注意を。
陽が陰ると、一気に空気が変わります。



【裏八丁郭】

裏八丁郭はもともと、僕が訪れた時はすでに整備され、赤い鳥居が設置されていたので、さほど変わった様子はありませんでした。
これで道に迷うことも、少なくなったでしょう。



【天神多久頭魂神社】

4つあるとされるオソロシドコロの中で、唯一上対馬にあるのが「天神多久頭魂神社」(てんじんたくずだまじんじゃ)です。
佐護湊の天道山を遙拝する形で鎮座しています。

境内には対馬特有の石積みの石塔が2基立っています。

一つは頂部に謎石が設えてあり、

もう一つは謎草に覆われています。

狛犬のような謎岩も健在でしたが、

あれ?こんなんやったけ??
・・・・・・・・っア~~~~~~~~~~~っっ!

これが一番驚きました。
前回、これですよ。

そしてこうだったものが、

こうなっています。これではオソロシドコロどころか、オドロキドコロです。

しかも以前は階段の中に立ち入ることの出来ないよう柵が張ってありましたが、・・・今は、入れてしまいます。

僕は天神多久頭魂神社に、この鏡は必要ないと思いますが、なので別にここに入れても良いとは思いますが、背後の杜はいかんでしょ。
てか、缶コーヒーのお供物って、どうよ。

せっかくなので、奥の杜に石積みがあるかどうか目を凝らしてみましたが、近眼&大人眼の僕には、何も見つけられませんでした。

そうであっても、天神多久頭魂神社がオソロシドコロである以上は、ここの杜は不入坪であるはずです。もっとも、今僕が足を踏み入れているこの階段も、そうなのかもしれませんが。



数回、対馬を訪れている僕が、今回初めて参拝したのが「神御魂神社」(かみむすびじんじゃ/かんむすびじんじゃ)です。

そう、下対馬・豆酘の多久頭魂神社境内社の「高御魂神社」(たかみむすびじんじゃ)と対を成す神社ですが、天神多久頭魂神社の境外にあるので、これまで失念していました。

どうせポツンと小さな社があるだけだろう、と思っていましたが、

予想外に立派でした。
天神多久頭魂神社より、立派なんじゃないの。

祭神は神皇産霊尊ですが、高御魂神とともにその性質は、記紀に則したものではなく、対馬独特の天道信仰に沿った設定となっています。
つまりタカムスビ・カミムスビの名前は、後から被せたものなのでしょう。

当社の御神体は、日輪を抱いた女性の木像だと言われ、『対馬神社誌』によれば南 (豆酘)に男神タカミムスビがいて、 北(佐護)に女神カミムスビがおり、その夫婦の子神がタクズダマ神であると伝えられています。ゆえに両地域で多久頭魂神が祀られているということです。

これは、日光に感精した処女から生まれた天道法師の逸話を彷彿とさせ、オソロシドコロ伝承の根幹は、夫婦神と子神のサイノカミ系の信仰が対馬にもあり、それが独自の体系へと変化したものであると考えられます。

神御魂神社の背後の杜は、これまでのオソロシドコロとはちょっと雰囲気の違う、小ぶりな丸石で埋め尽くされていました。
それはまるで、失われつつある聖域の中で生まれくる命を守ろうとする、母の胎内のように感じられたのでした。
