伊豆佐比賣神社:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 道草

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宮城県塩竈市、陸奥国一之宮として君臨するのが「鹽竈神社」(しおがま)であり、同一境内に「志波彦神社」(しわひこじんじゃ)が鎮座しています。

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そのお膝元に堂々と掲げられた「違い丁子紋」(ちがいちょうじ)の家紋!

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ついに来ました浦霞醸造元「佐浦」(さうら)さんへ♪

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佐浦家初代富右衛門は、当初麹製造業を営んでいたが、享保9年(1724)に酒造株を譲り受けて創業。
のちに仙台藩主伊達家の崇敬篤かった陸奥国一之宮・鹽竈神社に御神酒を奉納するよう命じられる。
以来、御神酒酒屋としても酒を醸し続けている。
当初は「八雲」「富正宗」「宮城一」といった銘柄を製造していたが、大正時代に、塩竈を詠んだ源実朝の和歌から「浦霞」(うらかすみ)の名称が生まれ、昭和に入って一本化された。
平成6年(1994)には第2蔵となる「矢本蔵」(東松島市)が完成。

ほうほう。。

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が、わたくしは下戸なのよ。
ということで、散々店内を物色したあげくに購入したのは、甘酒と珍味と、記念のキーホルダー。

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今はこれがせいいっぱい。。。

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これのこと、聞きたいよねー。
でも酒店でまともな酒も買わないおっさんは、店員さんの素敵な笑顔に見送られてスゴスゴと退散。何も聞けませんでしたー😭。
「八雲」とか「富正宗」とか「富右衛門」とか、気になるよねー。ビンゴっぽいよねー。誰かコミュ力高めののんべえさん、聞いてきて~っ!!
丁子は平安時代に香辛料や生薬として伝来したといわれ、七宝にも数えられたことから宝物となり、やがて紋になったと考えられているのだとか。
富家の剣が丁子になったのは、宝物とされたからか、なるほど。

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ちなみに珍味にあった”ほや”さんはこちら。
帰路の仙台空港で、ちょうど旬だったのか見かけたので頂いちゃいました。
うまい!というかは、やはり珍味でした。磯の味ですな。

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そんで、佐浦さんちの近くに「御釜神社」(おかまじんじゃ)なんてのがありました。

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鹽竈神社の末社であり、祭神も鹽土老翁神(しおつちのおじのかみ)さんです。
古くは御祭神が製塩に用いたと伝えられ、塩竈の地名の由来とされる「四口の神竈」が祀られていて、世に異変があるときに水の色が変じるといわれる「日本三奇」の一つに数えられています。
この四口の神竈は100円で見ることができたそうですが、見過ごしてしまいました。どんまい。
また毎年7月には、鹽竈神社例祭の神饌を調進する特殊神事「藻塩焼神事」が行われるなど、鹽竈神社の末社でも特別な位置づけにあるのだそうです。

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宮城県宮城郡利府町、そこの九門長者屋敷跡という小高い丘上にも、鹽竈神社の末社「伊豆佐比賣神社」(いずさひめじんじゃ)が鎮座していました。

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なんでも、ここの長者の召使いの女が坂上田村麻呂に見初められ、生まれた子が二代目田村麻呂将軍となったと案内されていました。
田村麻呂将軍に二代目とかいたのか。。。

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創建は不詳。文徳天皇2年(852年)8月、陸奥国、伊豆佐咩神に正五位を加え奉ったことが『文徳実録』に記されており、また『新撰陸奥風土記』には「天武天皇白鳳2年(662年)圭田を奉り神祭を行へり」とあるとのこと。
祭神は「伊豆佐比賣命」(いずさひめのみこと)、あるいは「講昨比賣命」(かうさひめ/こうさくひめのみこと)とされています。

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祭神の情報は曖昧かつ少なく、正確なところは掴めません。
『新撰陸奥風土記』には「郷人、御姫の宮と云ふ」と記されているようで、女神が祀られているということは間違いなさそうです。

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伊豆佐比賣は地元では五穀豊穣の神として伝えられており、この辺一帯の往古から水田開墾の神として崇敬されていたとのことです。

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水田開墾の女神、講昨比賣。これは三島溝咋姫(みしまみぞくいひめ)の事ではないでしょうか。
講昨は溝咋の誤植であるように思えてなりません。

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溝咋姫を崇める三島族は、伊豆地方にも勢力を伸ばしており、伊豆佐比賣の名前との関連も裏付けることができると考えます。
当社の存在は、三島族がエミシの地にも移住していたということの証となるのでしょうか。

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拝殿横には、ちょっと不気味な稲荷社と石祠がありました。

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飯土井稲荷明神と掲げられた稲荷社。その奥の方に、雨よけがなされた一角があります。
参拝時は気になりつつも、稲荷社の不気味さから、スルーしてすぐに立ち去ってしまいました。

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奥にあったのは欅(けやき)の古株だそうで、Wikipediaによると「昭和41年(1966年)に火を発して幹の中まで焼損したため伐採することとなったが、作業にかかったところ鋸が次々と折れ、作業に当たった職人2名までが不幸に遭い、さらにこの木材を買った人にまで変事が起こったため、買主の人が輪切りを社に納めて祭りを行った」とのことでした。
また、枝に至るまで木目が美しかったので近郊の人が持ち帰ったところ、やはり災いがあったので恐ろしくなって返還されたものが雨覆いの下に積まれている、ということです。

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