伊豆半島を南下していくと、伊豆国一宮「三嶋大社」と「三嶋溝杭姫」とのつながりを示す神社がありました。
まずは伊豆半島の付け根、国市にある「廣瀬神社」です。
参道は珍しい、下り宮となっています。
下田街道136号線沿いに鎮座する当社ですが、
深い社叢は、外界から聖域を守るように生い茂っています。
小社ながら趣深い参道。
古くから地元民に大切にされてきたことを窺わせます。
祭神は、「溝樴姫命」(みぞくいひめのみこと)外二神。
そう、三島溝杭姫です。
あまり有名ではない、摂津の神がなぜ当地に祀られているのか、それは三島家がヌナカワワケらと共に伊豆に赴いたことを示すのではないでしょうか。
社伝によれば、三島大社はその昔下田の白浜からこの地に移り、後に三島に遷祀したと伝えられています。
斎木雲州氏の、「ヌナカワワケが三嶋大社を創建した」という事実を踏まえるなら、この流れはむしろ逆であり、祭神は三嶋大社から当地、そして白浜に至り、さらに再び三島に戻ったと解するのが正しい気がします。
天正18年(1591年)、豊臣秀吉による北条・韮山城 攻めの際、兵火で社殿はことごとく焼失したと云います。
貴重な書物もその時消失したと思われ、誠に残念な気持ちです。
お守りはガチャで販売されていました。
面白い。
更に南下し、南伊豆町の小高い山に「三島神社」が鎮座します。
参道入り口では、ひときわ大きな御神木が迎えてくれます。
太い幹から伸びた、うねるような枝。
御神木を横目に、石の階段を登り詰めると拝殿が見えてきます。
当社の祭神こそ「溝樴姫命」。
ようやく三島社で溝杭姫を祀る社に出会えました。
やはり三嶋大社には、溝杭姫も祀られていたのではないかという思いが更に強くなっていきます。
伊豆に移り住んだ三島族。
当地へは天城峠など、厳しい道を進まなければならず、いわゆる僻地であったと考えられます。
しかし行き着いて開拓をすれば、めぐみの温泉が湧き上がりました。
そうして三島の人々は、灌漑・開拓の神に、心から崇敬の念を覚えたのでした。