富神社:八雲ニ散ル花 12

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『「天孫降臨」などというと、オトギめくが…私の知人の島根県人にいわせると、「このときから出雲の屈辱の歴史がはじまった」と大真面目で言う』

産経新聞社記者として在職中に「梟の城」で直木賞を受賞し、「竜馬がゆく」などを著作した小説家「司馬遼太郎」の「歴史と小説」の中にある一文です。
この知人の島根県人とは、著者が産経新聞に勤めていた時の同僚「富当雄」(とみまさお)氏のことだと、大元出版の「出雲と蘇我王国」の中に記されています。
富当雄氏は、産経新聞の重役をされていたそうです。
富家は、「向家」ともいい、かつては「出雲家」「出雲臣家」と呼ばれていました。
出雲王国時代は西出雲王家として「神門臣家」が、東出雲王家として「富家」が治めていたと云います。
今は「天穂日」の末裔と称する出雲国造家が「出雲臣」を名乗っています。

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斐川町富村に「富神社」(とびじんじゃ)があります。
ここは大昔、「出雲社」(いずものやしろ)と云ったそうです。

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主祭神は「八束水臣津野命」(やつかみづおみづのみこと / 神門臣家)、「天之冬衣命」(あめのふゆきぬのみこと / 富家)となっており、
合祀祭神として「足名椎命」(あしなづちのみこと)、「手名椎命」(てなづちのみこと)、「稲田姫命」(いなたひめのみこと)、「國忍富命」(くにおしとみのみこと / 富家)、「布忍富鳥鳴海命」(ふおしとみとりなるみのみこと / 富家)と、ほとんどが富家の主王が祀られています。
ただ、「八束水臣津野命」だけは神門臣家の王なので、疑問に残るところです。
出雲風土記も他王の功績を八束水臣津野命が成したように記していたり、やたら臣津野を持ち上げている傾向があります。

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稲田姫命はヤマタノオロチ神話では、スサノオがオロチから救い出し、妻としたと伝えられています。
足名椎命、手名椎命は姫の両親という設定です。

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「富家」は富村に、「富神社」を建てて、熊野大社の祭神を移したと云います。
その熊野大社の祭神とは出雲王朝の始祖「八耳命」と后「稲田姫命」だったというのが真実です。
スサノオとは中華秦国から渡来した「徐福」のことであり、彼が妻としたのは8代出雲王「大国主」の娘「高照姫」でした。
「稲田姫命」とは時代が違い、夫婦となることはあり得ないのです。

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富家は富神社に、さらに中興の祖「事代主」も祀りましたが、富家は杵築大社や美保神社、塩治八幡宮の管理で多忙であったため、富神社の管理は地元に任せたそうです。
そして今は祭神が変えられてしまっていると云うことです。

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富神社の社紋は富家に由来する紋です。
六角の縁は一般に亀甲紋と呼ばれますが、これは出雲信仰の神「龍神の鱗」を表す「龍鱗紋」であると云います。
大根のように見える丁子(ちょうじ)が、交差していますが、昔は、「剣」が交差する紋だったそうです。
この交差紋は、戦いを意味するのではなく、男女の交配を意味したと云うことです。

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富神社の社殿はとても簡素なものです。
見事なしめ縄だけが、本来の風格を残しています。

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「出雲と蘇我王国」や「出雲と大和のあけぼの」などの著者「斎木 雲州」氏の父親が富当雄氏です。
出雲王朝の歴史は、様々な思惑が交差する中、記紀によって隠され、かろうじて神話の中に暗号として残されるに至りました。
それまで多くの人に知られていたその歴史は、やがて忘れ去られ、現代では史実を正確に知ることは非常に困難になっています。
そうした中、真の歴史を喪ってはいけないと、口伝で代々伝え残していった一族が富家です。
富家の当主は親戚であっても信用してはいけないと、次の当主にだけ、正確に歴史を口伝していったと云います。
司馬遼太郎は富当雄をして、「第一次出雲王朝を語り伝える、カタリベである」と呼びましたが、当の当雄氏はその言葉を好まず、「向家(富家)はカタリベではないよ。カタリベとは身分が違うし、向家の伝承は、カタリベの話とは比較できぬほど正確なものだ」と言ったそうです。

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当雄氏は新聞社を退職した後、京都の大学で国文学の講師を勤めました。
この時京都の出版社から、出雲の古代史の本を出しますが、その本は書店に並んだ途端、出雲の過去を知られたくない旧家から買い占められ、市場から消えたと云います。
1989年、富当雄氏は病死します。
その死の間際、遺言で「真実の出雲史を普及させてくれ」と息子である「斎木 雲州」氏に伝えられました。
斎木 雲州とはもちろんペンネームです。

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父親の遺言を行うことは困難を極めたと、斎木雲州氏は言います。
常識と真実が大きく乖離した出雲史を正しく普及させること、他人に説得することは困難を極めました。
そこで彼は読みやすい本を先に作り、気長に出版するため、大元出版を立ち上げます。
当出版社のウェブサイトを覗くと、常識とやや違った歴史書が数冊並んでいます。
出版社の発行人には「富」氏の名があります。
そこにはお世辞にも洗練されたとは言えない、稚拙な作りのウェブサイトがあり、表装や装丁も自費出版の域を出ないような本が並んでいます。
見かけから支払うのを渋ってしまうような金額が、それらの本には記されています。
しかし、それならばなぜ、斎木雲州(富)氏は、このような面倒な、出版社の立ち上げから製本・出版という行為を行うのか。
そこに、数多くの本を売り、利益を得ることが目的であるとは思えないのです。
それは彼が言うように、正に先ずは興味を持った人の目に触れさせ、気長に父の遺言を実行していこうとする氏の心が見て取れます。
ちなみに大元出版の代表作「出雲と大和のあけぼの」などは絶版になっており、アマゾンなどで検索すると、到底買わせる気のない法外な金額が、その中古本には付けられています。

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富神社の境内にはいくつかの摂末社があります。
中に「荒神」の名がつく社がありました。
荒神は一般にスサノオを表すと云います。

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毎年12月には「わら蛇」というわらで蛇を編み、荒神に巻きつけ奉納します。
蛇は古代出雲で崇拝されてきました。

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荒神に巻き付いたわら蛇は、奉納というよりは、一種の呪いのように感じました。
この惣荒神の蛇の頭は、昔から必ず出雲大社の方向を向く慣わしだと云います。

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龍神に関連した社もあります。

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スサノオが退治した「ヤマタノオロチ」とは、龍神を信仰した古代の出雲族のことだったとも云われています。
神々が上陸すると云う稲佐の浜には、神在月の頃、セグロウミヘビが打ち上げられるそうです。

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出雲の古い家系では、そのセグロウミヘビをとぐろを巻かせた剥製にし、御神体として祀るそうです。

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富神社の拝殿の横には木箱があり、その中には「富待石」と「斐伊川和紙」のセットが販売されています。 
「富待石」は、来待石という出雲地方で産出される代表的な石で作られています。
挟んである黄色の紙は、この出雲地方に古くから伝わる「斐伊川和紙」を使用しており、金運をもたらす黄土色は今回この富待石に特別に使った顔料で染められているそうです。
願い事を書いたもの、宝くじなどを挟んで御利益を得るとのこと。
さっそく僕も試してみましたが、絶望的にギャンブル運に見放された僕の、今回の宝くじは、3000円が当選していました。

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