
世界各地に常世と現世を結ぶ聖域『ゲート』が出現して十数年。“イキリスト”と呼ばれる超人的なイキリ覚醒をする人間たちが現れた。
彼らはその内なるイキリ力によってS級からE級にランク付けされる。そして、その力は一度覚醒すれば成長(ランクアップ)することはない。
他の者から「人類最弱兵器」と嘲笑されるE級イキリストのゴジョー・イキリ彦だったが、高難易度の二重ダンジョンで瀕死を負う中、システムによって起きるはずのない「再覚醒」を遂げる。それは未知のレアゲートを次々と「自分だけがイけてしまう」という特殊能力だった。
・・・
ピロピロリ~ン
「こんにちは、イキリ彦さん。お元気ですか?」
「ああ、お久しぶりです、システムさん。今日はどういったご用件で?」
「相変わらず、イキってますねぇ」
「そんなことはないですよ。って、まあ、この前も超S級ゲート、攻略してきましけど、それがNA・NI・か?」
「あははは。ところで、次はどちらのゲートに行かれる予定ですか?」
「ああ、次の週は CHI☆BA ってみようかと思ってますよ。あの無駄に出っ張った半島を、ぐるりと半周ほどね」
「CHI☆BA ですか。ひょっとして、タマサキ・ゲートに行ったりします?」
「ええ、もちのろん、行くつもりですが、それがNA・NI・か?」
「私、タマサキ・ゲートのY-G宮司と線友ですよ。イキリ彦さん、お取り継ぎしましょうか?」
ナン…だと…
「ちょ、ちょっと待ってください、あのY-G宮司と線友なんですか?システムさん!」
「はい、そうですよ、システムですから♪」
「じゃ、じゃあ…システムさん、あそこの閉鎖された超絶レア禁足ゲートの中に、”俺だけイけてしまうな件” 的なお願いを、しちゃったりできちゃったりしちゃいますか」
「OKです♪Y-G宮司に聞いてみますね☆」
……… オナシャスっ!!


CH☆BA に降り立った夜、僕は九十九里町である人物と待ち合わせをしました。
K☆A☆N☆E☆K☆O さんです。
KANEKOさんは、僕が予想していたよりも、☆が5つ多く付くくらいのすごい人なのでした。

KANEKOさんが夜の食事にお勧めしてくれたのは、偶然にも3年前の『人麿古事記と安万侶書紀』の取材旅行で腹を空かせて駆け込んだ『潮彩』さんでした。
とにかく刺身がリーズナブル、かつ、旨い店で、もう一度行きたいと思っていた店でした。

まるで初めて会ったような気がしない、とても気さくな会食で、濃厚な話をたっぷりした翌朝、僕はKANEKOさんと再び合流し、帰路に着くまでの半日を一緒に聖地巡りをしました。

その中の一つが上総国一之宮、一宮町一宮に鎮座の「玉前神社」(たまさきじんじゃ)です。

これでもカーってくらい一宮ですが、房総半島九十九里浜の最南端に位置する一宮町は、一年を通して寒暑の差が少なく温暖な気候に恵まれた土地で、縄文弥生の頃から人々の営みがあったことが、遺跡や貝塚などによって明らかにされています。

一宮町の名の由来は、当社が上総国に祀られる古社であり、平安時代の延長5年(927年)にまとめられた『延喜式神名帳』(えんぎしきじんみょうちょう)に名神大社として記されたことによります。
全国でも重きをおくべき神社として、古くから上総国一之宮(かずさのくにいちのみや)を冠する神社として崇敬を集めてきました。

玉前神社の案内によると、当社は春分・秋分の日の太陽の軌跡「レイライン」上に鎮座しており、屈指のパワースポットであるということです。
そんな場所でヒェアヒェアしてると、確かにイキリ覚醒する人間が続出するかもしれません。

参道を歩いていると、摂社の三峯神社がありました。

三峯神社といえば、秩父の三峯神社ですが、あそこの「御眷属拝借札」を頂いて帰宅したら、富先生とお会いすることになるお手紙が届いていたという、スーパースペシャルな思い出があります。

さて、拝殿へとやってまいりました。

玉前神社は北条氏、里見氏の天生の変で罹災し、天生10年(1582年)に里見義頼により再建されたと伝えられます。
現在の社殿は、江戸中期の貞享4年(1678年)に、 本殿が大工棟梁大沼権兵衛、拝殿と幣殿は井上六兵衛によって竣工されたもので、幣殿によって本殿と拝殿が繋がれた権現造となっています。

他ではあまり見ることのない黒い社殿は漆塗りだそうで、棟梁の心意気を感じる造りとなっています。

拝殿の中はあまりよく見ることはできませんでしたが、社殿の造りといい、内部といい、「神社というよりはお寺のようです」とおっしゃるKANEKOさんの意見に僕もうなずきます。

祭神は「玉依姫命」(たまよりひめのみこと)で、絵馬には女性コミックのイラストのような、可愛い媛の絵が描かれていました。
永禄年間(1558年-1570年)の戦火により、社殿および古記録等が焼失したため、創建由来などは不詳とされますが、玉依姫命は龍宮よりこの地におあがりになり、姉神・豊玉姫命より託された鵜茅葺不合命をご養育、後に命を結 婚されて初代天皇神武帝をお産みになられた、と当社の由来には書かれています。

祭神は一説に、高皇産霊の孫、あるいは甥の「玉前命」(たまさきのみこと)とも伝えられ、十二社祭の際に当社から出される二基の神輿は、昔の資料では、一基は玉前大神、もう一基が玉依姫命であったとのことです。

玉前大神という名と社殿の造りは、神仏習合を匂わせます。
玉前大神が玉依姫と一緒に祀られていたということは、大神は豊彦であったのでは、と、ふと思いました。
豊系修験が、当社創建に関わっていたりするのではないでしょうか。

「玄松子」さんのサイトによれば、当社神体は「珠玉」であると伝えられており、珠に関する説話が幾つか紹介されています。
『古今著聞集』に、当社祭神が、懐妊後三年。
今が国を治めるときに臨みて若宮を生むと託宣し、海浜にあった明珠が、その若宮であると。
『房総志料』に、以下の説話があるらしい。
昔、このあたりに塩汲みの翁がおり、朝早く潮水を汲んでいると、明珠が波間の現れ、光彩を放っていた。
これを持ち帰ったところ、夜光り輝くので、翁は畏れて、玉前神社の神庫に納めたという。

当鎮座地の近くにある九十九里浜は、古くは「玉の浦」とたたえられており、太東崎を南端とするところから玉崎(前)となったと云われています。
神体の珠玉(明珠)は干珠満珠を指しているのだろうと思われますが、九十九里浜から昇る朝日は見事で、月もさぞ美しかろうと思われます。
その至宝なる天玉をもって、干珠満珠としたのかもしれません。

境内には、裸足になって玉砂利の上を歩く「はだしの道」なるものがありました。
対馬の「オヒデリさま」で鍛えた足裏を試す良い機会でしたが、寒かったので遠慮しました。

おみくじのこよりで作られた干支像が斬新。

当社では大同2年(708年)に始まったとされる「十二社祭り」が、毎年9月8日~14日にかけて行われます。
玉前神社の祭神である玉依姫が上陸したと伝えられる太東崎に、その一族である神々が年に1度集まることに由来する祭りで、神輿を担ぐ人々が裸に近い姿で波打ち際を走ることから「上総の裸祭り」の名前で親しまれています。

玉依媛の一族というなら、それは豊族か、越智族か。
13日が例大祭となっており、近隣合わせて5社9基の神輿が一宮町東浪見の釣ヶ崎の祭典場へ渡御するのだそうです。
なんともワクワクする内容ですが、イキリの良い裸体の男衆に迎えられ、玉依媛さまもほっこりとされることでしょう。
僕も筋肉改造して、ムキムキになりたい。ヒェア、ヒェア。


事代主、大物主、少彦名はつい同一神として見てしまいますが、なるほど、そうですね。
香川の金刀比羅宮が総本宮的な感じなのでそう思っていましたが、どうですかね。
もっとも、コンピラという呼び方が神仏習合期からでしょうから、本来の琴平神の元宮はどこなのか、そう考えると琴引山かなと思うわけです。
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narisawa110
明治の際の神仏分離に関しては先先代のニギワカ上官家が関わっている事と、それこそ金子様のご先祖様も関わられている可能性があります
テキトーな様に見えて、大物主の決め方には意味があると考えました。また、現在の金毘羅宮には前身となるものがあったと推測しています。
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のっけから笑かしていただきました😂
そして潮彩さん、友人と”タマタマ”行っていた店でして、21年にいらしているブログが当時未読でしたので、その際の夜明けの海岸写真も我が家最寄り10分以内!! いつも遊んでいる場所だったことと共に、びっくりなのでありました。 玉前さんはやっぱり黒漆で寺感。2019年台風被害の修復完了したばかりでいまはピカピカです。この台風で困った神社さんは多数あり、瓦と職人不足で半年後にもブルーシートのまますらありました。我が家は5個飛ばされましたが雨漏りがなかったため工事後回しで1年後でした💦 千葉県外房は市街地周辺には神社より寺、神社なら習合のところを多く見受け古い神社(元宮等)は丘の上傾向が強いですね。元禄地震の際も玉前さんの前まで津波は来て慰霊碑が海側各地にあります。元禄地震は現南房総市から蓮沼方面の被害記録も纏められています。
https://www.bousaihaku.com/wp/wp-content/uploads/library/ad3a8b12e0cf79136a1208b309bf0cf4.pdf
千数百年前となるとさらに土地は隆起前ですのでもっと元禄期より標高が低かったとされています。
・・うちの媛共は「たまちゃん🎶」と玉依媛や豊玉媛を子供の頃から親しみ持って言っているのは
古から日向そして豊の国への想いが強いようです。
宮崎の美味しい金柑たまたま。現地で販売の方から伺った話では「12月いっぱいの完熟前は名乗れません、1月から”たまたま”のシールを貼っての出荷できます」だそうです。🤣
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そう、九十九里浜で朝日を見た時から、KANEKOさんとはご縁が結ばれていたのでしょうね😊
2019年の台風!そうでしたね。最近は福岡は直撃コースから外れ気味なので、台風への意識が薄れていますが、代わりに伊豆・千葉方面は激しい台風が度々上陸しているイメージです。
KANEKO家の姫巫女さんたちは、豊家の血も濃く受け継いでいらっしゃるのかもしれませんね。豊の朝倉彦が東征に加わっておりましたので。
先日、金柑たまたまを食べたところでしたが、はたして完熟ものだったのかどうか。甘くておいしかったのではありますが。
今度買うときは、たまたまシールに注目してみます😊
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🐥爺い(翁)は何の珠玉を見つけたんですかな…一体誰のタマだったんですかいな🐤
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タマちゃんですかな🐈
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🐤タマのタマ…エグいですな
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タマタマ🌕🌕
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