関東屈指のパワースポットとして噂の「三峯神社」(みつみねじんじゃ)。
当社と大神神社の関係が気になり、足を運んでみました。
三峯神社は埼玉県秩父市の奥秩父、三峰の山中に鎮座する神社です。
また、当社は秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社と称されています。
気が遠くなるような山道を車を走らせ、ようやく到着。
こんな僻地にある神社ですが、白い「氣守」が頒布される日には細い山道が何キロにも渡って深夜早朝から渋滞するのだそうです。
ちなみに2018年6月以降の白い氣守頒布は休止となっており、再開の目処は立っていません。
駐車場からてくてく参道へ向かって歩いていくと、見えてきました、有名な三ツ鳥居です。
三ツ鳥居は、明神型鳥居を三つ組み合わせた鳥居。
この形で有名なのは、奈良の大神神社聖域の結界に置かれたものとなります。
故に「三輪鳥居」という呼び名で親しまれます。
さらに注目されるのが、この狛オオカミ。
そう、三峯神社では狛犬ではなく狛オオカミが至る所に鎮座し、神の使いとして崇められています。
このオオカミは大神のことだろうと容易に推察でき、そこから三峯神社と大神神社の関係性が僕は気になったのです。
さて、三ツ鳥居から足を進めます。
三峯神社創建は社伝によると、景行天皇の頃、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで両神を祀ったことに始まったと伝えています。
その後、今度は景行天皇が東国巡行の折に当地を巡り、高く美しく連らなる白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて「三峯山」と「三峯宮」の社号を授けたのだと云います。
参道をしばらく歩いていると、ヤマトタケルの銅像なるものがありました。
高いところから手を振ってます。
ヤマトタケル像を華麗にスルーして参道の先を望めば、これまた見事な「随身門」が僕を迎えてくれました。
聖武天皇の時に国中に病が流行、天皇は諸国の神社に病気の平癒を祈らせ、三峯宮には勅使として葛城連好久公が遺わされ「大明神」の神号を奉られました。
文武天皇の時、伊豆に流罪になった役小角が三峯山に往来して修行し、この頃から当山にて修験道が始まったと伝えられます。
更に淳和天皇の時には、勅命により弘法大師・空海が十一面観音の像を刻み、三峯宮の脇に本堂を建て、天下泰平・国家安穏を祈ってお宮の本地堂としたと云います。
中世以降は日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けました。
養和元年(1182年)に、秩父を治めていた畠山重忠が願文を収めたところ、霊験があったと伝えられ、以来、東国武士の信仰を集めて大いに栄えます。
しかし正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたことより、足利氏に社領が奪われて衰退、以降久しく廃寺の憂き目をみることとなります。
文亀年間(1501年-1504年)に修験者の月観道満がこの廃寺を知り、天文2年(1533年)に堂舍を再興。
山主の龍栄が京都の聖護院に窮状を訴えて「大権現」を賜ります。
以後は聖護院派天台修験の関東総本山とされて隆盛し、歴代の山主は花山院家の養子となり、寺の僧正になるのを常例としたため、花山院家の紋所の「菖蒲菱」(あやめびし)を寺の紋としました。
その後、明治の神仏分離により寺院を廃して「三峯神社」に改称した後も、社紋は菖蒲菱が使われています。
隋神門の先からは、さらに幽玄な参道が続いていました。
ニホンオオカミは、明治の初めまで、本州・四国などにかなりの数が生息していました。
しかしその後急減し、明治38年(1905年)東吉野村で捕らえられた若雄のニホンオオカミが日本で最後の捕獲の記録となったそうです。
江戸時代に入ると、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし「お犬さま」として崇めるようになりました。
さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈され、修験者たちが組織する三峯講によって関東・東北・信州などを中心に各地に広められました。
いよいよ拝殿の前までやってきました。
ここに鎮座するお犬さまは凛々しくもあり、
ちょっとアニメちっくな雰囲気も醸し出しています。
拝殿の前に建つ青銅鳥居は弘化2年(1845年)の建立。
奉納者の刻印のなかに、歌舞伎の『塩原太助一代記』で有名な江戸時代の豪商初代「塩原太助」の名前があることでも有名です。
鳥居の左手にあるのが、嘉永6年(1853年)に建立された手水舎です
極彩色の装飾が実に見事。
右手にあるのが高さ6mの八棟灯籠。
安政4年(1857年)の建立です。
さて二礼二拍手一礼にて参拝。
とこのまま境内の散策はせず、僕はUターンして元来た道へ戻ります。
なぜなら今から、奥宮参拝を決行するためなのでした。
おおっ!!ラキスタの聖地(笑)もとい、鷲宮であってアメノヒワシでなくアメノオヒとタケヒナ(ラ)トリを祀る年代不詳の古き社にも訪れて頂けたとは・・・。富家の仇である者・・・岐阜の碑にこの二柱は当時の大国主は朝鮮半島との繋がり強くし岐阜地域の侵略を危惧し、もう一人のアマテラス(セオリツヒメ)の命を受け出雲の大国主たち謀ったと。あまり確かな記憶ではないんですが、ユダの言い分みたいに語られたモノらしいものがあるのだとか。
CHIRICOさんの考察とこちらの投稿も楽しみにします。
ちなみにゼリーフライは、たいしたものでもないので(爆)高崎でオランダコロッケなる謎のコロッケ同様、謎は謎のままに(笑)
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こんばんは。CHIRICOさん、埼玉の辺境へようこそおいでに。
秩父奥地にはひょっとするとニホンオオカミがまだ生息しているのではないかとUMAみたいに扱われているのがここいらのネタです。(笑)
白い気守りは毎月一日に拝受されるお守りでしたが、浅田真央さんがここの白い気守りを頂いた後で金メダルを取った事から一気に有名になり、それから白い気守りを求める人で車の渋滞が起こり、道路事情が難儀となってしまい警察の要請を受けて神社側が白い気守りのみ拝受を中止にしたという経緯があります。・・・お守りは心の支え、レアなお守りでなくたっていいじゃないの?と、呆れていました。
さてさて、奥宮も向かわれたんですね。空気が澄んでていいんですよね。次の投稿もお待ちしてます。
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8まんさんこんにちは。
三峯神社も、死ぬまでに訪れたい場所の一つでした。
最近の鬼滅ブームでもそうですが、日本人のレアもの好きも困ったものです。
そもそも神社は私利私欲を求める場所ではないでしょうに。
今日まで健やかでいられたことへの感謝を述べる場です。
そういえば、あの後再び関東に出向く機会があり、鷲宮神社その他諸々参拝してきました。
ゼリーフライでしたっけ、そいつは食べる機会がなく残念でした。
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