三峯神社・後編:八雲ニ散ル花 出雲屋敷篇 番外

投稿日:

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再び三峯神社本社を目指します。

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奥宮から降りてくると、表参道という案内板があったので、そちらに向かってみます。
「大輪」というのは麓の登山口の地名です。

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この道で合ってんのかな?と心配になるような尾根の上を歩きます。

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するとすんごいところに立つ鳥居を発見。

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これは公式にも書かれていないという境内社、「二ツ宮」でしょうか。
山の土地神を祀った古い神社のようです。
普通に参拝する分には問題なさそうですが、大勢が押し寄せると滑落の危険も。

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遥拝殿が見えてきました。
道は合っていたようです。

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ここは奥宮の遥拝所。

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ここから奥宮が見えるかも、とのことですが、よく分かりません。

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表参道は随身門まで真っ直ぐに伸びていました。

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随身門の先には夫婦の木があります。

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一つの根から二筋まっすぐに伸びた、立派な御神木。

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社殿の前まで再び到着。

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拝殿前に聳える2本の御神木は「良い氣」が溢れていると云われています。
鎌倉時代の武将「畠山重忠」公が奉献したと伝わるもので、樹齢が推定800年とか。
三度深呼吸をしてから、神木に手を付けて祈ると良いのだそうです。

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当社で人気のお守りが「氣守」。
これには三峯神社の境内にある「御神木」が入っており、身につけておくことで神木から氣力を分けてもらえると云われています。
中でも毎月1日にだけ頒布される特別な白い「氣守」は、フィギュアスケートの浅田真央選手が手にしたことでも話題となり、求める人で異様な過熱ぶりをみせました。
なぜ「白」が特別なのかは、それは神聖かつ穢れのないという意味のほか、ヤマトタケルを道案内したオオカミが「白」かったとされていることにあるようです。
神道では「一に帰る」=「生命の再生」を表しており、月の初めのスタートに穢れのない白い氣守を頒布することになったそうです。

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しかし異常なまでの過熱ぶりから2018年6月以降、白い氣守の頒布は休止となり、未だ再開の目処は立っておりません。
通常の氣守は赤・濃紺(黒)・緑・ピンクの4色があり、こちらはいつでも受けることができます。

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近年三峯神社のパワースポットとして注目を浴びているのが、拝殿前の2012年辰年に突如現れた「龍神様」の石畳。

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水をかけるとその姿がくっきりと現れ、縁起がいいのだそうです。
僕には龍には見えませんし、なぜオオカミではなくて龍なのか、と思ってしまいますが。

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三峯神社の主祭神は「伊弉諾尊」 (いざなぎのみこと)と「伊弉册尊」 (いざなみのみこと)で、配祀神として「造化三神」(天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)、「天照大神」 を祀っています。

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これらの神々をヤマトタケルが当地に至って祀ったことになっていますが、それは物部族が当地を遠征してきた話を物語っています。

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話を素直に受け取るなら、蝦夷討伐隊としてやってきた物部族を当地にいた出雲族が道案内したということでしょうか。

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ではその三峯神社の出雲族とは三輪氏だったのか?

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オオカミとは大神のことであり三輪鳥居が参道入口にあることからも、僕はそう思っていました。
しかし当地を訪ねて、その考えが違っていたと思うようになりました。

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私が宿泊した秩父の宿「新木鉱泉」さんで、

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神棚の隣に木の棍棒のようなものが祀られているのが気になりました。

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これは「ごもっともさま」と呼ばれるもので、三峯神社の二月節分の年越行事にて祀られるものでした。

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2月3日の節分追儺祭の折、宮司以下祭員、年男たちは裃(かみしも)の正装で祭りに臨みます。

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祭りの後、「福は内、鬼は外」の掛け声とともに社殿で豆まき神事が行われますが、この時、後にひかえた添人が大声で「ごもっともさま」と唱和し、巨大なごもっとも様を前上方に突き出すのです。

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この時の「ごもっともさま」は、長さ1m余のすりこぎ棒型のもので、その頭に注連縄をまき、根もとには蜜柑二個をさげた姿をしています。
そう、つまり「ごもっともさま」とは巨大な男根を象ったものなのです。
それはもう、まさしくごもっともさまなものです。

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本社での祭事が終わると、提灯を先にたて、年男・添人・豆持の一行は摂末社を回り豆まきの行事をくり返します。
これを7時、11時、正午、2時、4時の一日5回行うのだそうです。

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「ごもっともさま」神事には五穀豊穣・大漁満足・夫婦円満・開運長寿の願いがこめられ、とくに子授けの奇瑞があると云われています。
ではなぜ「ごもっともさま」なのかというと、それは「福は内、鬼は外」が、それは「もっともなことだ」というところから来ているそうなのですが、男根とどう結びついたかのかは謎だそうです。

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しかしながら、つまりこれはサイノカミの神事であるということです。
祭神の「伊弉諾尊」「伊弉册尊」も元はクナトの夫婦神だったのでしょう。
とするならオオカミとは「サルタ彦大神」のことなのかもしれません。

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思えば三輪鳥居にしても、その原型のようなものを出雲の長浜神社で見かけました。
その鳥居の先ではサイノカミが祀られていたのが印象に残っています。
つまり三ツ鳥居は三輪山の結界のために生まれた鳥居ではなく、本来サイノカミ三神を祀るための鳥居だったのではないでしょうか。

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そもそも三峯神社の三ツ鳥居は本来の表参道に建っているわけではなく、後年建てられた比較的新しいものでしょう。
そうだとするなら、当社と大神神社を関連付ける根拠は薄いものとなります。

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ならば埼玉は秩父の奥地にやってきてサイノカミを祀った一族は誰なのか。
あの「ごもっともさま」を見て僕がイメージしたのは、諏訪のタケミナカタ一族のことでした。

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それにしても、見事な社殿です。
拝殿は寛政12年(1800年)の建立、昭和37年(1962年)に改修され、平成16年(2004年)に漆の塗り替えが行われました。
極彩色の彫刻が施され、東国によく見る豪華絢爛な造りです。

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本殿は一間社春日造り(いっけんしゃかすがづくり)。
寛文元年(1661年)に建立、昭和36年(1961年)に改修復元され、平成16年(2004年)に漆の塗り替えが行われました。
県指定文化財に指定されています。

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本殿から裏参道方面へ足を伸ばします。

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そこにはカップルに人気の「縁結びの木」があります。

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夫婦のように寄り添う2本の木が恋愛成就にご利益があると評判のようです。

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イザナギ・イザナミが夫婦神なので、それに由来したものでしょう。

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さらに奥に進むと、派手な黄色い鳥居が建っています。

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こちらは「御仮屋神社」(おかりやじんじゃ)、または「遠宮」(とおのみや)と呼ばれ、三峯神社の御眷属「お犬様」の住まいと伝えられる場所です。

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お犬様は通常、深い山中に身をひそめているため、ここを仮の宮(御仮屋)として祀っています。

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お犬様は、山畑を荒らす害獣(熊・猪・兎等)を追い払い、家々を守護する火防・盗賊除・諸難除に霊験あらたかとされています。

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三峯神社では表では頒布されない裏の札として「御眷属拝借」のお札というものがあります。
古くからこの御眷属であるお犬様を御神札として一年間拝借し、守護を祈るというものです。
お値段はお札が4,000円、神棚などの代わりとして御眷属がお住まいになるための箱が2,000円と、まあまあなものです。

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実は「氣守」よりもすごいものだとの裏評判で、お受けして車に乗ったら後ろにどすんとお犬様が乗ってきた気配を感じたとか、粗末に扱って命を落としたなどという噂も実しやかに囁かれています。

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僕は基本的に、神社は願う場所ではなく、感謝する場所だという考えですので、あまりお守りやお札といったものに関心はないのですが、遠路訪ねてきましたし、また来ることもそうそうないだろうと6,000円を支払いお受けさせていただきました。
すると「こちらへ」と促されて拝殿内に案内され、祈祷を受けることになりました。
なるほど、祈祷付きなら納得のお値段。
お札に御眷属様にお鎮まりいただき、それをお受けするという流れでした。

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御眷属拝借は1年間の期限付きです。
1年経ったらお返しして、新たしいお札をいただくというシステム。
遠方の場合は郵送で対応していただけるようです。

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なるほどよく考えられているものだと感心しましたが、あまり深く考えず、家に持ち帰りました。
すると家の郵便受けに一通の手紙とPCにお知らせが一通。

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PCのお知らせは友人からのもので、とある御高名な方がこの『偲フ花』をご紹介してくださっているというものでした。
そして郵便受けに入っていたのは、あの憧れの方からのお手紙だったのです。

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これには驚きました。
不信心な僕でも流石にもたらされた幸運に感謝せずにおれません。

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まずはこの1年間を見守りたいと思います。
お犬様、サイノカミ様、ありがとうございます。

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本社に戻ってきたら、可愛い巫女さんの姿を見かけました。

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最近は神社でも萌えを取り入れるところが増えてきました。
あっても良いとは思いますが、必要かと言われればどうなのでしょうか。

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売店ではお犬様のぬいぐるみがたくさん販売されています。
かわいい。

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社務所の近くにある「小教院」は、かつて観音像が安置されていた三峯山本堂でした。
平成3年(1991年)の改修工事で今は喫茶・茶室になっています。
メニューも映える系のものが充実しているようです。

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他にも300人収容可能な宿坊ホテル「興雲閣」があり、日帰り入浴が可能な温泉「三峯神の湯」を備えています。
「報徳殿」は会議、会合、宴会などに利用されます。
白い氣守だけでなく、様々な試みをされている印象が強い三峯神社でした。

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帰りは三ツ鳥居前のおみやげや「大島屋」さんへ。

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目に留まったのはとても厚みのある焼きしいたけ。

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本当に肉厚で香ばしいです。
そして本当のお目当は

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秩父名物「わらじカツ丼」!

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しばらく待ってやってきたのがこれ!

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その名に恥じぬ見事なボリューム!
衣もさっくさくでペロリと完食です♪

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しめじの味噌汁もあったかくて美味しい。
身も心も多くの氣をいただいて、三峯の山を後にしたのでした。

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2件のコメント 追加

  1. 8まん より:

    おおっ、わらじかつのチョイスはナイス。(笑)向こうに出向で行った時に食べたものに、わらじかつと豚みそ、蕎麦。田舎ならではの味わいが良かったのを覚えてます。
    埼玉は昔から敗者の歴史を辿ってます。それゆえの自虐ネタとよいしょ(ごもっとも)を大人になると多用する県民性を養います。(笑)
    埼玉の神社とアニメコラボ・・・、私も昔は否定派だったんですが、「あの花」だったり「ここ叫」や「空の青さ」やらは僻地であるこの地を観光スポットとしての呼子役として務めており、秩父から帰って「あの花」シリーズのアニメをレンタルで観た私は恥ずかしながら号泣してました。(爆)
    時代のうつろいによって神社やお寺の氏子離れが進んでおり、寺社の維持をするのも容易ではないと宮司さんから伺ったことがあります。
    そんな中、御朱印がブームとなり再び人が戻って来ているのは良い方向。とはいえ二面性で最低限のマナーすら守れぬ輩も多く来てしまう始末。
    十人十色、人の癖はあって七癖なんとやら、それでも、見えないものへの敬意と畏怖を大切に思う人達に物欲主義の塊の人達へ伝えるべくは、こういう人の力の及ばぬナニかを伝え続ける努力をしていかなきゃならないものなんだろなとも。
    私が神社巡りをして感じた事でした。
    これからもCHIRICOさんに神様の御加護がありますよう。ではでは。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      確かに、関東や東北方面は昔から蝦夷などと呼ばれて、敗者が逃げこんできた歴史がありますね。
      しかし調べてみると、大彦にせよ豊彦にせよ、そこで自らの王国を築き、大和の対抗勢力となったわけです。
      彼らは決して自分たちを、敗者だとは思っていなかったことでしょう。

      東北を蝦夷と呼び、各地の対抗勢力を土蜘や熊襲などと呼んだのは、支那国由来の物部族です。
      敵を蔑称で呼ぶあたりは中華思想そのものです。
      その支那の悪習を正すことなく、今も平気で自分たちの民族や地名を別称で呼んでいるのが今の日本人。
      倭や邪馬台国の卑弥呼、対馬(津島)などもそうですね。
      そして長く物部政権から討伐を繰り返された故に、東方は敗者の国だと自ら思い込んでいるのではないでしょうか。
      戦後の自虐史観を植え付けられた今の日本人が卑屈になっているのと同様です。
      正しく歴史を学ぶことが、東方人も日本人も、誇りと先祖への感謝を取り戻すためには大切なことなのだと、改めて思います。

      神社の萌化は、個人的には嫌いではありません。
      なんだか微妙にマッチしていますし、ほっこりする部分もなくはない。
      御朱印ブームも良いのではないでしょうか。
      マナーが悪いのはナンセンスですが、表向きの境内は気軽に訪れても良いのだと思います。
      祭りなんてのは賑わった方が良いのですし。
      ただ奥地の聖域などを訪ねる際は、やはり敬虔な気持ちで参拝したいものです。
      僕などの撮影者も、マナーを忘れがちです。
      その辺りは常々気を付けたいと気を引き締めています。

      いいね

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