古戸野神社:常世ニ降ル花 天之高原篇 01

投稿日:

pc230743-2024-12-31-18-00.jpg

その聖地は、美しすぎた。

c1d-2024-12-31-18-00.jpg

e382b9e382afe383aae383bce383b3e382b7e383a7e38383e38388-2024-12-28-6.21.36-2024-12-31-18-00.jpg

九州の神話の里といえば高千穂が思い浮かびますが、古代から延々と守り継がれた神々の地は、もう少し西寄りであると、彼女は言います。
そこは山深い高千穂よりも更に山深い、宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町の「桑野内」(くわのうち)と呼ばれる場所でした。

c230798-2024-12-31-18-00.jpg

桑野内の北端に、綺麗な三角錐の山があります。

c230796-2024-12-31-18-00.jpg

これは烏岳(からすだけ)と呼ばれる山で、

c230800-2024-12-31-18-00.jpg

山頂は先の三角錐の突き出た場所になります。
佐織さんによれば、烏岳は八咫烏の山だといいます。
彼女の実家は、桑野内を中心とした膨大な山を所有しており、今は叔父様がその家督を継いであるとのこと。
烏岳もその一つなのでしょう。

c230788-2024-12-31-18-00.jpg

烏岳の麓には、「桑野内神社」(くわのうちじんじゃ)が鎮座しています。
創祀の年代は不詳ですが、三ヶ所宮の原の二上山山頂に鎮座する二上大明神「三ヶ所神社奥宮」の外宮として建立された、と伝えられているそうです。

c230789-2024-12-31-18-00.jpg

祭神は三ヶ所神社奥宮に倣って「伊弉諾尊」(いざなきのみこと)と「伊弉冉命」(いざなみのみこと)。

c230790-2024-12-31-18-00.jpg

素朴な境内には、比較的新しい社殿が建っていました。

c230791-2024-12-31-18-00.jpg

当社は天文6年(1537年)に宝物殿が再興されましたが、その時、般若経六百巻が奉安されたのだそうです。
この般若経は応永10年(1403年)から同13年(1406年)の間に書写され、豊後玖珠郡長野八幡に奉納されたものでした。
それが永享4年(1431年)に、桑野内二上大明神に移されたもので、後に、内宮である宮の原二上大明神別当観音寺に移され、現在は浄専寺に保存されているそうです。

c230792-2024-12-31-18-00.jpg

佐織さん曰く、「豊後から大般若経をからって逃げてきた」という口伝があり、この般若経六百巻がそれである可能性は濃厚です。

c230793-2024-12-31-18-00.jpg

佐織さんは、代々、二上山のイザナギ・イザナミ、そして子神のヒルコを祭祀し、高千穂(五ヶ瀬)にあるという「鎮石」(しずめいし)の守人を担ってきた家の方。
彼女の家には仕来りがあり、祭祀者にはとある文字が名前に付けられるのだそうです。その文字は「左」または人を加えて「佐」。
世に生まれて「左」(佐)の字を付けられると、否が応でも祭祀者となる運命にあるということです。
彼女の名にも「佐」が付けられているので、祭祀者とならざるを得ない立場の方となります。

c230795-2024-12-31-18-00.jpg

佐織さんは世俗と切り離された世界で、ひたすら祭祀に生涯を尽くす人生を過ごしていましたが、大きな決断と共に、世俗に降りてこられたそうです。
そこで自らが祀ってきた神とは何なのか、その歴史が知りたくて、声をかけたうちの1人が僕だったということです。

1020061-2024-12-31-18-00.jpg

佐織さんが祭祀するイザナギ・イザナミは、五ヶ瀬と高千穂の境に聳える「二上山」に降り立ったと伝えられます。
二上山は『日本書紀』や『日向風土記』では、天孫ニニギノミコトが降臨した山とされていますが、これは後に書き換えられたものと推察します。
五ヶ瀬の地名は「五瀬命」(いつせのみこと)に由来するものと考えられ、高千穂では物部三毛入野の伝承がありますので、物部族による統治時代があったことを窺わせます。
しかし”X”のBruchollerieさん曰く、高千穂では、漆間は高千穂神社の神をずっと祀ってきたという事になっており、二上神も漆間の神だとのことです。
漆間は宇佐の漆島と同じ一族で、平安時代初期の漆島氏の祖「漆島時守」(うるしまときもり)の父は、津島県主の末裔で延暦17年(798年)に宇佐神宮大宮司に任命されています。

fveypsvi.jpg-large-2025-08-10-07-00.jpeg

Bruchollerieさんは『諸系譜』の「漆島公系図」を指して、建久久知の子が草部吉見神だと言います。
建久久知の子の名前が「健男組命」(たけおくみのみこと)となっていますが、確かに彼にゆかりのある熊本市内最古の神社「健軍神社」は草部吉見神社と繋がりを感じさせる聖地でした。
僕は草部吉見神「国龍命」(くにたつのみこと)はタケミナカタ系(諏訪系)の出速雄の子孫「会知早雄 」(おうちはやお/おおじはやお)と推定していますが、彼の娘が諏訪の媛「会知速比売」すなわち「阿蘇津媛」となります。

e382b9e382afe383aae383bce383b3e382b7e383a7e38383e38388-2024-11-28-7.07.00-2024-12-31-18-00.jpg

さらに系図は「建弥阿久良命」(たてみあくらのみこと)に繋がり、尾張氏とも関連してくるとBruchollerieさんはいいます。
話が込み入ってきましたが、要は二上山のイザナギ・イザナミは、漆間系の神で、物部ではなく多氏系、もしくは諏訪系の、どちらかというと出雲系の神であると考えられそうです。
つまりは、クナト大神と幸媛(さいひめ)ではなかろうかと、僕は思うわけです。

3030026-2024-12-31-18-00.jpg

ところでなぜか、桑野内神社の本殿には、あの高千穂神社と同じ「鬼八を退治する三毛入野命」の彫り物がありました。
古い彫り物というわけではなく、こう言っては何ですが、こんな辺鄙な小社に後世の人がわざわざこの彫り物を残したことに、深い意味を感じます。
さらに僕は、これに近い彫り物を、驚く場所で見ることになります。

c1d-2024-12-31-18-00.jpg

1020095-2024-12-31-18-00.jpg

佐織さんに「五ヶ瀬に行こうとおもいます」とお伝えすると、勧められた神社のひとつが「古戸野神社」(ふるどのじんじゃ)でした。

c230727-2024-12-31-18-00.jpg

昔のまま存在する神社だとのことで、参道からすでにすごい神氣を漂わせています。

c230728-2024-12-31-18-00.jpg

創建年代は不明で、社伝によると吉野朝の忠臣芝原又三郎入道性虎が押方村芝原から桑野内横通に移ったとき、芝原に祀られていた熊野三社権現をこの地に勧請したのが初めだといわれているそうです。
明治4年(1871年)に現在の古戸野神社と改名され、現在は「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」、それに「迦具土神」を祀り、「菅原道真公」を合祀したとのことです。

c230729-2024-12-31-18-00.jpg

この熊野三社権現も、元は二上山の神が祀られたものかもしれません。
そう考えると、子神のヒルコ神の元はサルタ彦であり、古戸野神社ではカグツチに変えられたのかもしれません。

c230730-2024-12-31-18-00.jpg

手水舎の水はご神水としていただけるのか、柄杓が置かれてありました。

c230732-2024-12-31-18-00.jpg

また、腕の良い石工さんがいらっしゃるようで、境内のあちこちに、彫刻された石像がちょこんと置かれていました。

c230734-2024-12-31-18-00.jpg

とても静謐で、しっとりとして良い神社です。
今はインバウンドでワヤクチャになった高千穂とは別世界。
神の地とは、こうあるべきです。

c230736-2024-12-31-18-00.jpg

佐織佐織さんさんは、昭和の時に、高千穂峡が新婚旅行の地として観光を打ち出すまでは、今とは全く違った、何もない場所だったと言います。
これは、「高千穂ですが江戸期は神社は一軒も無かったと土着の若き(そろそろ50かな)研究者に聞いて居ます 明治の廃仏毀釈により、ことごとく破壊のち神社が造られた」とXで教えていただいた、アシュラさんの情報と一致します。

c230738-2024-12-31-18-00.jpg

高千穂はメディアが紹介し、名だたる霊能者やスピリチュアリストが絶賛しまくり、人が押し寄せ、なんちゃってスピ人が至る所で勝手な何かをしまくる始末で、物理的にも精神的にも、もはやまともな聖地とは言い難い状況なのではないかと危惧するところです。
往古の高千穂は今のような神社はなかったかも知れませんが、聖地として重要な場所であったことは間違いありません。
20年ほど前のことになりますが、大晦日から元旦にかけて娘と2人で着物を着て、年越し参拝に出かけた時の高千穂は、まだしっとりとしていて、麗しくも神威に満ちていました。

c230739-2024-12-31-18-00.jpg

名だたる霊能者やスピリチュアリストが見つけられなかった聖地、

c230757-2024-12-31-18-00.jpg

想像を超えた雲の上の世界に、鈴の音が鳴り響く最後の年の2024年12月23日、僕はここに辿り着くことができました。
天の導き、佐織さんとの出会いに、心の奥底から、感謝の気持ちが湧き出る変若水のように溢れて止みません。

c230753-2024-12-31-18-00.jpg

神が降るような場所。

c230758-2024-12-31-18-00.jpg

古戸野という名の由来は何なのでしょうか。
古殿、降る殿(神)、古戸(ふっと)、不土野(ふどの)…

c230759-2024-12-31-18-00.jpg

佐織さんは、鎮石の場所は高千穂ではなく、この五ケ瀬桑野内、宮原の迫にあるのだといいます。
また、岩戸開きの場所もしかり。
古戸野の”戸”は、岩戸を示しており、要石を言い表しているのかも知れません。

c230760-2024-12-31-18-00.jpg

この古戸野神社の神職は、興梠家となります。
興梠家は”興呂木”とも書きます。

p7070876-2025-08-10-07-00.jpg

橋本家と興梠家は、厳格で密接な姻戚関係を築いてきました。
僕は当初、興梠家といえば高千穂の興梠家のことだと思い込んでいましたので、ここに違和感を感じていました。
その違和感は、のちの佐織さんとの会話の中で、思わぬ解決を見ることになるのですが。

c230769-2024-12-31-18-00.jpg

橋本家がその家の祭祀者に代々「左」の字を入れるのに対し、興梠家では「右」の字を入れるのだそうです。

pc230770-2024-12-31-18-00.jpg

左大臣と右大臣。
神門などに神に侍る者として、この両神が祀られることがあります。

c230762-2024-12-31-18-00.jpg

佐織さんのお母様の名前は「鈴」さん。
鈴さんの名前は、アメノウズメから付けられたのだと、佐織さんは言います。
佐織さんに戸籍の写しを見せていただきましたが、確かにそこに、「すず」の名前がありました。

c230763-2024-12-31-18-00.jpg

また、桑野内の鎮石は、厩戸の後ろ戸にあるのだとも教えていただきました。
後ろ戸とすず。
そう、あの話は、間違いなく佐織さんの家の話を描いたものです。
ただ監督も、佐織さんを直接取材したわけでもなく、怪しいリークでも受けたのか、ストーリーは肝心のところが正しくありません。
まあ、フィクションだからそれも良いのか。

c230764-2024-12-31-18-00.jpg

鈴さんの生まれは「辰年」。
そして鈴さんは、2024年の辰年の今年、東国の神の地にて、カムロギ一族のイザナギ、イザナミの橘の任務を果たし終えつつあります。
鈴さんの任務は辰年にて娘に引き継がれ、終わりになる。
永い、永い仕来りは、終わりを迎え、おそらく鈴さんは、そこで自由になるのだろうと、思われます。

c230768-2024-12-31-18-00.jpg

奇しくも僕は、2024年辰年の、年の瀬が差し迫るギリギリのタイミングで、彼女の聖地を訪れることができました。
それはひょっとすると、アメノウズメの『すず』の音に導かれたのかもしれません。

c230780-2024-12-31-18-00.jpg

ただ、行ってきただけの僕の行動に、何の意味があったのだろうかと自問します。
しかしこれをきっかけとして、2025年は明けから、また新たな物語が始まったのでした。

c230779-2024-12-31-18-00.jpg

五ケ瀬の桑野内の宮原の迫の、厩戸の後ろ戸にあった記憶と共に、鈴の音を鳴り響かせながら。

c230778-2024-12-31-18-00.jpg

c1d-2024-12-31-18-00.jpg

mg_6083-2024-12-31-18-00.jpg

桑野内には、五ヶ瀬ワイナリーがあります。

c230805-2024-12-31-18-00.jpg

そのワイナリーの丘からは、

c230803-2024-12-31-18-00.jpg

阿蘇五岳が見えていました。
この場所は二上山から昇る朝日を受け、阿蘇山の方に沈む夕日を見て、次は月が昇り、やがて降り落ちてくるかのような星々が煌めく場所。
佐織さんは、「二神大明神」を通して拝む先は、阿蘇山なのだといいます。
二神大明神が、古代からずっと阿蘇山の噴火を封じて押さえつけてきたのだと。
それほどの霊力を維持するためには、過酷な仕来りがあり、また明治以降、隠し通す必要があったのだと。
普段はよく涅槃の姿に例えられる阿蘇五岳ですが、

c230720-2024-12-31-18-00.jpg

高岳と

c230719-2024-12-31-18-00.jpg

根子岳はこうしてみると二神の山で、間に子供の山もあります。

e382b9e382afe383aae383bce383b3e382b7e383a7e38383e383882024-12-287.13.06-2024-12-31-18-00.jpg

そして福岡新宮の立花山と三日月山も夫婦の二神山で、それを繋ぐラインに、阿蘇山とあの宝満山・大根地山も重なります。
山は自然に出来たものですが、そこに夫婦の二神を見出した古代一族がいたのかもしれません。

c230801-2024-12-31-18-00.jpg

五ヶ瀬ワイナリーの丘には、不思議な舞台があるのですが、あれは何なのか。

c230802-2024-12-31-18-00.jpg

佐織さんによれば、ワイナリーの敷地も元は彼女の家の敷地であり、平安時代以前は彼女の家が祭祀をする社があったとのこと。

pc230717-2024-12-31-18-00.jpg

クナトと幸媛とサルタ彦のサイノカミを火の山に祀った者がいたのかどうか。
幸媛のまたの名は佐比売(さひめ)。
そうであれば、二神の祭祀者につけられる「左・佐」の仕来りは、彼女に由来するものかもしれません。

c2308062-2024-12-31-18-00.jpg

そろそろワイナリーを後にしようとしていたら、まるであの物語りにでてくるかのような、真っ白な猫に導かれました。

c230807-2024-12-31-18-00.jpg

こっちにこいよ、とでも言わんばかりに。

c230808-2024-12-31-18-00.jpg

佐織さん【 佐織さんのブログ『ヒルコ』

アメノウズメの鈴ちゃんは『天の岩戸』で3人のヒルコ達を授かった
ヒルコのリアルすずめの戸締まりの終了
ヒルコのカムロギの里に導かれた五条桐彦さん

32件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    第一次物部東征においては、本当は東征であったのか、救援要請の様なものであったのかは正直わかりませんが、一つだけ、橋本の神様は貸してもらえなかった様に思えます。

    五ヶ瀬に行って思いましたが、あの様な絶海の孤島からどうやってヤマトを飲み込み、鎮めていくのか

    そう言うものが自然に生まれるのだろうかと思いました。

    逆に母系同士の反目の方が自然な気がする。

    但し、興味深い設定はあります。それが正当竹内文書

    第4代のスキトモ大王は何と物部系で!九州に都を持っていたらしい。

    孝安大王などの孝の字が付く時代を倭国大乱期としています。

    さて、神門臣家ワニ氏は、クニオシヒトですよね、私は出雲伝承以外でもう一つ政権交代があったかもしれないと思う様になりました。

    つまり、神門臣家の政権が奈良で生まれたのではないかと。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      神門家の政権、或いはそれは多氏を巻き込んだものかもしれませんね🤔

      いいね

      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110

        そうです。

        多臣家や宗像は東征側の様に思います。物部東征という言葉が実態を隠す言葉の様にも思えます

        いいね: 1人

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    初めてコメントさせて頂きます。自分のルーツを調べるなかで、天月ブログ様の(楠木探訪録 その150 橋本)にたどり着きまして、そこから楠木正成と高鴨神社、出雲口伝と最近になり、五条様のブログにたどり着きました。そこで、この次の話を読ませていただきたく、突然ではありますが、コメントさせて頂いた次第であります。よろしくお願い致します。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      こんにちは。
      コメント、ありがとうございます。
      メールを頂けますと幸いです。

      chirico.5joe@gmail.com

      いいね

  3. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    例の映画、色々映像制作の業界も当たってみましたが情報リーク元は辿れませんでした。ブレーンは多い方だそうなので曲がって伝わったり、意図的に曲げることは十分考えられます。 さらに… 椅子になってしまう男子の家のモデルに、我が家が使われているんじゃないか?と、2022年中に教えられました。 ”祖父の代まで”が陰陽師同然の影仕事。「彼はなぜ宗像姓?」 うちの姉妹二人が沖の離れた禁足地の島に埋葬されていて、私一人だけ地上… 「三姉妹だったら宗像三女神みたいですね」 と、2017年頃には神社関係者に言われていたことも妙にひっかかります。杞憂ならいいのですが😞

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      いろいろと匂わせ、多くの人がさまざまな考察をし、話題となった作品だけに、背景が気になるところではありますね。
      断りもなく古い家の実情が引用されたとなれば、内心穏やかではないことですが、それはこの『偲フ花』も同じことかもしれませんので、ことさら配慮せねばならないことだと感じます。

      いいね: 1人

      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110

        私も横から失礼致します。

        今回のヤマレコは色々デフォルメしてまとめまして、暗いところはオミットして纏めました。また、四国や諏訪の話も出して少し注意を逸らしています。

        特に群馬の方はあちらの家のお名前ですぐに意図しない余計な事が分かってしまうところもあろうかと思いました。悲しい事は伝わる必要は無いかと。

        ただ、日本全国の一般大衆の橋本さんや興梠さんは見ただけでザワつきそうですね。色んな受け止め方が発生しそうではありますね。

        また、もう一つ陰陽師の方の存在を知っていますが、きっとそれぞれに近い何かをあの映画で感じるのだと思います。

        もしかしたら橋本は一つでは無いかもしれませんし、そもそもが磐座は破壊されぬ様、あの小さな橋本から大型化し、古墳に繋がったのかもと言う気もして来ます。

        人間椅子と聞いて、バンドのシャバダバデュアを思い出してしまいました。いい曲だ。これも受け止め方の一つ(てへぺろ)

        一つだけ願いを込めてみました。ラインで送った後ろ戸のあの小さな石達をみて、S様が「石がこんなに。」と仰ってたのを見て胸が締め付けられる思いでした。

        一人でも多くの方があのダミーのお社で要石の御霊に手を合わせてくださいます様に。

        いいね: 1人

  4. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    一世に生まれて「左」(佐)の字を付けられると、否が応でも祭祀者となる運命にあるということです。一

    おおお。。。

    私の友達に稚佐登さんという年上の方がおりまして、彼女が第二の人生は、私はイタコさんが向いてるんかなあと笑っていつも話すんです

    (@_@;)

    佐や左がつく人って。。でもあれですよね、それは、その一族の方達の中でっていう意味ですよね(^_^;)

    佐や左がつく人は普通に周りにいますもんね。

    漢字って不思議ですよね。

    私は千がつくんですけど、親友は全員、千が名前につきます。全員といっても私入れて4人ですけど。でも4人全員、名前に千がつくのはすごい偶然だなあ、それも始めにつくんですよね。

    ああ、漢字のこと考えるの楽しいですね。私が神様の名前に興味持ち始めたのは、恐らく漢字の謎に魅せられてるというのも大きいかもです。

    でも。ホンマに新開監督さん?とせとも脚本家の人なんですかねえ、どういう経緯であの映画が出来上がったんですかねえ。。。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      もちろん、橋本家の中だけでの意味合いです。
      “集合的無意識”的な命名もあるかもしれませんが、そういったことは僕の範疇ではありません。
      ただ、愛し合って生まれて来た子供に名前を付けるということは、僕らが思う以上に深い意味があるのかもしれませんね。

      あの映画の内容は、非常に佐織さんの家に起きたこととリンクしており、監督がどこからか、その情報を得たのではないかと想像されます。
      しかし、意図的かは分かりませんが、大切な部分で齟齬があるのも確かです。
      とは言っても、フィクションかつエンターテイメントですから、取り立てて騒ぐことでもないかと思っています。

      いいね

  5. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    五条さんおひさしぶりです。

    やっと母の50日祭があけ、

    初盆?です(神道なのでなんと、いうのやら)こないだから、ようやく神社参拝を始めました。ここ3ヶ月は怒涛のバタバタでやっと落ち着いた次第です。

    うちの家系は、祖父母が某宗教団体に翻弄されたため、大事な過去帳が全て焼かれ、そのために分断された親戚のじいさんが唯一隠し持っておられた曾祖父ちゃんの手記や日清戦争の手記なんかでルーツがやっとわかりました。

    それで、祖父母がなくなった後、うちの父母の代で無事にその某宗教団体とは手を引くことができ、これからどうしようかお墓、どうしようか葬儀。。。で、この代から出雲大社教となりました。で、

    うちの長男夫婦が、もうそれはそれは千家さまに心酔しておりまして。。まあ、あの。。今となっては向家の口伝を知ってしまった私はなんだか複雑な気持ちではありますが(^_^;)

    宮司さんが、かくりょの大神。。と唱えられたときに、その大神は大国主命こと、八千矛さまなんだよなあとか、口伝やら別のことが頭をよぎって集中できませんでした。

    前置き長くなりましたね。すみません。偲ふ花モードにやっと戻って参りました。

    で、この神社。前からブログ読んで写真見てるだけで、なんかザワザワするんですよね。同じザワザワを安来にある出雲路幸神社(もとは佐為神社)や、天理の石上神宮にも感じたんですよね。ザワザワするんですよね。

    説明できませんが、二度見してしまうんですよね、なんか。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      出芽のSUETSUGUさん、おひさしぶりですね。
      初盆、神在月も出雲族の墓参りだと言いますから、お盆にお母様の御霊をお迎えするのは、良いことですね😊
      富家視点ではどうしても千家家を斜めに見てしまいますが、絶え間なく、この世の安寧を祈っておられる千家氏の姿は、歴史はさておき敬意に値します。
      むしろ、身勝手で独善的な思いを持ち込むスピリチュアルのほうに、複雑な気持ちがよぎります。
      ザワつきは、そこに訴えかけるメッセージがあるのでしょうね。
      大事なことなのかもしれません。

      いいね

      1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

        身勝手で独善的な思いを持ち込むスピリチュアルとは、どんなことを指すのでしょう。

        身勝手な想いなら、私は毎回勝手に妄想しながら聖域に踏み込んでいるかも知れません(^_^;) 全く見当外れかもしらんことを意味を求めて彷徨っとりますが笑

        いいね: 1人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          うまく言い表せませんが、一方的な思いを持ち込むこと全般に言えると思います。
          それは当然、僕も当てはまると自覚しています。
          自然神は本来、人と関わらないことが最善である、というのが、僕の考えです。

          いいね

  6. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

    新居様、コメントありがとうございます。
    メールにて、ご連絡いたします。

    いいね

  7. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

    左イでサイ、面白いですね!

    いいね: 1人

  8. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    最近気になるのが、佐久とクナドは同義語だという柳田國男の解釈。佐毘売と佐久奈度が夫婦で対になってるのでしょうか。佐久奈度神社って滋賀県にありますよね。。佐久多神社とか、佐為神社とか佐がつく神社は何がしかサイヒメとクナド大神が祀られてるのかなと思いました。

    そういう意味では佐という字がつく女系は。。古代から何か特別な役割を与えられていた、というのはフムフムと思いました。それに関係があったらすごいな、と思います。

    また、出雲王家女系の持つ力で格別とされたのは、

     ①サイ(幸魂) 幸 佐 狭 差  

     ②クシ(奇魂) 奇 櫛 籤 

     ③ヌナ (宝玉)(翡翠勾玉)沼  

         渟名 奴奈

     ④タマ 玉 多麻 魂 靈

    順番はわかりませんが、この音の漢字がつく姫巫女は祭祀力が格別だったのではないでしょうか。奴奈川姫の奴の字はどうかなとは思いますが。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      なかなか興味深いですね😊

      いいね

  9. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    出芽のSUETSUGU様コメントに横レスも失礼かと思いまして、新規投稿で書かせていただきます。五条様のお考えとも一致いたしますが、物部の本流族は祭祀能力が無かったものと思っております。なにぶん口伝ばかりで公式家系図で辿っても謎が多い部分、しかし私の祖先の系統は代々祭祀を授かる立場にあった事から、出雲族への”祭祀役外注”ばかりでなく、出雲から迎え入れられた一部の子孫と考えたほうが納得ができる部分が多いです。本家筋は明治の改革において神職の座を退き表立っては出来ないものの、極めて身近な母方の曾祖母やもう一代前など身近なこの150年の間も「女系」の能力者から選び陰の祭祀を執り行ってきたことから、繋がって視えてきた部分があります、令和6年後半からのタイミングが面白すぎてなんと言葉にしたら良いやら… 西出雲東出雲どちらとの関係も証拠を見つけたいところです。

    いいね: 1人

    1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

      姫様=ヒルコ様のブログもフォローさせていただき、読んでいくとリンクする事だらけ。2ヶ月前の宮崎訪問がアララギ遺文、鬼八伝承ダイレクトだったのも「今しかない」タイミングだったのかと思います。

      いいね: 2人

      1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

        不思議なタイミング、と言うのはありますよね。
        今年もどんな出会いがあるのか、楽しみです。

        ところでKanekoさんは、当ブログの限定記事はお読みいただけていたでしょうか。
        後ほど解除キーを記したメールをお送りさせていただきます。

        いいね

  10. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    明けましておめでとうございます。

    振る戸の神社。と思いました。

    フルやフユは、古代では『ナヰフル』地震をおもわせる言霊のようなので、そこから、くしふる神社のことも前からどうも気になり行きたいなあと思いました。久士布流は奇し振るだと、なにかで読みました。五条先生は九州にお住まいなのでうらやますぃ〜🐰

    どうも、サイ(幸、才、塞、佐為、狭井)やクシ(奇し、櫛)という音は、古代では霊妙な呪力を持つ音とされているようですね。これは私の想像なのですが、赤い櫛や道祖神など、何か刺すものやそこに据え置くことで悪霊を遮る力を持つ護符的なものだったと想像しました。サイやクシがつく神様は霊力があり祭祀をつかさどっていた神様なのかなあとも思います。まさに幸魂奇魂ですね。サイヒメ、クシヒカタ、クシイナダヒメ、などなど。(そういえば市杵島姫も別名サイがつきましたっけ?)そしてサイやクシは太陽信仰を思わせます。

    それからこれはただの余談、小話ですが、クシは粗末にすると祟られると小さい頃親から聞いたことがあり、高田崇史氏のとある面白い小説には、クシの名前がつく神様は、本来は祟る神だとありました。そもそも祟る神とは後世の人間が勝手に解釈してつけたがるものなので個人的にはあまり好きではないですが。それに権力の座につこうとするものが、厄介に思った手強い存在のものを左遷したり殺めたり。そのやましさから祟りを恐れ鎮めるために、被害者を丁重に祀ったりしてる感じが否めませぬ。

    また真偽のほどはさておき、神社境内の裏手にある若宮社という存在自体が若くして苦渋の想いをしたお方や不慮の争いに巻き込まれてお亡くなりになった神様を鎮めるお社だという説もあり、ならば美保神社に祀られているクシヒカタはクシと名を持ち、しかも裏手の若宮社に祀られているのだけど一体どゆこと?と思ったことがあります。

    すみません、話が脱線したので元に戻します。何が言いたいのかといいますと、太陽信仰である幸魂奇魂のサイやクシと対になるのが、フルやフユ、ユラであり荒御魂(荒御霊)を表すのかなあと考えました。単なるカンとか妄想、想像ですけど(^_^;)

    ユラは揺らす、揺れる。例えばフルやユラは星神信仰で封印された香香背男。フルユラ、星が降る、キラキラと揺れるのが星っぽく、また、星といえば隕石の破壊力は超絶荒御魂ですよね。隕石、地震、天災、そしてそこからの再生。起死回生。死者をも蘇らせるとされる、ユラユラフルベの祝詞。

    そして星といえば北極星や北斗七星を崇めていた徐福を祖神とする物部の存在。しかし、石上神宮は和爾を占拠した物部を経由する前は、出雲建雄こと出雲振根、フルの名がつく霊妙な力を持つ出雲王家の存在がちらつきますよね。これは西出雲王家を思わせますね。そして高志の国を統治していた大名持天之冬衣もこちらのブログで西出雲王家に途中で?なったと読みました。フユ。そういえば天之冬衣の重蔵神社にも要石がありますね。それから羽咋市の大穴持像石神社、御祭神の大名持とは天之冬衣なんじゃないの?と思ってます。フユフルも、サイ、クシと同じく元々は、出雲から来ている祭祀の時の言霊なのではないでしょうか。

    細菌は西出雲王家と物部の関係が気になります。それと同時に出雲振根の一族が持つと言われる、まるでユラユラフルベそのもの、死者をも蘇らせる呪力?やその謂れのある神社、大変興味津々です。ただこの説は振根が実は生きていたということではなくて、振根の子孫がということなのだと思いますが、正直多少の胡散臭さは感じつつも、深掘りしたくなりました。

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      僕は、物部族は決定的な祭祀力を持ち合わせていないのではないか、と思うところがあります。
      なので、第一次物部東征は失敗したと。
      それだけに、祭祀力、霊能力といっても良いかもしれませんが、他家が有しているそれを欲したのかもしれません。
      逆に、祭祀を守るということには、常軌を逸した執念を持ち得たのかもしれません。
      今回の姫さんの話を聞きながら、改めてそう感じました。

      いいね: 1人

      1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

        秋上家が東出雲王家の宮殿そのままの状態で神魂神社を占拠し、守ってきたことや、

        石上神宮で摂社と今は位置づけられている出雲系の神社の方が本殿よりも高い位置にあるのをみると、元々は出雲系だった聖域に物部が、という経緯がわかるような気がしました、そして出雲の祭祀力をリスペクトしていたというのもわかります。神事を守り続けていたり、それに執着していたというのも、県外のお社を巡り、そして五条先生のブログを読んでいくうちにそんな気が私もしてきました。

        全てのルーツを持つ、幸姫のことがもう少し詳しくわかるといいなあと思いました。

        いいね: 2人

  11. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    新年おめでとうございます。素晴らしい本物の場所に辿り着かれたこと、細い糸じゃなく太い糸で結ばれてそうですね。高千穂町観光協会ほかのこの10数年の愚行(はっきり言います)をスカッと仰って頂いて新年早々ニヤッと..
    25年前はボート乗ったら「延長料金いらないのでごゆっくり」→数倍値上げ … 何かに魂売ったようです。
    白猫様、昨年我が家でも保護しました。やせ細ってボロボロの子、ダ◯◯ンと妻は即名付けました。
    全く別件で長野県佐久市ご出身の当該監督様ともお会いしまして、私もとあるFM番組出演の際にコメントを頂きましたが、検証話+フェイクで作品を作られているのは確かです。おっとこれ以上は誰か来そうだ案件なので詳細は書けませんが、お察しのことはほぼ… 本年も宜しくお願い申し上げます。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      明けましておめでとうございます🎌
      高千穂は僕も娘も好きな場所なのですが、確かにあのボートの値上げはいただけませんでしたね。
      オーバーツーリズムでやむなし、という理由ではあるようですが。

      僕は、かの監督の作品は好きで、結構観ているクチではあるのです。ムーなんかも、エンタメとしては面白い。
      監督が姫さんにまでたどり着けていたら、さらにすごい作品になっていたのかもしれません。

      いいね: 1人

  12. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    金剛山系には北の端が、尾張氏の居た二上山でしたね。

    九州と奈良の地名の類似性ですが、厳密にいうとどっちが先かわからないですよね。

    生駒とは••

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      どっちが先か、確かに。
      三毛入野の話が出てくる場所なので、早くても第一次物部東征後のことでしょうね。

      いいね

  13. Hitomi のアバター Hitomi より:

    古戸野神社は、とても神秘的ですね。物見遊山で立ち入るのは、畏れ多い気がします。 素晴らしい場所を紹介して下さって、ありがとうございますm(_ _)m

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      時間帯や天候にもよるのかもしれませんが、とても神々しいところでした。
      車は広い場所に停められるのですが、神社までの道が細い場所もありますので、行かれる際はご注意ください。

      いいね

  14. asamoyosi のアバター asamoyosi より:

    五条桐彦様 いつもありがとうございます。来る年においても、さらにご研究を究められますよう、お祈りしております。 asamoyosi

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      asamoyosi様、こちらこそ本年もありがとうございました。
      仕事も四苦八苦の毎日ですが、旅だけは変わらずに楽しめております。
      冷え込みそうですのでご自愛いただき、良い年をお迎えください。

      いいね: 2人

出芽のSUETSUGU への返信 コメントをキャンセル

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください