一之宮貫前神社にて:上州逢引物語⑨

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群馬県富岡市一ノ宮にある上野国一宮「一之宮貫前神社」(いちのみやぬきさきじんじゃ)へとやって来ました。
此処へは2度目の訪問となります。

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前回訪れた時は気づきませんでしたが、当社は鏑川左岸のこんもりとした蓬ヶ丘(よもぎがおか)に鎮座していました。
“下り宮”である一之宮貫前神社は、この蓬ヶ丘の上に登り、大鳥居・総門をくぐって今度は石段を下り、綾女谷と呼ばれる場所に鎮座する本殿へと参拝することになります。

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社伝によると、創建は安閑天皇元年(534年?)3月15日、鷺宮(さぎのみや)に物部君系の磯部氏が経津主神(ふつぬしのかみ)を祀り、鷺宮の南方に位置する蓬ヶ丘綾女谷に社を定めたのが始まりとされています。

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一方、室町時代成立の『神道集』には、安閑天皇2年(535年?)3月中頃に抜鉾大明神が笹岡山に鉾を逆さに立てて御座、白鳳6年(677年)3月に菖蒲谷(あやめだに)に社壇が建立されたと記載されています。

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安閑大君は、富家本家の次男にして26代継体大君となった「富彦太」と、蘇我家の「刀自姫」(振姫)との間に生まれた皇子になります。
一般的には物部君は毛野氏と同族と考えられていますが、果たして当社の主祭神は経津主神であろうか、と僕は疑問に思います。

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というのも、見事な「下り宮」である一之宮貫前神社は、三大下り宮の他の2社同様、豊王家にとって重要な聖地であっただろうと僕は考えているからです。

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下り宮というのは何処もそうですが、参道を一歩一歩降りていくと、まるで深海に沈んでいくような感覚に陥ります。

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そして降り行く先に見える龍宮の門、その左手前には、

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海底を優しく照らす月の神がいました。

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この特別な末社は「月読神社」であり、月夜見命を祀っています。
合祀されている社久司社はミシャクジ様でしょうか。ちょっと気になります。

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一之宮貫前神社では、下る手前の総門横、蓬ヶ丘の上に、ほとんどの末社が集められて鎮座しています。
この場所は、貫前神社で12年ごとに行われる式年遷宮の際の仮殿敷地であり、重要な場所ではあるのですが、

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やはりこの月読神社の存在感だけは格別です。
社殿は、寛永12年以前の本社の旧拝殿で、牛王堂として使用されていたものだそうです。

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ちなみに同じく末社の日枝神社が旧本殿と伝えられます。

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末社・月読神社は明治時代になってから祀られたもののようですが、明治だからこそ、あえてここにツクヨミを置いたのかもしれません。

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祭神は物部氏の祖神たる「経津主神」と、詳細は不詳で一説には綾女庄(当地の古い呼称)の養蚕機織の神とされる「姫大神」(ひめおおかみ)となっています。
『和名抄』には甘楽郡に「抜鉾郷」と「貫前郷」の記載があり、『六国史』をはじめとする古書には、「抜鉾」(ぬきほこ)と「貫前」(ぬきさき)の2つの社名で記されていたという当社。
延長5年(927年)の『延喜式神名帳』においては、「貫前神社」のみが名神大に列格されています。

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「抜鉾」「貫前」の2社においては、もともと二柱の神がそれぞれ別の場所で祀られていたとする「2神2社説」と、『延喜式神名帳』には「貫前神社」を1座としているので両神は1神と見るべきとする「1神1社説」があります。
僕は前回の訪問で考察した通り、ここは豊来入彦率いる豊族の聖地であり、nokananさんに同意して「竹葉瀬ノ君」の宮もここであったろうと考えています。
不詳の祭神とされるのは、宇佐神宮と同じく「豊玉姫」、もしくは『一宮巡詣記』で「本尊稚日女尊」と記載されていることから、その娘「豊来入姫」であろうと思われます。

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当社の前宮とされる「咲前神社」(さきさきじんじゃ)が「抜鉾神」を祀る物部の神社で、当地は豊の女神を祀る毛野の神社だったのではないでしょうか。
前投稿でnari氏は、毛野部と書いて「もののべ」と読めるのでは?とコメントされていました。
nari氏のいう通り、豊来入彦は男系で言えば「物部豊彦」であるとも言えるのです。

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僕は豊彦は物部イニエの息子ではなく、豊玉姫の連れ子であったと考えています。彼の年代、性格を考えると、どちらかというと出雲的なものを感じます。
しかしイニエの息子・物部イクメではなく、豊来入彦についていった物部族もいたと思うのです。
イクメに裏切られた豊来入彦、あるいはその子孫らが、綾女谷に物部の経津主を祀ったとは考えにくいですが、彼らと共に上州にやって来た物部族が抜鉾郷に彼らの祖神を祀った可能性は高いと思われます。

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現在の社殿は江戸時代に徳川家の庇護を受け整えられましたが、当時は「抜鉾神社」が当社の一般名称であったといいます。
僕は一之宮貫前神社に経津主が祀られるのは、物部氏が当社を乗っ取り、由緒と祭神を書き換えたのではないかとこれまでは思っていました。
が、今になって考えを改めつつあります。
抜鉾郷の物部族は、豊族の綾女谷の聖地を守るために、当地を管理するようになったのではないかと。
石見の物部神社しかり、出雲の神魂神社しかり、また奈良の石上神宮奥宮・八つ岩しかりですが、抜鉾郷の聖地とされる咲前神社にも、出雲神を祀り続けてきた痕跡がありました。
考えてみれば、奈良時代まで日本の古代神道の聖地を守り続けてきたのは、他ならぬ物部氏だったのです。
彼らの末裔の何某かが、明治4年(1871年)に近代社格制度において国幣中社に指定され、延喜式での表記に倣い「貫前神社」と改称する時、曖昧にされつつある姫大神の実体を残すために、あの月読神社を建立したのではないでしょうか。

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出雲王家の口伝視点で見てしまうと、どうしても物部憎しになりがちですが、広く俯瞰する目を持たなければ見ることのできない物があるのかもしれません。
そうして心を研ぎ澄ますと、雷神小窓の横には、剣の交差紋のようなものが視えてきます。
たまたまデザイン的にそうなのかもしれませんが、”富岡”の地であるだけに、意味深です。

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豊家には、海部家(多氏)と和邇家(神門家)の血が入っていたと思われますが、富家の血も流れていたのではないでしょうか。
豊玉姫の先祖には海部の宇奈岐日女がいて、さらにその先祖に富家の豊水富姫がいたと考えています。

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非常に多くの要素が絡み合って、今に至る上州の龍宮・一之宮貫前神社ですが、僕が参拝したこの日の2年前、2023年の9月23日か24日ごろの満月の日に鈴さんと佐織さんは、橋本と興梠の戸籍の全ての名前を月読して先祖を蘇らせたのだということです。

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鈴さんは、小さな頃から暦が大好きで月信仰でした。
「今日は、五条さんがその役目だも~ん😆」と佐織さんは戯れるのですが、僕に月読ができるはずもなく、彼女に相応しい綾女谷の聖域で、とりあえず天を仰ぎ見てみたのでした。

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6件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    最近、物部さん的な辞書のHPを見ながら文字検索して答え合わせをしています。

    「天璽瑞宝」個人名の場合

    ttps://mononobe-muraji.blogspot.com/p/index.html

    「首、連、君などで文字検索照合する場合」

    https://dynasty.miraheze.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8%E6%B0%8F

    一気に難易度が上がってきましたwww

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      こんなサイトがあったとは😀
      沼の始まりですねー😁

      いいね

  2. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    鈴さん…🥹

    いいね: 1人

  3. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    まさかここで貫前神社記事はタイムリーすぎです😅 夏花の上・毛との関わり…磯部氏も そして豊。 別記事に「戦った相手に敬意の名も」とも書きましたが、祭祀の世界ではさらに「虚を捨て実を」という内面があったものと思います。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      全ては鈴ちゃんの掌の上なのかもしれません。
      なんせ凄まじい千里眼の持ち主だったとのことで😌

      いいね: 1人

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