
モモちゃんへ。
おはようございます。
突然ではありますが、24日の物部神社・鎮魂祭が月曜日なので、ワンチャン行けるなと思っています。
ご報告まで。


ということで11月24日 AM 8:30、僕は島根県大田市の式内社、石見国一宮「物部神社」(もののべじんじゃ)にやってきました。

前日、仕事終わりに奥さんの職場まで迎えに行って、家に帰ったのがPM 10:00過ぎでした。
すぐにそのまま眠り、AM 2:30には家を飛び出しました。
そして車を転がすこと、6時間。

もののべの鶴ちゃんも、「もう無理はできへんお年頃やで🥺」と憐れみの目で訴えかけます。
神事は夜の8:00ですので、朝8:00に来る必要はありません。
でも、この時間に来た理由があります。

“令和7年度鎮魂祭限定”100体!!
「十種神宝護符専用御守袋 金茶色」が、どぉ~しても欲しかったからです。

僕は今日まで、銀白色の十種神宝護符専用御守袋というものがあるのさえ知りませんでした。2022年から頒布されていたんですね。
この十種神宝護符専用御守袋は、その名の通り、「十種神宝護符」(とくさのかんだからのごふ)の専用おまもり袋ということで、この袋の中に、別途頒布の十種神宝護符を納めて初めて”お守り”となるものです。

「十種神宝」(とくさのかんだから)とは物部氏伝来の秘宝と伝えられ、死者をも蘇らせると噂されるものです。
物部神社の護符は、図式化された神宝を描いたものですが、これを手のひらに挟み、説明書にある祝詞を唱えた後、身に付けて御守りとするようになっています。
十種神宝のうち「品々物比禮」(くさぐさのもののひれ)だけは別になっており、気になる部分を撫でたあと息を吹きかけて悪いものを移す、撫で札となっています。

僕はこの護符を2セット持っていたのですが、薄い紙ですし、破損を恐れて持ち出すことをためらっていました。
なるほど、この十種神宝護符専用御守袋があれば、その憂いがなくなります。
2022年には鎮魂祭限定の本紫色が頒布され、

2023年には鎮魂祭で猿女が頭につける「美男葛」(びなんかずら)色が限定頒布されていたんですね。
どの色も素敵ですが、限定って聞くと、欲しくなっちゃいますよね。

十種神宝の内容は一般には、
・沖津鏡(おきつかがみ)
・辺津鏡(へつかがみ)
・八握剣(やつかのつるぎ)
・生玉(いくたま)
・死返玉(まかるかへしのたま)
・足玉(たるたま)
・道返玉(ちかへしのたま)
・蛇比禮(おろちのひれ)
・蜂比禮(はちのひれ)
・品々物比禮(くさぐさのもののひれ)
とされます。

物部神社祭神の「宇摩志麻遅命」(うましまじのみこと)は、物部氏の御祖神として知られ、十種神宝は『古事記』『日本書紀』には出てこず、『先代旧事本紀』「天神本紀」に「天璽瑞宝十種」(あまつしるし みずたから とくさ)として登場します。

これによると「饒速日」(にぎはやひ)が天降りする際に、「天神御祖」(あまつかみみおや)から十種神宝が授けられ、のちに御炊屋姫(みかしきやひめ)との間に生まれた宇摩志麻遅に譲られたようです。

宇摩志麻遅は初代天皇東征のときに忠誠を尽くしたことで、天皇より神剣「韴霊剣」(ふつのみたまのつるぎ)を賜ったとされ、天皇即位のときに韴霊剣・十種神宝を奉斎して鎮魂宝寿を祈願したのが、鎮魂祭の起源だといわれます。

後に宇摩志麻遅は播磨・丹波を経て石見国に入るのですが、その時、鶴に乗って降臨したので、降りた山を「鶴降山」(つるぶさん)と呼び、当社の神紋は「日負鶴」(ひおいづる)となっています。

で、無事、十種神宝護符専用御守袋をいただくことができ、僕の十種神宝護符はきちんと収納されたのでした。
ただ、神様に何かを願う、ということをしない僕は、お守りは丁重に、自宅のガラスケースに保管するだけ。
そもそも、「死者をも蘇らせる」宝具が存在するとも思えませんし、「飲めば忽ち不老不死を得る」変若水があるとも思えません。
本当に不信心なことで、誠に申し訳ない。



限定品を無事手に入れた僕は、その後”モモさん”と”シズさん”、それに”こモモちゃん”と合流しました。
”モモさん”と”シズさん”は以前、僕の著書『人麿古事記と安万侶書紀』の出版御礼の旅に出かけた時にお会いしたお二人です。

僕が今回の鎮魂祭に参列する旨をモモさんに伝えると、シズさんに連絡を取ってくださり、ちょうどお休みなので一緒に巡りましょう、ということになったのです。
こモモちゃんは、モモさんちの乙姫シスターズのお姉ちゃんです。神話的に言えば、”豊玉ちゃん”ですね。

で、さっそく物部神社の御神墓へお参りしようということになったのですが、

シズさんはいきなり、両手を広げて駆け出してきます。
僕も両手を広げて受け止めようとしたのですが、シズさんは僕を通り過ぎて参道傍に聳える巨木に抱きつきました。それはもう、彼氏と久しぶりの逢瀬を愛しむように。
僕より巨木に抱きつくなんて、さすがシズさん、変態です。

僕らのようなマニアにとって、”変態”とは最大級の褒め言葉です。
なので問題なし。

前回も気になった、この謎の建造物は、戦没者慰霊碑でした。

アンコールワットみたい。
戦没者の御魂は、今は祖霊社に祀られているそうです。

では、いざ神域へ参ります。

すんごい木の根道を登ります。
木の根が浮き出ているということは、下が硬い岩盤なのかもしれません。

木の根道は、根っこが階段のようになっていますが、根を踏まれると当然、木さんは痛いと思います。
なるだけ根を踏まないよう、土のところを選んで足を運びます。

すると程なくして、御神墓が見えてきました。

おお、立派になってて見違えました。

8年前に訪れた時は、こんな感じでした。
前の侘びた風情も良かったですが、今の感じも聖地然としていて良いです。

御神墓の横にある、小さな石の社も、8年前には無かったと思います。

御神墓はここ、八百山(やおやま)の山中にある古墳で、祭神の宇摩志麻遅の墓であると伝えられています。

お隣にも石積みがあり、ここも古墳なのだとか。
シズさんによれば、こちらは御神墓に眠る方の、お后である可能性もあるとのこと。
一帯には他にも古墳らしきものがあるようです。

とても素晴らしい聖域なのですが、この御神墓は、数日前に荒らされるという事件が起きました。

僕は、クマやイノシシによる可能性を考えましたが、残念ながら明らかに人力で荒らされた形跡があったとのことです。

早急に氏子さんたちによって直していただけたそうで何よりでしたが、人が荒らしたものだとすると、それはなぜ?ということになります。
これは窃盗などの金銭目的でないことは明白で、であれば反日系の人たちの仕業か、と疑いますが、いやそれならばなぜ御神墓を狙った?ということになります。
目的がそうであれば、秦氏系とされる物部氏の墓を荒らすよりも、もっと別の聖地を狙うのではないか、と思われるからです。
単なる愉快犯であっても、場所がマニアックすぎる。

“物部憎し”の人も世には一定数いると思うので、その中の行き過ぎた人がやらかしたのかもしれませんが、それでも墓荒らしというのはリスクが大きすぎます。
こと、古神道にも通じる物部氏の祖神たる墓を荒らせば、その反動がいかほどになって身に返ってくるか、普通はそのことを恐れるはずです。
そうすると僕が思い至るのは、”自分の行いが正しいと信じて行った”のではないかということで、要は ”ここに眠る御魂を解放するのだ”という信念のもとに行動した愚か者がいたのではないか、ということです。
いやまあ、分かりませんけどね。

物部氏由来の聖地、あるいは海部氏由来の聖地は、十種神宝や鎮魂祭のほか、呪術的でミステリアスであり、ユダヤ的な雰囲気も残されていたりして、オカルト系・スピ系の人でなくとも惹かれるものがあります。
この後に参加した『鎮魂祭』でも感じたことですが、そのような場所はどうしても、雑念というか人の”我”のようなものを持ち込む人が集まりやすい、と感じました。

ここの墓前に立ち、漠然たる氣配に囲まれて改めて僕が思うのは、神前においては何も願わず、何も求めず、何も為さず、謹んで有り様に身を任せることに尽きる、ということでした。
神の声が聞こえる、神の意思がわかる、という人ほど自分が特別だと考え、自然の摂理、神の氣から離れてしまう傾向が強いというのは、皮肉なものだと常々思っています。



PM 6:00
冬至が近いこの頃は、夜が一足早くやってきます。

『鎮魂祭』の神事は8:00からですが、それに先立って境内で「石見神楽」(いわみかぐら)が催されます。

氏子の奥様方が作られたであろう、炊き込みご飯と味噌汁をいただきます。
土地の慈愛に満ちた味で、どちらもボリュームたっぷり。
この他、シズさんが買ったあんこ餅もひとつ、お裾分けいただきました。

この日の神楽の演目は、「八幡」(はちまん)と「恵比須」(えびす)、それに「大蛇」(おろち)でした。

高千穂の鬼八(きはち)に由来すると思われる「道返し」(ちがえし)がなかったのは残念でしたが、それはさておき、初めてみる石見神楽。
噂通りの派手さ、華やかさで、見ていて圧倒されます。

恵比寿さんは子供たちにも人気で、

撒き餌とみたててばら撒く「福飴」に、子供たちが駆け寄ります。

すると見事、立派な鯛を釣り上げました。

最後は、石見神楽の中でも一番人気の演目「大蛇」。

高天原を追われたスサノオが、悲しむ老夫婦テナヅチ・アシナヅチ、それに稲田姫に出会います。
理由を尋ねると、八岐の大蛇が毎年現れ、既に7人の娘が攫われ、残ったこの稲田姫もやがてその大蛇に攫われてしまうと言うのです。
そこで一計を案じた須佐之男命は、種々の木の実で醸した毒酒を大蛇に飲ませ、酔ったところをバッサバッサと首を斬り、退治します。
最後に大蛇の尾を切り落とすと、そこから剣が出てきて、これを『天の村雲の剣』と名づけ、アマテラスに献上します。
そうして、スサノオは稲田姫と結ばれ、平和に暮らしたということです。

ストーリーとしてはまあ、そうなのですが、なぜか子供たちの人気はヒーロー・スサノオよりも、ダークヒーロー・ヤマタノオロチに集中しているようです。
やはり出雲族の末裔としての血が、騒ぐのでしょうか。



PM 8:00
いよいよ、物部神社『鎮魂祭』の時刻となりました。

昨夜の睡眠時間3時間半。
車を転がすこと6時間。
そして大田界隈で過ごすこと12時間にして、ようやくお目当ての神事に臨みます。

僕にとって今年2025年というのは、これまた濃いご縁に導かれ、恵まれた一年でした。
鎮魂祭も、kanekoさんが教えてくれた御神墓の事件がきっかけで、僕の休日に行われることに気づき、今日の日があります。
そして当日まで日が少ないにも関わらず、僕のために1日時間を作ってくれたモモさん、シズさん、そしてこモモちゃんに感謝絶えません。

物部神社でご奉仕された経緯のあるシズさんは、中田宮司様ととても懇意で、おかげさまで僕は拝殿内のとても良い席で参列させていただき、さらに玉串奉納までさせていただきました。
人の和、人の縁ほど尊い恵みはなく、奇しくも島根・神在月にて、そのことを深く実感いたしました。

神事は撮影・録音禁止であり、写真もここまでではありますが、物部神社の公式として、『鎮魂祭』の「猿女の鎮魂法」の練習風景の動画が上げられています。

『鎮魂祭』(みたましずめのまつり/ちんこんさい)とは、宮中で新嘗祭の前日、11月22日に天皇の鎮魂を行う儀式をいいます。
鎮魂祭はかつて、旧暦11月の2度目の寅の日に行われていました。
この日は太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期であり、太陽神アマテラスの子孫であるとされる天皇の魂の活力を高めるために行われた儀式と考えられています。
鎮魂祭は宮中の他に、宮中と同じ11月22日に同日に「石上神宮」で、春秋の年2回に「彌彦神社」で、そして新嘗祭の日を挟んだ翌日の11月24日に「物部神社」で行われています。
近年は亜流・我流の鎮魂祭が各社で行われる傾向にありますが、この物部神社の鎮魂祭が、宮中で行われるものに最も近いとされています。

新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)は宮中祭祀のひとつで、天皇がその年に収穫された新穀などを天神地祇(てんじんちぎ)に供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜りものとして自らも食する儀式のことです。
この「新嘗祭の祝日」は、今は「勤労感謝の日」と名を変えられ、分かりにくくされていますが、本来は命の恵みに感謝するために古来から守り続けられた、我々日本人にとって最も大切な日の一つなのです。

鎮魂祭では、式の初めに「十種神宝祓詞」が奏上されます。
これが『先代旧事本紀』に記述されているところの「蒼生及萬物の病疾のことあらば 神寶を以て御倉板に鎮置て 魂魄鎮祭を為して 瑞寶をふるべ (中略) 如此祈祷せば死共更に蘇生なんと おしえたもう」とあるもので、その内容から死者をも蘇生させるといわれる祝詞です。
その後、拝殿内・境内全ての灯りが消され、暗闇と静寂の中、二つの儀が同時に執り行われます。
ポスターの写真にあるように、神殿の上部では「物部の鎮魂法」、下段では「猿女(天鈿女)の鎮魂法」が
「ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり」
と両者呼応するように進行していきます。

「物部の鎮魂法」は実際には御簾がかけられ、その様子を見ることはできません。
中では数を数えるごとに、人形(ひとがた)の入った柳箱を右回りに3回半まわし振る「魂フリ」が行われているとのことです。
これは、心の魂を振ることによって真芯に据え置く、という意味があるようです。
宮中では「魂振の儀」といって、天皇の衣を左右に10回振ります。
それと、数を数えるごとに、五色の絹糸で編まれた紐の玉の緒を結ぶ「魂結び」が行われます。
これは、遊離した魂を体に結びつけ鎮める、という意味があるそうです。
「猿女の鎮魂法」では、12歳以下の女子が巫女となり、宇気槽(うきふね、うけふね)と呼ばれる桶状の箱の上に立ち、数える声に呼応しながら矛を打ち鳴らし、笹の葉をさらさらと揺り動かしながら上下に動かします。
これは宮中では「宇気槽の儀」と呼ばれ、天の岩戸開きの際のアメノウズメの舞を再現しているのだそうです。

猿女の巫女は、本番ではアメノウズメにならい、頭に美男葛(びなんかずら)、体には日陰葛(ひかげのかずら)を身に付けます。
美男葛は茎や実から粘液が得られ、古くは整髪料などに用いられました。果実は生薬とされることがあり、美しく、『万葉集』にも多数詠まれています。
日陰葛は乾燥しても緑をよく保ち、天岩戸の前で踊った際、アメノウズメはこの植物を素肌にまとったと云われています。
古来より受け継がれる鎮魂祭は、秘儀中の秘儀であり、物部神社でもかつては一般参列を禁じ、神職のみで執り行われたそうです。
その内容、響きから、スピリチュアル系や新興宗教系の人にも関心が持たれ、実際に一部そのような雰囲気の参列者の姿も見受けられました。
しかし”一口飲めば忽ち不老不死となる”「変若水」が存在しないのと同じく、”死者をも蘇らせる”ような秘宝・秘儀は存在しません。
それはおそらく、真意を僕らが勘違いしているのだと思います。
この度、幸運にも一般参列を受けた僕には、鎮魂の神事は思っていたよりもシンプルに感じられ、故にいっそう”命”・”魂”の根源を示唆する純粋な儀であると思われました。
ふるべ ゆらゆらと ふるべ…
言霊(ことだま)を意識し、意識を深部に向けることで、おそらく誰でも、いつでも、特別な祭具・儀式を用いずとも身体と魂魄の緒を結びなおすことのできる、鎮魂の儀とは、そうした日本古来の秘儀なのだと僕は実感したのでした。


narisawa110
先生も神社の方々も神事さお疲れ様で御座いました。
終わって落ち着いてみますと、神事の前に事件があり、色々が終わって収束してからの開催となり大難が小難に、小難が無難となったと思います。
私も神事のあり方には当初は、表向きは、強制的、或いは自主的な服属儀礼があったと考えています。それが例えばウズメを入れる事ではないかと考えます。
豊国に近い立場の人たちからすると、「静香ちゃんみたいな」感じで、鎮めのために衆目の前で踊らされてる訳ですから、かつては苦々しい思いはあったと考えられます。
それが形骸化し、切磋琢磨して技能を磨くのに縋る対象として、今では芸能の神になっている訳です。
伝承からも導き出せる様に本質の捉え方が変わっているわけで、昔からの因縁が姿を変えずに今回の事件になったとは思えないんですよね。確か右の小さな祠はかなりの長い間空坐になっており、それがかつては木の祠であった事が金子先生の言から伺い知れると思います。時間の流れや神社の中の変化もは緩やかで、全体を俯瞰して見ることなどは困難だと思います。
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ともあれ、事件が神事に大きな影響を与える事なかった事が幸いですね。
石柱を倒しこそすれ、破壊までには及んでないところに、躊躇いのようなものも感じました。
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narisawa110
話は変わりますが、車に白いお守り、キーホルダーには茶色い樹脂の十種神宝のお守りをつけています^_^
なんか効きそうw
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くれぐれも、安全運転と計画的なご旅行を😁
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最近、谷戸貞彦 先生の『サルタ彦大神と竜』を読み返していて、
” 石見神楽では、「竜の舞」を上演し、竜神を崇める。同じ舞台で、竜神と同じ意味を持つ大蛇(竜)を殺して得意になっている。
初めて見た他県人は、その矛盾に驚く。ところが、当の神楽の連中は気がつかない。すなわち、物の本質が見えない人がいるらしい。“
と書かれていて、人間の性をズバズバ切っているページを読んだ翌朝にupされた石見神楽の動画だったので、映像資料助かりました^ ^
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神楽は表向きはプロパガンダを含んでいると思うんですよね。
出雲や石見ではヤマタノオロチ、高千穂では天の岩戸。
これはその場所の古い歴史を隠すための神話ですから。
メディアがなかった時代の娯楽でオールドメディアだったのが神楽かな、と。
しかし、神楽を継承していった古の人たちは、そこに真実も含ませようとしたから、矛盾が含まれるようになったのではないでしょうか。
現代の神楽継承者はもはや意味を知らないのかもしれませんが、その矛盾を現代に伝えていることが重要だと思います。
矛盾こそが、真実を知る鍵です。
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記紀もお伽話もそうですが、確かに「隠された事実に気付いてくれ」の意図も含ませながら、伝えようとしますよね。
矛盾に思えるかの感性が大事ですね😊
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I didn’t translate, but I would like to say, your place is beautiful and I enjoyed the photos.
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I’m glad you enjoyed it.
The content is about special Japanese Shinto rituals.
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Ah, interesting!
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