白鬚神社:常世ニ降ル花 豊受繊月篇 07

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宮崎県児湯郡川南町の「白鬚神社」(しらひげじんじゃ)を参拝しました。

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一の鳥居から境内までは少々離れており、直線距離で2kmほどになります。

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境内入口の社標には「大本宮」の文字が刻まれます。
白鬚神社といえば、琵琶湖畔に浮かぶ鳥居が有名な、滋賀の同名社が思い浮かびますが、当社は「古来より祭神の神徳を賜んとする行者の修行神として奉られ、全国各地に分社を建立した」いわゆる白鬚社の本宮である、と謳います。

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現鎮座地への当社創建は1200年前の天長2年(825年)とされますが、それ以前から現神社後方に位置する白鬚権現山の山中にて祭祀されていました。

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“イリフネ”ノウナギ喰イセシモノヨ、ツイニココマデキタカ。

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ウナギノ勇者ヨ、”マンラク”モ攻略スルベシ。

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白鬚権現山の麓に鎮座する白鬚神社は、山の濃い氣配を感じさせつつも、雅な社殿はどこか龍宮の趣があります。

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祭神は「伊邪那岐大神」(いざなぎのおおかみ)と「建速須佐之男大神」(たけはやすさのをのおおかみ)、そして「猿田彦大神」(さるたひこのおおかみ)となります。
さしずめ、クナト王とスガノヤイミミ王、サルタ彦の出雲神を祀ったものと思われますが、都萬神社の記事で述べたように、白鬚権現山に祀られた神は「サルタ彦」一柱だったのではなかと考えます。

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境内社も出雲一色、と言って良いくらい、出雲しています。

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えべっさんに、

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ダイコクさん。

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「白鬚三宝荒神社」には「火産霊神」 (ほむすびのかみ)、「奥津彦神」(おきつひこのかみ)、「奥津姫神」 (おきつひめのかみ)の三神が祀られます。

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三宝荒神は「竈」(かまど)の神として有名。

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境内には「彌都波能売神」(みづはのめのかみ)を祀る「水神社」もあります。

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当社の元の鎮座地である白鬚権現山山中には、高さが約100mの「竜ヶ脇の瀧」があり、深淵な滝壺の奥には「竜ヶ脇大明神」と「大日大聖不動明王」を祀る社があるのだそうです。

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滝壺は磐境(いわさか)とされ、大蛇が棲み居る神聖な滝として崇め祀られ、祈雨がなされてきたと伝えられます。

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社側も、”遠き昔より、「蛇は水を好み渕や沼、池に棲み、大蛇は龍神となり水神」と崇められた”と説明し、「竜ヶ脇の瀧」の名からも、龍神信仰が古くから伝えられてきたことを窺わせます。

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さて、社名の「白鬚」ですが、滋賀の白鬚神社などでは祭神のサルタ彦は、白髪で白い鬚を蓄えた老人の姿で、長寿神であることに由来する、としています。
当社もその由来を主張する一方で、別の伝承も伝えていました。

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本殿の裏手に奥之宮として「浦島社」が鎮座しており、「浦島大神」(うらしまのおおかみ)と「大綿津見神」(おおわたつみのかみ)が祀られています。
そう、当・白鬚神社には浦島太郎伝説があり、玉手箱を開けた浦島が一瞬にして白髪白鬚の老人となったことから、「白鬚神社」となった、と伝えていました。

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社伝『白鬚神社 縁起』によると、「浦島太郎は、龍宮から高鍋町蚊口の浮き島なる鵜戸を経て帰着したが、頼りの人もなく、自然豊かで水が豊富な白鬚神社の杜に辿り着き隠棲し終焉の地としたとされる」のだそうです。

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「高鍋町蚊口の浮き島」というのは、現在の高鍋の「鵜戸神社」のことでしょう。
高鍋の平地を、古代は海だったと仮定すると、確かに浮島のごとくなります。
なるほど、白鬚神社本殿と、2km離れた一の鳥居を結ぶと、その先に鵜戸神社が鎮座していることになります。

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浦島太郎は漁師で藁蓑を常用していたので、旧暦11月12日の「フユゴメリ」祭祀には、新藁の丈ぐらいの蓑を編みつくり、約1mの小竹に蓑を被せて「神籬」(ひもろぎ)とし、お供え物を具えて「火除け」「水除け」「家内安全」「五穀豊穣」「交通安全」の祈年祭をおこなってきたそうです。
「フユゴメリ」の語源は定かではないが、遠き昔から継承してきた神事である、とされます。

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この白鬚神社の浦島伝説の話を、僕は高鍋のカレーカフェ「靜」さんご夫妻からお伺いし、大変興味を抱いて今回参拝することにしました。
というのも、浦島伝承といえば、旧丹波国・与謝郡伊根町の「宇良神社」や鈴鹿の「椿大神社」との関連が気になったからです。

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宇良神社の社伝によれば、天長2年、「浦嶋子」を筒川大明神として祀ったのが創始とあります。
浦嶋子とは、丹後国与謝郡筒川の庄の浦嶋太郎の子で、その太祖は月読命の子孫であり、さらには当地の領主であったと云います。
第2次物部東征で大和入りを果たした物部イクメと豊彦・豊姫兄妹でしたが、イクメに騙され、豊彦は東国に追いやられ、豊姫にも刺客が差し向けられることになります。
この時、豊姫は丹波に逃れ、彼女を保護したのが本庄村・宇良社の「島子」でした。
島子とは、当時、そこの首長を意味する役職名だったようです。

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宇良神社の伝承では、浦嶋子は亀に乗って海神の都にたどりつき、そこで347年もの間、乙姫と共に暮らした、とあります。
やがて地上に戻ってきた嶋子は、乙姫からもらった玉手箱を開けたところ、紫の雲煙があらわれ、それまでの紅顔の美少年がたちまち痩せ衰えた老翁となり、亡くなったと伝えられていました。
富家に伝わるところでは、宇良社の島子の計らいで、豊姫は鈴鹿の椿大神社に逃れるも、そこでイクメの放った刺客によって命を落とした、とされています。
椿大神社はサルタ彦を祭神として祀っていたので、その地で亡くなった豊姫はサル女・アメノウズメとして祀られるようになったと。

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しかし浦嶋子が乙姫と海都・龍宮で暮らしたという伝承や、アメノウズメを始祖とする猿女君や稗田氏がいることから、実は豊姫は暗殺されず、生きて宇良社の島子と夫婦となり、子を儲け、その後も密かに暮らしたという、淡い可能性を僕は感じています。
物部の刺客といえど、神に等しき偉大な姫巫女を暗殺するに忍びなく、イクメには嘘の報告をしたのではないでしょうか。
そして彼らの子孫は龍宮での長い時を経て、豊の国に里帰りをし、椿大神社の祭神と同じサルタ彦が祀られる当地に定住した、それが白鬚神社の浦島伝説の由来ではないかと考えるのです。

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宮崎の海岸線には、豊玉姫と山幸彦の神話も伝えられ、それゆえの浦島伝説かもしれません。
が、宇良神社の伝承では、玉手箱を開けた浦嶋は、そのまま老衰して亡くなったとありますが、白鬚神社では自然豊かで水が豊富なこの杜で隠棲し生涯を終えたと伝えられます。

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美しき月読みの姫巫女にも、幸せで穏やかな余生があったという微かな希望が、この白髭神社にはあるように思えたのでした。

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1件のコメント 追加

  1. Lincol Martín のアバター Lincol Martín より:

    日本の歴史、神話、そして精神性が融合した魅力的な投稿です。白鬚神社を訪れると、神社の古さと豊かな文化に触れるだけでなく、浦島太郎などの伝説、水の神々、そして地元の氏族の伝統との繋がりも垣間見ることができます。自然、水、そして信仰の継承への畏敬の念が伝わってきて、この神聖な場所で歴史、神話、そして人々の生活がどのように絡み合っているかが分かります。

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