垂水神社:八雲ニ散ル花 龍宮ノ末裔篇 01

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大阪府吹田市垂水町にある「垂水神社」(たるみじんじゃ)を訪ねます。

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住宅街の先のこんもりとした丘に鎮座する神社。

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当社は「豊城入彦命」(とよきいりひこのみこと)を主祭神としています。

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創建は不詳ですが、『新撰姓氏録』右京皇別 垂水公条によると、36代孝徳帝の時(645年-654年)に旱魃があり、豊城入彦命六世孫である阿利真公が垂水岡から高樋で天皇の宮である難波長柄豊碕宮まで水を通したので、その功により阿利は「垂水公」の姓を賜り、垂水神社を管掌したと記されています。

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豊城入彦命は記紀によると、第10代崇神帝(物部イニエ)の皇子とされ、母は紀伊の荒河戸畔の娘の遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまぐわしひめ)であり、11代垂仁帝(物部イクメ)の異母兄で、豊鍬入姫命の同母兄とされています。

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『日本書紀』によると、崇神帝は豊城入彦と活目尊(いくめ)に勅して、「共に慈愛のある子であり、どちらを後継者とするか決めがたい。それぞれの見る夢で判断しよう」と伝えたとあります。
これに豊城入彦は「御諸山(三輪山)に登り、東に向かって槍や刀を振り回す夢を見た」と答え、活目尊は「御諸山に登り、四方に縄を張って雀を追い払う夢を見た」と答えました。
その結果、弟の活目は領土の確保と農耕の振興を考えているとして位を継がせることとし、豊城入彦には東に向かい武器を振るったので東国を治めさせるために派遣させたということです。

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豊城入彦の説話は「四道将軍の派遣」の一人として語られ、東国の治定の後に上毛野君や下毛野君の始祖となったとされています。

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しかし当然、この記紀の表記には、歴史の大きな改竄がありました。
崇神帝・物部イニエは記紀に邇邇芸命(ににぎのみこと)として記されており、木花咲耶姫として記される薩摩の阿多津姫(あたつひめ)を后に迎えました。
その息子が物部イクメになります。

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しかし阿多津姫は早くに亡くなり、イニエが後妻として迎えたのが親魏和王の女王、宇佐の豊玉姫、いわゆる邪馬台国の卑弥呼とされる女王です。

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その豊玉姫とイニエの間に儲けられた皇子がウガヤフキアエズ尊、「豊彦」だったのです。

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物部イニエは、イツセらの第一次物部東征の失敗を踏まえ、大和の民衆を服従させるために強力なカリスマが必要だと考えました。
そこで目をつけたのが当時、月読神を信奉する神秘的で絶大な支持を集めていた宇佐の女王、豊玉姫だったのです。
彼は豊玉姫を后に迎え、豊彦と豊姫の二児を儲け、イクメと豊彦が将軍として成長するのに合わせて第二次物部東征を計画しました。

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そして念願の東征を目前にした時、物部イニエは死去してしまいます。
イニエは大和の10代大君とされていますが、彼は一生涯、九州の地から出ることはなかったのです。

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豊玉女王は夫の意思を継いで、イクメ、豊彦・豊姫らと共に大軍を率いて日向を出港し、いよいよ大和を目指すのでした。

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垂水神社本殿の横に、「玉之井の井戸」というものがあります。

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詳細は不明のようですが、豊彦が関係する玉となれば、それは干珠満珠の宝玉が関連しているのではないでしょうか。

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またこの本殿裏の神域は、弥生時代の遺跡があったとのことなので、ここで月神の祭祀を行っていたのかもしれません。

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遺跡を見ることは叶いませんが、

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裏参道へ足を運ぶと

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神域から吹く風に往古の営みを感じたのでした。

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拝殿から左手に降りていくと、そこは水の気が溢れる聖域でした。

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数々の境内社と、神域から湧き出る垂水の滝があります。

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垂水神社の社名の「垂水」とは、「崖から流れ落ちる水」を意味するのだと云います。
垂水の水は古くから人々の生活を潤し、また旱魃にあっては朝廷から当社へ幾度も祈雨祈願の奉幣がなされたと伝えられています。

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「石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」

『万葉集』にある志貴皇子(しきのみこ)が詠んだ滝。

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この垂水の滝が落ちる崖は、縄文時代前期の海水面の上昇により誕生した海食崖だと推測されています。

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大和に向けて出港した物部・豊連合軍は瀬戸内海を通り、東へ進みます。
しかし安芸国を通過する時、豊玉女王は病気のため亡くなりました。

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そこで急遽、安芸の宮島で豊玉女王の仮の葬儀を行うことになり、イクメは大和へ先行し、豊彦と豊姫は宮島に残ることにしました。

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豊玉女王が祀られたので、その島は神が斎く島、厳島と呼ばれるようになります。
葬儀を終えた女王のご遺体は宇佐に送られ、宇佐の御許山に埋葬されたと云います。

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先行したイクメの軍勢は大和の彦道主大君、狭穂彦王らの勢力に難航を強いられますが、なんとか大和入りを果たします。
狭穂彦の妹・狭穂姫はイクメ王と和睦して妻となり、イクメは大君の座に就くことになりました。
これによって真の物部王朝が大和に成立したことになります。

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狭穂姫は三輪山の太陽の女神の司祭者になり、「大日霊女貴」(おおひるめのむち)と呼ばれました。

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そこへ遅れて大和入りしてきたのが豊彦達でした。
豊彦は勝手に王座に座り、敵である狭穂姫を娶ったイクメに激怒して言い寄ります。
仕方なくイクメは狭穂姫と離縁し、狭穂姫はホムツワケ皇子を連れて、狭穂彦とともに尾張へと逃亡しました。

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豊国からきた豊彦と豊姫はそれぞれ「豊来入彦」「豊来入姫」と呼ばれるようになります。
豊来入姫は大和笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)で月神を祭祀し、その神秘性で多くの民衆を魅了しました。
彼女は記紀に、豊鍬入姫(とよすきいりびめ)と記されています。

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一方、豊来入彦は四道将軍として豊城入彦の名を残すことなったのです。

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豊彦と豊姫がイクメに遅れて大和を目指す途上に当地に立ち寄り、月神を祭祀した明確な痕跡が垂水神社に残されていました。
「津くよみの池」です。

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この池は垂水の滝の前にあり、重要な神跡であることを窺わせます。

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津くよみとはもちろん月読神のこと。
宇佐をはじめとする九州北部の豊勢力圏において、月神信仰の痕跡は干珠満珠神話や、このような池の神跡が数多く見受けられました。
月神の祭祀においては、清らかな水を湛えた月を映しとる水鏡が必要だったと僕は考えています。

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この津くよみの池に豊姫は身を沈め月神の神託を受ける、その幻想的な情景を、豊彦の目を借りて僕は眺めていたのでした。

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