嚴島神社(満):親魏倭王ノ都 01

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至魏景初三年 公孫淵誅後卑彌呼始遣使朝貢 魏以為親魏王假金印紫綬

「魏の景初三年(239年)に至り、公孫淵が滅ぼされた後、卑彌呼は初めて使者を派遣して朝貢した。魏は親魏王と為して金印紫綬を与えた。」

正始中卑彌死更立男王國中不服更相誅殺 復立卑彌呼宗女臺與為王

「正始中(240~248年)、卑彌呼が死に、交代して男王を立てたが、国中が服さず、互いに誅殺しあったので、女王に戻して卑彌呼の宗女、臺與を立てて王にした。」

其後復立男王並受中國爵命

「その後、また男の王が立ち、いずれも中国の爵命を受けた。」

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日本三景、そして世界遺産の一つに数えられ、往古より「安芸の宮島」として愛されてきた美しき「厳島」。
瀬戸内にぽっかりと浮かぶ厳島は、島そのものが御神体とされ、通称を宮島と称されています。

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御神体とする島の、パワーが流れ出る場所に建つのが「嚴島神社」であると云われ、その鳳凰のように両羽を広げるその姿はとても優美です。

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厳島へ渡るフェリーから見える鳥居の扁額、この時見える「嚴嶋神社」の文字はちょっと覚えておいてほしいところです。

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島に渡り、参道を歩いていると、大きな石の鳥居があります。

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そこに鎮座する狛犬はとても大きく凛々しい姿をしています。

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狛犬は阿吽の表情で鎮座していますが、この2体はつがいになっているそうです。

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静寂の中に佇む大鳥居が見えてきました。

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嚴島神社は海の上に静かに漂っています。

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入口が見えてきました。

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ここで見忘れてはいけないのが、石灯籠の上にいるカラスです。
嚴島神社では、神の使いはカラスだとされています。

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島には鹿がたくさんいますので、奈良の春日大社のように、厳島でも鹿は神の使いと勘違いする人は多いようです。
鹿を神使とする神は「タケミカヅチ」神になります。

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宮島の嚴島神社創建には「神鳥(おおがらす)伝説」が伝わっていて、カラスが神使である所以となっています。

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推古天皇の御代のある夜、「佐伯鞍職」(さえきくらもと)という者の夢の中に「伊都岐島神」と名乗る神が現れて
「自らが鎮まる場所を探している。高天原の神鳥がそなたを案内するので辿り着いた場所に私を祀りなさい」
と伝えました。

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翌日から鞍職は神の鎮まる場所を探して回ります。
そして厳島に至り、島内の数カ所を訪ね歩きますが、「養父崎浦」(やぶさきのうら)というところへ訪れた時、
「粢団子」(しとぎだんご)を口にくわえた神鳥が「弥山の山頂」から飛び降りてきます。

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神鳥が鞍職を案内した場所が現在の厳島神社だと云います。

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大きな手水鉢に水が湛えられています。

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宮島はむかし「恩賀島」(おんがじま)と言ったそうです。
また宮島の正式な名称を厳島と呼び、「神を斎(いつ)き祀る島」として島そのものが神様だったと云います。

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手水舎を過ぎたら祓戸で左右に身を祓います。

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日本三景の中でも、特に雅なこの社殿は、1996年に世界遺産に登録されました。

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廊下を進んでいると「客神社」(まろうどじんじゃ)があります。
「天忍穂耳命」(あめのおしほみみのみこと)
「活津彦根命」(いきつひこねのみこと)
「天穂日命」(あめのほひのみこと)
「天津彦根命」(あまつひこねのみこと)
「熊野櫞樟日命」(くまのくすびのみこと)
の5男神が祀られています。
宗像三女神の対になる神々で、どちらもアマテラスとスサノオの「うけい」の際に生まれた神と神話は語ります。
祭事のおりには神職も一番先にお参りするそうですので、嚴島神社参拝の時は必ずここでお参りをすべきでしょう。

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客神社を過ぎると「鏡の池」と書かれた案内板がありました。

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鏡の池は境内に3箇所あります。
水底に水が湧き出るところがあり、

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潮が引くと丸い池が現れます。

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さて、平清盛により、現在の美しく雅な海上の社が建てられましたが、社殿は本殿・拝殿・回廊など6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されています。

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そのほか、平家の納めた平家納経を始めとした国宝・重要文化財の工芸品を多数納めていると云います。

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回廊を進むと、コの字型の場所から大鳥居が見えます。
ここは「枡形」(ますがた)と呼ばれ、「管絃祭」のクライマックスで御座船や阿賀・江波の曳船をここで3回廻すのだそうですが、
これがまたダイナミックなんだとか。

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回廊を歩いていると、カタカタと床板が揺れるのに気がつきます。

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床板は釘は使わず、板と板の間は少し開いています。
これは潮が高い時や台風時に波のエネルギ-を減免・消波する構造になっているそうで、建物を守るように工夫されていると云うことです。

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いよいよ本殿へと参りました。
御祭神は、
「市杵島姫命」(いちきしまひめのみこと)
「田心姫命」(たごりひめのみこと)
「湍津姫命」(たぎつひめのみこと)
のいわゆる「宗像三女神」です。

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厳島の神と宗像の神は本来別の神だったと云う話もあります。
もともとの厳島の神「伊都岐島神」と「市杵島姫」が音韻的・神格的に類似していたため習合され、更に弁財天とも習合されたのではないかと云われています。
厳島弁財天も本殿にお祀りしてありましたが、神仏分離令により今は大願寺にお祀りしてあるそうです。

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厳島に古来より祀られる神、それは驚くべき神でした。
それは親魏倭王の印を受けた、誰もがその名を知る女王。
そうヤマタイ国のヒミコと知られる人物でした。
そして彼女は、どうやら宗像三女神とも、少なからず繋がりを持っていたということのようなのです。

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大鳥居と本殿の間にある、小高い舞台を「高舞台」(たかぶたい)と言います。
舞楽が舞われる舞台で、「陵王」「振鉾」「萬歳楽」「延喜楽」「太平楽」「抜頭」など十数曲が、今なお嚴島神社で舞われます。
高舞台は、四天王寺の石舞台・住吉大社の石舞台と共に日本三舞台といわれています。

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高舞台に対し、平らなところを「平舞台」といいます。

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左右に「右門客神社」(みぎかどまろうどじんじゃ)、「左門客神社」があり、「豊石窓神」(とよいわまどのかみ)「櫛石窓神」(くしいわまどのかみ)を祀っています。
さらにその隣に舞楽のある時に楽を奏するところで「右楽房」(うがくぼう)「左楽房」があります。

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平舞台の先は桟橋状に細く突き出ていて、この部分を「火焼先」(ひたさき)と言います。
そして「火焼先」の延長線上に大鳥居が建っています。

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宮島は「乱蛇出草形」(らんだしゅつそうけい)という風水の地形をしており、「弥山」(みせん)の山脈から5本に分岐した龍脈が厳島神社を取り囲んでいると云います。
水上に浮かぶ大鳥居は、この流れる莫大な気が散じてしまうのを防いでいるそうです。

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海上に立つ大鳥居は、境内の沖合約200mの地に立っています。

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大鳥居は何度か改修を経ていて、現鳥居は明治8年(1875年)の再建になるそうです。
棟の高さは16.6m、柱間は10.9mとなっています。

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大鳥居は土台の上に自重で立っているという話は有名です。
島木と笠木は箱状になっていて、この内部に拳大の石が多数詰め込まれています。
その重みによって大鳥居は自立し、風や波に耐えるようになっているそうです。

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ここでフェリー側から見た扁額と神社側から見た扁額の文字に注目です。
扁額は「有栖川宮熾仁」親王の染筆ですが、神社側は古来の名に従い「伊都岐島神社」と記されています。
奈良の春日大社・敦賀の気比神宮の大鳥居とともに「日本三大鳥居」に数えられる嚴島神社の大鳥居は、平清盛の造営時から8代目となります。

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ついに嚴島神社の回廊を抜けてきました。
美しい回廊の「釣灯籠」は、毛利氏が寄進したのが始まりといわれています。

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西松原から眺める嚴島神社。
光が差して神々しいです

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昼の嚴島神社は、特にその潮が満ちた姿は、とても清楚で無垢な印象を受けます。

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穢れを知らぬ女神の美しさ。

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しかし夜になると、その姿は一変しました。

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夜の帳が降りる頃、彼女は妖艶な姿に身を変えていました。

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海面までも朱く染める朱の大鳥居。

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辺りは静かで、波の音だけが響いています。

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そして社殿へ回ると、そこには水鏡に、美しい姿を写した嚴島神社がありました。

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諸行無常の中で、そこだけはまるで往古からの時が止まっていて、
どこからか舞の音が聴えてくるようでした。

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