丹生酒殿神社・鎌八幡宮

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僕は神に祈るということをあまりしない。というより、まずしない。
神はただそこに在るだけで、至幸であるからだ。
感謝こそすれ、それ以上何を望むべくもない。

ただ、世の多くの人は、神に願うものだ。それも僕は否定しない。
不幸から逃れたい、より幸せになりたいと、人は願うものだから、それを神に求めるのは止むを得ないことだとも思う。
人の世に宗教が生まれるのは、必然であろう。

人の願い方、祈り方は様々である。花を添えて祈る場合もあれば、贄を供えて祈る場合もある。
神がそれらを欲しているとは僕には思えないけど、代償を支払わなければ対価を得られないと、僕らは思い込んでいるのだろう。
ともあれ、古く行われていた人身御供の神事にも、僕は理解する姿勢でいる。それは今の価値観だけでは推し量れない、その時代の背景があるからである。

それでも、と、時折出会う情景に思う。
やはり理解し難い、人の営みはあるのである。
鎌八幡宮、ここもそんな場所の一つである。

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和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷に鎮座の「丹生酒殿神社」(にうさかどのじんじゃ)を訪ねました。

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そこは、高野山の麓にあり、紀の川のほとりに位置する神社です。

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ローカルな坂道を登ると、境内が見えてきました。

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なんだか、田舎の校舎を思わせるような、長閑な神社。

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境内には樹齢800年と伝わる御神木の大銀杏が聳えています。

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僕が気になるのはこちら、

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「鎌八幡宮」(かまはちまんぐう)です。

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丹生酒殿神社の裏手、参道の先にあるのは、

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鎌八幡宮の御神木であり御神体の櫟樫(イチイガシ)の木です。

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悠々と枝を伸ばす御神体ではありますが、

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その足元には、幹に食い込む無数の鎌が。

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これは御神体に鎌を奉献(刺す)することで、願掛けをするのだという、その姿です。

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この鎌八幡宮の願掛けは、ポジティブな願い、心願成就等に関してのみ行うものであり、ネガティブな怨恨、縁切り等の願掛けは受け付けていないということです。
そうなのですが、いやしかし。

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また、平成29年(2017年)より御神木の保護の為、鎌を刺しての願掛けは行われておらず、絵馬による願掛けのみとなっているということですが、どう見ても最近打たれたと思われる真新しい鎌も見受けられます。
個人で勝手に刺したものであれば撤去されるだろうから、社としての鎌打ち神事は続けられているのかもしれません。

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鎌の奉献による願掛けは、天保10年(1839年)に紀州藩により編纂された「紀伊続風土記」に「祈願の者鎌を櫟樹に打入れ是を神に献すといふ 祈願成就すへきは其鎌樹に入ること次第に深く叶はさる者は落つといふ 」と記されいることから、古くから行われていたことを知ることができます。

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中には、普通には届かない高い場所に刺さった鎌の跡を見ることができ、そこまでして鎌を打ち付けようとする人の願いとは何だろうか、と僕は考えさせられます。
こうまでして人は神に、何を願うというのだろうか。

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この鎌八幡宮が祀られる「丹生酒殿神社」は、「丹生都比売神社」への参詣道であり高野参詣道の一つの三谷坂の起点に位置しています。
三谷坂は、当社近辺に住んでいた神主が丹生都比売神社へ通うための道だったと云われています。

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「紀伊国名所図会」に「當社を天野摂社随一として」とあり、また「紀伊続風土記」には「揔神主歩初と號し三谷大明神へ社参し」とあるように、「随一」「大明神」という記述から、丹生都比売神社にとって丹生酒殿神社は、重要な社であったことが偲ばれます。

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実際に、『丹生大明神神告門』(にうだいみょうじんのりと)に「丹生津比咩の大御神が高天原から最初に降りたところを紀伊國伊都郡奄太村の石口」と記されており、『紀伊続風土記』では「天降りし地は今三谷村榊山酒殿社其所なり。石口は麓の意なり」とあることから、丹生都比売大神が榊の枝を持って降臨した地が丹生酒殿神社であるとされているのだそうです。

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鎌八幡宮は丹生酒殿神社へ合祀される前に、諏訪明神社と共に兄井村(現、和歌山県伊都郡かつらぎ町大字兄井)に鎮座していました。

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合祀後、元宮の地は荒れていたそうですが、地域住民の有志により今は両社とも再興されています。

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向かって右手前が「諏訪明神社」で、左奥が「鎌八幡宮」。

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対馬か阿波遺跡を彷彿とさせる石積みには、

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大黒と恵比寿でしょうか。三島っぽい瓦も。

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そしてやはり、諏訪明神でしたか。木に打ち付けられた鎌を見たときに、諏訪の「薙鎌打ち神事」を思い浮かべました。
鎌八幡宮の由来が諏訪大社の「薙鎌打ち神事」にあるのだとして、何故それが当地に伝わってきたのか。

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再興されたという鎌八幡宮。

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その御神木の櫟樫(イチイガシ)に、鎌打ちの神事も復活しています。

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鎌は鉄の神の象徴で、岐阜の「南宮大社」はじめ、いくつかの神社では、鎌や刃物の金属神への奉納がなされています。
またこうした鉄器は農業に欠かせないことから、子宝祈願、五穀豊穣に関連づけられることもあります。

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なので鎌や刃物を神聖化すること自体は出雲的である部分はあるのですが、それを御神体・御神木に突き刺すということは、出雲とはちょっとかけ離れているように思えてなりません。

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つまり、諏訪の「薙鎌打ち神事」が、出雲神タケミナカタの祭事であるとは、僕には考えられないのです。
この鎌八幡に由来する諏訪明神も、タケミナカタとは別の信仰が、背後にあるのではないでしょうか。

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御神木の裏手に、気になる石積みがありましたので、そちらにも目を向けてみると、

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若手の、二代目の鎌打ち御神木がありました。

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これを見て、どう答えるべきか。

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生(陽)の氣に鉄(陰)の氣を打ち込むという神事、その光景にただただ違和感と背筋の凍るものを感じるばかりなのですが、

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御神木はそんな僕を見降ろしながら、素知らぬ顔で枝を伸ばしているのでした。

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丹生酒殿神社の祭神は、小祠及び三座あり、小祠に諏訪明神と八王子神、右座に丹生都比売大神(丹生明神)、中座に高野御子大神 、左座に 鎌八幡宮祭神として誉田別大神と 配祀神として市杵島比売大神(厳島明神)が祀られます。

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鎌打ち神事が諏訪由来のものだとして、どうしてホムタワケが祀られるのでしょうか。八幡宮だからなのでしょうが、それなら諏訪信仰はどこで八幡信仰に変化したのか。

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丹生酒殿神社の主祭神と思われる中座の「高野御子大神」は、 丹生都比売大神の御子神とされ、高野山の名称の由来とされる神です。
この神は、「狩場明神」とも云われています。
また、 丹生都比売大神は別名を「稚日女命」とする伝承もあります。
稚日女命といえば、「豊姫」のこと。

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丹生酒殿神社の神奈備である「榊山」は、社伝によると、原初、先祖霊を祭祀する聖域だったと伝えられ、神代の昔、丹生都比売大神が御子神の高野御子大神と百二十の眷属を従え降臨した地であると説明されます。大神と眷属らは、共に大和地方や紀伊地方を巡幸し人々に農耕や機織り、糸紬ぎ、煮焚等の衣食に関わる事を教え、最後に天野に鎮座したとされ、丹生都比売大神が紀ノ川の水で酒を醸した事で、丹生酒殿神社と呼ばれるようになったと伝承されます。
これは豊彦・豊姫兄妹が、物部イクメと共に大和に東征した伝承によるものと思われますが、それを裏付けるように、和歌山と奈良には、海神社も鎮座していました。
また、「榊山の地主神は本来、竈門明神であり、この神が酒を造り、初めて神前に供えた」とも伝えられています。

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その「竈門明神社」は実は、丹生酒殿神社と同じ三谷地区の民家の中にあり、「酒殿」の名の由来神と云われています。
竈門神社といえば、太宰府宝満山の竈門神社と重なりますが、その祭神は玉依姫。越智の常世織姫です。
「丹生」とは水銀のことであり、越智族は採石民族・山師の祖である可能性があります。
そういえば、当地は”かつらぎ町”。葛来、越智の国主(クズ)族にも関わりがありそうです。
丹を抽出するために竈を使ったか、そんな妄想が掻き立てられるのです。

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9件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    人の縁というものは何処で繋がるのかわからないものですね。

    大山祇神とサクヤヒメはお酒の神様なんですね。

    そしてニウツヒメは設定上、崇神期となっております。

    ニウツヒメと咲夜姫の共通性がないものか興味が出てきました

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  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    糸島の語源は、はっきりとは書かれて居ませんが、ヒボコ族が倭国大乱期において敗れ、淡路島と糸島に逃れたことにより、(神床家は後に系井直とも呼ばれることから)伊都の地名が出来たのではと考えて居ます。

    朝鮮半島においては施朱が広がらなかったことから、にゅー氏は、ヒボコ系には見えません。

    でも、丹生津姫神社は、伊都郡地籍にあるほど結びつきは強い。

    もしかしたら伊都の語源を作ったのは、ヒボコ族ではなく、にゅー氏なのかもしれませんね。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      半島に施朱はみられないのですか。
      やはりにゅー、ひいては越智は半島由来ではないということになります😌

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  3. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    私はですね、昔は鉄がお賽銭の代わりであった時代があると考えています。

    故に、こうすると願いが叶うと神社側がいったのではないかと。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      なるほど、鎌というより鉄を求めたといことですね。さすがnarisawaさん!
      この風習がいつ頃からなされ始めたからが、キーになりますね。

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  4. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    いたく共感します。御神木である、精霊宿る木々が、これでは痛がっておられるようで心が痛みました。これはちょっとどうにも。。

    私もこれは出雲式の祭事ではないように思います。

    和歌山にいらっしゃるのですね、そして今回も、越智族というフレーズが。私もちょいちょい気になりまじめました。

    羽衣天女の伝説で、ワナサという老夫婦が天女を追い出した、という伝承。ワナサですね、気になる。。追い出したというのは、稲作をもたらした渡来系集団を奈具遺跡の辺りへ追いやったということなのか。。阿波ルーツの忌部は勾玉作り、越智族は水銀等、採石を担っていたのですね、丹後ですから、丹は水銀のことですもんね。あの辺りに居住していたのでしょうか。

    持統天皇の詠んだ万葉集、「青丹よし」とは、鉄も水銀も大和では最近潤ってきてるわあ♥後は天女の羽衣さえ奪ってしまえば私の天下ももうすぐよ~これは機織りの集団なことをさすのか。。もしそうだとしたら

    野望の塊のようなお方ですね。。

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      僕の場合、常に30~50ほどネタをストックしており、それをランダムに記事にしておりますので、この人はいつもアチコチ縦横無尽に旅しているな、と思われていることでしょうね😄
      一度ストックがなくなるまで書き出したいのですが、そうする間もなく次の旅に出かけていますので、ネタが尽きることがありません。

      ワナサについては新たに考察を重ねておりまして、出雲のワナサ神社や徳島のワナサ神社にも足を運びました。稲佐の浜もワナサの浜で、若狭もワナサであった可能性などがあります。

      持統天皇は確かに、野望の塊ですね😊

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  5. 不明 のアバター 匿名 より:

    五条桐彦様

    おはようございます。先のブログを拝見して五條市へいらっしゃったことを知り、お目にかかれるチャンスだったのにと思ったのですが、今度は丹生酒殿神社とは・・・、返す返す残念。でも、いらっしゃったのは去年のことだったのですね。もし調査研究のお邪魔にならないようでしたら、一声おかけくだされば嬉しいです。

    鎌八幡、一番最初に伴侶に連れて行ってもらった時は、鬱蒼と繁る木々に囲まれて鬼気迫る感じがしたように記憶しているのですが、平成10年当地を駆け抜けた台風で周囲の木々がなぎ倒され、とっても明るくなってしまったように思います。それからもう20年以上経っているので、少しは神秘的な雰囲気が出てきているように思います。

    鎌八幡では「ちょっと怖い感じだね~」と言うのが私達の感想ですが、五条様の相変わらずの鋭く緻密な考察にはいつものことながら感心させられます。それに、栃原と言えば、テレビで奈良の情報を得るためアンテナを向ける方向ぐらいの認識しかありませんでした。比べるべくもないことですが、お恥ずかしい限りです。

    いったい五条様の頭の中はどうなっているの?とほとほと感じ入った今朝の出来事でした。

                                    asamoyosi

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      asamoyosi様

      国栖の国を求めて、ちょくちょく吉野方面に伺っていたのですが、そのまま和歌山にも少し足を伸ばしておりました。鎌八幡の話は数年前から聞いておりましたが、実際訪れてみると、やはり驚くばかりの光景でした。神事などには深い由来があり、おいそれと口を出すべきではないのですが、何とも形容し難い思いを感じました。

      近いところでは6月に率川神社の三枝祭を見学に訪れたいと考えています。おそらくそのまま奈良方面に宿をとることになるかと思います。17・18あたりで、お会いできるようでしたらいかがでしょうか。

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