山なのに海神社。
長らくお待たせしてしまいましたが、asamoyosiさんの宿題に、僕なりの回答をお伝えする時が来ました。
京奈和自動車道・紀の川ICの西(農免道路沿い)に鎮座する「海神社」(かいじんじゃ/うながみのやしろ)です。
asamoyosiさんが運営する「クワウグワ記」は、高野山と紀伊国を中心としたとても丁寧な記録であり、僕のお気に入りのブログの一つです。
駐車場に由緒がきがあります。
「当神社は豊玉彦命・国津姫命を主祭神とし垂仁天皇の御代に忌部の宿弥が神のお告げによって創建したものと伝えられている。
延喜式神名帳に登載されている県下でも古く名を知られた神社である。
往古から朝廷や多くの人々の尊崇も厚く神田も現に鎮座する神領をはじめ、北山の山麓一帯まで神社の領有地であった。
連綿として栄えて来たこの神社も天正十三年豊臣秀吉が紀州遠征の折、本殿二柱・供殿・拝殿・神楽殿・宝殿等兵火にかかり宝物・古記録等ことごとく焼失してしまった。
明治六年四月郷社に昭和一七年九月に県社に昇格されたが戦後は社格も廃止され今日に至っている。」
車を停めて歩いていくと、「お、下り宮か!」とテンション上がりかけましたが、
車道が神社の上に設けられていただけで、本参道は神社の下から続いていました。
しかし見事な両部鳥居(りょうぶとりい)を見てにんまり。
両部鳥居は、本体の鳥居の柱を支える形で稚児柱(稚児鳥居)があり、その笠木の上に屋根がある形状の鳥居です。
そう、あの厳島神社の大鳥居の形です。
祭神は「豊玉彦命」と「国津姫命」となっています。
この豊玉彦は「海神豊玉彦」(わたつみとよたまひこ)として、龍宮の王であるとされ、同じく龍宮の乙姫とされる豊玉姫の父親として神話に語られています。
当社では創建の由来を、熊野の楯ヶ崎から来た海の神、豊玉彦命と国津姫命を平安時代初期から祀るとしており、ヤマト王権の祭祀を司った忌部宿祢(いんべのすくね)が神託を受け、この地に創建したと伝えています。
故に海神社なのだと。
しかし社名に関しては、『延喜式』に「アマ」と訓があり、いつの頃からか、「ウナガミ」「ウラガミ」と呼ばれるようになったとあります。
そう、ここは本来、忌部ではなく海家(海部家/あまけ・あまべけ)が祭祀した聖域なのだと思われます。
海家が「豊彦・豊姫」を祀ったので海神社、なのです。
記紀の編纂者は、この豊家の存在を歴史から抹消すべく、各社の祭神の書き換えや痕跡の抹消を謀ってきました。
柿本人麿は古事記制作において、この歴史を失わせないように巧みに龍宮神話に忍ばせたのです。
当社に祀られる豊玉彦命と国津姫命は、豊彦と豊姫のことでしょう。
国津姫は山口県の防府市にその名の神社が存在し、神夏磯姫が豊玉姫もしくは豊姫を祀った形跡がありました。
境内社も見てみると面白いです。
左手にある末社は事代主社・稲荷社・幸神社になります。
稲荷社はさておき、事代主は東出雲王家・富家の8代少名彦「八重波津身」のことになります。
幸神(サイノカミ)は古代出雲で祭祀された大祖神。
当社の社家は出雲の神も大切にしてこられたことが窺えます。
そして右手に祀られているのは「穂高見命」「玉依姫命」それに「豊玉姫命」です。
穂高見は安曇族の祖として長野県安曇野市の「穂高神社」(ほたかじんじゃ)で祀られています。
安曇族の聖地「志賀海神社」ではそこを龍宮であるとしており、綿津見神(わだつみのかみ)を祭祀しています。
綿津見は海神とも表記されます。
玉依姫はウガヤフキアエズ、つまり豊彦の妻であり、豊玉姫と共に龍宮の乙姫と神話に記されています。
この龍宮にこだわっているのが、志賀海神社ともうひとつ、海部家の総本社、丹波の「籠神社」(このじんじゃ)です。
大分の宇佐族は、もともとは勢力の弱い、物部族の分家であったと思われます。
それがある時「豊」を名乗り出して、一気に一大勢力となるのです。
その「豊」はどこから来たのか。
僕は豊王家と湯布院の宇奈岐日女(うなぎひめ)に繋がりがあるのではないかと思い至り、宇奈岐日女について調べました。
すると海部家の系図に宇那比姫がおり、これが彼女であると気づきました。
海部家の宇奈岐日女が宇佐家と習合したのです。
そして海部家の祖である「天御蔭」(あまのみかげ/大和宿禰)、初代大君・天村雲の子で2代沼川耳の異母兄弟ですが、彼の妻が富家の「豊水富姫」なのです。
つまり宇奈岐日女は九州北部に至って、その子孫が祖母神の名を名乗ったのです。
紀伊国は高倉下(たかくらじ)が海族(海部家)を率いて開拓した土地です。
当地の海族は、分家の英雄がイクメ帝の時代に大和入りを果たしたことを祝い、豊家の兄妹をここに神として祀ったとしたなら納得がいきます。
そうすると、山なのに何故海神社なのか、その答えも知れようというものです。
さらに社前に御鏡池というのがあり、玉の井・天之真名井とも呼ばれたそうですが、近年、埋められてしまったとの情報がありました。
誠に残念ですが、ここで出てきました、「玉の井」です。
あの垂水神社にあった由緒不明の井戸跡が「玉之井」でした。
玉とは月のことです。
月神の祭祀において、月を映しとる水鏡の聖なる井戸がここにも存在したのでした。
そして天真名井とは、海部家の最大の聖地をも意味したのです。
ところで紀の川の海神社から直線距離にして70km弱、奈良の室生にも海神社があります。
宇陀川沿いの大野と三本松に2社、その距離は2kmと離れていません。
大野の海神社(かいじんじゃ)です。
ここも海部家ゆかりの神社かといえば、ちょっと事情が違っているようです。
祭神の筆頭に堂々と豊玉姫を掲げています。
そしてやたら出雲推しな配祭神の数々。
室生を少し西に行けば、奈良の出雲と呼ばれる桜井市に行き着きます。
そう、ここは古代の出雲系大和族の支配域だったと考えられます。
イクメに遅れて大和入りした豊彦勢は、そのまま出雲系大和族・登美家の聖域である鳥見山を制圧し、三輪山の西側、大和笠縫邑で豊姫に月神の祭祀をさせました。
そのため登美家は鳥見山を離れ、宇陀市榛原方面に新たな鳥見山霊時を設けたのです。
聖地を豊彦に穢された登美家は怒りに震えたことでしょう。
しかし月神を祭祀する豊姫はまことに神秘的で、出雲族を含む大和族に絶大な人気を集めるようになっていきました。
元はと言えば豊彦や豊姫にも、東出雲王家・富家の姫「豊水富姫」の血が流れていたのです。
ところがこの豊彦・豊姫兄妹人気に激しく嫉妬した人物がいました。
そう、物部イクメです。
彼は豊彦に東方遠征の話を持ちかけ、彼が出征したのを見計らって登美家の賀茂田田彦にこれを攻撃するよう指示したのです。
田田彦は自分の領地である三輪山を回復する条件でイクメの指示に従うことにしました。
敗走した豊国軍は尾張へ向かい、豊姫はそこから海部家を頼って丹波・伊根と逃れました。
丹波で彼女を匿ったのは、伊根の字良社の社家で「島子」と名乗る男でした。
字良社の社家は、豊彦とイクメの軍が攻めた出雲系大和王家の彦道主大君の親族です。
また、そこでは豊姫を匿いきれなくなった時に彼女を受け入れてくれたのは、鈴鹿の椿大神社社家「宇治土公家」でした。
宇治土公家もまた、彼らが攻めた三輪山の登美家の分家だったのです。
出雲の血は、たとえ敵であったとしても、命を狙われて逃げる姫を放ってはおけなかったのです。
しかし豊姫は、イクメが放った刺客により椿大神社で命を落としてしまいました。
思惑通り豊彦と豊姫を大和から追い出したイクメ王は、敗れた彦道主の娘「日葉酢媛」(ひばすひめ)を后に娶り、三輪山の巫女として祭祀させたのです。
ちなみにこのヒバス姫が晩年には父が後年住んだ因幡の国に移住したので、イザナミが比婆山に葬られた神話が作られたと云うことです。
さてこの海神社、春日造りではありますが、龍宮の雰囲気を醸しています。
豊彦・豊姫が大和から追い出された後も、一部の豊族は大和に残ったことでしょう。
彼らはイクメからの迫害を恐れたはずです。
大和の出雲族はそんな彼らを、自分たちの領地の奥に匿い住まわせたのでしょう。
その豊族が祖神・豊玉姫とともに、感謝を込めて出雲の神々を当地に祀ったのではないかと思われるのです。
もう一社、三本松の海神社です。
当社も豊玉姫と共に、出雲の神を祀ってあります。
室生の2社とも室生龍穴神社から龍神を勧請したと伝えられています。
室生の海神社の「海」は、龍宮由来だと考えます。
ではなぜ豊玉姫は龍宮の乙姫となったのか。
古来、日本の龍神信仰は出雲で始まりました。
出雲族はインドのドラヴィダ族が定住したものですが、彼らの国ではワニとコブラを畏れ敬い、ナーガという神を生み出しました。
そのナーガ神が龍神の始まりです。
秦国からやってきた海族は、出雲族の世話になりました。
その時、出雲の龍神信仰と彼らの道教にある蓬莱信仰を習合させ、生まれたのが龍宮信仰でした。
なので、海部家の総本社「籠神社」では龍宮に拘っているのです。
志賀海神社の安曇族も海部家の分家であり、豊家の分家でもあります。
だから志賀島が龍宮であると主張します。
柿本人麿は古事記に海部家と豊家の繋がりを示すため、豊玉姫を龍宮の乙姫であるという設定にしたのです。
豊玉姫は月読神を祭祀しました。
月を読むとは、月の満ち欠けを読み解き、潮の満ち引きを民衆に告げることだったのでしょう。
豊玉姫の前身である宇奈岐日女の「うなぐ」とは大きな勾玉を意味します。
つまり干珠満珠を授かるという逸話は、月読の秘技を授かるという意味です。
ここでいう「玉」とは、豊玉姫・玉垂神・潮干玉・汐満玉、すべて月を表します。
そして月読みの祭祀で用いられたのが、水鏡の池だったのではないでしょうか。
そう、玉の井です。
この海神社は改築されたのか、比較的新しい社殿で、龍宮の趣は感じられませんでした。
しかし出雲族と豊族が和合して暮らした、穏やかな気配を感じとることができます。
境内には磐座らしき巨岩もちらほら。
イクメに裏切られた豊族、だが物部王朝は大和の豪族に嫌われ、その権勢は長く続くことはありませんでした。
その先に、これも一代限りではありますが、ついに龍宮の末裔の大君が誕生するのです。
それは我が国最多という神社体系である、八幡社を生み出すに至るのでした。
紀伊国海神社
日本でも、世界でもオリンピック開催は無理という世論の中、やみくもに開催に向けて突っ走る政府。その理由はいったい何なんでしょう。やることをした上でならいいのですが、コロナ問題には頬被り。コロナで国中の人々が大変な目に遭っているというのに・・・。この無力感、閉塞感は私の人生で初めてと言っていいように思います。政府は国民を舐めきっています。きっとみんながそう思っていることでしょう。近いうちにきっと世の中が変わることを信じてしばらくは辛抱しましょう。「明けない夜はない」と言いますものね。
決してご無理はなさいませぬように。CHIRICO様、まずは健康、「お身体を大切に!」ですよ。お忘れなく。
尊敬するCHIRICO様に偉そうなことを言ってしまいました。ごめんなさいです。
asamoyosi
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おはようございます。
非常宣言を連発するも一向に収まる気配は見えませんね。
CHIRICO様も大変なご様子、お察しいたします。
実は私も大変な病人を大阪にかかえており、心配で気が気でない状況なのです。
本当に国民のためを思って政治がなされているのだろうか、日本と同じ島国で、完全にコロナを制圧している国もあるというのに・・・。戦後すぐに生まれ、今まで政治に不満を持ったことがあるものの、ここまでの危機感を持ったことはありませんでした。政治を生業とする政治屋ではなく、真に国民に向き合う政治家が増えてほしいと切に願っています。
まさに「苛政は虎よりも猛し」を実感し、何とかしなければと強く思っている今日この頃です。
asamoyosi
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Facebookなどをみていても、多くの人が同じような苦境・不満・不信を訴えていますので、それらの声が届いていないということはないと思います。
届いていて敢えて聞こえないふりをするのが、今の政治・行政かと。
言っても無駄だとも感じますが、さりとて諦めてはならない、声を上げ続けなければならないのでしょうね。
ささやかな幸せを望むばかりなのですが。
とはいえ、asamoyosi様に愚痴をこぼしてしまいました。
少々反省しています。
大阪の方が大事ないことを祈ります。
奥様とも安寧の日々をお過ごしくださいますように。
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CHIRICO様
いつもありがとうございます。
海神社にいらっしゃったのですね。そして私のちょっとした疑問に丁寧にお答えいただけるなんて、感激です。
海家が豊彦・豊姫を祀った神社なので海神社・・・。すんなりと納得できます。友人がここの氏子であることから親しみを覚えていた神社なのですが、その友人にCHIRICO様のブログを見せてあげようと今から楽しみにしています。絶対にびっくりすると思います。
それと、大和にある海神社、以前CHIRICO様に教えていただいておきながら、まだ行っていないなんてお恥ずかしい限りです。また機会があれば行ってみようと思っています。うわさでは今は他府県ナンバーの車は公園の駐車場にも停められない様子だと聞いていますので・・・。
それにしてもCHIRICO様の行動力、すごいですね。それに豊富な知識を縦横に駆使して考察される的確な叙述にはいつも引き込まれてしまいます。本当に素晴らしいの一言に尽きます。ありがとうございました。
ニュースによると福岡県にも非常事態宣言が発せられたとのこと。ご自愛くださいますように。
asamoyosi
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こんにちは、asamoyosi様。
柿本人麿を調べる上で和歌浦へ伺い、その足で海神社を参拝いたしました。
asamoyosi様に教えていただけてなかったら、私が足を運ぶことはなかったと思います。
素晴らしい神社に出会えて嬉しかったです。
ただ、一つ気がかりなのは、身勝手な考察で本来の由緒にないことを色々と書いておりますので、ご友人が気を悪くされないかということです。
一考察としてお読みいただけると幸いです。
豊家というのは出雲族に刃を向けたのですが、彼らにも出雲の血が流れており、やはりお人好しな一面があってそれ故に物部イクメに追われたのだと思います。
豊彦は正当なる邪馬台国の王であり、豊姫は卑弥呼の後継者「台与」でした。
豊家のことは、出雲の富王家と同じくらい、私は敬愛してやまないのです。
非常事態宣言が出てしまいましたね。
我々に行動の自制を強いておきながら、外国人は日に2000人の入国を許しているそうです。
景気が良いと言って上げた消費税は、景気が悪くなっても下げることはなく、個人経営者は減じられることのない税金と家賃に苦しんでいます。
一方で経済の首を絞め、一方でオリンピックは強行するという姿勢。
線路脇に立つ者や縄に首をかけようとする者もいる中で、数多いる政治家や役人は何をみているのだろうか。
まあ、それはともかく、不景気な空気の中で離れていく従業員がいる中、残ってくれた者に十分に報いてやれない自分が、甚だ情けなくて苦しい毎日です。
それでも私が下を向けば彼らを不安にさせてしまうので、強がって生きております。
必ず残った者を幸せにする、そう思わなければ、今の世はやってられませんね。
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