鳥見山霊時(等彌神社):八雲ニ散ル花 41

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『後漢書』「東夷伝」に云う。
桓帝・霊帝の頃(146~ 189年)、和国内は混乱し、互いに攻め合って何年もの間、統一した君主が居なかった、と。
それは初期の大和・葛城地方での覇権争いに始まり、播磨・吉備と出雲の戦争、第一次物部東征の戦乱に続いた時代を示している。

この混沌の末、大和と物部の血をもつ「オオヒビ」(大日々)が大王に就任した。
時に登美家の9代当主「大田田根子」は大彦の妹「モモソ姫」(百襲姫)に住む場所を与え、三輪山の太陽の女神を祀る巫女に推挙した。

モモソの母「クニアレ姫」は三輪山の姫巫女であり、母に似て娘も信心深かった。
それでモモソ姫は、母の跡を継ぎ、三輪山の姫巫女に最もふさわしい女性と認められた。

古代には、三輪山の西南にある今の鳥見山はトビ山(登美山)と呼ばれていた。
トビ山の山頂は三輪山の太陽神の遥拝地とされ、「登美の霊時」と呼び、聖地とされた。
モモソ姫の人気は高まり、登美の霊時にて春と秋に行われる大祭には、大王を始めとし大和中の豪族が参列し、中には遠方から泊まりがけで参拝に来る者もいた。

これまでの祭祀は銅鐸を用いたものだったが、モモソの神殿では、榊を根から抜き取って枝に神獣鏡を付けた。
この祭祀方法は物部式ではあったが、鏡の裏面、光る方は参拝者に向けられた。
つまり、丸い鏡が太陽の女神の御神体とされた点が、いかにも出雲的であった。

物部勢力の侵入による戦乱が長く続いたが、モモソの三輪山の大祭によって、初めて平和と統一が復活した。

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『梁書』「和伝」は記す。
「漢(後漢)の霊帝の光和年間(178~183)、倭国は乱れ、戦いあって年月を経た。
そこで、「卑彌呼」という一人の女性を共立して王と為した。
彌呼に夫はいない。
鬼道をあやつって、衆を惑わすことができたため、国人はこれを立てたのである。
弟がいて統治を補佐している。
王となってから面会した者は少なく、千人の侍女が侍り、ただ一人の男子(弟)に出入りさせ、教えや命令を伝えている。
住んでいる宮殿には常に兵がいて守衛している。」

三輪山を含む磯城地方の領主「登美家」の「大田田根子」(オオタタネコ)がモモソ姫の世話をした。
梁書に書かれた「弟」とは彼のことで、通訳の説明不足による筆記者の勘違いで記されている。

古代の政治状態は、「王・巫女制」といわれる。
神祭りの司祭者である姫巫女が王と組んで、民衆の支持を集めた。
つまり「政治の朝廷」と「神の朝廷」が両立しており、どちらを省くこともできなかった。
「政治」で発案された政策は、「神託」が降りなければ、実行されなかった。
故に古代の政治は「祭りごと」と呼ばれた。

この力のバランスから、オオヒビ大王の武力よりも、モモソ姫巫女の宗教力に民衆は大きな敬意をもつようになる。
結局のところ、第一次物部東征は失敗に終わったとも言えた。
なぜなら物部勢は武に優ってはいたが、民衆を惹きつけるだけの宗教を持ち合わせてはいなかったのだ。
故に出雲の古い神を祀る登美の姫巫女の大和王国がここに誕生した。
モモソ姫こそが、「女王卑弥呼」の名で中国の書に記された、最初の姫巫女だった。

ただし、魏書に記された「親魏倭王」の卑弥呼とは別人である。
同書に記された「邪馬台国」は、ここよりもはるか西の地、宇佐にあった。

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桜井市にある「等彌神社」(とみじんじゃ)に訪れました。
参道入口にある鳥居は、伊勢神宮の遷宮時のお下がりだということです。

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しっとりとした、良い雰囲気の神社です。

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一の鳥居からいきなり参道を外れて右に歩きました。
そこに「友情の碑」という石碑があり、

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さらにその先をしばし進むと、

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「神武天皇聖蹟鳥見山中霊畤顕彰碑」なるものが建っています。

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記紀によると、神武は長髄彦と再戦した時、苦戦を強いられたが、金色の鵄(とび)が神武の弓の先に止まり、雷光のように光って長髄彦の軍勢を幻感した、とあります。
この奇跡のおかげで神武らは長髄彦軍を退けることができました。
金色の鵄が「鳥見」の名の由来となっており、鳥見山は、神武が橿原宮で即位した後に皇祖天津神を祀った場所であると云うのが、一般的な伝承となっています。

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再び参道に戻ってきました。

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等彌神社にはちょっと変わったものも伝わっています。

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そのキーホルダーが販売してありましたので購入しました。
謎の土偶です。
まるで宇宙人を彷彿とさせるこの土偶は、「ヤタガラス」の埴輪だと神社では解釈しているようです。
「桜井市史」によれば、元文元年(1736年)に、境内の下津尾社にある、磐余の松の枯れ株の下から掘り出されたと云います。

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等彌神社の境内はなかなかの広さで、先は鳥見山の山頂にある「霊時」(祭りの庭)まで続いています。

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神社の由緒を見ても、記紀の話に合わせて、ここは神武の聖地のように記されています。
しかし鳥見山は、神武、いわゆる物部の聖地ではなく、出雲王家の分家たる「登美家」の聖地でした。

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石の祓戸があります。

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その先にあるのは「下津尾社」です。

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明治以前は、この下津尾社が祭祀の中心だったということですが、現在はこの先にある上津尾社が中心となっており、それに伴い下津尾社は末社となったようです。

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本殿は2棟あり、右殿は八幡社で「磐余明神」(神武天皇)、「品陀和気命」を祀り、
左殿は春日社で、「高皇産雲神」、「天児屋根命」を祀ります。
これらの祭神は物部系の神を中心としており、登美系の神ではありませんので、後に記紀に合わせて祭神が変えられた可能性があります。

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下津尾社の隣に恵比寿社があります。

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恵比寿とは事代主のことでもありますので、本来は下津尾社では事代主を祀っていたのかもしれません。

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登美家とは東出雲王家「事代主・八重波津身」の息子「クシヒカタ」が大和に築いた一族でした。

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下津尾社の向かいには「猿田彦大神社」があります。

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昭和55年に、伊勢市鎮座の猿田彦神社より勧請されたそうです。
猿田彦大神は、「みちひらきの神」として知られていますが、本来は出雲のサイノカミの一柱でした。

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他に「金比羅社」、

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「愛宕社」が鎮座します。

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ひときわ広い敷地を有しているのは桜井市の「護国神社」です。

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桜井市より出征し、戦死した1860数人の霊を奉斎しているとのことです。
昭和30年代に創建されたそうです。

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境内の中で、一段高いところに、等彌神社の本社「上津尾社」が鎮座しています。

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上津尾社は、もとは鳥見山山中にあったそうですが、天永3年(1112年)五月の大雨で山が崩れ社殿が埋没、更にこの年悪病が流行ったため、9月5日に山の尾の現在社へ遷座したと云います。

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上津尾社の祭神は「大日孁貴尊」(オオヒルメノムチノミコト)と呼ばれ、一般には「天照大神」のことと言い伝えられています。
実際にここに祀られているのも、天照大神、すなわち三輪山の太陽の女神であると思われます。

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しかし東出雲王家「富家」の伝承では、大日孁貴と呼ばれたのは大和10代大王「日子坐」(ヒコイマス)の娘「狭穂姫」(サホヒメ)のことであると伝えています。

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狭穂姫の兄「彦道主」(ヒコミチヌシ)は、和邇の地で11代大王となりますが、この時九州から物部イクメ王の軍勢が大和へ東征してきます。
次兄「狭穂彦」が生駒山地の東で、東進して来たイクメ王を阻みますが、しかし狭穂姫はイクメ王と和睦して妻となり、結果イクメ王は大和に進出することになりました。
第二次物部東征と呼ばれるこの事件ののち、イクメ王の妻となった狭穂姫は、三輪山の太陽の女神の司祭者になり、「大日霊女貴」と呼ばれたと云います。

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上津尾社の境内奥に、鳥見山山頂に登る道が設けられています。

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その先にあるのは、神跡「鳥見山霊畤」(とみやまれいじ)となります。

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少し登ると「稲荷社」、

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「黒龍社」があります。
龍神信仰は出雲に始まり、稲荷信仰は物部に始まると聞いています。

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深淵な山道を歩いていきます。
古代には、三輪山の西南にある鳥見山は「登美山」(トビ山)と呼ばれていました。

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鳥見山の山頂は三輪山の太陽神の遥拝地とされ、「登美の霊時」(祭りの庭)と呼ばれ聖地とされていました。
そこは登美家や磯城家を始めとし、ヤマト王国の豪族たちが、祭りに集まる所だったと云います。
そして登美の霊時では、出雲系豪族である登美家の姫が姫巫女となって、三輪山にこもる太陽の女神を祀るのが仕来りとなっていました。

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5分ほど登ると石碑が見えてきました。

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「霊畤遥拝所」です。
鳥見山霊畤自体が三輪山の遥拝所なので、遥拝所の遥拝所、なんてわけのわからないことになっています。

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それは鳥見山霊時を神武が祭祀した聖地などと、歴史を歪めて記紀が記してしまったからなのでしょう。

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尚も道は続きます。

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鳥見山の「鳥見」、等彌神社の「等彌」とは磯城の豪族「登美家」の「トビ」でした。
そしてそれは更に、東出雲王家の「富家」に繋がります。
三輪山と鳥見山は登美家の領地であり聖地だったのです。

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登美家の歴代の当主の一人に「加茂建津乃身」(カモノタテツノミ)がいました。
彼は後にヤタガラスと呼ばれた人物です。
なので、下津尾社から出土した謎の土偶をヤタガラスと解釈するのも、あながち間違っていません。

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登美家は古くから「事代主・八重波津身」を祀ってきたので、「神家」と呼ばれ、「鴨家」「加茂家」「賀茂家」と呼ばれました。

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「庭殿句碑」と案内板があります。

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「庭殿」とは祭りの饗宴に供された場所だそうです。

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第一次物部東征ののち、10代大和大王に就任したのはオオヒビでした。
その時の登美家当主「大田田根子」は「モモソ姫」の世話をし、登美の姫巫女としました。
このモモソ姫が、魏志などにに記される、最初の「卑弥呼」です。

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「最初の」と記すわけは、卑弥呼は一人ではなく、複数いたからです。
主には歴代の「三輪山の太陽の女神を祀る姫巫女」のことを指しています。
ちなみに「卑弥呼」や「邪馬台国」という字は、中国がつけた蔑称なので、表記を控えたいと思います。

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私たちが「ヒミコ」と聞いてイメージするのは「ヤマタイ国」の女王のことです。
彼女は「2番目のヒミコ」とされ、魏国より「親魏倭王」の金印を受け取った、宇佐王国の「豊玉女王」になります。
「倭」の字も中国の蔑称なので、極力使いたいくないところです。

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「白庭」と書かれた石碑のある広場に出ました。
白庭とは「饒速日」が埋葬された場所のようですが、饒速日、いわゆる「徐福」は佐賀平野に葬られています。

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白庭は後の設定で作られたものでしょうが、ここは、「登美の霊畤」に進むことが許されていない、一般人が控えて祀りを行った場所と思われます。

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更に進み、登山開始から30分ほど経った頃、目的の聖地が見えてきました。

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「登美の霊畤」です。

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「その女王が立つと和国の戦乱が納まり、平和が訪れた」

モモソ姫初め、代々の姫巫女が祀りを行った大和最大の聖地。

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往古はここから三輪山を遥拝したとありますが、周りは樹木が育ち、展望はほとんどききませんでした。

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さて、奇異なことに、三輪山のすぐ近くには南方面の他に、東にも鳥見山があります。
そしてそこにも鳥見山霊時があると云います。

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そこは車で登っていけるのですが、ちょっとわかりにくい場所にありました。

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磯城・大和王朝第10代大王「ヒコイマス」の娘「狭穂姫」は、大和に進攻してきた九州物部王国の「イクメ王」と一度は結婚し、三輪山の太陽神を祭って 「大日霊女貴」と呼ばれ大変な人気を集めます。

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そこへ遅れて大和入りしてきた軍勢がいました。
イクメ王と連合を組んでいた豊国軍の「豊来入彦」たちです。

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ヒミコ「豊玉姫」の葬儀を終えて、遅れて大和入りした豊来入彦王はイクメ王がサホ姫を后に迎えていることを知ると、これと手を切ることを求めます。
その時イクメ王は、応じざるを得ませんでした。

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豊国の軍勢を引き連れてきた豊来入彦王は、奈良盆地の南方を通り、三輪山に向かって軍を進めましたが、途中で進路を変えます。
彼らは鳥見山の登美の霊時を占領したのです。

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彼らは更に、三輪山の西方と南麓を地盤とする登美・賀茂家勢力の村々から人々を追い払い、豊国の兵士をその村々に住み着かせました。
登美家は物部の大和入りに度々協力したにもかかわらず、裏切られ、三輪山一帯の領地を奪われたのです。
登美家は大和の大豪族でしたが、この時、豊国の兵士の不意の攻撃を防御できず、一部は南河内に逃れたと云います。

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豊来入彦王とともに大和へ来た「豊来入姫女王」は、三輪山の西北麓「笠縫村」に宇佐の月神を祀りました。

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そこは今、「檜原神社」として大神神社の摂社となっています。
当時は陰暦を使う時代であって、月の干満を見て月日を決めたことから、月神は「月読の神」とも呼ばれました。
また檜原神社の月神は、「ワカヒルメムチ」(若霊留女貴)とも呼ばれます。

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豊来入彦らに霊時を占拠された登美家は、やむを得ず三輪山の東の丘を新たな鳥見山(西峠北方)と定め、密かに新しい霊時を決めて、そこで逢拝することにしました。

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それがこの地に、二つの鳥見山と霊時がある理由です。

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かくして一気に世の春を謳歌する豊国軍でしたが、その期間は短く、程なく登美の霊畤は再び登美家が治めるようになるのです。

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