珠洲岬:常世ニ降ル花 潟姫眉月篇 05

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日本三大パワースポットのひとつ、「珠洲岬」(すずみさき)にやって来ました。

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スズミサキってドコ~っ!

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この辺の、

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どれかを指すようです。
珠洲三崎ともいうようで、このうちの3つを指す場合が多いのですが、それは書物によってもマチマチなのだとか。

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しかしまあ、狭義の珠洲岬は、太い矢印の先端にある「金剛崎」を言う場合が多いようです。

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そしてその場所は、有料の観光施設になっています。

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この施設の1番の目玉が「青の洞窟」と名付けられる神秘の洞窟。
でもレビューを見てみると、お世辞にも評判が良いとは言えない感じでした。
本当に洞窟内の海水が青く見える瞬間はあるのでしょうが、お客様をがっかりさせないようにブルーのライトアップをした結果、それが来訪者にがっかりスポットと言わせる結果になってしまったのだろうと思われます。

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そのようなことで、僕も当初は、ここへ立ち寄る予定は入れていませんでした。

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ただこの日は僕は休日でしたが、会社は平日で、朝9:30からオンラインミーティングに参加する予定がありました。
須須神社奥宮参拝で思いのほか時間を使ってしまった僕は、ミーティングの時間まであと10分しか残っていないことに焦り、ちょうど良さげなここの駐車場を利用させていただくことにしたのでした。

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車を30分ほど停めさせていただいたわけですし、せっかくここまで来たのだからと、チケットを買って入園しました。

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珠洲岬は日本三大パワースポットのひとつとして「聖域の岬」とも呼ばれています。
日本三大パワポってなんぞや。

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それはどうやら、富士山・分杭峠、そして珠洲岬の3ヶ所を指すようで、誰が言い出したのかは謎なのだそうです。
ネットで検索すると、こんなサイトがありました。

「日本海に大きく突出している能登半島は、独特な地層構造の為、気象的には寒帯ジェット気流と、亜熱帯ジェット気流が合流する(日本独自の気候・四季を形成する元)他として、海洋的には、海面での卓越風を含む暖流、寒流が能登先端で合流し表層循環・熱塩循環等の海洋循環が行われている、気象学、海洋学的にも極めて貴重な半島の環境である。
このことから、能登半島最先端部には、これらの気流、海流、大地の気流が複合的に凝縮され、世界的にも稀な波動集積地となっている」

なるほど、分からん。

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岬の方へ歩いて行くと、眼下に金剛崎が見えてきました。

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なんか、生き物っぽいね。

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岬の先端部はぐるりと周回できるようになっていて、そこに生えている樹木はなんとなくナナメっています。
常に強風に煽られるため、そうなるのだとか。

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特徴的なこのナナメ木のあたりが歩いて行ける岬の最先端部で、パワーが最も集まる場所なのだそうです。

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ほえ~。。
分杭峠と同じ、パワーなんてよう分かりませんが、絶景と心地良い風が吹いているのは分かります。

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この辺の水は100年経っても腐らないんだとか、ほんまかー。

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岬の先端でパワーをチャージした後は、その崖下まで、坂道を転げ落ちるように降りていきます。
降りたら、帰りは登らなくてはならないことをお忘れなく。

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この先にあるのが「青の洞窟」です。

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この青の洞窟へ至る崖のスロープ道は、平成26年8月にできたらしく、それまでは海からしかアクセスできない聖地でした。

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エキゾチック映えなトンネルを潜ると、

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おお、ブルーライトな世界。
床には四角いプールのような水たまりが造られており、周りが映り込んでキレイといえばキレイ。
しかし確かに、せっかくの自然造形美は台無しとも言えます。

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この洞窟は、和銅5年(712年)に天竺(インド)から来た法道仙人が、天に登るための修行をしたと伝えられています。
この「天へ登る」→「能く登る」→『能登』となったと、当館の説明にはありました。

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養老元年(717年)、法道は垂仁大君の皇子である大玉彦忍代別尊が言葉を発せられないでいることを知り、これを仙法で治した、とされています。

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それはさておいて、僕はここで驚いたのは、

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この洞窟の本来の入口、海側の穴ですが、

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白龍がいらっしゃるではないですか!

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これは宮崎・大御神社摂社の「鵜戸神社」と同じです。
ある人に言わせれば、このような昇龍の形の洞窟は日本中に幾つか存在しており、岩の片辺のみ加工を加えて作られているというのですが、

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この青の洞窟のこのあたりの相似性、この部分は加工されているのではないでしょうか。

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あの須須神社 高座宮・金分宮の社殿の向きが、古来より変えられていないとすれば、それらはこの龍の洞窟・龍宮を遥拝していると思われ、また龍宮の奥宮として珠洲ヶ嶽山頂の宮は造られたと考えられます。
僕の抱くイメージとしては、当初、髙山氏の祖先が祀っていた聖域に、猿女氏の一族が祭祀に加わった、と言う感じでしょうか。
猿女氏といえば天鈿女(あめのうずめ)の子孫とされますので、豊族の血が濃い一族であるということになります。考えるに、髙山氏と猿女氏の血筋は近いところにあって、分担して当地の祭祀を行なっていたのではないでしょうか。
猿女氏が珠洲に定住することになったのは、竹葉瀬ノ君の頃なのかもしれません。

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この龍蛇神は鵜戸神社のものよりも原始的で、どちらかというと龍よりも蛇に近い形をしています。
つまり、鵜戸神社のものよりも古くから祀られていた可能性が高いと思います。

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法道仙人は「いずれここは陸続きになる」と予言を残していたと云いますが、水を湛えた麗しい姿は失われつつも、今回の地震によって、龍神の姿がより露わとなりました。

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珠洲岬・青の洞窟は、単なる映えスポットとして楽しむだけでは、非常に勿体無い面白い場所なのです。

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青の洞窟から戻る途中、当館の職員の方と話が弾み、珠洲岬の先に「姫島」と言う岩礁があると教えていただきました。
それでもう一度、岬の方へ上がり、姫島を確認してみました。
・・・これって「地之御前」「沖之御前」まんまやな。
島根の美保関の景観が、僕の脳裏に浮かびます。

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美保関の沖之御前は、事代主が釣りをよくされた島で、事代主を祀る聖地だとされています。
地之御前は事代主の后のひとりイクタマヨリ姫、またの名を三島のミゾクイ姫が祀られていると聞きました。
毎年5月5日未明、美保神社ではこの島から、船で神を迎え入れる神事があります。
龍笛をされるmeeさんの情報では、昔は、どんなに海が荒れていようと女性だけの手漕ぎ舟で迎えに行ったと伝えられており、今も美保の町の年配ご夫婦が嫁を迎える時のように紋付袴、色留袖で宮司さん共々港へ向かい、祝詞をあげ、神楽団を乗せた船が港をぐるぐる回り外海の沖之御前へ行うとのことです。

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また、別の情報では御神体を迎えいにく先は、沖之御前ではなく地之御前で、迎えられる神はイクタマヨリ姫なのだとか。

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美保関の沖之御前と地之御前は、珠洲岬の金剛崎と姫島の関係に似ていると感じます。
そして先の須須神社 奥宮の記事で考察したヌナカワ姫の祖父・オキツクシヰ、父・ヘキツクシヰを、珠洲の沖津宮・糸魚川の辺津宮を意味するものと捉えると、

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これは島根で言う、美保神社揖夜神社の関係になります。
美保神社の祭神・三穂津姫はヌナカワ姫であるというのが僕の説ですが、岩礁にはミゾクイ姫、若宮社には彼女の息子・天日方奇日方が祀られています。
揖夜神社の祭神はミゾクイ姫であるというのが僕の説で、本殿の右側には三穂津姫を祀る社があり、出芽のSUETSUGUさん曰く、境内には彼女の息子・建御名方を祀る社があるとのこと。
この二社の関係性は、そこに祀られる姫神が、古くは同族であったことを示しているのではないでしょうか。

少々話が外れてしまいましたが、これらのことを指し示す珠洲岬は、驚くべき古代の聖地であったことを感じ取ったのでした。

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5件のコメント 追加

  1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    重蔵神社は合祀ではなく、元々辺津比売神社に比定されていたということですかね。五条先生の重蔵神社のブログが気になり読みました。なるほど。。。あのようなご考察なのですね。深いなあ。。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      カヤナルミ=高照姫=沼河姫というのは、今の所、僕にはストンと収まってこないのでなんとも言えません。そのうち腑に落ちることがあるのかもしれませんが。
      沼川姫は謎が多くて、ロマンです😊

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  2. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    辺突辰為と辺津比売は夫婦でしょう。重蔵神社に祀られてる辺津比売は天之冬衣の后である田心姫命のはず。ここで沼河姫が宗像三女神の血をひいてるのじゃないかと思ったのですが。。ならば宗像の辺津宮に祀られていたのは、多岐都比売命ではなく田心姫命なのでは。宗像三女神は難しいですね。沼河姫が田心姫命と辺突辰為の娘だとすると、辺突辰為は前夫になるから、沼河姫は八重事代主神の妹ではなく姉になりますね。

    ところで、なぜ海村雲と蹈鞴五十鈴姫の御子、二代大君が沼河耳と呼ばれるのか。なぜクシヒカタと美良姫の娘に渟名底がつくのか。例の五条先生の際どい考察はアリかもですね。

    私は沼河姫とその御子が2人とも隠され過ぎているから、沼河姫のほうがどこかでどの姫と同一神なのか?と考えたりもします。御穂須須美命も建御名方も謎なのは、沼河姫の素性を徹底的に隠したい何かがあるのだろうと思います。高志に残る伝承があまりに口伝と違っていたり、記紀とも違いすぎる。

    美保神社と言屋神社(揖夜神社)の例の御子たちの例の謎ともうひとつ気になる事があります。

    大神神社の大行事社にカヤナルミと事代主が祀られてるのは、あれは私は高照姫と八重事代主神だと思っていて、歩いて近くにクシヒカタが日向坐なんとか社に祀られてますよね。カヤナルミ=高照姫=沼河姫なんて絶対におかしいと思われるでしょうか。富士林先生の系図からするともう呆れられるようなトンデモ検証笑

    検討違いでしょうが可能性があるとしたら、伊夜日子、揖夜。。 天香語山命。。彌彦神社に目をつけました。ここは越後に来るはずがない五十猛こと天香語山命。本当の祭神は大彦や大屋彦とも言われてたりするとネットサーフィン笑。。ふむふむ、高照姫は越後に関係性は本当にないのでしょうか。高志を照らす光比売、高光女なんて。。ないか。丹波ですもんね、でも近いな。

    カヤナルミと高照姫と沼河姫。天香語山命と建御名方と天日方奇日方。御穂須須美命と蹈鞴五十鈴姫。

    やっぱりカヤナルミを高照姫にしたいらしく笑

    いいね: 1人

  3. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    賀夜奈留美で随分クルクルしていましたが、奈良明日香の長い名前の神社の宇須多岐比売命が多岐都比売命のことであり、その娘がカヤナルミならば、これはもうカヤナルミは下照姫の図式ですよね。私が考察してきたカヤナルミ=高照姫を諦めるしかないかと観念し始めてます笑

    阿太加夜神社、出雲郷アダカエのヌシ=多岐都比売命の姫、タキキヒメ。このアダカヤヌシタギキヒメも下照姫?もうなんでも下照姫。何でも下照姫になるのでしょうか。

    高照姫と下照姫は同一神でないという前提ですが、伽耶に繋がりそうなのが下照姫。もういっそのことカヤがつく成美は下照姫に任せますか笑 

    そしてどちらかというと高照姫は出雲寄りに思えるというか、出雲族の姫さんでしょう。では高照姫は高志との関係性はないかと調べ初めたら。。沼河姫との類似性を感じてきたのです。

    そこで、あっ!!じゃあ蚊屋島神社は一体どう説明するのじゃ、となりました。

    蚊屋島神社の真の祭神は、鳥鳴海だと口伝にはありますが、隠されてるご祭神は天照高丹治女神と伯耆誌にありこれは高照姫のことだそうで。そういえば夫の火明命の蓬莱島を思わせる雰囲気が葛木三歳神社(漢字間違ってるかも(^_^;))にあった祀り方とそっくりな感じがしてます。高照姫と火明命が祭神に見えてしまうのです。じゃあなぜカヤ神社というの(TOT) カヤは下照姫ちゃまにお任せぢゃないの〜。(またやってる、私はここから少しも成長していない)

    成美地区の阿陀萱神社には木俣神そっくり伝承。カヤとくれば下照姫でしょ。高野女神社も内神社も下照姫だとすると(まだ私はこの2社は高照姫だと頑なにおもってますが)壱宮神社も倭文倭文も下照姫で。山陰は下照姫の痕跡だらけ。下照姫はちっとも隠されてない。関西では比売許曽神社やらアカルヒメやらモなんだか匂う。アダカヤヌシタギキヒメやらカヤナルミやら、みんな下照姫ばっかり。下照姫、美人過ぎて伝承が多いんですねえきっと。

    高照姫と沼河姫。

    須世理姫と瀬織津姫。

    隠されてる女神のほうが同一神の可能性とかってあるのでしょうか。。。

    久々のコメントでも相変わらず、

    とっ散らかっていて、しかも前となんら変わってなくてすみません。

    建御名方と沼河姫と御穂須須美命を調べていると、高照姫がどうにも出てくるんです。

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  4. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    俾都久辰為命の后は誰か。

    重蔵神社の主祭神である天之冬衣の后として合祀されているのは辺津比売。これは田心姫命のこと。

    もしかして田心姫命の前夫は高志の俾都久辰為命ではないでしょうか。

    少し禁断の域に入りそうですけどまあ、いつもの妄想妄想(^_^;)

    つまり宗像三女の田心姫命が沼河姫の母なのてはないかという気がしています。黒姫って誰や。。田心姫命となんか繋がらないかなあと調べましたがアウトでした(TOT)

    八重事代主神とはひょっとすると異父兄妹。。三穂津姫命は五条先生の考察される沼河姫だと私も思います。

    2人は結ばれるのでそこはスル~したいような気もしますが。

    沼河姫の息子、建御名方が建宗像なのではないかと思ったのは、米子の宗形神社の近くに諏訪地区があったり、阿太加夜神社や揖夜神社は田心姫命は多岐都比売命とともにツートップの哀しい事件の後に暮らした場所。揖夜神社に娘の沼河姫や、孫の建宗像が祀られていても何らおかしくはありませんよね。

    高照姫は事代主の妹神とされたりするときは田心姫命の娘になり、大元シリーズの別の書籍では多岐都比売命の娘となるときもありますね。私は田心姫命が母のように思いますね。。多岐都比売命の娘は下照姫。

    高照姫は丹波を治める天照高丹治女神。丹波ですからね。。。ひょっとして、元々は高志を照らす姫。。なんてことはないでしょうか。

    沼河姫の北陸にある伝承には、大国主からひどい目にあったような話がありますよね。あれは何か神話でいえば素戔嗚命のキャラクターのように思えます。出雲の八千矛神とは思えない。古参の話として八千矛神のことを素戔嗚としてる地域もあり驚きました。

    これってなんだか火明命に嫁いだ高照姫のような。。私の中ではどこかかぶるんです。。実際には徐福がそんな乱暴者だったとは思えませんが。

    年代的には高照姫と沼河姫では沼河姫のほうが随分年上な感じはしてますけど、どちらも偉大な女神、姫巫女だったのでしょう。

    いいね: 1人

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