黄泉比良坂 / 揖夜神社:八雲ニ散ル花 10

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黄泉の國の醜女達に追われ
ここに逃れてきたイザナギ命は
桃の実を投げつけ退散させた
最後にイザナミ命自ら追いきたり
大岩をもちて塞ぎ
生の國と死の國の境となせり
千引の大岩なり
これより西二百米に道祖神あり
追谷坂と呼ぶ急坂を下れば
揖屋村谷に通ず
又東四百米に峠あり
夜見路超えとて
中意東馬場に通ずる古道あり
ここの神を
塞坐黄泉戸大神なり

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出雲の外れに、大和朝廷から恐れられたという神社があります。
「揖夜神社」(いやじんじゃ)です。

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参道入口には、珍しい形の石灯籠が立っています。

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玄武のような亀の像です。

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境内には、涙のような、冷たい雨が降っていました。

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当社は玉垣の内側に入ることができます。
そこには3つの社が並んでいました。

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中央の本殿には主祭神の「伊弉冉命」(いざなみのみこと)が祀られています。

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本殿左側には「韓国伊太氐神社」(カラクニイタテ)があり、祭神は素盞嗚命、五十猛命とされています。

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本殿右側には、「三穂津姫神社」があり祭神は美保神社の祭神でもある「三穂津姫命」です。

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祭神として名に上がってませんが、ここの主祭神は「三嶋溝杭姫命」(みしまみぞくいひめのみこと)ではないかを思っています。
溝杭姫を後にイザナミに変えたのではないだろうかと。

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東出雲には、えびす神(事代主)と溝杭姫の次のような伝承が伝わっています。

えびす神は、中海を渡り美保の対岸にある東出雲町揖屋の「三嶋溝杭姫命」のもとに夜な夜な通われ、明け方になると美保の社にお帰りになっていました。
ところがある夜、一番鶏が時刻を間違えて、まだ夜も明けないうちに刻の声をあげてしまいます。
えびす神は急いで帰路についたところ、あわてられたせいか途中で船を漕ぐための櫂(かい)を海中に落とされ、仕方なく足で掻いている時に、その足をワニ(サメ)に噛まれ不具になられました。
やっとの思いで美保に帰り着いたえびす神の耳に、今度は正確な刻の声が聞こえました。
怒ったえびす神はそれ以来ニワトリを忌むべきものとされました。

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実際に里の人は江戸時代まで、鶏肉、鶏卵を食べず、鶏を飼うこともご法度としました。
また参拝者にもこれを勧めたと云います。
えびす神が、右手に釣りざおを持ち、左手に鯛を持ち片足を曲げておられるのはこの時の傷だからだそうです。

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事代主の通っていた相手「三嶋溝杭姫命」は「活玉依姫」(いくたまよりひめ)とも呼ばれ、事代主との間に「蹈鞴五十鈴姫」(たたらいすずひめ)、「五十鈴依姫」(いすずよりひめ)、「天日方奇日方」(あめのひかたくしひかた)の2女1男を儲けます。
これらの子らは、事代主殺害を知ると、渡来人との共生を嫌い、大和葛城方面へ移住します。
後に葛城へは、徐福の孫「天村雲」(アメノムラクモ)王も移住して来て大和王朝を築き上げますが、その初代大王と2代大王に蹈鞴五十鈴姫、五十鈴依姫と相次いで嫁ぎ、大和王朝は次第に出雲王家の血が濃くなり、磯城大和王朝と呼ばれるようになります。
長男の天日方奇日方は「登美家」(トビケ・富家)または「磯城家」(シキケ)と呼ばれ、奈良の地に新たな出雲王家の繁栄をもたらします。

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先のえびす神の伝承ですが、三嶋家溝杭姫の屋敷があったのが揖夜神社だったのではないでしょうか。
本殿の大社造は神魂神社などと同じく、古代の屋敷の形を残していると云います。
そして足を噛まれたえびす神とは、孤島の洞窟に幽閉された事代主を示しているのでしょう。

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大和朝廷が当社を恐れたのは、大和朝廷とその豪族たちほとんどの祖先となる秦国の渡来人が、出雲王朝の大国主と事代主を殺したので、そのたたりを恐れたからだと云います。

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揖夜神社に漂う空気には、偉大な王と副王を同時に失った、その悲しみと恐れが複雑に絡み合っているように感じました。

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境内の隅に、隠されたように稲荷社がありました。

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ここはとてもヤバい感じがしました。
写真を撮ろうとすると、焦点がスッと横に流されるのです。
それも何度も。
めちゃ不気味です。

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「日本書紀」斉明五年(659)の条に、
「是歳、出雲国造に命せて厳しの神の宮を修らしむ。狐、於友郡の役丁の執れる葛の末を噛い断ちて去ぬ。又、狗、死人の手臂を言屋社に噛い置けり。言屋、此をば伊浮瑯という(天子の崩りまさむ兆しなり)。」とあります。
ここに出てくる言屋社は伊浮瑯(いふや)であると言っており、この揖夜神社のことであろうと云われています。
社に使える巫人が手にした葛のはしを狐がかみちぎって去り、犬が死人の腕をくわえて神社の前に置いたことを、同社の巫人が天子の崩御する凶兆として筑紫の行宮に早馬を走らせたと記してあります。

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言屋社が死に縁付けられた所以は明確ではありませんが、揖夜神社からほど近いところに、古事記が伝える黄泉の入口「黄泉比良坂・伊賦夜坂」があり、揖夜神社は死後の世界である「黄泉の国」と深い関わりがあると言い伝えられて来ました。

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本殿と対面する場所に、恵比寿社などの摂社・末社が祀られていますが、

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そこには藁で編まれた巨大な龍神が祀られています。

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古代出雲では塞の神として「クナト大神」を主神としていましたが、また同時に龍神信仰も持っていました。

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出雲族は龍を藁で作り、それを木に巻きつけて祭祀してきたそうです。

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この龍が巻きつけられた木は御神木として「斎の木」(さいのき)と呼ばれています。

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『故に、其の謂はゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今、出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)と謂ふ』

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古事記によると、この世とあの世の境目を「黄泉比良坂」といい、出雲の国の「伊賦夜坂」と呼ばれています。

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「揖夜神社」から少し離れたところに「黄泉比良坂」は実在します。

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そこには現世と死後の二つの世界を隔てる「千引の岩」(ちびきのいわ)があります。

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揖夜神社の主祭神「伊弉冉尊」(いざなみのみこと)は大いなる母神と記され、火の神「カグツチ」を産んだことにより死に至った女神と伝わります。

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イザナミはは黄泉の世界を統べる母神となりましたが、その黄泉の国をイザナギが封印したのが千引の岩と云われます。

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事代主殺害の衝撃が出雲を黄泉の入り口と呼ばせ、さらに古事記の創出でイザナミ・イザナギの伝承に置き換えられたのではないでしょうか。

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古代出雲では王族の死後は風葬されたと云います。
朱を流し込み防腐処理をされた遺体は、藤と竹で編んだ篭に、膝を曲げた状態で死体を収め、高い山の常緑樹に吊されました。

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三年間が過ぎるとこれを降ろして洗骨し、山の大きな岩の近くに埋められます。
死体を吊るした木が「神籬」(ひもろぎ)として御神木となり、山や岩が祖霊の座す「磐座」(いわくら)となったのです。

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この千引の岩はどう見ても磐座です。

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事代主は出雲熊野山の磐座に葬られましたが、例のえびす神の伝承を踏まえてみると、事代主の死後、遺体の一部をここに埋め、三嶋家の聖地と崇めたのではないでしょうか。

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神話は創作であったとしても、確かにここには、異界に通じる気配が漂っています。

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最近になって手紙ボックスが設けられていました。

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天国というより、鬼太郎に届きそうなボックスです。

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「黄泉比良坂」の横に池があり、そこに「伊賦夜坂」もありました。

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何てことはない林道ですが、とても幽玄です。

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300mも歩くと、民家に出てしました。

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が、一人で歩くのは勇気がいります。

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どこからともなく、何かが動くような音が聴こえてきます。

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この林道はかつて、あの世へと通じる磐座へ、参拝するための道だったのかもしれません。

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