
2026年4月中旬の信濃旅は、まるっとnarisawaさんにお任せ、ナリ任せの旅となりました。

nariさんが最初に連れて行ってくれたのが、長野県松本市並柳にある「弘法山古墳」(こうぼうやまこふん)です。

ところどころで散り際の桜が花吹雪いており、空も青くてロマンティック。
信濃を知り尽くしたnarisawaさんならではの、ナリチョイス。

弘法山古墳は、3世紀末から4世紀中葉頃築造の前方後方墳で、東日本最古級だということですが、、、絶景。

これぞ信州という景色が広がっていました。

弘法山古墳は標高約650mにあり、墳丘長66m、後方部幅33m、前方部幅22m、後方部の高さ6m、前方部の高さ2mとなっています。
埋葬施設は竪穴式石室状の河原石を積み上げた礫槨で、長さ5.5m、幅1.3m、高さ0.9mのもの。天井石はありません。

内部からは「上方作鏡」銘の四獣文鏡1面、銅鏃1、鉄剣3、勾玉、ガラス小玉738、鉄斧1、鉄鏃24、S字状口縁台付甕などが発見されていました。



この日のランチは、松本市里山辺にあるそば処「なご味」さんへ連れて行ってもらいました。

なご味さんでは、信州・奈川産の玄そばを使用した自家製粉の手打ち蕎麦と、無添加の自家製麺和風らーめんの両方をお楽しみいただけます。



松本市入山辺にある「宮原神社」(みやはらじんじゃ)に来ました。

当地の入山辺(いりやまべ)は、須々岐水神社や八坂神社がある里山辺(さとやまべ)から山間にはいったところに位置し、宮原神社のさらに奥には、大和合神社や須々岐水神社の奥宮が鎮座しています。
大和合神社はnari情報では「黒曜石の集積所」だったらしいので気になります。改めて訪ねたい場所です。

ネットで検索してみたところ、宮原神社に関しては、御柱神事の情報しかありませんでした。

なぜnariさんは、こんな場所に僕を拉致って来たのか。

蕎麦ハ信州ノ誇リヨ。

ムサシ、カズサ、ヒタチノ国ノ蕎麦ハ産出量ガ多ク、味モ悪クハ無イガ、信州産ニハ及ヌゾエ。

Googleマップの宮原神社コメント欄に、わずかに情報がありました。
「宮原社(祭神:建南方刀美命)に、駒越社(祭神:建南方刀美命)、白山社(祭神:白山比咩命=菊理媛大神)の2社が合祀されて宮原神社になっていると思われる」
そう、ここでは”トミ”の付いたタケミナカタが祀られています。

ククリ姫ちゃんも萌え~。

今更ながらではありますが、神名に”トミ”をつけてことさら強調する人は、タケミナカタさんとナガスネヒコさんくらいですかね。
トミノコトシロヌシ、とか、クシヒカタトミなんて言わないですもんね。

先のコメント欄の情報では「御柱は薄川(すすきがわ)の右岸、左岸の両方から2本づつ伐りだされ、右岸のものを千手御柱、左岸のものを宮原御柱と呼ぶ」そうです。



入山辺の橋倉集落に鎮座する「諏訪社」を訪ねました。

山沿いの狭いスペースに社があります。

こんな狭い場所にもちゃんと4本の御柱が立っており、信仰の厚さを窺わせます。

こちらの祭神も、トミ付きの「建南方刀美命」。
神紋はオシャレな諏訪梶で根は3本です。

由緒によれば、「創立年代は不明だが、金華山城主小笠原氏の守護神であったと言われ、本殿背面に小笠原氏の紋所三階菱が刻まれている」とのこと。

大確かに、三階菱(さんがいびし)の紋がありますね。

信濃の小笠原氏といえば、南北朝時代に足利尊氏に属して信濃守護に補任されたこの人、

「小笠原貞宗」(おがさわらさだむね)を連想致しますが、金華山城(林城)は彼の6代あとの「清宗」(きよむね)の築城であるとされています。

この諏訪社はもっと古い時代からあったのではないかと、なんとなく思えるところです。



松本市里山辺の「薬師堂」へとやって来ました。

非常に狭い路地裏にひっそりとあるのですが、ここが「美ヶ原温泉」(うつくしがはらおんせん)伝承の地とされています。

「いづる湯の わくに懸れる白糸は くる人絶えぬものにぞありける」

平安中期、源惟正が信濃の国司として下向する際に同行した宮廷歌人「源重之」(みなもとのしげゆき)は、道中で重い眼病を患い、この地で湯治をすることになりました。

ある夜、重之は夢でお告げを受け、ここに薬師如来像を安置して祈願しました。
するとほどなくして彼の病は平癒したのでした。
それからというもの、重之は入浴の道すがら参詣し、その功徳を称えて先の歌を詠んだということです。

長い階段の途中にある中門は、サイノカミ祭り。

子宝のご利益もあった、ということでしょうか。

美ヶ原温泉は、45℃のアルカリ性単純温泉源泉が毎分1,246Lも湧き出ているそうです。
この湯に浸かると、きっとアレも、グンっと元気になるのでしょう。たぶん。

美ヶ原温泉の歴史は古く、開湯は奈良時代とされています。
『日本書紀』には、天武天皇が都まで知られた「束間の温湯」に行幸しようと使者を派遣し、三野王に信濃国の地形図を献上させた旨が記されています。
この「束間の温湯」が、今の美ヶ原温泉だとされています。
天武天皇もグンっ、と元気になって、たくさんの子を儲けたのでした。

「束間の温湯」は他に、当地より北に2kmほど離れた場所にある「浅間温泉」も比定されています。
束間は後に「筑摩」と字を変え、現代も人々を癒し、元気にする湯をこんこんと湧き湛えているのです。



長野県小県郡青木の「子檀嶺神社」(こまゆみじんじゃ) 里社にやって来ました。

創祀年代は不詳。
式内社「子檀嶺神社」に比定されています。

当地より3kmほど離れた子檀嶺山山頂に奥社、中腹に中社があり、当里社と合わせて「子檀嶺神社」となっています。
ただし、江戸時代には三社合わせて「諏訪大明神」と称していたとあり、子檀嶺神社に改称されたの明治14年のこととなります。

祭神は「木俣神」(きまたのかみ)と「健御名方富神」。
珍しい組み合わせです。
木俣神といえば大元出版では、大国主と曳田八上姫の間に生まれた「下照姫」のこととなっていますが、謎の多い神です。

ただ『三代実録』では祭神が「駒弓神」(こまゆみのかみ)となっているそうです。
当地周辺は信濃十六牧の一つ塩原牧に属し、馬の産地でもあり、牧場の守護神とも考えられています。

そしてnariさんが言うには、里社は花菱紋ですが、中社の神紋は剣花菱になっているのだとか。
となると、ひょっとして神門家の関与があるのかどうか。

当地に、祭神が葦毛の駒に乗って駆けていると、立谷坂で落馬し、胡麻穀で眼を突いて傷を負ったという伝承があります。
これを忌んで、当地・青木村では胡麻を作ってはならないと言伝えられていました。



さて夕食は、長野に来たら「ハルピンラーメン」を食べないとダメだ!とnarisawaさんが言うので、やって来ました。

ハルピンラーメンは、味噌と醤油の間のようなスープがピリ辛に仕上げられたラーメンでした。
コッテリ好きの博多んもんの口にも、よく合います。

narisawaさん曰く、今のハルピンラーメンは今風に合わせてあるらしく、元祖はもっとガツンと辛いのだそうです。

熱辛ラーメンで温まった体を冷やすために、おっさ、スマートな大人の男性二人は諏訪湖の夜景を眺めて、それからナリ宅に向かったのでした。

🐣”なご味”さんは揚羽蝶の家紋なんですな…珍しい家紋ですな。ともあれ、今後もnarisawa氏と珍道中を繰り広げてもらって、興味深い旅日記がアップされるのを楽しみにしております🐣
シャレオツな家紋で羨ましいですな。
nari氏はガチの山男さんなので、とにかく山、トニ山な旅なんですわƪ(˘⌣˘)ʃ