オヒデリ様

投稿日:

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2024年12月9日月曜日、僕は長崎の対馬、厳原町阿連(あれ)へとやってきました。

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この日、険しい山と海に挟まれた小さな集落、阿連の里に鎮座する「雷命神社」(らいめいじんじゃ)は、ほのかに賑わいを見せていました。

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雷命神社は、神功皇后と共に二韓征伐に赴き、その後、対馬に定住したという「中臣烏賊使主」(なかとみのいかつおみ)を、「雷大臣命」(いかつおみのみこと)、「雷命」(いかづちのみこと)として祀る神社です。

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中臣烏賊使主は『新撰姓氏録』に「天児屋根命十四世孫」とあり、対馬ト部(うらべ)の祖とされる人物で、神功皇后の神懸かりでは審神者(さにわ)を務めました。
当地は彼の住居跡であると伝えられ、また「亀ト」(きぼく)の発祥地とされます。

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阿連川沿いにある雷命神社は、江戸時代までは「八龍大明神」「八竜殿」(はちりゆうどん)などと呼ばれ、水神としての側面も持つと云われ、本来の神性は社名の如く「雷」であるとも伝えられます。

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本殿の横に鎮座するのは阿恵之若御子神社で、中臣烏賊使主の子「日本大臣」(やまとおみのみこと)を祀ります。
彼は中臣烏賊使主が神功皇后の命をうけて百済に使し、かの国の婦女を娶って生まれた男子であると伝えられます。

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そんな神々も旧暦9月29日、いわゆる神無月には出雲へ旅立ち、阿連の里も神様が不在となってしまいます。
そこで集落では、阿連川上に鎮座する「お日照様」(おひでりさま)を里に迎え、祭神が留守のあいだ守ってもらうという風習があります。

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やがて旧暦11月1日になると、祭神の雷命が社に戻り、そこから1週間のあいだ、お日照様とともに社で過ごされるといいます。
そして11月8日に大祭を行い、11月9日には、阿連の住民総出でお日照様を川上にお帰しするという「本山送り」(もとやまおくり)の神事が催行されます。
その旧暦11月9日が2024年は本日であり、本山送りに参列させてもらうために、僕は対馬に飛んできました。

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この本山送りの時、お日照様は懐妊しているとされています。

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14:00になると、まずは雷命神社拝殿内で神事が執り行われます。
僕は部外者ですので、当然拝殿の外から参列させていただくつもりでした。
そうすると、お一人のご婦人が「中へどうぞ」と僕に声を掛けてくださいました。
「あなた、福岡の美容師さんでしょ」
…驚きました。まさか対馬の小さな集落にまで、五条桐彦が身バレしていようとは。
「たぶん今日お見えになるからと、息子の嫁から聞いていましたよ」
なるほど、このご婦人は、僕の店のお客様のお義母さまでした。

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確かに、対馬ご出身というそのお客様と、「今度、お日照様に行こうと思っています」とお話をしましたが、それは2ヶ月くらい前のことだったと思いますよ。
よくぞ覚えていてくださり、またお義母さまにお話し下さいました。
お義母さんは神事が始まる前に、僕に「これ、どうぞ」と、分厚い靴下を手渡されました。
「後で必要になるから」と。

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そうして拝殿での神事は20分ほどで滞りなく終わり、これから皆で「本山送り」に行くことになります。

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僕らが拝殿の外で待っていると、地元の奥様方が、各々の背中に御幣を差して回り始めました。
「兄ちゃんもほら」

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もう十分過ぎるおっさんですけどね。まあ、奥様に比べたら、僕なんかまだまだヒヨッコですが。

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お日照様は、この御幣を挿した人たちの背中に乗って、山へと帰っていくそうです。
「これ差してたら、ご利益でお金持ちになれるよー」
奥様が声かけられます。それはありがたい、キンケツでして。

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境内では神饌のお下がりのブリを、ご主人が手際良く切り捌いてありました。

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このご主人は実は僕のお客様のお義父様で、「神饌の8kgのブリは自分が釣り上げた」のだと後で教えてくれました。

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僕もお下がりを少しだけ頂きました。

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お義母さんが「預かっといてあげる」と言われて渡していましたが、後で気がついたら、保冷剤入り袋の中身は、大きな霜降りブリに入れ替わっていましたけどね。

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そうしていると、
「ほら、子供達は先に行けー」
年長者の男性が声掛けします。

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わぁと子供達が駆け出し、大人たちは後からゆっくり歩いていきます。

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みんなでお日照様を背中に背負って行進。
先頭の区長さんが手にしてあるのは、束ねた女竹に御幣を差した「大カナグラ幣」と呼ばれるもの。
先の神事で、こちらにお日照様のご本体が遷されています。

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太鼓を担いであるのは、確か、対馬観光物産協会の方だとおっしゃっていました。
協会では、新人さんが入ると、この本山送りに皆で参加するのだそうです。

「いざやーいざや とのばらやーとのばらや とのばらを元の山にお送り申す」
「おぉーっ」

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法螺貝を抱えたおじいさんもいらっしゃって、「昔はこれを吹ける人がいたんだけどねぇ」とおっしゃっていました。
残念ながら、今は法螺の音を聞くことはできません。

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ところで掛け声の「とのばら」って、「殿方」という意味だと思うのですが、お日照様って女神ですよね。
「殿腹」でお腹の子のことを指しているのでしょうか、聞きそびれたな。

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「今日は風も穏やかで、暖かく良い日だねぇ」
参列した奥様方が、口々におっしゃります。ほんと、のどかな祭日。
本山送りは旧暦の11月9日固定で行われますので、祭日が12月初旬であることもあれば、下旬の大晦日近い日の時もあったりします。
極寒の日でも、雨風の日でも催行されるそうです。

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しばらく行くと、謎の石積みがありました。

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「ワア~っ!」
先行した子供たちは”シカの神”という設定で、大人を驚かすしきたりになっているそうです。
そう、ここから先は神域ですので、山の神が心無い大人を追い払うのでしょう。僕は心清らかな紳士なので、たぶん大丈夫、だよね。

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神域では、土足は厳禁です。
それを聞いていた僕は裸足で歩く気満々でしたが、靴下を履いたままでも良いようで、それでお義母さんは厚手の靴下を手渡してくれたのでした。
「今履いている靴下の上に重ねて履きなさい」

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お義母さんのおっしゃる通りに靴下を二重に履き、石の河原を歩きます。
イタタタタタタタ…
それでもかなり痛い。めちゃ痛い。裸足だとどうなっていたんだ、コレは。

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皆、口々に「痛い」「イタタ」と叫びながら、神域を歩いていきます。
例えるなら、延々と続く足ツボ地獄。
毎年参加される地元民のベテランさんでも、痛いようです。

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さすが宮司さんだけは、平然としたお姿。神域と一体化されております。
雷命神社の宮司家は、代々橘氏が務めておられるそうです。
そういえば、社に掛かっていた社紋は橘紋でした。

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阿連の橘氏は雷大臣(中臣烏賊使主)の後裔と云われ、日本大臣伝来の亀卜の法を伝える家で、城下にある国府八幡宮(厳原八幡宮神社)の従宮司をも勤める家柄であったといいます。

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先代の橘宮司は「阿連は、古語の誕(あ)れ(神の誕生)から名付けられたともいわれる。祭りには1年の豊作、豊漁を感謝する意味合いもあるのではないか」と話してあったそうです。

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イタタタタタタタ…
天然針山地獄の激痛に耐え、108の煩悩が消えてきた頃、どうやら着きました。

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ここが、お日照様のお社です。

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各々、その場に座り、小石の隙間に火の灯った蝋燭を立てます。

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僕も蝋燭を頂きました。

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しっとりとした空気の中、本山送りの神事が始まります。

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阿連は、神の誕(あ)れの地。
お日照様はこの山の神で、雷命神社の祭神が出雲の神議り(かむはかり)に出かけている間、里を守るために下りてきます。
そして祭神が帰ってくると1週間の間を共に過ごし、つまり神婚を結ばれて女神は懐妊するのです。

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雷命とは当然男神で、龍神・水神・雷神としての性質を持ちます。
お日照様はその名称から太陽神であると考えられ、さらに山の神であり、懐妊するということは穀物神としての性質を持っていると考えられます。

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雷命が中臣烏賊使主であるとすると、中臣氏にも出雲族の血は流れているので、神議りに参加したとしても不思議ではありません。
しかし、人の先祖神が、お日照様という地母神と夫婦になるというのが、僕には今ひとつしっくり来ません。

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神婚における雷命は、人神というよりは自然神に近い存在なのではないでしょうか。
お義父さんがおっしゃるには、「阿連は雪は降らないが、風は凄い。暴風が吹き荒れる」とのこと。時には竜巻も起きるようです。

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水と嵐の男神と、太陽と土の女神が「誕れ」の地で結びつき、大地に豊穣をもたらす。
神奈月の終わりの頃は、作物の収穫を終え、来年の豊穣のために土に命を還す、大切な時期。
諏訪のミシャクジ信仰にも似た意味を持つ神事であるというのが、神迎えから本山送りまでの本質ではないでしょうか。

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この聖地を見てみれば、巨木の傍に社が設けられているというのも、ミシャクジの祭司を彷彿とさせます。
天から太陽神の卵子が聖木を伝って降りてきて、竜神(水と風)の精子を受け取り、聖木の根を辿って大地の胎盤へと還っていく。

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お日照様の懐妊に際しては、山の口の開くまでに産のひもを解く。そのため、山の口どめの間からうすをひいたり、大声で叫ぶことがあってはいけない。大声を出して口が曲がったものがいる、とも伝えられ、またお日照様の山の一部と大欅を売ったら、その者は足が悪くなって立てなくなり、やがては命が尽きてしまったとも伝えられます。

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本山送りの神事を終えた後、宮司は「今日と明日は山止めとします」と告げられました。
山止めとは、山にはいったり、山の産物をとるのを禁止することです。
この2日間は、人が神を見てはならぬ、触れてはならぬ掟なのです。

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神の仕来りは絶対です。
守れば命の豊穣をもたらし、守らぬ者には、たとえこの国の民でなくとも、災いをもたらすのです。

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阿連の里は、険しい山と、度々荒れる海に挟まれてはいますが、対馬では平地も広い方で、稲作地もある対馬の米所です。
参列されていた奥様方は、かつては山の上に耕作地を作り、芋類や椎茸を栽培をしていたそうです。
お義父さんは「子供たちは皆、島から出ていってしまったが、私らにはここが都でね。海も山も田もあって、なんでも必要なものがここにある。漁師も農家も何でもやって生きてきたんだよ」と誇らしげにおっしゃってられました。

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祭りではここで採れた蕎麦粉や

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ケーキやお餅まで頂きました。

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お借りした靴下をお義母さんにお返ししたら「そうだ、うちに寄ってらっしゃい」と誘われて、「夕食も食べていくでしょ」と、初対面の僕を厚くもてなしてくれました。

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一夜干しのイカは、肉厚でジューシー。

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対馬名物、美味しい対州そばも頂きました。

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やがて直会を早めに切り上げた、お義父さんも帰ってこられて、団欒になりました。
たくさんの地元話と、山のもの、海のものの恵みでお腹をたっぷり満たします。何という贅沢。
「今日、宿のキャンセルできるんだったら、泊まっていきなさいよ」と、お義父さんもお義母さんもおっしゃってくださいましたが、いやいやさすがにそこまでは。
それでも「今度、対馬に来るときは宿取らなくていいからね。うちに泊まっていきなさい」とおっしゃっていただき、思いがけず対馬の実家ができたのでした。

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「これはうちで作った蜂蜜。良かったら持って帰って。うちのは百花蜜っていうんだ」

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対馬は養蜂も盛んで、しかも希少な広葉樹の花から採取される天然蜜の濃度が高いのだそうです。
「百花蜜」「対馬」で検索したら、すんごい金額が出てきたのですが。

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宿に着いて空を見上げれば、美しい上弦の月が浮かんでいました。
旧暦の11月9日というのも、意味があったのです。
ふっくらと膨らんで、これからまん丸になってゆく女神のお腹を、僕はしばらくの間、愛しげ見つめていました。
冷たい風も気にならないくらい、心があたたかな夜だったので。

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6件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    山の中にポツンとある神社ってあるじゃないですか。お写真の並んでる氏子さんの姿を見るとまさに原初の信仰の姿なのかなと思いました。

    皆さんが座られてるところは石ころだらけでお社も小さく、普段何もない時は参拝しても気づくこともない所ですが、こうやって集まってるですね。

    昔はもっと大勢集まって壮観な景色だったんでしょうね。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      石の社は比較的新しいものに見え、以前は無かったと思われます。
      横の大樹が目印だったのではないでしょうか。
      田舎の方では氏子は減ってきているので、祭りの時は問答無用で里帰りさせる法システムが必要かも。

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  2. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

    🐥なんで祭壇がコンクリなのか謎ですな…

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      一応河原ですから、増水した時の対策でしょうな🐟

      いいね: 1人

      1. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

        🐣なるほど。では増水したことがあるのですね…🐥

        いいね: 1人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          さあ┐(´ー`)┌

          いいね: 1人

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