白石の神域と月の関係

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奈良県桜井市にある、知る人ぞ知る聖域「白石の神域」。
この地の祭祀の秘密において、有力な情報をいただきました。

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ネット上では、白石の神域は三輪山山頂に対して北東30度に位置し、”夏至の日の出”方向にあたると説明するものが一定数ありました。
白石の神域は現在、穴師坐兵主神社の社家様が管理をなされています。
穴師坐兵主神社の旧社地は「ゲシノオオダイラ」と呼ばれていたとあり、つまり夏至の日の出の位置にある白石の神域は「夏至の大平」ではないか、と見る向きもあるようでした。

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しかし僕は、この聖域の静謐な独特の雰囲気、そして白石をもって聖域と為すところから、ここは豊来入姫が月神を祀った大和笠縫邑ではないかと思えてなりませんでした。
そのような折、先日サオリさんから、ある方のことを教えていただきました。

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その方は以前、僕の鞍岡・祇園神社の記事にコメントを下さった方で、『偲フ花』を見て、彼女のお話会に来てくださったようでした。
真理探究と歴史探訪』というブログを書いておられる”たまのを”さんです。
『真理探究と歴史探訪』のブログは、執筆担当と校正担当のお二人で書かれているとのことです。

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“たまのを”さんはサオリさんを通じて、僕に2つの記事を紹介くださいましたが、それを読んで驚きました。
一つ目はこちら、2024年12月12日の『来たる12月15日の特別な《満月》』という記事です。

この記事のポイントとしては、
■月の公転軌道には約18.6年の周期があり、最も北側から昇る満月の時期を「極大期」と言う。
■極大期の満月は、”夏至”の日の出よりも約3°北から昇る。つまり、夏至の太陽より天頂に近く高いところを巡るので「高い月」と言う。

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そして、
■東海大学文学部 北條芳隆教授によれば、極大期の満月が昇る精確な方位を、明確に意識して建造されたものが「吉野ヶ里遺跡」の中心となる祭祀場「北内郭」である。
と言うのです。

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地球からみた太陽の軌道を「黄道」(こうどう)、月の軌道を「白道」(はくどう)と言いますが、白道は黄道から5°8′ずれています。
つまり「高い月」(極大期)の時は月は夏至の太陽よりも5°8′高く昇り、「低い月」(極小期)の時は冬至の太陽よりも5°8′低く昇る、というわけです。
この高い月から低い月までの期間は約9.3年となり、往復18.6年となります。
極大期の冬の満月は太陽よりもはるかに高い高度で輝くので、古代の人々は畏敬の念をもってその月の出を眺めたはずですし、信仰の拠り所になったであろうと、北條教授は説明します。

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吉野ヶ里遺跡と北限の満月

そこで北條教授を中心とする研究グループが、天体観測や地文測量等の先端技術を駆使し、「北内郭」にあった”主祭殿”を中心とする六棟の建物を調べてみると、約18.6年周期という「月の運行」の”極大期”における《満月》の月の出を指標として建造されていることが分かったのです。

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『吉野ヶ里歴史公園』「北内郭~まつりごとの場所~」

つまり北内郭の建物群は、年間の日の出・日の入と月の出を調整し、太陽の暦と月の暦を調整する装置であった可能性がある、ということです。
世界各地の祭祀関連遺構でも、たとえば月の女神を祭るウルのジグラッド神殿の正面階段は、この極大期の満月の出現方位に向けられたといわれるそうで、世界中で極大期の満月を信仰していた痕跡があるのだといいます。

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富家では、吉野ヶ里遺跡は物部族の都市であったと伝えられますが、そこに月読みの装置が大規模に作られていたということに驚きます。
なぜなら、物部族は星信仰であり、月信仰は持っていなかったと考えていたからです。
故にイニエ王はカリスマ性を持つ豊玉姫を欲したのだと。
しかし彼らには、僕が思うよりも古い時代から、月信仰を持つ一族の介入があったのかもしれません。

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直近の最も「高い月」、”極大期の満月”が昇る日が、令和6年(2024年)の12月15日だったそうです。
この日の月は、夏至の太陽よりも約3°北から昇ったとされます。

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そして、”たまのを”さんの二つ目の記事『令和6年12月15日の「北限の満月」を寿ぐ…そして本日は「冬至」』です。
ここで特筆すべきは
■「白石の神域」は三輪山を基点として、真東から北に約33°振れた方位にある
ということです。

なん・・・だと・・・

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そこで僕も、Googleマップをスクショして、角度を測ってみました。
すると確かに、大神神社は三輪山の背後に夏至の日の太陽を拝するような位置30°線に鎮座していますが、白石の神域は30°線からわずかに、しかし確実にずれています。
白石の神域の位置は、33°、正確に32.85°くらいでしょうか、その線上にあることがわかります。

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このことから、白石の神域は、極大期、いわゆる”高い月”の麗しき満月を祭祀するために設けられた聖域であることがわかるのです。
・・・なんてロマンチックなんだ。

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白石の神域の下にある湧水の沼地「水神坐沼社」も、古代は樹木が取り払われ、高い満月を映し取った水鏡であった可能性があります。

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月の暦の基準点には、この“高い月”極大期の18.6年という周期の他に、太陽の暦である冬至(太陽の黄経が270°になる日)と旧暦の11月1日(新月=朔)が同日になる日の19年周期「朔旦冬至(さくたんとうじ/メトン周期)があります。
さらに月について調べてみると、サロス周期というものがあり、これは、太陽と地球と月の位置関係が相対的にほぼ同じような配置になる周期をいうそうです。
1サロス周期は223平均朔望月=6585.3212太陽日であるといい、これは約18年と10日あるいは11日と8時間(1日の曖昧さがあるのは、その期間中に閏年が5回入るか4回入るかの違い)なのだそうです。

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月について、僕はまだまだ無知だと知りました。新たな知識を得る機会をいただいた”たまのを”さんお二人に、感謝申し上げます。
サロス周期では、1サロス後にはほぼ同じ条件の日食または月食が起こります。
月の極大期の周期や朔旦冬至の周期を知っていた月読みの姫巫女の血統は、サロス周期のことも知っていた可能性が高く、日食や月食を予知していたのではないかと、改めて思うのでした。

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9件のコメント 追加

  1. izume-world のアバター izume-world より:

    あのしっとりとした雰囲気の御神域から、太陽光というより月光と水を感じられたのですね。ガイドしてくださった際には、このまあるく白石か敷き詰められたる祭祀空間は何なのだろう、古代からどうしてそれがあんなに忽然と残ってるのだろうと不思議に思いました。。しかし神秘に浸る前に、あんな道のりをバイクで普通に通ろうとされていたジモピーお兄さんちゃんに遭遇、圧倒されちやってました(TOT) あ〜感性ゼロ。

    何気にサラッとこれはすごい発見&検証ですね。読んでいて惹き込まれちゃいました(^o^) 面白い。

    そういえば、銅鐸の孔は太陽の光が入るように綿密に設計された太陽祭祀の道具、という説の本を読んだときに、銅鐸を持ち寄って鳴らす意味は、遠くにいる人たちに、春分秋分や日の入りのタイミングを鳴らして知らせてたとあり、なるほどなぁと思いました。

    でも何のために知らせるんかなぁ、というキッカケから以下のことを思いつきました

    太陽の暦を知る目的ってやっぱり稲作?種まきの時期とかを正確に測るためで。。 祭祀は子孫繁栄とか五穀豊穣のため。特に五穀豊穣に必要不可欠なのは太陽光と水なので、太陽の日照時間が少ない所では、太陽崇拝の祭祀が中心だったのでは思いました。つまり山陰、出雲族の祭祀。。

    出雲国は中国山脈と日本海に挟まれ、穏やかな良港を持ち水は豊富。大山は火の神岳ですが、雪解け水からの水脈はダントツ。でも、晴れの国ではないんですよね。。。大切な日に晴れてくれえ〜とか、お社巡りで雨ばっか、なんて思うことしょっちゅうです。雪はもう降らんでくれえ〜と、こないだの豪雪でほんとトホホ。うちから幹線道路に出れないくらい。スタッドレスタイヤを太陽に見立てて祭祀したろか?という気にもなります。

    ということは、北陸、東北に分布する銅鐸太陽祭祀は、「わかるわあ〜」です。

    岡山、吉備は晴れの国。まあるい月を象った銅鏡を用いて、星やら月やら拝んで「み、水〜」とか。。すみません、私が書くとロマンチックの欠片もないですね(^_^;) 

    吉野ケ里遺跡の楼観。。九州は日向の国。日照時間て恐らく出雲よりかなり多いのでしょうか。古代九州の水不足は深刻で、北部九州に水田稲作が始まって以来、河川や雨水から水資源を依存する場合は、やはり干ばつのリスクと常に隣り合わせだったはず。水の祭祀、となると。。太陽ではなく月だったのかな、星だったのかなとか思いました。

    置かれている自然環境に不足している資源を切実に想い、雨乞いや日照乞いをするのは理に適っているかと。私にはロマンが足りませんけど(笑)

    いいね: 4人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      確かに、雨乞いは太陽信仰よりも月信仰と関係が深いように感じます。
      太陽は稲作他、四季に関わる生活全般に、
      月は稲作、出産、漁業、そして戦争に、
      星は航海に重要だったのでは、と思います。

      いいね

  2. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    朔旦冬至、2014年12月の際には媛は一日中何か祭祀らしき事をしていたようです。メトン周期やサロス周期の月読盤も持っていましたが、いつの時代から代々かは教えてくれませんでした。西暦234-235年の図というのも意味深ですね😉 東征前に月信仰がもしあったのなら… ‎🤔

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      物部王国にはすでに月信仰があったが、豊玉姫のカリスマは絶大だった、ということでしょうか。

      次の極大期、高い満月はだいぶ先ですが、とりあえず次の朔旦冬至を楽しみにしたいと思います。
      3月3日は皆既月食も見られるそうです。

      いいね: 2人

    2. 不明 のアバター 匿名 より:

      narisawa110

      <月読盤も持っていましたが

      なんですどぉーう?ww

      陰陽師も巫女様も、頭良くないと務まらん訳でありますな。色々知ってなければいけないんですね。

      いいね: 2人

    3. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

      果たしていつの時代から、どこから伝わったかの核心が記録として残って無い、或いは秘匿なのがもどかしいです。
      本当はあるのに教えてくれないのなら困ったものです😂
      ”物部を名乗る以前”の渡来星読みも、太陽信仰も、月信仰も「全部伝承あるよ」と屈託なく若い頃から当たり前のように言っていたことが今更ながら気になるのです。
      太陽は出雲や石見土着のように何が何処のなのか? 星はともかく月も紀元前からの渡来なのか?
      …6世紀以降は記されていてもそれ以前が肝です。🤔
      祭祀巫女は陰陽師同様にサイキック+緻密な計算で読んでいたことだけは、近代まで継承している事実だけは揺るぎないです☺️
      3月3日は皆既月食ですね。天気が良ければと思います。

      いいね: 1人

      1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

        3月3日雛祭りの日に見られ、次は2029年1月1日、年が明けるとすぐに(0時7分)月が欠け始めるという、面白いタイミングに起こるそうです。

        ちなみに、グーグルで”皆既月食”と検索すると、面白いものが見れました😄

        いいね: 1人

  3. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    冬至と旧暦の11月1日とが重なる「朔旦冬至」(さくたんとうじ)て見てみました。

    19年と7か月に一度訪れる、太陽の復活と月の復活が重なる日で、古代においては盛大な国家行事で、持統天皇はこの19年7か月に一度の「朔旦冬至」を盛大に祝ったとあるそうですね。

    つまり20年に一度の式年遷宮もこれに近い考え方なのかもしれません。

    兵主神社さんに次の神事はいつですかとか突撃したくなりますねw

    いいね: 3人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      白石の神域はnarisawaさんとご縁をいただいた聖地でもありますね🤭
      宮司さんとは伝承など、もろもろ語り合いたいです😄

      いいね: 1人

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