国造神社(多氏王朝説考):常世ニ降ル花 神門如月篇 15

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阿蘇は凄い。
この外輪山を見る度に、思います。
壮大な地形は、古代から、畏怖と崇敬の対象であったことは明らか。
外輪山の内側が本来の阿蘇山の火口であり、やがて火口にできた平地に、人々が国を作りました。

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2025年の成人の日明け、1月14日は、媛さんと一緒に、Xでお知り合いとなったアシュラさんとお会いする約束の日でした。

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朝から車を転がし、外輪山を超えたあたりで阿蘇五岳が姿を現しました。
「こっち側から見る阿蘇山、初めてっ!」
まるで子供がはしゃぐように、媛さんが言います。

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九州で有名な、阿蘇五岳の涅槃像。
僕はむしろ、この北側から望む景色の方が馴染み深いので、感動する媛さんを新鮮だなと思っていました。

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3人の会合の日はトークがメインでしたので、別の日に改めて写真を撮りにきました。
ここに出している写真は、その時のものです。

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外輪山方面から国造神社に下っていくと、「手野の名水」という岩清水が湧く場所があります。

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地元では有名な場所のようで、平日の朝から、2組ほど水汲みに来られていました。

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密度を感じる、巨大な岩盤から漏れ出る清水。

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阿蘇の豊かさを象徴するものでもあります。

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一口含みましたら、甘みがほんのり、広がりました。たぶん。

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アシュラさん曰く、国造神社は国造を冠する唯一の神社で、我が国最古のものであるとのこと。
ならば原始的祭祀の磐座信仰があるのではないかと探したら、ありました。

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「わくど石」とあります。

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“わくど”とは”カエル”のことで、カエルに見える磐座なのだそうです。

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多分これがそうだと思うのですが、

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わくどに見えるかな?

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見え・・・・・・・・・っ!
これはかなりの妄想力を試されます。

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とは言いつつ、わくど石の存在感はなかなかのもので、近づいてみると別の生き物のように見えてきました。

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しかしこれが国造神社の御神体かと言われると、そこまでのものではないような気がします。
位置的には、神社境内の奥の方になるんですけどね。

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この辺りに、皮膚病に効く泉があるそうですが、よく分かりませんでした。
少し奥まで歩きましたが、やたら木が倒れていて、怖い。

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川を渡ったところで、得体の知れない鳴き声が聞こえ、ビビりました。
きっと、いつもうなぎばかり食べているから、山の神が怒っているのでしょう。くわばら、くわばら。

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この後、国造神社に行きましたが、その前に阿蘇神社のことを話さなくてはなりません。

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平成28年(2016年)4月16日に発生した熊本地震による無惨な姿から、見事蘇った阿蘇神社。
宮大工さんの心意気を感じます。
屋根の落ちた楼門の姿は悲しさを誘いましたが、本当に見事に再建され、かつての侘びた雰囲気もそのままで驚きました。

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拝殿はやや新しい装いで再建。
「阿蘇神社」(あそじんじゃ)は、古くは「阿蘓神社」とも記され、肥後国一宮として親しまれ、全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社とされます。
古代からの有力氏族である阿蘇氏が大宮司を務め、現在も末裔である阿蘇惟邑が大宮司を務めているとのこと。

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神域内にある三つの神殿には、初代天皇の孫にして阿蘇の開拓神「健磐龍命」(たけいわたつのみこと/阿蘇都彦命)はじめ、健磐龍ファミリーが祀られるとされています。
創建は7代孝霊大君9年6月、健磐龍命の子で、のちに初代阿蘇国造となる速瓶玉命が、両親を祀ったのに始まると伝えられ、阿蘇神社大宮司を世襲し、子孫の阿蘇氏は阿蘇地方の一大勢力となった云われています。

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しかしながら、これに異を唱えてあるのがアシュラさんです。

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氏はまず、「古代人は楼門が倒れる所に宮は築かない」と主張します。
現に国造神社は、あの熊本の大地震でもビクともしませんでした。

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確かに、境内に御神水が湧き出る神社は多数ありますが、門前街一帯から水が湧き出る神社は稀で、それは標高が低いことや地盤が弱いことを示しているとも言えます。
また、阿蘇に身を置けば、否が応でもあの阿蘇五岳を崇めないわけにはいきませんが、阿蘇神社本殿はそれを向いていません。

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アシュラさんは、国造神社の在る手野に多氏が住み、御神体である阿蘇山に詣でる途中の行宮地で休憩し、山に登っていた。
その行宮地が今の阿蘇神社の鎮座地であると言います。

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更にアシュラさんは、僕と媛さんを阿蘇神社の裏手に案内してくれましたが、そこは一層、土地が低くなっていました。

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そして阿蘇神社の本殿を裏から見ると、窪地一直線に盛り土がなされ、社殿が建っていることが分かります。
「こんなところに、重要な神社を建てるはずがない」
確かに。
今の阿蘇神社は明治以降の歴史改竄で権力づけがなされた、偽りの信仰なのだということです。
まあしかし僕は、自分は毎日パチンコに出かけながら、社員は朝から11時過ぎまで仕事をさせ、休日サービス出勤も「やれとは言わないが、俺は毎週やってた」と嘯いて、家のローンが厳しいのか飲み会帰りのタクシー代も一番下っ端に支払わせる、上に諂い下に偉ぶるキング・オブ・クソ上司の元で過ごした、そんな熊本ブラック営業マン時代に唯一心を救われたのが、この阿蘇神社でしたから、それなりに思い入れはある聖地ではあるのです。
あのチンケな元上司は、定年退職後慕う者のない小さな自慢の城で、今頃のんびり余生を送っているのだろうか。

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さて、国造神社です。
国造神社」(こくぞうじんじゃ/くにのみやつこじんじゃ)は、熊本県阿蘇市一の宮町手野に鎮座する神社で、阿蘇神社の北方に鎮座するため「北宮」とも称されています。

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延喜式神名帳には、肥後国に四座が記されていますが、それは「国造神社」「疋野神社」「阿蘇媛神社」「健磐龍命神社」となっています。
いずれも創建年代不明とされますが、「阿蘇神社」という名の神社は神名帳に存在しないのです。

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現在では、「健磐龍命神社」と「阿蘇媛神社」が阿蘇神社だ、となっていますが、本来の健磐龍命神社は阿蘇山上の西巖殿寺に併設されたと思われるとのこと。
阿蘇媛神社は「乙姫神社」か「郡浦神社」辺りでしょうか。
当の阿蘇神社は、江戸末期の創建1850年で、細川の庇護により造られたとのことです。

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国造神社の由緒では、崇神大君の代に速瓶玉命が肥後国造に任命され、景行大君18年(88年)に、国造神社を修造し祭典を整えたとあります。
速瓶玉命(はやみかたまのみこと)は阿蘇神社主祭神の健磐龍の子で、父と共に阿蘇の地を開拓し、農耕・植林などを指導したとされています。

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しかしアシュラさんは、「速水瓶玉がどこの古文書にも表記されてはおらず、明治維新後適当に作った神である」と主張し、「健磐龍も平安時代に造った神実在しない神」だといいます。

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これらの開拓神は、明治になって阿蘇地区一体を支配するために作られた、捏造の神だということです。

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国造神社拝殿内に北宮の扁額と共に掲げられた、現祭神の四柱。
「速瓶玉命」(はやみかたまのみこと)は阿蘇国造大神として祀られますが、先のように後で作られたウソの神だとのこと。
「雨宮媛命」(あまみやひめのみこと)は速瓶玉命の妃とされますが、それも当然ウソ。雨ノ宮媛は「天ノ宮媛」であり、実在した最古の女王である、と氏は説明します。

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雨ノ宮媛は蒲池媛(かまちひめ)とも称され、郡浦神社で主神として祀られています。
氏は、この女神こそ、多氏の女王「意富比垝」(おふひかま)であると主張します。

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明治6年(1873年)、熊本県玉名郡和水町(なごみまち)の「江田船山古墳」から全長90.6cm、刃渡り85.3cmの大刀が発掘され、その峰に銀象嵌の銘文がありました。

『治天下獲□□□鹵大王世奉事典曹人名无利弖八月中用大鉄釜并四尺廷刀八十練九十振三寸上好刊刀服此刀者長寿子孫洋々得□恩也不失其所統作刀者名伊太和書者張安也』
〔天の下治らしめし獲□□□鹵大王の世、典曹に奉事せし人、名は无利弖、八月中、大鉄釜を用い、四尺の廷刀を并わす。八十たび練り、九十たび振つ。三寸上好の刊刀なり。此の刀を服する者は、長寿にして子孫洋々、□恩を得る也。其の統ぶる所を失わず。刀を作る者、名は伊太和、書するのは張安也〕

銘文の字数は約75字で、剥落した部分が相当あり、その内容については議論されていました。

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そして昭和43年(1968年)、埼玉県行田市の稲荷山古墳から「金錯銘鉄剣」が発掘されます。
その鉄剣の表裏には、全文115字からなる金象嵌の銘文が刻まれていました。

表の銘文
『辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比』

裏の銘文
『其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也』

この裏の銘文に「獲加多支鹵大王」とあり、江田船山古墳の大刀に刻まれていた「獲□□□鹵大王」の名前と同一の大君であることが分かったのです。
つまり獲加多支鹵大王の治世には、すでに大君の権力が九州から東国まで及んでいたと解釈されるのです。

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一般的には獲加多支鹵大王はワカタケル大君(21代雄略帝)のことだと解釈されています。
アシュラさんは、古事記・日本書紀をはじめ、あらゆる書物には改竄の可能性があるとし、この改竄できない 稲荷山、江田船山古墳鉄剣鉄刀銘文に刻まれた大王こそ、「日本最古の個人名」であると主張されます。
また一般的な解釈は間違いとし、正しい訓読みから次の名を導き出します。

『上祖名意富比垝(カミオヤのナ、オフヒカマ)多加利足尼(タカモタリのアマ)弖已加利獲居(クコカモのカムイ)多加披次獲居(タカイシのカムイ)多沙鬼獲居(タサキのカムイ)半弖比(ハクヒ)加差披余(カサイワ)獲加多支鹵大王(カムカタシハのオオキミ)』と。

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「意富比垝」(おふひかま)のカマとは鉄を意味し、蒲池(かまち)氏は井家のカマで、蒲池媛とは、意富比(多氏)のカマであると。
古代では鉄は神そのもので、鉄は国を制しました。よって、我が国最古の女王がオオヒカマ「天ノ宮媛」である、というのがアシュラさんの主張となります。たぶん。

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国造神社には「手野のスギ」という巨木がありました。平成3年(1991年)9月27日の台風19号の被害を受けて折損し、今は保存処理されています。
これほどの巨木が存在したというのが、国造神社の起源の古さを物語っています。

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日本初源の国造神社、それは、日本最古にして多氏の女王、上祖・意富比垝=天ノ宮媛(水神にされた雨ノ宮媛)の宮であるということです。
そして銘文が記すように、加多支鹵大王は雨ノ宮媛の子であり、火の國の実在する日本最初の大君、火の君 火ノ國の国造であると定義します。
火ノ國はやがて日の国と表記されるようになり、さらに後世で「肥」に変えられ、肥の国・肥後の国とされてしまいました。
国造神社が雨宮、天ノ宮であるように、火ノ宮もまた存在する、とアシュラさんはいいます。それは「幣立宮」、そう、あの「幣立神社」なのだそうです。

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今の幣立神社は、もうアレな感じになっちゃってますが、かつての本殿には「火宮」の扁額が掛かっており、その後「日宮」に変えられた、といいます。
今もその扁額が掛かっているかは分かりませんが、日の宮を謳っているのは間違いありません。

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そして、火の宮に祀られるのが加多支鹵大王であり、カムロギの命であるといいます。
天ノ宮媛がカムロミの命。
阿蘇王国こそが多氏王国で、その力は畿内を超えて東国にまで及んでいた、というのがアシュラさんの主張の大筋であろうかと思われます。

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この『阿蘇王朝説』とも呼べるアシュラさんの主張に、実のところ僕は賛同はできかねます。
というのも、やはり僕は、『富家伝承』から外れるわけにはいかないのです。
富家伝承は、深淵の古代史の旅路で迷わないための、唯一無二の地図なのです。
ただ、アシュラさんの主張される説には、ひとつひとつ納得するものがあり、それは『九州王朝説』を唱えるN氏にも同じものを感じています。
あるいは、阿波王朝説もそうかもしれません。
生涯をかけて研究される方々の主張には、無視できないエネルギーを感じ、自ずと敬意を抱きます。
これは根拠の探求もせずにチャネリングやリーティングによって歴史を語るもの、他の古史古伝の安易な盲信によるものとは圧倒的に違う、深さを持っているのです。

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僕は多氏王朝や九州王朝を意識しつつ、さらに今教えを頂いているB師匠の難解なメッセージを理解するために、富家伝承をベースに系図を描いてみました。
まだ内容には、あやふやなところがありますが、確かに阿蘇盆地は、多氏王国(海王国)と呼べる構図になっていました。
というか何だこれは。阿蘇・高千穂エリアに、圧倒的な氏族が勢力を求めていたことになります。
いったい、この地区に何があるのか?

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Googleマップに重要聖地を書き込んでみます。
国造神社と幣立神社は阿蘇盆地の東寄り南北軸にあり、健軍神社と草部吉見神社は南端の東西軸に鎮座していました。
この4社は阿蘇盆地・阿蘇五岳を見守る形に置かれ、かつ、聖域である橋本を守っているようにも見えます。
高千穂は古くから良質の鉱山であるといわれ、特に橋本の所有する山は宝の山だと、媛さんはおっしゃいます。
この宝の聖地を守るために、あるいは橋本を守るために、多一族と諏訪系の一族、さらには母系として豊の一族が、結界を張っていたのかもしれません。

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さて、国造神社の境内を散策していると、掃除をしている少し歳を召されたご婦人がいらっしゃいました。
「あなた、この前もいらっしゃってたでしょ」
ご婦人は、アシュラさんに誘われて媛さんと一緒に来てた時の僕のことを、覚えていてくれたようです。
お話をお伺いすると、この近くにお住まいで、ずっと神社のお世話をしてきたとのこと。

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「秋篠宮様や安倍昭恵夫人も、密かに参拝されていたのよ」とも話してくださいました。
そう言えば秋篠宮様は、ナマズ殿下と呼ばれていましたね。

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境内には幹の折れた「白蛇の桧」という御神木がありますが、

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ここには今も本当に、やや黄色みを帯びた白蛇が棲んでいるそうで、ご婦人は何度か見かけたのだそうです。

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かつての国造神社はもっと広い境内を有していたそうですが、背後の土地は開拓され、今はキャンプ場になってしまったと、アシュラさんはおっしゃいます。
そこにはひょっとしたら、磐座か何か、祭祀の痕跡があったのかもしれません。

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もう一つ重要なのが、当社の神紋は鷹羽の交差紋になっていますが、

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この鶴が、裏神紋で、本来の神紋なのだということです。

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国造神社の入口付近には、

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一応、夫婦石と称されるものがあります。
ひょっとすると、今のキャンプ場にあったものを移設したのかもしれません。

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夫婦石の奥に、川を渡ったところに杜があったので行ってみたら、

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「手野金刀比羅神社」というものがありました。
金刀比羅というと、玉﨑神社の琴平神社の聖蹟を思い出します。

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国造神社では、農耕祭事という極めて貴重な祭りが、今なお途絶えることなく伝えられていました。
そのほとんどが国造神社で行われていますが、「風祭」だけは「風宮社」(かざみやしゃ)で行われるというので、探してみました。

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国造神社から、さらに少し下ったところにありました。

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案内板は倒れていましたが、祭神はやはり、シナツヒコ・シナツヒメでしたか。

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火宮神(ひのみやがみ)が多氏の王・加多支鹵大王であるなら、雨宮とは「海宮」なのかもしれません。
そしてここに風宮がある。

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速瓶玉はウソの神。あと一柱の「高橋神」(たかはしのかみ)は何とおっしゃってたか。
高橋といえば、媛さんゆかりの上毛国の一族を連想しますが。

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いくつかの見解は違えど、この地、この大いなる阿蘇の大地に、偉大なる媛巫女を擁する多氏(海家)の王国があったことは、大いに賛同致します。
多氏の偉大な祖神といえば神八井耳命であり、この王が火の國の加多支鹵大王であったか。
そうすると、意富比垝はあの蹈鞴五十鈴媛(たたらいすずひめ)となります。
カマ=鉄の女王、その性質に相応しい名を冠する、我が国最古の媛巫女です。

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12件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    九州における高橋地籍を調べておりましたところ、薩摩にもあるんですね。

    最近、今までは殆どが琵琶湖周辺で出土していた準構造船ですが、何と薩摩の中津野遺跡で今までより100年遡る日本最古級の物が最近出ました。2500年ほど前の物だそうです。材質はカヤ。(かやなるみとは・・木のカヤからきてる?)

    そしてその近くには高橋貝塚(南さつま市金峰町高橋)があり、弥生前期に九州への稲作の定着を論じるうえで重要な遺跡らしいです。なんと、ここから出土した土器が標式とされており、何と高橋式土器と呼ばれています。

    稲作=水=闇龗の流れがここでも起きていたのでしょうかね。

    古くから交易が想像される地域に高橋さんが後年に住み着いたのかもしれませんね。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      薩摩はまだ手付かずなんですよね。
      近いのに遠い場所、薩摩。

      いいね

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    s様のブログの神社額、高橋神と早瓶玉神の社がここだったのですね。

    タカヒシワケの出てくる稲荷山古墳鉄剣と、同じくワカタケルが出てくる鉄剣は、確か熊本(菊池)にアリ。

    お母様が雨宮姫。

    まさに高橋神が雨の神であり、農耕の神との間の御子神であるならば、高橋がクラオカに関係ありそうだのお話は、単に古我牟礼神社を論じるより遥かに容易に九州における阿部大彦系の展開を教えてくれる気がします。

    九州凄くないですかww

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      narisawaさん、僕は最近、イツセは物部ではなくて多氏だったんじゃないかと考えています。
      そしてイツセの名前の五ヶ瀬に橋本家がいて、関東の相手方が高橋家。
      関東高橋氏といえば大彦ですよね。
      大彦って、つい富家伝承で出雲系って思い込んでいたけど村雲の子孫なわけであって、多氏の皇子だから大彦だったんじゃないかって、思うんですがね。

      あと、椎葉村。
      これがまた凄いんよ。
      九州凄いよ。

      いいね

      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110

        実は、ヤマレコの方ですが、S様監修の元、公開させていただきました。

        神武が架空化されていると言うことは、物部氏も架空化されています。要は攻め込んだ物部氏と、やられてしまった物部氏が居るわけですね。

        また、大彦もホヤ姫の血を引いており元々近衛となった物部の血を引いております。

        ここで、おそらくですが母系祭司と相まって、諏方信仰との繋がりができていった可能性があると思います。

        箕輪町には、珍しい高橋神社があります。

        追伸

        私が豪雨を引き連れて行った説ですが、最初は口答えしておりましたw

        ただ、行く前に神様を連れて来ています、天候には気をつけられて下さいと言われておりました。

        滅多なことだと、本当にそうなったらどうするのかと考えちゃいました。

        と言うことで、根は素直なので(なるほど、連れて行けるのね)と、誰にも言わず、高橋神社、伊那の荒井神社、春日神社にお参りしまして、(お連れできるのであればご一緒しませんか)とお祈りしていました。

        前の方も新幹線が止まったのできっとその方のせいですよ〜とか言ってましたが、何故かたまらず高橋神社の事を白状。

        即座にクラオカミとの事を告げられ、その際に古我牟礼神社の、誰か様のS様への報告がありまして(水の神様だ〜)ギャフンとなりました。w

        さらには、

        荒井神社→イザナミと大山祇

        春日神社はナイだろうと思ってたら伊那のそれは雨乞い神社である事が判明。無駄なものが一切ない前手配に背筋が凍りました。

        ほんでもって国造神社での高橋神と雨宮姫さん、早瓶玉命のお話でトドメを刺された気分です

        ( T_T)\(^-^ )

        いいね: 2人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          (キ▼_▼)o┳┳━━ズキュゥウウン💕

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      2. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110

        早速に村の名前と神社で検索しました。

        いきなり十根川神社が飛び込んできました。もうこの辺からすでにヤバそうww

        いいね: 2人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          桑野内、鞍岡を抜けていく先にある椎葉村。
          ここに今どっぷりとハマっていまして、今年すでに4回訪問しています。
          narisawaさん、いつかご一緒しませんか?ワクワクしますよ♪

          いいね: 1人

  3. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    かつては諏訪に風の宮がありました。今は無しとボロボロ絵図に出ていますが、伊勢津彦は諏訪まで来ていたと考えられます。

    風三郎神社もやっぱり伊勢津彦かなぁと。

    風鎮祭が行われる様になり稲が倒れるのを嫌う風潮が出てから廃れていったのかなと。

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      風三郎神社もやっぱり伊勢津彦、同意です。
      あそこは風の宮ですね。

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  4. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    国造神社辺りも大雨水害が近年ありまして、木々が倒れたりもしていますが地盤は悪くないようですね。阿蘇神社の私感…「偽物」とまでは思わず、そこそこの歴史を踏まえ現在も信仰を集めている事実はあり、それが「悪」とは申せない気持ちです。歴史はない遷座したばかりの神社などでも魂入れはされ、聖地になること多々ですし。 ただ、「阿蘇氏」氏族の強権となると、別件で縁ある人吉の青井神社の件などもあり、阿蘇の名を冠させる武家的な圧はあまり心地よくはありませんね。 阿蘇高千穂系図、見事すぎて腑に落ちることばかりです。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      青井神社の件は、僕も聞きました。
      阿蘇神社は清々しさもあり、聖地としてはアリだと思います。
      あの場所を見出した人は凄い。
      結局は人の持つ強欲が問題なのでしょう。

      いいね: 1人

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