郡浦神社・乙姫神社:八雲ニ散ル花 アララギ遺文篇 15

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阿蘇から北西方面には乙姫神社をはじめとした阿蘇津姫ゆかりの神社が点在していました。

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南に米塚や中岳、

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北に外輪山が取り囲みます。

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そんな阿蘇市乙姫地区にある「乙姫神社」。

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由緒によると、祀られているのは阿蘇五の宮「宮惟人命」(これひとのみこと)の妃「若比咩神」(わかひめのかみ)となっています。

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面白いのは、乙姫神社の御神体は後ろ向きに祀ってあって、顔を人に見られぬようになっていると云うことです。

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『むかし、黒川のここ乙姫に赤松の大木があって、天気の良い日に松の中段に、何かキラキラ光っているのでよく見ると、金の御幣が掛かっていた。
「きっと神様がお泊りになっている」というので、阿蘇のお宮に使者を出したら、乙姫さんがお移りになったということが分かった。
どうしてお移りになってこられたかは、人に見られたくないということで、また疱瘡にかかられて良くなられたので出てこられたとも伝えられている。
そのようなことでこの神様は疫病平癒の神様として、昔から子供を持つ母親が幼児をつれてお参りする者が多いという。』

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若比咩は天の女、容姿艶麗才色の誉れ高く、主神を助け九州の開発に尽くしたと伝えられます。

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神功皇后の三韓渡海の際には母神「蒲池比咩神」並びに惟人命御出征の留守を預かり、使命を全うしたとのこと。
ちなみにこの功により、阿蘇4社として蒲池比咩神は宇土「郡浦神社」に、惟人命は益城郡「甲佐神社」に祭神として祀られるようになったと云うことです。

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阿蘇から西方向、菊池市の旧旭志村姫井地区へとやってきました。

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乙姫湧水という標識を見つけ、小川に降りてみると、

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こんこんと湧く清水がありました。

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これも干珠満珠の為せる技でしょうか。

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湧水から民家の小道をほどなく進むと、ここにも「乙姫神社」があります。

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どこか南国を思わせる雰囲気。

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境内には仏像っぽい何かが祀られたお堂が。

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乙姫とは阿蘇神の妃神を俗に「乙姫さん」と呼ぶことからきたものなのだそうです。
阿蘇神の妃といえば「阿蘇津姫」のことでしょうが、記紀は乙姫を豊玉姫と紹介しています。

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小高い丘の上に建つ社殿。

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祭神はここも「若比咩命」。

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本殿の右側に「鯰様」なるものがありました。
鯰様、それは…

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ち◯こやないか~ぃ!

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いや失礼しました。
大丈夫です、なまずですよ。

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このいきり立つち、なまずの像は、江戸時代後期の天保10年(1839年)に徳太郎という者が奉納したものだそうで。

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その昔、乙姫が外輪山を下ってこの地に来たとき、清水が高く吹き上がる泉を見てたいそう気に入り、しばらく眺めていました。
すると突然、横を流れる川が増水して乙姫を飲み込んでしまいました。
村人が驚きと悲しみでおろおろしていると、川下の方で姫の姿が浮き上がり、なんとそのまま川上に戻って来るではありませんか。
よく見てみると、大鯰が姫を背に乗せて泳いできたのでした。
このちん、なまずにしがみついていたのは乙姫だったのね。

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大鯰は姫を降ろすと、どことなく姿を消したと云います。

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昭和初期までは鳥居の前に泉があったとも伝わり、姫井の地名の由来となっています。

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泉はいつしか大地震で埋まってしまったそうですが、その後も乙姫の湧水は絶えることなく、当地の村人を救ってきたのだそうです。

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旭志村姫井からほど近い伊萩地区に「伊萩二宮神社」があります。

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住宅街を見守るように、小高い丘の上に鎮座する当社。

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狛犬は地域独特で、立派な口髭を生やしています。
肥後もっこすでごわす。

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ところで、この伊萩二宮神社、

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何故「二宮」なのか?

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そう、その名の通り、当社は阿蘇神社の二宮に祀られる、阿蘇津姫を主祭神としているからに他なりません。

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古びてはいても情緒ある社殿、

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非常に風格があります。

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屋根には鬼のような装飾が。

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それにしても、阿蘇大神といえば健磐龍であろうと思われるのですが、この阿蘇を取り巻く一帯で信仰を受けているのは、その后「阿蘇津姫」。

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先に訪れた乙姫神社2社は祭神は若比咩を据えていますが、その社名から本来は阿蘇津姫を祀るものと思われます。

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また、伊萩二宮神社の一段低い場所に小さな社が祀られています。

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それは宝満宮。

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宝満宮の祭神といえば、それは龍宮の乙姫となるのです。

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上益城郡嘉島町の「鯰三神社」を訪ねました。
境内の真正面をバイパスが通っており、驚きました。

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鯰三神社の鎮座地は、大字も鯰です。

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境内に社務所があると言うより、社務所の庭に神社があるような風貌。

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当社の正式名称は「三社宮鯰三神社」で、もともと鯰村にあった上社・下社・西社の三つの神社を習合したものであると云います。
祭神はそれぞれ、上社に「四面大菩薩」、下社に「八幡大菩薩」、西社には「国祖大明神」が祀ってあったそうです。

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当社は阿蘇の国造神社などに伝わる「大鯰伝説」で、大鯰が流れ着いたとされるところです。

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健磐龍命が阿蘇にやってきた時、外輪山の内側は広大なカルデラ湖になっていました。
そこで命が外輪山の一部を蹴破って水を流し、平地に変えたのだと云います。

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その健磐龍の蹴破りを邪魔したのが湖に住む大鯰でした。
国造神社では命が説得し、鯰は立ち去ったと伝えられていましたが、他の場所のほとんどでは鯰は斬り殺され、焼かれたと伝えられていました。

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宇土半島の南側、宇城市郡浦にある「郡浦神社」(こうのうらじんじゃ)を最後に訪ねました。

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思いの外広めの境内、その前にはどっしりとした石造りの肥後鳥居が構えています。

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扁額には肥後国三宮の証。
また、阿蘇神社、甲佐神社、健軍神社と共に阿蘇四社と称せられています。

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祭神は「蒲智比咩命」「健磐龍命」「速瓶玉命」「神武天皇」の四柱。

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蒲池族はここから発祥したと伝える人もいる古社です。

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『三大実録』に天慶2年(878年)、第12代景行天皇、神功皇后の功績に与り、正六位上の位を持つ蒲智比咩神社の記述があり、当社が比定されています。

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蒲智比咩は、国造神社の主祭である速瓶玉の妃「雨宮媛」(あまみやひめ)と同一人物であると語られます。
更に草部吉見族に信奉され、阿蘇の北東部域から宇土地区にかけて、広大な支配域を示す日下部族の母神であったと推察されます。

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健磐龍命の阿蘇制圧に立ちふさがったナマズ族こそがこの蒲池族であったことは容易に想像つきます。
彼らは健磐龍族との戦いに敗れ、恭順するに至ったのです。

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しかし現在、阿蘇の祭祀の多くが日下部系の祭祀であることを鑑みれば、彼らは戦に負けて実を取った、とも見て取れます。
阿蘇家となった健磐龍族は、その後の変遷で別の血統に取って代わられ、本家は衰退していきます。
その裏でしたたかに実権を磐石なものとしたのが日下部家であったと言えるのです。

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日下部家は阿蘇の火口に幣を投じる「火(日)」の祭祀氏族でもあります。
この火の祭祀は筑紫の大善寺玉垂宮の「鬼夜」にも通じてきます。

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また蒲池・日下部族はナマズをトーテムとするところから、有明海一帯に展開する、ナマズを神使とする豊姫・淀姫系神社の祭祀一族とも通じるものと言えます。

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つまり蒲池・日下部族と水沼族は元は同一氏族であったことが窺えるのです。
両者を合わせた支配域はとても広大なものとなります。
それは九州の1/3とも、1/2とも言えるかと思われます。

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それほど強大な勢力となった根幹にあったものとは何か、それは言わずもがな、邪馬台国と謳われた宇佐の豊玉王国の存在でした。

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宇佐・豊玉王国の権勢を示すものに月神信仰があります。
郡浦神社の境内には月を映し取るのに程よい池が残されていました。

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また近くの永尾神社を訪れた際、岬状になった高台のかなり上の部分まで、波の浸食を受けた痕跡を見ました。
つまり往古には、郡浦神社の手前まで有明海の干潟の海が迫っていたことを示しています。

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穏やかな干潟の海は綺麗に月を映し出し、また潮の満ち引きも見て取れるため、月読みの神事にはうってつけであったと思われます。

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さて宗像王国、物部王国領にも重なる九州北半分の広大なエリアで見られる豊玉信仰の痕跡。
それはそのまま宇佐・豊王国、つまりは邪馬台国の支配域であったことを物語ります。

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しかしその領域は、大和が物部王朝になって以来、景行帝・成務帝、そして神功皇后と相次いで制圧を受けます。

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その中で、豊玉姫の末裔らは恭順した者もいれば、激しく抗い、「土蜘蛛」や「熊襲」と呼ばれて駆逐されていく者もいたのです。

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境内に乳のあるイチョウの木というものがありました。

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乳というにはささやかですが、そう言えば本家「乳銀杏」の立派な大木がある葛城一言主神社にも、土蜘蛛の塚があったのでした。

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