大馬神社:八雲ニ散ル花 木ノ国篇 12

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嵯峨天皇の御宇(大同、弘仁年間)紀伊国室郡に南蛮起こり、東国の人民の伊勢、熊野参詣、また西国の人々の伊勢熊野参詣を妨げ、人々を害したので、勅命によって坂上田村丸将軍が、伊勢から熊野路へ入って賊を討ち、賊の首魁の首を地中に埋め、その上に社殿を造営した。
その後、智興和尚が熊野参詣、一山に七日宛参篭した。
そのとき、当神社の由来を伝聞して、当社に参詣を志し、大般若(花の窟)の汀のあたりまできたところ、馬上の貴人が現れて、和尚を大馬谷の奥の当社まで案内したのち、かき消すように姿が消えた。
和尚は不審に思って、神官を尋ねると、「それはまさしく田村将軍である。将軍は帰京の時「我は後世において、此処に再び悪鬼の出るのを防ぐ為、熊野三所権現と共に此処に居よう。」と言われた。それによりいまもこの神社の祭神としてあり、御僧が敬神の念篤く、当社へ御参詣の志しを貴く思し召し、田村将軍の霊が仮の姿をとって現れ、御僧を迎えてここまで案内されたのでろう。 と答えた。
和尚はその言葉を有り難く思い、当社僧坊へ足をとめ、精進の後、神前において法華経読誦及び大般若経一部六百巻、五部大乗経一部五百巻を書写奉 納され、一千日の参篭終わってその夜の夢に、田村将軍が現れ、「和尚一千日の参篭及び法華経読誦、大般若、大乗経書写は殊勝である。この恩は来世にて報ずべし。」と言い、「この世にてころもの玉をみがきなば中う(前世に死したる後未だ次世をうけざる間をいう)の旅の道を光さむ」と歌一首を和尚に贈り、和尚も「ありがたや千手の誓に任せつつ普茶落世界へすぐに詣てむ」と返歌した。
夜が明けて和尚はこのことを神官、社僧に語り、田村将軍は千手観音の化身であるから、この御神を信仰し、足をはこんでこの神社に参詣する人は、現世では富貴繁盛し、来世では上品上世の極楽に詣でることは疑いなしである。また田村将軍 の乗っておられた馬は大きな葦毛の馬であった。だから当社は「大馬権現」と号し奉る。

「大馬神社」由緒より

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三重県熊野市井戸町に鎮座の「大馬神社」(おおまじんじゃ)を訪ねました。

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熊野市を流れる井戸川沿いの集落にポツンとありましたが、とても質素な神社です。

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それもそのはずで、こちらはいわゆる里宮でした。
本宮はこの先の山中にあるというので、さっそく行ってみます。

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井戸川をさらに遡って行きますが、途中、人面岩を見つけました。
アイヌのような風貌です。

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山道、怖い。

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熊野地区は、こんな道ばかりです。

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頑張って走り続けると、大馬神社本宮に到着しました。

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石碑には、熊野國総鎮守と冠されています。

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新宮市の速玉神社には「有馬三山の図」という江戸時代の色彩絵掛軸があり、「花の窟」「産田神社」と「大馬神社」の三社を熊野三山になぞらえているそうです。

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当社には、例大祭に一年の平安、豊作、商売繁盛を祈願する「弓引き神事」が伝えられます。
当屋の組から弓引きと矢取りが2名ずつ選ばれ、当日の朝、水垢離によって禊をした後、直垂(ひたたれ)に着替えた弓引きが、的に向け矢を放ち、白装束に黒い烏帽子の男子2人が矢を集めに走る。
神主から御神酒を頂いた後それを6回繰り返し、計20本の矢が放たれ、最後に矢を空に向け計4本を放ち、神事が終了するというもの。

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橋を渡ったところに、大馬神社遥拝所がありました。

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足の悪い方などはここで遥拝するのでしょう。
しかしあの酷道をここまでくるのであれば、もう少し頑張って、本宮まで行ってほしい。

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いや、やはり僕も、ここで引き返すか。

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なぜなら、めっちゃ怖い雰囲気よ、この先。

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「行きなさい、勇者よ・・・」

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そんな声が聞こえたような気がしなくなくもなくない気分を奮い起こして、足を一歩、進めます。

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熊よけの鐘、めっちゃ鳴らすよ~。

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参道に入ってすぐ左手に、お稲荷さんがありました。
白菊さん、良い名前、素敵です。

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おコンにちは。

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奥には磐座がありました。

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ふっくらと丸みを帯びた、ジャバ・ザ・ハット風の磐座の下には、

ごもっともさまーっ!

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ということはアレね、この磐座は白菊ちゃんの子袋ということなのでしょうね。

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異次元の少子化促進がなされている昨今、もう一度、サイノカミ信仰を盛り上げる必要があるのかもね。
若者よ、ヴァーチャル嫁ではなく、もっと生の恋愛を育みなされ。

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今度は右手に、禊場というのがありました。

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世俗で凝り固まった、五条桐彦の穢れ・邪念を浄め払うには、ぴったりの場所です。

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ほおぉ、清々しい。
いにしえの巫女ちゃんが、半裸で禊をする姿を妄想しつつ、邪念を祓い清めます。

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再び参道に戻りましたが、やはり怖い。

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時折降り注ぐ、陽の光がありがたし。

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今度は清瀧遥拝所がありました。

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坂上田村麻呂の鬼ヶ城攻略の突破口となった、「魔見ヶ島」の童子が、光を放って飛び去り消えていったのが、この清滝の上流の洞窟だと云います。

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それを見た田村麻呂は千手観音を納め、討ち取った賊の首魁・多娥丸の首も、大馬神社に埋められたと伝えられています。

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後に社殿が建てられ、後に智興和尚が熊野参詣した際、大馬に乗った坂上田村麻呂の神霊が現れ導いたので、「大馬神社」と呼ばれるようになったと云うことです。

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大馬神社、ここまで来ると、これまでの恐ろしかった参道が嘘のように、清々しさで満ちていました。

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祭神は「天照大御神」「水波能売神」「天児屋根命」「譽田別命」「仁徳天皇」「神武天皇」「大山祗命」「坂上田村麿将軍」「白馬大明神」「宇賀御霊大神」「白龍大神」の11柱を祀っています。

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祭神は後付けのものも多いように思われますが、本来はどのような神を祀ったものか。

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本殿の背後は巨大な岩壁となっており、隣には清瀧があります。

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岩壁の様子は、樹木が覆ってあまりよく見えませんが、熊野特有の横穴などもあるのではないでしょうか。

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この祭祀状況を見ると、実在性も怪しい坂上何某の話よりも古くから、当地は古代の原始的祭祀の場であったことが窺えます。

本殿の横に道らしきものがあり、歩いてみると、清瀧の前に出ました。

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これが井戸川の源流に近い瀧であり、井戸川下流には、大馬神社の狛犬とされる七里御浜海岸の獅子岩もあります。

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この時は雨は少なかったらしく、那智の滝も水量が激減していました。
清瀧も大馬神社のサイトを見ると、もっと迫力ある滝のようです。
しかしこれはこれで、繊細な女性らしい麗しさがあります。
いにしえの巫女ちゃんが、半裸で祈りを捧げる姿が、目に浮かびます。

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人が生きていく上で、何よりも必要なものの一つが、「水」です。
おそらく熊野の戸畔も、ここで祭祀をしていたに違いありません。
命の水の聖域、それが大馬神社の本質なのだと思われました。

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10件のコメント 追加

  1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    古の巫女ちゃんは半裸だったのか🤔🤔 清きロマンの部分でありますが、なにか伝承はないかと(そんなのあるのか)気のなるこの頃です。 うちの代々の巫女媛たちは禊に正装に近い服装で入水する習わしで、白衣の下に襦袢も着込んで襟もきちっと合わせたり、特別な儀の日は袴まで着て入っていました。濡れた袴を干すに脱水機は相応しくなく2日間かけて天日干しなどという手間を掛けてまで😂

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      いや、まあ、世の巫女さまに誠に失礼であってはならないのですが、何というか、清らかな乙女の半裸な姿と聖域のマッチングは、この世ならざる美しさであろうと、昨今の鏡に映る中年男の半裸を見ながら思う、切ない妄想なのですよ。
      そういえば、『由比正雪と薄明の月』の与四郎と朝近ちゃんの出会いのシーンもそんな感じでしたね。
      伝承、どこかに転がってないかなー🥹

      いいね: 1人

      1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

        古代となると現実的にはガサガサの雑な麻素材に肌の色も濃く… うーんロマンがっ
        朝近ちゃんのような透き通る肌に白いきめ細やかな装束が濡れたり脱いだり… であってほしいと願うおっさんでありました😂反省反省

        いいね: 1人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          ろ、ロマンは大事、です😣

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  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    大麻彦とは違う神様なんですかね~

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      おお、そうかも知れません!

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  3. asamoyosi のアバター asamoyosi より:

    五条桐彦様 こんにちは。

    坂上田村麻呂は近所にも祀られています。あちこちで祀られているのは弘法大師のようなカリスマ性があったからでしょうか。

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      asamoyosi様、コメントありがとうございます😊

      坂上田村麻呂、弘法大師、神功皇后などは高いカリスマ性があったので、関係のない伝承にも取り込まれたりしているものは多いと感じます。
      歴史的なプロパガンダにも使われた可能性がありますね🤔

      いいね: 1人

  4. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

    🐥いにしえの巫女ちゃんが半裸で禊ぎをする姿を想像しつつ、清らかな瀧の水の流れを奉ず…皮を焼いた饅頭を頬張りたくなる情景ですな🐣

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      饅頭は粒あん派だと主張していましたが、こし餡の良さに気がつき始めたお年頃になり始めました。
      巫女ちゃんの半裸水浴は、その清らかで美しい姿をイメージするのであって、決してやましい気持ちなど一切無いのだと言っておかなければならないと、饅頭の皮をメリメリと破きながら思うわけですよ。

      いいね: 1人

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