熊野那智大社・飛瀧神社:八雲ニ散ル花 木ノ国篇09

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指導者「五瀬」の死に打ち拉がれ、海上に漂っていた物部の一行を、紀伊の海は容赦なく洗礼を施した。
激しい風と波は、大きく船を揺さぶり、海の泡と消えた者も少なくない。
眠れぬ夜に焦燥したウマシマジに、強烈なまばゆい光が差し込み、ふと我に帰る。

「朝が来たのか」

気がつけば船の揺れも治り、海は凪になっていた。

「見てください、あそこに光るものが」

促され目を向けてみると、対岸の山中に、確かに光るものが見えた。

「あれは、水か、水が流れているのか』

それは朝日を受けて輝く、大きな滝だった。
地元の筑紫島、物部王国にも滝はあった。
しかしそれとはあまりに規模が違う。

「あの光に向かって舵を取れ。あれは神の御印ぞ。あの先に我らが向かうべき道筋はある」

船団は大きく舵を取り、熊野灘を突き進んだ。
これまでの抵抗が嘘のように、スムーズに船は海の上を進む。
その先にはまるで彼らを内陸に導くように、熊野川の河口が広がっていた。

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和歌山県那智勝浦町、そこに鎮座する熊野三山の一つ、『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部である「熊野那智大社」(くまのなちたいしゃ)と、「那智の滝」を訪ねます。
そこも、往古の自然崇拝の痕跡を残す、特別な聖地でした。

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土産物屋が並ぶ駐車場に車を停め、まずは熊野那智大社を目指します。

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大きな石が連なる階段は勾配もきつく、いきなり体力を奪っていきます。

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神々しい光が差し込んできました。

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そこは礎石の遺跡が残る、神聖な広場。

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ここは「伏し拝み」と呼ばれ、熊野那智大社の元宮である「飛瀧神社」の遥拝所で、祭り事の聖地だそうです。
ここに立つと、ただならぬ気配を感じます。

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しばらく歩くと仁王門がありました。
これは「青岸渡寺」の門となります。

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もう少し先に熊野那智大社の鳥居がありました。

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熊野那智大社は創建は不詳とありますが、熊野三山の他の二社「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」の創建よりは後だということのようで、本来は滝の修験場だったようです。

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しかしそれら神社として創建する以前に那智の滝は、古来日本人の自然崇拝・原始信仰の地であり、それはさらに当地に移住した出雲族によって祭祀されていました。

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境内にある一際大きな楠の御神木は、平重盛が造営奉行を行なった折に手植えしたものと伝わり、樹齢約850年と推定されます。

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幹には洞ができていて、中を潜ることができます。

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本殿は、瀧宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)が並び、若宮の左手前には第六殿(八社殿)があります。
第一殿には飛瀧権現として「大己貴命」が祀られ、第二殿以下に熊野十二所権現として物部系の神々が祀られています。
しかし当社の主祭神は、第四殿に祀られる「熊野夫須美大神」(くまのふすみのおおかみ)で、「結宮」(むすびのみや)とも呼ばれ、伊弉冉尊(いざなみのみこと)と同体とされます。

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毎年7月14日に行われる例大祭、那智の火祭り「扇祭」では、熊野十二所権現が1年に1度、現在鎮座する場所からもともと鎮座していた那智の滝へ里帰りする神事が執り行なわれています。

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熊野那智大社のすぐ隣には「青岸渡寺」(せいがんとじ)が鎮座します。

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熊野那智大社は古くは「那智山熊野権現」「那智権現」などと呼ばれ、神仏習合により栄えた霊場としての側面もありました。

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『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』によれば孝昭天皇の頃にインドから渡来した「裸形上人」が十二所権現を祀ったとされ、また『熊野略記』では仁徳天皇の頃に鎮座したとも伝えられています。

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過激なものでは、那智は「補陀落浄土」(ふだらくじょうど)とみなされ、那智の浜に面していた補陀洛山寺が拠点となって、「補陀落渡海」という一種の入水往生がしばしば実践されました。
「補陀落渡海」とは棺桶のような小船に、30日分ほどの食料と灯火の油を載せて、渡海僧が屋形に入りこむと出て来られないように扉には外から釘を打ちつけ、海に流されました。
渡海僧は、やがて船が沈むまでの間、密閉された暗く狭い空間のなかでひたすらお経を読み、死後、観音浄土に生まれ変わることを願い、往生を遂げたと云います。

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このような那智も、明治の神仏分離令で廃仏毀釈が行われ、いくつもの仏寺や坊舎が取り壊されました。
那智山青岸渡寺は古くは如意輪堂と呼ばれ、西国三十三所霊場の第一番札所であったこともあり、取り壊しを逃れました。
後に嘆願により明治7年(1874年)、天台宗の一寺として再興され今に至ります。

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この青岸渡寺の境内に、朱色の三重塔が建っています。
この塔と那智の滝のツーショットが美しく、よくポスターなどにも使用されています。

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熊野那智大社社伝によると、神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸したとき、那智の山に光が輝くのを見て、この大滝をさぐり当てたと記してあります。
しかし実際のウマシマジらはいつ敵に襲われるかわからない状況にあり、のんびり滝を探して散策する余裕などはなかったでしょう。

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三重の塔内部は拝観することができるようになっていて、

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そこには仏の住まう色彩鮮やかな世界が描かれていましたが、

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それはまるでカトリックの天界をも思わせる雰囲気でした。

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熊野那智大社を下って、お土産屋が並ぶ通りまで降りてきました。

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そこに那智の滝を直接祀る「飛瀧神社」(ひろうじんじゃ)に続く参道があります。

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「那智の滝」は「役行者」(えんのぎょうじゃ)が滝行を行って以降、山伏たちの行の場としても名所となったと云います。
「役行者」は「役小角」(えんのおづぬ)とも呼ばれ、飛鳥時代から奈良時代の呪術師で修験道の開祖です。
様々な伝説のなかで、鬼神を使役したとも言い伝えられます。

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長い階段を降りていきます。

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白い鳥居が見えてきました。

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その先に滔々と流れ続ける一筋の滝。

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しめ縄が掛かる御滝の銚子口は、岩が裂け、3つに分かれて流れ落ちることから「三筋の滝」とも呼ばれます。

直下133m、滝壺の深さ10m、流落する水量毎秒1t。

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水を割る絶壁に突き出る岩々は滝行をする修験者のよう。

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落差日本一で、日本三名瀑のひとつとして世に知られます。

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鳥居の先に社殿はなく、神体である御滝を直接拝します。

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鳥居から左手の方に「那智御滝拝所」があり、有料ではありますが、さらに滝に近づくことができます。

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途中「延命長寿のお瀧水」という水場があり、

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初穂料を100円納め、特別な杯を購入し、御水をいただきます。

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その昔、花山法皇が御滝で千日の修行を行った際、延命長寿の仙薬「九穴の貝」(くけつのかい)を滝壺に沈め、それが元になってこのご神水をいただくようになったそうです。
この杯はそのまま持ち帰れますので、参拝の記念にもなります。

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さて、朱色の拝所まで登ります。

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ここからみる那智の滝はさらに雄大で、飛沫も降りかかりるほど。

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飛瀧神社では、1月1日の午前3時に那智の滝の奥の「秘所の水」を若水として汲み、1月2日にその水で烏牛王神璽摺初め式を行う習わしがあります。

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1月8日には滝の前の祭壇に刷り上った牛王符を積み上げ、神職が柳の枝で打板といわれる樫の板を激しく打ち、邪気をはらいます。
この牛王符は霊験あらたかなものとして、社務所で配布されます。

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しめ縄の結界が張られた滝の上部、および那智の原始林は「神域」となります。
さらに奥には「二の滝」、「三の滝」と呼ばれる滝があり、那智の滝の奥にも別の滝があるそうです。

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通常は立ち入り禁止ですが、2月から5月までの時期に一部許可され「神秘ウォーク」ツアーで訪れることができるようです。

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鳥居前まで戻ってくると、ちょうど神職の方が、朝の祝詞を捧げるところでした。
かっこいい。

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神武は那智の滝を見つけると、これを「大穴牟遅神」(オオナムジ)の御神体として祀ったそうです。
ちなみに大穴牟遅とは一般に、出雲の「大国主命」の別名とされていますが、神武=ウマシマジが祀るとしたらそれは別の神のはず。
祭神の熊野夫須美大神を「事解男命」(事代主)とする説があるのも興味深いところです。

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夫須美は「結び」を意味することから、多くの人がご縁や願いを結ぶ神であると云われていますが、富氏曰く、「夫須美大神」は出雲の「サイノカミの女神」のことであり、「伏す身」が別の字になり、子宝の神とされていたと説明しています。

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つまり当地は元来、紀伊半島に移住してきた出雲族が祭祀をしていた神域だったということです。

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那智の滝を後にしようとすると曰くありげな石が見えました。
「光ヶ峯遥拝石」とあります。

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那智山とは複数の山の総称で、その中で最も神聖な山が「光ヶ峯」となります。

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神が降臨した「光ヶ峯」と通ずる石がこの遥拝石で、撫でるとその原点のお力をいただけると記してありました。

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