美保神社『青柴垣神事』後日譚

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わたしの家から西南に15分歩くと、神魂の丘に着く。
そこの神社の南方200メートル先に、歴代の東出雲王墓がある。
前には鳥居が建てられていて、出雲大神と書かれている。
横には淞南学園高校の校舎ができている。
王墓の西南に、家族墓がある。
今は高い草におおわれて、見つけることは難しい。
秋田県のストンサークルの内部にある石に似た形の石が並んでいる。
埋められた遺体の上に、石が置かれたという。
家族墓から南方を見上げると、丘と丘の合間に熊野山が見える。
向家の者は家族墓を拝んだ時、聖なる熊野山を遥拝したと伝わる。

東出雲王家墓所は、神魂神社の境内に位置している。
しかし心ない者に荒らされる恐れがあるため、そこに入ると罰が当たると宣伝して、立ち入りを神社では禁じていた。
ところが江戸時代初期に、出来事があった。
富田城主の堀尾大名が、城を宍道湖東岸に移そうと考えた。
一六〇四年8月初めに、城候補地選定のために、藩主堀尾忠氏の親子が宍道湖の近辺を歩きまわった。
そのとき神魂神社の境内から、裏山に登ろうとして、東出雲王家墓所に近づいた。
神主はその地は禁足地だと説明して、必死で、近寄るのを思い留まらせようとした。
しかし堀尾忠氏はきかず、墓石を踏みながら通った。
その数日後に、出雲の神の崇りによって忠氏は急死したと言う。

- 斎木 雲州 著『出雲と蘇我王国』

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「ところで4/07ですが、勉強会の人達中心に声を掛けたところ、夜も6名参加したいという意向を受けており、五条先生にとって多過ぎないか少し心配になり、メールしております。先生も入れ計8名とやや大所帯になってしまいました(๑>؂<๑)テヘペロ」

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「…ぎ、ギリですな」

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僕が、2025年の『青柴垣神事』に参列することは、6年前から決まっていたのですが、2024年10月15日の熊野大社『亀太夫神事』参列の際、大変お世話になった富家伝承勉強会「M氏と愉快な仲間たち(仮称)」と青柴垣神事での再会を、僕は雰囲気に呑まれてうかつにも約束してしまっていたのでした。
すると、今回は3名もメンツが増えているといいます。
このまま「M氏と愉快な仲間たち(仮称)」と再会を続けていくと、そのうち教団ができあがり、五条桐彦大明神が誕生してしまうかもしれません。くわばら、くわばら。

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とまあ、今回もM氏の取り計らいで、境港の美味しい「鯖しゃぶ」のお店で、楽しい歓談をしたのでした。
鯖しゃぶがトロトロ旨すぎて、危うくシャブ中になるところでしたが、そんな中、「M氏と愉快な仲間たち(仮称)」のメンバーの一人が僕に問いました。
「今回の青柴垣神事の記事は、何話くらいになるんですか?」
睡眠不足すぎてナチュラルハイになっている下戸の僕は、
「ささっと1話でまとめるつもりですよ。諸手船神事でもだいぶ触れていますからね(ΦωΦ)キラーン+」
とカッコよく話していたのですが、

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3話になってしまったよ。
…と、いうことで、青柴垣神事本祭明けの4月8日は、「揖夜神社」に参拝しました。
ここはイザナミを祀る神社ではありますが、その正体は三島ミゾクイ媛だと、僕は考えています。
出雲大社美保神社で「両参り」とは言いますが、本来は美保神社と揖夜神社で「両媛参り」、なんなら神魂神社も周って「バチバチの三角関係三社参り」となるのです。たぶん。

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いやいや、こうしてミゾクイ媛のハウスに、三穂津媛(ヌナガワ媛)ハウスもあるわけですから、お二人の媛君は仲良かったのだと思います。

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ミゾクイハウスの横には、スサノオっぽいお社もありますが、ここは事代主であって欲しい場所です。
揖夜神社では、本殿に向かい合うように、小さなエビス社が2社、あるにはあるのですが。

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さて、「バチバチの三角関係三社参り」を完成させるべく、神魂神社にも足を運びました。

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神魂神社は元々、東出雲王家・向家(富家)の王宮でしたが、物部軍に占拠され、向家は今の熊野大社の場所に宮を移します。
当地の王宮は、そのまま物部土千根が使うことになりましたが、彼は王宮をそのまま残し、子孫の秋上家が以後も守り続け、今の社が存在します。

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当時は、秋上家に対する穂日家の圧力もかなりのものだった、と伝えられますが、秋上家は屈しず、大切な向家の王宮跡を現世まで残し続けてくれたのです。
今も厳しい状況にある秋上家ですが、なんとか家系と神魂神社を守るため、尽力されていると伺っております。

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今回、久しぶりに僕は、「東出雲王家墓所」に参らせていただきました。
ここも最重要聖地のひとつですが、淞南学園高校さんが大切に守ってくださっています。

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事務所でお伺いしたところ、最近聖地の木をいくつか切り、大掃除をされたとのことでした。

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確かに、以前よりすっきりして、日も差し込みやすい感じになっていました。
長らく手をつけていなかった聖地は、鬱蒼と木が生い茂っていましたが、本来はもっとすっきりとした場所だったようです。
師の語るところでも、もう少し見晴らしが良かった印象です。

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よく、「呼ばれなければ辿り着けない場所」に行けたことを得意げに語る投稿などを目にしますが、まあ僕も、そんな一人です。
他人があまりできないような体験を、自分だけができることに、神に愛されている気がして、有頂天になってしまうものです。
しかし真に「呼ばれなければ辿り着けない場所」というものは、実は「呼ばれても行ってはいけない場所」のことを言うのだと、この日、僕は、知ることになりました。
あまりの畏れ多さに、膝から力が抜け、その場にしゃがみ込んでしまいそうな、そんな気がしました。

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神はその場所へ、なぜ僕を呼んだのか。
真の辿り着けない場所というのは、呼ばれて行けば、祟られる覚悟さえもが必要だということです。
その石に刻まれた傷を見た時の僕には、まだ覚悟の準備ができていませんでした。
何もしなければ、堀尾忠氏よろしく、このまま祟り殺されるかもしれない、そう思った時に、僕は青柴垣神事の真意を求めるべく、3部構成の記事を書き上げていました。
「いい加減なことを書けば祟っちゃうよ」
そんなことを言われた気がしたのです。

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青柴垣神事の記事は、前篇・中篇と書いているうちは、全く別の結末を想定していました。
後篇の考察は、まさに後篇を書いている時に、思いついたものです。
それが正しかったのかどうかは分かりませんが、1週間経った今も僕は、とりあえず生かされております。感謝。

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