朝霧の隠れ里、三次のマヨイガ「手打そば 山菜料理 わらべ」さんを訪ねてきました。
わらべさんは、座敷わらしに会えるそば屋さんで知る人ぞ知る名店でした。
希望すれば、1日2組限定で、そのおそば屋さんに泊まることができました。
僕は2021年4月5日にわらべさんを訪ね、泊めていただきました。その時の記事がこちらですが、僕が五条桐彦の名前を世に出したのは、この記事が初でした。
とてもファンタジックで、素敵な経験をさせていただきましたが、2022年8月23日、わらべのお母さん「澤口則子」さんが亡くなられたとの訃報をその記事のコメントでいただきました。
悲しい。もうひと目、お会いしたかったです。
わらべはとてもお美味しい蕎麦を食べさせてくれる良い店で、これからも変わらず存続して欲しかったのですが、残念ながら9月末で閉店されてしまいました。
お母さんありきではありましたので、致し方ないご決断だったのでしょう。
大変遅くなってしまいましたが、ご冥福をお祈り申し上げるために、誰もいないわらべさんの前に僕は立ち尽くしているのでした。
裏戸が開いていました。
お母さんはあの辺りのこたつに座っておられ、
この辺りに、わらしさんの部屋がありました。彼らは今、いったいどうしているのか。
わらべさんの店の前でしばし時を過ごし、僕は葦嶽山に登ることにしました。
下山後、足を向けたのは「上下町」(じょうげちょう)。
上下町は広島県甲奴郡にあった町で、2004年(平成16年)4月1日に南隣の府中市へ編入されました。
江戸時代は旧石見銀山から瀬戸内海への銀山街道の宿場町の一つとなり、天領とされ、両替商など金融業で栄えたのだといいます。
町名の由来は、分水嶺であり峠でもあったことから、峠の字から山を除いて上下となったとか。
僕が三次に住んでいた頃は「ツチノコ」の里としても有名で、大粒の栗が一つ丸ごと入った「ツチノコ饅頭」が何気に好物でした。
また当時は、上下にある小高い山にクリスマスツリーのような電飾が設置されており、お金を出せば、好きな日、好きな時間に灯すことができました。
つまり「ごらん、今夜の輝きは君へのプレゼントさ」「まあきれい」「君の美しさにはあの輝きも及ばないさ」ごっこが捗るというものです。
わらべさんのすぐそばに、「須佐神社」があるのを思い出しました。
懐かしい。何故ここのことを忘れていたのだろう。
須佐神社ですから、当然祭神は素戔嗚尊です。
今ではスサノオ=徐福と認識してしまっていますが、当時は僕の中でも出雲の英雄神でした。
当時のサラリーマン業に憂鬱さを抱えていた時、たどり着いたのがこの神社でした。
へえ、こんなに立派な神社だったっけ。
仕事に凹んでいた時、何度も励ましてもらい、転職の時は背中を押してもらった神社でした。
昼すぎ、もう一度お別れがしたくて、再びわらべさんに立ち寄りました。すると、
おや、見た顔の子たちがいらっしゃました。
合計4匹のわらしさんたちが、ひなたで微睡んでいます。
彼らを撮影していると、そのうちの1匹が僕のそばまで来てくれました。
やあこんにちは。そうか、君があの時、夜這いしてきた子だね。
僕に挨拶してくれるのかい。
実はわらべさんのことを、快く思わないご近所さんもいらっしゃるようです。この日、僕は、その片鱗を見てしまいました。
こんな片田舎でひとりだけ羽振りが良ければ、それをやっかむ気持ちも仕方ないかもしれません。
最近は某芸人が座敷わらしの宿に泊まってわちゃわちゃする番組があったりしますが、わらしさんはとてもシャイなので、むやみにTVに出たりしないお宿のほうが本物ではないかと思っています。
そして神様もわらしさんも、その誕生の裏には悲しい話があったりするものですから、彼らに僕を幸せにしてほしいと願うのではなく、君たちが幸せでいてほしいと心の底から願うのです。
お母さんのいなくなったマヨイガで、この先ひょっとすると辛い思いをするかもしれないね。
でもどうか、あのあたたかかった日々を忘れずに、この先も君たちに幸がありますよう、三次の神様お願いいたします。