長尾神社:常世ニ降ル花 井氷鹿皓月篇 01

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【從其地幸行者生尾人自井出來其井有光爾問汝誰也答曰僕者國神名謂井氷鹿(此者吉野首等祖也)】

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奈良県葛城市、葛下郡の総社として鎮座する「長尾神社」(ながおじんじゃ)を参拝しました。
それにしても、参道が長い。
長尾の名の由来としては、「三輪山を七回り半取り巻いた蛇の長い尾がここまで届いていたから」とか、「大和に住んでいた竜の頭が竜王宮(大和高田市)で尾が長尾神社である」とか、「頭が大神神社で胴が竜王宮で尾が長尾神社」と、ともかく龍蛇神の尾があったから長尾の名が付いたということのようです。

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まるで龍宮のような、鳥居。
長尾神社は、推古天皇21年(613年)に敷設された日本最古の官道「竹内街道」の東の起点と横大路(初瀬街道)の西の起点を結ぶ位置にあり、さらに長尾街道や高野街道も交差する古代の主要街道の要衝地にあります。

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境内の入口には、狛犬ならぬ狛ガエルが鎮座していました。
「なで蛙」と呼ばれ、その頭をなでると、「無事帰る」「若返る」「お金が返る」「安産祈願」など願い事が叶うと言い伝えられています。

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交通の要所ゆえの、シンボルなのでしょう。ブジ・カエル・ゲコ。

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長尾神社の祭神は昭和21年(1946年)の『大和志料』によると、古くより「天照大神」(あまてらすおおみかみ)と「豊受大神」(とようけのおおみかみ)を祀ると記されているそうです。
さらに江戸時代の正徳3年(1713年)の社伝には、「水光姫命」(みひかひめのみこと)と「白雲別命」(しらくもわけのみこと)を祀るとあるのだとか。

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この聞き慣れぬ、水光姫とは誰なのか。
これは記紀に記される初代天皇東征神話に際して、吉野に巡幸の際、井戸の中から現れた国津神「井氷鹿」のことであるとされています。なるほど。

そこから進むと、尾の生えた人が井戸から出てきた。
その井戸の中(体)は光っていた。
「そなたは誰か」と問うと
「私はこの土地の神で、名は井氷鹿(ゐひか)です」と答えた。
これは吉野首(よしののおびと)の祖先である。

-『古事記』

「ゐ、ヰは、日本語の音節のひとつであり、仮名のひとつである。 元来は、/wi/(現代の表記「ウィ」に相当)と発音された」(Wikipedia)

ウィヒカちゃんは女の子でしたか!

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さらに『新撰姓氏録』(815年)では井氷鹿を「吉野氏の祖先で、天白雲別命の娘・豊御富登であり、水光姫の名は神武天皇が授けられたもの」としています。
古事記ではこの後、初代天皇は 吉野國主(くず)の祖先である「石押分之子」(いわおしわくのこ)に出会うことになります。
僕はこの初代天皇のことを、物部王のことだとすっかり思い込んでいました。
しかしこの場面で言うところの天皇とは、真の大和初代大君「海村雲」(あめのむらくも)のことであったと、考え直すことになりました。

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この長尾神社は、富家の「一言主神社」「鴨都波神社」、神門家の「高鴨神社」「葛木御歳神社」、そして海家の「火雷神社」を結ぶライン上の一番上に鎮座しています。
つまり、出雲・丹波方面から奈良入りした時の、玄関口にあたるのです。
古代、出雲王家のクシヒカタらが奈良入りしたときは、奈良盆地は湖沼であったといいます。
その彼らに、適切な居住地を案内したのが、この井氷鹿族だったのではないでしょうか。

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彼らが出雲族や海族よりも、古くから葛城に定住していた証としては、長尾神社の鎮座位置にあります。
そこは二上山の麓であり、竹内峠の玄関口にあると言うことです。
竹内峠は、推古女帝が竹内街道を整備するよりも遥か以前から交通の要所でした。
そして二上山からは、準黒曜石と言えるサヌカイトが採れたのです。

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サヌカイトは「讃岐岩」(さぬきがん)のことで、香川県坂出市国分台周辺で採取される石です。
非常に緻密な古銅輝石安山岩で、固いもので叩くとキン・キンと高く澄んだ音がするのが特徴です。
古代には、石器の材料として使われ、打製石器、磨製石器に加工され使われていました。

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つまり、製鉄技術が持ち込まれる前の石器時代に、香川でサヌカイトを採掘していた一族が海を渡って奈良に至り、二上山にサヌカイトがあることを見出し定住した、それが井氷鹿族だったのではないでしょうか。

ところで、境内に無造作に置いてあるこの石、何でしょうか。
酒船石っぽいですが、レプリカ?

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すると同じような石が、境内奥の「御陰井」(みかげい)と言う場所にもありました。

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これは、「水光姫命が応神天皇の御代に、竹内村の三角磐に降臨され、子孫の加彌比加尼(かみひかね)に命じて当地に祀られたもので、その姿は白蛇であって、御陰井に封じた」とされるものです。

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またむかし、大和盆地は大きな湖沼で、ある時、當麻のヘビと飛鳥川原のナマズが「自分たちこそが大和の主だ」と、お互いに湖沼の支配権をめぐって争いがあったといいます。
結果は當麻のヘビが勝利し、ヘビは湖沼の水をすべて當麻に移してしまいました。すると當麻の地は、大洪水となりました。
そこで水光姫がその水をすべて、長尾神社の御陰井の中に封じ込めたといいます。
いずれの伝承においても、井戸のふたが外されれば、大和はたちまち大洪水になると言い伝えられています。

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一方、負けたナマズの住む飛鳥の川原は、水がかれてしまいました。とんだとばっちりを受けたのが、飛鳥に住む亀たちで、彼らの多くが干からびて死んでしまったといいます。
この亀たちの霊を供養しようと造られたのが、亀石であり、南西を向いている亀石がもし、西の當麻の方向をにらめば、一帯はまた元の湖沼に戻ると伝えられています。

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さて、このようなことから、当社の真の祭神は、古い時代の神である井氷鹿こと、水光姫であると言うことができます。
天照大神も豊受大神も、第二次物部東征以降の神であり、その名が生まれたのは記紀が執筆されてからです。
では、再度問います。水光姫とは誰なのか。

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御影井に現れた彼女の姿は白蛇だといいます。
古事記の描写でも、「尾の生えた人が井戸から出てきた。その井戸の中(体)は光っていた」とあり、これは白蛇を表しているのではないでしょうか。
つまり、白蛇を信仰に持つ一族。
そして『新撰姓氏録』(815年)では、井氷鹿を「吉野氏の祖先で、天白雲別命の娘・豊御富登であり」としています。
豊御富登、そうつまり、富家の「豊水富姫」のことなのです。

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豊水富姫は天村雲大君の息子にして、海部家の祖とされる天御蔭(大和宿禰)の妃となった人です。
彼女の3代下に由布院の宇奈岐日女がおり、豊族の名の元となったのは、豊水富姫だった、というのが五条桐彦の説です。

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いやしかし、そうするとちょっとおかしなことになります。
富家と白蛇、さらには採石族というのが、どうにも絡み合いません。
井氷鹿・水光姫はもっと古い古代氏族の流れを受けた姫ではなかったか。
そうすると、僕の目に入ってきたのは、天御蔭の母で天村雲大君の后である「伊加里姫」でした。

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イヒカ・ミヒカ・イカリ。
四国香川のサヌカイト産地であ坂出市国分台の麓には、巨大な亀の磐座がある「國分八幡神社」があります。
その磐座は白い石英の筋が入った「はちまき石」の磐座で、古来より「白蛇大神」が棲まう聖域とされていました。
同じく白蛇を神体とし、サヌカイトを採掘した一族。
大和に富家のクシヒカタ、神門家のタギツヒコ、そして海家の村雲を導き、やがて大和の王となった天村雲の后となり、海部家の祖となる御影を産んだ伊加里姫。
繋がるような気がします。
そしてさらに伊加里姫の聖地は、丹波にも及ぶのでした。

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長尾神社を南に下り、高鴨神社も越えたその先には、四国にも通じる吉野川が流れます。
井氷鹿は吉野氏の祖先とも伝えられますが、吉野に籠った大海人皇子は672年、壬申の乱を起こします。
7月4日、大和における戦いは、乱の勝負を決する重要な戦いとなりました。
その時、この地の豪族であった「長尾直真墨」(ながおのあたいますみ)が大海人皇子側として戦い、当社の鎮座地あたりで近江方の大友皇子の軍勢と激突し、勝利しました。
この時の様子が『日本書紀』に描かれており、「當麻衝」(たぎまのちまた)とある場所がまさに、長尾神社の鎮座地になっています。

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大海人皇子は吉野國主の協力を得ていたといわれています。
こうして大海人皇子は天武天皇となり、乱に勝利した功績を讃え、葛下郡の一郡を当社に献じました。これにより長尾神社は、大和国十五郡のひとつ、葛下郡全体の総社となったのでした。

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14件のコメント 追加

  1. 出芽のSUETSUGU より:

    再び。ところで水銀が不老不死の妙薬なんて怖すぎると思いませんか。。😱出雲王家の埋葬で朱色の防腐剤としてご遺体に。。というのはわかりますけど、とある女帝のように永遠の若さ美貌欲しさに飲むものじゃないですよね。記紀の伝承、まことか否かわかりませんけど。。垂仁のために、大陸から不老不死と呼ばれてた橘の実をとってきた田道間守のほうがまだましで、常識があったのかしらんと思いました。。

    久美浜は朝鮮半島や大陸との玄関口で田道間守みたいに簡単に行き来してたのでしょうね。ところで、出芽の国、田和山神殿を攻め滅ぼしたにっくき田道間守。田和山という地名は、田道間守が制してからついた可能性を感じています。古代、田道間守は田の神とよばれ、与謝郡加悦町らへん?(あっカヤと読むわ(^_^;))それとも丹波方面だったか忘れましたが、彼の伝承地名に田和という地名を以前に見つけたときに、松江の田和山神殿のことを思い出してしまいました。よく行く場所(いまや松江の美味しいカフェがある地区)ですけど、田道間守由来の地名なら、私なんか個人的にやだ〜ん😭

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    1. 五条 桐彦 より:

      水銀は不老長寿の象徴であって、実際に飲んだ人は稀なのではないでしょうか。
      古代人もアレが毒だというのは、流石に分かっていたでしょう。
      田和山は田道間守由来ではないと思いますが。
      水光は水銀を表しているのでしょう。
      しかし奈良で水銀の取れた山は宇陀方面で、長尾神社鎮座地は少し離れているように思いましたので、この記事では触れませんでした。
      イヒカ(水光)は初代天皇に与えられた名だという記述もありますので、水銀を採掘するようになってから付けられた名ではないかと。

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  2. 出芽のSUETSUGU より:

    兎にも角にも、

    海人族。ちゅーことですね。

    奈良に昆布という姓の人が多いらしく、山に昆布、海人族の移動が見えますね。

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  3. 出芽のSUETSUGU より:

    髙山貴久子氏の「姫神の来歴」によると、「井」とは、水を汲む井戸だけでなく、丹をとる丹井や器を作る範型のことを表したから、記紀のいう「光る井」とは水の井戸とは限らず、丹井からの自然水銀ではないか。自然水銀は水がキラキラ輝いて光ってみえるとのことで、北海道のイトムカ水銀丹山のイトムカとは、アイヌ語で「光り輝く水」という意味だそうです。イトムカ→井光→イカリ(イカリヒメみたい)→井氷鹿

    なので、井氷鹿とは、吉野山を中心として水銀採掘をしていた部族で、彼らの祀ってた井氷鹿神とは。。朱砂を生み出す女神、丹生都姫ではないかという考察があり、なんだか稚日女姫に繋がってました。

    このせいで、丹後丹波、若狭、久美浜、吉野葛。。阿陀郷、五條市と吉野川から紀の川周辺までのお社巡りをしなければならなくなりました(^_^;)

    人の数だけ考察ありピーンときたら行くしかないですね。

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  4. 匿名 より:

    narisawa110

    葛城山麓の西側の神社も面白いですよ。三種の神器に加えて一番南側には銅鐸まであります。ちょっと字が違うところもありますが

    石切剣前神社、若江鏡神社、八尾玉祖神社、鐸比古鐸比米神社

    皆さん三種の神器の事は注目しますが銅鐸まであることは結構見落とされています。

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    1. 五条 桐彦 より:

      なるほど、面白いですね。
      鐸ヒコ鐸ヒメって、まんま出雲ですね😊

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  5. Nekonekoneko より:

    🐥蛇族は水利権を独り占めするのが常套手段だったようですな。とすると當麻の洪水を収めた井氷鹿とはどんなクリーチャーだったのでしょうか長い尾が生えとるとか🐤アカン、アカンで〜水を独り占めした挙句に神罰が当たって洪水になった當麻と蛇族を助けようだなんてアカン🐣

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    1. 五条 桐彦 より:

      井氷鹿ちゃんはかわいいんやで🐍

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      1. Nekonekoneko より:

        🐥井氷鹿ちゃんには尻尾があって顔とか体とかテカテカ光ってそうやけど、一体何処に住んどるんやろなぁ…(なんやトカゲ🦎に似とる🐤)

        いいね: 2人

        1. 五条 桐彦 より:

          井氷鹿ちゃんなら、ワイの横で寝とるで🛌

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          1. Nekonekoneko より:

            🐤どんな趣味どすか

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          2. 五条 桐彦 より:

            多趣味です😀

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          3. Nekonekoneko より:

            🐥分かります。好きなんですね🐣

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          4. 五条 桐彦 より:

            大好きです(〃ω〃)

            いいね: 2人

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