古の宇佐国の柚富郷に 天降りし女神あり
肌を晒して跪坐く
夜露に濡れ 祝詞を詠い 鈴の音は鳴り響く
雲は晴れ 水面に浮きし月読めば 干珠満珠を天へと捧ぐ
月満つとき月干すとき 変若水はその手に雪がれり
淡く無垢な胸元に 月射す八尺の勾玉よ
豊美き国の徒は謳う ウナグの君が代の花と
大分県由布市の「金鱗湖」(きんりんこ)へやってきました。
金鱗湖は、由布岳の麓にあることから、かつては「岳下(たけもと)の池」「岳ん下ん池」などと呼ばれてましたが、明治17年(1884年)、儒学者の毛利空桑が魚の鱗が夕日に照らされて金色に輝くのを見てその名が付けられたということです。
金鱗湖は池底から温泉と清水が湧き出ている特徴があり、さらに流入する5つの河川の中には約30℃の温泉水が流れているものもあり、その温度差によって秋から冬には池面から立ち上る朝霧の幻想的な景色を見ることができます。
当地は温泉地であり、由布院と称されますが、30年前までは温泉旅館が数軒あるくらいの侘びた温泉街でした。
ところが今や、オシャンティな店が所狭しと軒を連ね、オシャンティストなおねえちゃんたちが集い、一大シャレオツ温泉地となっております。
そんなオシャンテイスティな由布院盆地も、古くは全てが湖であったという伝説がありました。
それは安曇野や阿蘇にもある、いわゆる「蹴裂伝説」というもので、由布岳の神であるウナグヒメが力持ちの大男「道臣命」(みちのおみのみこと)に命じて岸辺を蹴破らせ、水が抜けて今の盆地となったと伝えられています。
その時の湖の乾き残りが金鱗湖となったと云われていますが、しかしながら盆地の底にあたる地点から土器が発掘されており、湖伝説の真偽は明らかとされていません。
金鱗湖に浮かぶ鳥居の元には、「天祖神社」(てんそじんじゃ)が鎮座します。
当社は中央に天祖神、向かって右側に八坂神社、左側に金比羅神社が祀られています。
祭神は「天之御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)・「素盞鳴男命」(すさのをのみこと)・「軻遇突智命」(ひのかぐつちのかみ)・「事代主命」(ことしろぬしのかみ)の四柱。
これに「大物主神」(おおものぬしのかみ)も合祀されているという話もあります。
この天祖神社創建は、第12代景行帝が、豊後国速見郡の「速津媛」(はやつひめ)に勅して皇祖神霊を祀らせたことによるとされています。
景行帝、そう景行帝です。
大和・物部王朝の2代目で、無慈悲非道の帝であります。
九州に自ら遠征し、各地の戸畔・姫巫女らに、恭順なら我が子を孕ませ、まつろわぬなら死を与えたあの景行帝でありました。
ということは、速津媛は恭順し、帝の子を身篭ったのでしょうか。
社殿の裏手に回れば、例の鳥居がありました。
この湖上の鳥居は、かつて湯布院町内の佛山寺(ぶっさんじ)に建立されていた金毘羅宮のもので、明治の神仏分離によって移されたものだそうです。
ウナグヒメが、道臣命に湖壁を蹴破らせた時、湖に棲む一匹の大きな龍が湖水の減少によって神通力を失い、天祖神に懇願しました。
「私は、長い間この湖に住んでいた龍です。ここに少しだけ安住の地を与えてください。そうすれば清水を湧き出させ、永くこの地を護りましょう」
この願いが聞き入れられ、金鱗湖が残されたのだと伝えられていました。
さて、由布院にある神社と言えば「宇奈岐日女神社」(うなぎひめじんじゃ)です。
「うなぐひめ」または「うなくひめ」とも称され、「六所宮」・「木綿神社」(ゆふじんじゃ)・「木綿山神社」とも呼ばれます。
地名の由布の由来については、この一帯がユフ(木綿)と呼ばれていたことにあり、かつては木綿の一大栽培地であったと考えられています。
富家の伝承でも、出雲王国の法律である「八重書き」は、当地のユフで作られた紙に記されていたと伝えられていました。
つまり由布院は、出雲王国時代から突出した産業国であり、王国とも非常に関連性の高い重要な地区であったことが推察されます。
その由布院の中心にある宇奈岐日女神社、当然祭神は宇奈岐日女であろうと思いきや、
由緒書きにその名は一切記されていません。
なんでやねん。
これはどういうことか。
祭神の名に物部の神が多いように感じられます。
社伝によると、創祀は景行天皇12年10月のこと。
景行帝征西の折、当地で祭を営み、速津姫に勅を命じて創祀させたと伝えられます。
金鱗湖の天祖神社と同じですね。
宇奈岐日女神については、由布山の神であると記されていたり、由布院盆地が古くは湖であったという伝承に基づき、ウナギの精霊であると考えられていたりしますが、あるいはこの速津姫のことであったとも考えられます。
大分県から発見された古文書で、鎌倉時代に豊後国主の大友能直公が書き著したとする『ウエツフミ』によると、ウナギヒメは綿花の栽培を司る神様のことであると記されています。
ふむふむ、では景行帝が速津姫に物部の祖神らを祀らせて、当地に伝わる精霊っぽいふんわりした神の名前を社名にしたのだと、ほうほう。
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んなわけあるかい!
最近塗り替えられたらしき立派な神門を構える神社、ここが宇奈岐日女という絶大な勢力を誇った戸畔を祀った神社であることは、疑いようがないのです。
物部の景行帝がやってきて、その名前を祭神から消したということは、彼女は帝にとって非常に目障りな存在だったことが窺えるのです。
しかもそれでもなお社名までは奪えなかった、その絶大なカリスマ性を彼女は有していたことまでも知れるのです。
聖域に足を踏み込めば、彼女がウナギの精霊などという生易しいものではないことは、すぐに理解できます。
名前を消されてなお当地に残す、圧倒的な存在感。
境内の横には、平成3年の台風で倒れてしまった御神木の切株が並べられています。
しかしその切株ひとつを見ても、この杜がはるか悠久の時から存在していたことを物語ります。
切株の横には御年神社が鎮座していました。
御歳神は出雲にゆかりある神で、西出雲の郷戸家がよく祀る神でもあります。
宇奈岐日女神社は本殿自体が、厳島社のように堀の中に建っています。
掘りに架かる石橋を渡ると、
向かって右手に市杵嶋姫命を祀る厳島社、
左手に菅原道真公・天津児屋根命・天津種子命を祀る政正社(ただすしゃ)が鎮座します。
では、この宇奈岐日女とはいったい何者なのか?
僕は当初、ウナギはウサギだったのではなかろうかと考え、ウサギ日女、つまり宇佐の豊玉姫の子孫の一人であろうと思っていました。
しかしこれは当たらずとも遠からず、実は豊玉姫の先祖に当たる人だったのです。
宇佐族は元来、物部氏の分家であったと推察できます。
それは宇佐家口伝を継承される宇佐公康氏の著書にも記されていました。
宇佐都彦の祖は高魂尊であり、徐福の母親・栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)であることが伝承されています。
徐福の母親が祖であるというのは海部族にも言えることですが、この母を高魂尊として祀るのは物部族の特徴です。
しかしその宇佐族がなぜか豊玉姫の時代になると、菟狭津姫が豊玉姫・豊姫になり、宇佐王国が豊王国となるのです。
この「豊」はどこから来たのか?
宇佐が豊になったことは、この時代に有力で巨大な勢力が宇佐国に習合したことを物語ります。
そして豊玉姫は記紀に、龍宮の乙姫として記されることになりました。
記紀の筆記者はここに、消されゆく邪馬台国・豊玉姫の痕跡を、ヒントとして残したのです。
龍宮神話にこだわっているのは、丹後・籠神社の海部氏です。
そこで海部氏の系図を見てみて驚きました。
ありました、宇奈岐日女の名前が。
海部家の系図は、海部家・尾張家・先代旧事本紀等々、微妙に違っていて一つにまとめるのに苦労しますが、おおよそ海部家・健田勢の妹として「宇那比姫」の名を見ることができます。
この宇那比姫が宇奈岐日女で間違いなさそうです。
そしてその系列には「豊」の名を関する姫の名も散見され、さらにその祖神である天御蔭に嫁いだのは、富家の「豊水富姫」であると富家に伝承されていました。
豊の名を遡ると、なんと東出雲王家・富家に繋がっていたのです。
物部族に対して、豊家はどこかしら出雲的だと感じていた謎も、これで解明できました。
そして宇奈岐日女を通して、海部家と豊家が繋がったのです。
宇奈岐日女はユフの重要な産地である当地に大和から移ってきたのでしょう。
これはすなわち、海部族が九州においても物部族に拮抗するほどの勢力を有していたことを裏付けます。
「うなぐ」とは勾玉などの首飾りを意味すると解釈する向きもあり、宇奈岐日女は実際に呪具を身につけた戸畔の巫女であったと思われます。
そして彼女が祭祀したのはおそらく月神だったのでしょう。
月神信仰に月を映しとる水鏡が必要だったことは、水沼の巫女の神事からも想像できます。
彼女は、金鱗湖に映る月を読んで、神託を得ていたはずです。
彼女こそ親魏和王の女王の大元であったなら、祭神が書き換えられ、その痕跡が隠されていることも納得がいきます。
宇奈岐日女とは、宇奈岐日子の存在も確認されており、ヒメ・ヒコ制の王と巫女の称号だったとも思われます。
初代宇奈岐日女の子孫が豊玉女王につながるのとともに、当地にも後継者としての宇奈岐日女が連綿と就任していたのでしょう。
そうしてまつろわぬ土雲の女王としての宇奈岐日女が世に誕生したのでした。
おお、山賊。むすびと鳥の丸焼き。デートコースでしたね。
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真夜中のドライブの行き着く先でした(笑)
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面白い記事をありがとうございます。山口県にも由宇町がありまして、なぜ知ってるかっていうとカープの二軍練習場があるからで温泉もあります。記事で豊と宇佐の違いと関係がよくわかりました。
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由宇町、ほんとですね。ユウと関係があるのでしょうか?大頭神社の帰りに山賊に寄りました😋
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