山口の「角島」を訪れていた際、風光明媚な「響灘」の道沿いに、気になっていた稲荷社がありました。
訪れてみると、「福徳稲荷神社」(ふくとくいなりじんじゃ)はなかなか景色の良い、立派な神社でした。
道脇に突然現れる大きな鳥居。
ずっと気になっていました。
車でそのまま登ってみると、なんとも立派な社殿があります。
伏見稲荷大社をちょっとコンパクトにした感じです。
やや犬っぽい稲荷像。
拝殿の裏にある山は「稲城山」または「犬鳴山」と呼ばれています。
古歌には「長門なる稲城の山の姫あやめ 時ならずして如月に咲く」 と謳われます。
御祭神は
「宇迦之御魂大神」(うかのみたまのおおかみ/谷川稲荷) 下社
「大宮能売大神」(おおみやのめのおおかみ/谷森稲荷) 中社
「大市比売大神」(おおいちひめのおおかみ/谷嶽稲荷) 奥社
となっています。
「長門国名勝記」は「安須波の原といえるは、此の谷ヶ浜の景地なり。」と伝えています。
「景行天皇」が安須波の原にやって来て、その姫菖蒲の美景に見とれられ帰る(いぬ)ことを忘れてしまったそうです。
それから「いぬなき山」と言われるようになり、犬鳴山 となったそうです。
拝殿から振り返れば、響灘が見えます。
晴天の日は、さぞかし絶景でしょう。
境内には千本鳥居もあります。
道内には「谷嶽 」「谷森 」「谷川」などの稲荷社があり、それぞれ本殿で祀られている御祭神を祀っています。
裸電球がぶら下がる朱色の鳥居は、どこかノスタルジー。
途中にある社も侘びた風情があります。
また千本鳥居の中には「縁組稲荷」もあって、恋人たちの祈りの場となっているようです。
この鳥居、実は排水管などに使われる塩ビ管でできているようです。
安っぽさは否めませんが、面白いアイデアです。
そんな千本鳥居ですが、そこに光が差し込むと、得も言われぬ幻妖な美しさを見せてくれます。
鳥居を抜け、たどり着いた先には「宇迦之御魂大神」を祀る「谷川稲荷」があります。
福徳稲荷神社には「いなり民話」が伝わっています。
昔、湯玉在に仲のよい姉弟がおりました。
母はすでに亡くなり、年老いた父は一本釣りの漁師で母親の代わりにそれはやさしく姉弟をいたわり、貧しいながら平和に満ち足りた日々をおく っていました。
けれども、ある日どうしたことでしょう。沖が急にシケ たのでしょうか。いつもの時刻に夕焼けの中を波止場で待っている姉弟の前に、懐かしい日焼け顔を乗せた伝馬船は帰って来ません。
その日からです。来る日も来る日も犬鳴きの岬に立ってじっと沖を見つ めている姉弟の姿を浦人が見かけるようになりました。
西から吹きつけるシベリア風の、肌を刺すような冬がやって来ました。
けれども肩を寄せかばい合うように寄り添って立つ二人の姿は変わりません。
チラホラ白いものが降るようになると、浦人の心配は次第につのって来ました。
「お父さ―ん」「お父さ―ん」と叫び続ける姉弟の声が浦人の心に聞こえるのです。
そのいじらしさに、浦人は犬鳴鼻に舟を向けても顔をそむけるのでした。
ある嵐の日、浦人の心配が当たって、猛り狂う大波の白いしぶきの合間にチラチラ見えていた姉弟の姿が、ふっと見えなくなりました。
次から次ぎと襲いかかる白い牙の向こうに、懐かしい父親の姿が見えたのでしょうか。肩を組んだまま誘い込まれるように自波の底へ引き込まれていったのでしょう。
あまりのいたましさに浦人はこぞって犬鳴山のほとりに小さな祠を建てて、往って還らぬ父親と姉弟の霊を祀りました。
後の世の人は、三人のお祭りを盛大にしたいと、京都伏見稲荷大明神さまをお迎えして三座に祀りました奥座は姉稲荷、中座が弟稲荷、前座は父親稲荷と今に伝わる遠い昔のお話です。
福徳稲荷神社を後にしようとした時、ふと振り返ると、山の中に御神体らしきものが見えました。
不意に訪れた神社でしたが、もっと名が知られても良さそうな、素敵な神社でした。